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第二十三話 これ以上の自慢はないさ

「結局あんたも行っちまうのかい。どいつもこいつも年寄りを労わる心ってもんが足らないねぇ」


 アードラー夫人が首を横に振る。都市郊外に住んでいるこの偏屈老人は、ネローの襲撃を生き延びていた。通りがかったフランツたちに助けてもらったのだ。骨と皮だけの容貌なのに、口を開けば生命力の塊であると感じさせる御仁である。知らない仲でもないので、都市を離れる途中で挨拶に立ち寄った。


「落ち着いたら息子さんが来ますから、歓迎してあげてくださいね」


 老人が不満げに鼻を鳴らす。

 再建されたばかりの新生ギルドでは一人暮らしの夫人を気に掛ける余裕はなく、隣町の息子に便りを送る他なかった。喧嘩の果てに絶縁状態となっていたらしく、任せられるか不安だったが、意外にも息子は関係修復に乗り気だった。領都で発生した惨事が、子の心に親を思う気持ちを蘇らせたのかもしれなかった。

 そういえば、家族への手紙などほとんど書いてない。不仲が原因ではなく、紙代と墨液(インク)代、郵便代を節約するためだ。最初の頃は近況報告をしていたが、生活費の捻出と多忙で徐々に頻度が落ちていき、今はさっぱりやり取りしなくなっていた。


「まあ、なんだい、侯爵様の下に仕えるなんて、念願叶ったりじゃないか」


 贅沢暮らしでもするがいいさとか、調子に乗るんじゃないよとか、長々と嫌味を垂れていたけど、老人は最後に小さく「いろいろありがとうよ」と締めくくった。


「こちらこそお世話になりました。息子さんにもそれくらい素直になってあげてください」


 ギャーギャー喚く老人を背に、私たちは出発した。

 オスナフェルト砦は百年以上前の戦から使用されている要塞である。修繕工事が行われ、現在はジギスムント指揮下の王国軍が駐屯している。領都から徒歩で片道三週間以上。簡単な道中ではない。朝から夕までひたすら歩き続け、暗くなったら野営する。道中に村が二、三あり、物資の補給や宿泊のために立ち寄る。

 長距離移動は、慣れていない人間にとって想像を絶する苦痛だが、私物の多くが襲撃事件で焼失したのは不幸中の幸いだったのかもしれない。


「大丈夫、ユーリエ」


 夕闇の中で焚火がゆらゆら揺れていた。燃やされた枝の弾ける音が、嫌な記憶を掘り起こさせる。きっと、疲れが原因だろう。

 私たちは村に到達できず、今夜は野宿が確定していた。野原に寝そべると寝台(ベッド)のありがたみを痛感せざるを得ない。安宿であっても、最低限の睡眠環境を提供してくれていたのだ。


「限界だよ。明日はおぶってくれないかな」


「うーん、じゃんけんで負けた方がおぶるってのはどう?」


「君の動体視力ならインチキし放題だろう、やだね」


 炎の中から飛び出している小枝を、助けを求める人の手と錯覚する。全身が焼け爛れてなお救いを探してもがく腕に。震えているように見えるのも、悲鳴のような何かが聞こえるのも、全てまやかしだ。

 燃え滓が風に乗って近くを漂う。髪に付着しないよう必死に振り払った。怪訝に思ったのだろう、フランツが眉をひそめる。私が「なんでもないよ」と言って顔を逸らすと、彼は覗き込んできた。

 大人っぽい、いや、大人の顔だ。真剣な眼差しでこちらを慮っている。どこかで見た記憶があった。なんだっけ、たしか、あれは最初で最後、鼠型の魔獣を屠った時。飛び散る体液を物ともせず切り込んでいった時の眼差しだ。仲間を率いている自負が、フランツにこんな顔をさせるのだろうか。

 彼はいつから青年になったんだろう。

 金属が地面に打ち付けられる異音が響く。我に返って背後に目をやると、両手で鍋を持ったキュナスが、奇声を発しながら鍋蓋を拾おうとしていた。


「あああの、ええと、邪魔しちゃってごめんなさい。全然、あの、ぜーんぜん気にしないで。あたしはすぐに退散するから」


「僕が拾う。頼むから鍋の中身こぼさないでよ」


 疲れを癒すには、腹を満たす他ない。

 採取した山菜や茸を煮込む。味は大して無い。焚火を囲み、フランツが四人分を木器によそう。待っている間、魔術師の視線が私とフランツの間を往復していた。びっくりするくらい挙動不審だ。

 煮汁を飲んでみると、都市の豊富な調味料が恋しくなった。塩か香辛料を行商人から購入しておくべきだったかもしれない。


「誰かさんが野兎を取り逃さなきゃ、もう少し彩り豊かだったんだけどなあ」


「弓は専門外っつってんだろ」


「長距離攻撃は魔術で十分だからね……キュナス?」


 名前を呼ばれて、魔術師が跳ねる。酒は入ってないだろうに、ここまで上の空になるとは珍しい。疲労が蓄積しているのかもしれない。

 魔力量の都合で彼女は狩りに参加できない。獣一匹に攻撃魔術を使うより、地形把握や山菜の採取に支援魔術を使う方が合理的なのだ。役割分担は自然と決まっていた。依頼での野営経験が、生かされているのだろう。


「ごめんなさい、ぼうっとしてたわ。何?」


「あんだよ、また雑草で遊んでたんじゃないだろうな」


「あ、遊ぶわけないでしょ!」とキュナスが叫ぶ。

 フランツが穏やかに微笑んでいる。さっきの真剣さは影も形もない。腕や悲鳴と同じく、炎が魅せた幻だったのかもしれないとすら思えた。


「まだ覚えてるよ。『これは魔術的根拠に基づく瞑想なの』って」


「人はね、ぼっちを拗らせるとおかしくなるのよ……」


「ぼっちがおかしくなるのか、おかしくなるからぼっちなのか、どっちかねえ」


「やめて、あたしに瞑想させたいの?」


 三人の間で、どっと笑いが起きる。空になったゲヴァルトの器を受け取り、私は煮汁の残りを入れた。鍋を洗ってしまいたかったが、近くに小川は流れていない。様子を見て、キュナスに洗濯魔術をお願いするしかないだろう。沸騰していた汁は話し込んでいるうちにすっかり冷めてしまった。屋外だから、なおさらだ。最後の一滴まで飲み干すと後片付けが始まった。


「鍋と木器よこして、洗うわ」


「危ないからあまり離れないでくれ」


 フランツの忠告に、キュナスは肩をすくめる。「暗闇を恐れるようでは、魔術師なんて名乗れない」と宙を漂う光球を生み出し、森の中へ入っていく。小石で躓きそうになっている後ろ姿に対し、やっぱり心配だからと、フランツも続いた。二人が揃っていれば、魔獣が出現しても安全だろう。

 私は火の近くに腰かける。炎で揺れる自分の影を目で追いながら、王都で仕事をしていた過去を思い出す。魔獣どころか、ただの獣に怯えて、火を絶やさないよう交代で見張りを続けた。風や小動物で揺れる林が恐ろしくて、しょっちゅう相方を叩き起こしていたのだった。

 あんなに不機嫌そうなフランツと接したのは、後にも先にもこの時だけである。


「ねえ、ゲヴァルト」


 寝袋を敷き横になっている傭兵が、あくび混じりの返事をする。眠たそうにしているが、彼は最初の見張り役のはずだ。


「勇者をやっていた頃もこんなふうに野宿していたのかい」


「なんだ、昔話が聞きてえのか」


 今よりもずっといい加減だったとゲヴァルトは語る。食べ物が確保できずに腹を空かせたまま夜を明かすこともあったし、疲れていた時は、見張り役が居眠りするのも珍しくなかったという。だが、有事であればどれだけ深く寝入ってても即座に起きられていた。傭兵からすれば、あれこそが若さだという。

 なんだか、おっさんくさい。

 

「仲間の一人がやんちゃな奴でよ、獲物を追い回して一晩中山ん中を右往左往だ。雑木林をかき分けているうちに、俺は仲間と魔獣どっちを追いかけてんのか分かんなくなったね」


「もう一人は何してたんだい」


「魔術師は夢の世界さ。結界を張って、呑気にすやすや眠りやがる。おかげで次の日明るくなっても、俺たちはその場所を動けなかった」


「まあ、俺も内緒で酒を持ってきてたけどな」とゲヴァルトは悪びれもせず言う。好き放題行動して、お互いに振り回しても途切れない縁がある。ひどく豪快な信頼関係だ。

 口調こそ怨念が籠っていたが、焚火に照らされた傭兵は穏やかな顔つきだった。酒と娼館に金を費やし、享楽こそ人生の本質とばかりの生き方を選ぶ彼にも大切にしている過去がある。

 仲間。目的を同じくする間柄、あるいは地位や職業の同じ人々。かけがえのない時間を共有することで生まれる連帯関係。雑草の話題で盛り上がる、さっきの三人がよぎった。


「今と、どっちが快適?」


「面倒くせえ質問すんなよ……ま、年を食った人間にはフランツやキュナスぐらい律儀な奴に付き合うぐらいがちょうどいいさ。あいつらと冒険するだけの体力は、もうない」


 あいつらとは、昔の仲間を指しているのだろう。どんな理由であれ、今を選んでくれた事実が嬉しい。けれどゲヴァルトの中でかつての冒険に対する未練はないのだろうか。十年以上の歳月が経過しても揺るがない絆を、結婚のせいで諦めないといけなかったのだから、現実はままならない。そこまで考えて思考を断ち切った。邪推はやめろと指摘されたじゃないか。

 茂みが揺れる。二人が戻ってきたのだ。行きと違い、鍋や器をフランツが持っている。しんみりした空気をかき消すように、楽し気な雑談が流れてきた。


「お待たせ。近くに獣はいなかったよ」


 周辺を索敵してきたらしい。探知魔術があれば無闇に歩き回る必要がないから、洗濯の片手間で済ませたのだろう。

 若い男女が肩を並べて夜の散歩なんてませた真似をするじゃないかと、幼馴染を肘でつついた。何気ない冗談だ。傭兵が日常的に口にしているような、取るに足らない冗談なのに、キュナスの顔が強張っているように見えた。


「ませたも何も、僕らはとっくに大人だけど?」


「本当だ。あまりに子ども扱いされるものだから、すっかり忘れていた」


 毛布にくるまった傭兵が、間髪入れずに「うるせえぞ」とツッコミを入れた。



────



 怪我人を積んだ荷車が遠ざかっていく。蹄鉄の鳴らす軽妙な音の反復は、いつまでも耳に残った。週に一度、重傷者を中心に、転属や帰郷目的の人間が領都へ送られる。戦線に復帰する兵士と交代するのだ。彼らは都市の修道院で治癒を受けて、新しい重傷者と交代する形で砦に戻ってくる。

 移送計画簿の作成も事務方の仕事である。ホルンと協力して全身に包帯を巻いた兵士たちを確認していく。精査している暇はない。口頭で名前を聴き取り、名簿に書いて、送り出す。作戦中と終わりは出入りが盛んになり、多ければ百人強の名簿を半日で作らなければならないのだ。砦の事務官は複数の業務改善案を検討したが、予算等の都合で実現に至らなかった。


「ふー、人間は終わり、食料も医薬品も終わり……よし、ユーリエちゃんは休憩に入っていいよ」


 砦門近く、馬小屋の中に私たちはいた。入れ替わるようにやってきた兵士たちが新しい物資を運びこんでいく。移動するのは、人だけではない。食料や医薬品も、しっかり確認しないといけないのだ。

 礼を述べ、医薬品を持って砦に戻る。歌と踊りで高揚している人だかりを抜け、静けさの残る礼拝堂へ足を運ぶ。ホルンには感謝してもしきれない。自分も忙しいだろうに、彼女は必ず休憩時間を設けてくれる。


「これ、新しい薬です。もう戻ってますよね」


 やつれた様子の修道士に物資を渡し、廊下の奥へと進む。途中の部屋には麻布に包まれた人間が安置されており、彼らの死臭がここまで漂ってきた。戦場を脱出しても生き延びられる保証はない。怪我は病の温床となり、出血はじわじわと身体を蝕む。砦で命の尽き果てた者は、都市への帰還すら許されない。

 死は嫌いだ。死は恐ろしい。死など見たくない。でも慣れていかなければならないのも事実だった。帳簿をつけていると人が文字と数字で形成されていると錯覚しそうになる。他者の死に鈍感になっていると自覚した時、私は妙に冷静だった。

 麻布に包まれた人の顔を、家族や友人と入れ替えて想像する。そうして初めて、指先に震えがきて死への畏れが残っているのだと感じる。大切な人を失う覚悟はまだない。


「やっ、来たよ。調子はどう?」


 部屋には青年が一人で他には誰もいない。否、見せられないというのが正しいのかもしれない。寝台の上から動くのもままならない勇者フランツの姿は、兵の士気に悪影響を及ぼす。

 四肢は残っている。皮膚はどうなっているのだろう。抉れた傷口から蛆が湧いていないだろうか。包帯は答えを覆い隠したままだけれど、全身が隠されているのは初めてだった。


「ああ、うん」


 痰の絡んだがらがら声が返ってくる。

 ゲヴァルトとキュナスは、報告で席を外しているようだ。

 咳き込む幼馴染の傍に寄り、近くの椅子に腰かけた。

 本当は果物でも持ってきてやりたいが、料理人以外が食料を使う場合は手続きが必要だ。ホルンの手を煩わせるのも悪いし、受理に時間がかかる上に軍人たちから無駄遣いをするなとお叱りを受けてしまう。


「今度、領都の劇場で君を題材にした演目をやるんだってさ」


「本当に?」


「びっくりだよ。作家先生が脚本兼演出兼主役をやるそうだ。立派な髭を生やした勇者フランツだね」


 大怪我を負っても、病に罹っても、フランツは都市に移送されない。王国からの命令で前線の離脱を許されていないのだ。礼拝堂の一室で治療されながら次の作戦まで待機する日々である。

 本当は休んでもいいと言ってやりたかったが、彼自身が弱音を吐かない以上、私がどうこう言える立場でもない。

 それに、今回の作戦で敵は大きな痛手を被ったと聞く。当分小競り合いが続くだけなら、フランツは休んでいられるかもしれない。心配せずとも、ジギスムント侯爵なら配慮してくれるだろう。

 仕方がない。戦闘において私は部外者だ。余計な口出しはしないのが道理だろう。

 戦争の話題は避ける。噂や本で読んだ知識を元に、他愛のない話に花を咲かせた。


「せっかく劇になったのに、みんな本物の君に気付かないだろうね」


 乾燥した唇から細切れの笑いが零れ落ちる。王国にとって、本物かどうかなんて重要ではない。たとえフランツが死んだとしても、魔王打倒を目指し、大衆を扇動するために名前を使い続けるだろう。実態など関係なく、彼が最前線で戦っている状況にこそ価値があるのだ。イガル夫人の言葉は正しかった。王に激励された時点で、彼の未来は決まっていた。

 優れた能力を持つ勇者は何人もいる。ジギスムント侯爵の部下は生え抜きだ。精鋭たちに囲まれて、なおもフランツが選ばれたのは、モルゲンブルグの襲撃事件でネローに勝利したからである。

 それだけの理由で、彼だけが何度も死にかけている。


「村で、自慢、できないなあ」


 元はと言えば、田舎の無知な少女が始めた我が儘だ。目的まであと少し。仲間や支援者に恵まれ、彼は英雄と称えられている。こんなに喜ばしいことはない。

 なのにどうしてだろう。達成感は微塵もなく、焦燥が募るばかりである。


「……君は英雄だ。これ以上の自慢はないさ」


 幼馴染は両親に活躍を自慢できるだろうか。故郷に帰還できるだろうか。戦争を生き延びることができるだろうか。できる、と信頼を振りかざすのは簡単だ。残念な結果になっても、沈痛な面持ちをしていれば終わるのだから。信じてたんです、頑張って応援したけど駄目でした。ごめんなさい、ごめんなさい。なんと、無邪気で無責任なのだろう。

 言えない。言えるわけがない。『君ならできる』なんて放言は決して。

 ほどなくして、報告を終えた傭兵が部屋にやって来た。


「すまんが席を外してくれるか、侯爵からフランツに伝言がある」


 廊下に出ると、キュナスが立っていた。私を見かけ、小さく手を振る。

「報告お疲れ様」と労いの言葉をかけると彼女は頷いた。おざなりな所作から、彼女の疲労が垣間見えた。フランツの怪我について聞きたかったけれど、帰って来たばかりの彼女に仕事の話をせびるのは気が引けた。


「作戦開始は二週間後。王国はフォティアを来月中に討伐する腹積もりだ。やれるか、フランツ」


 薄い壁越しに傭兵の声が聞こえる。

 耳を疑った。二週間だなんて、フランツの休養期間はどれだけ残されているのか。あれだけの重症が果たして完治できるのか。今のままでは剣を握るのすら難しい、いや、不可能だろう。上層部は対応策を用意しているのだろうか。


「任せてよ」


「……即答かよ。伝えておいてあれだが、あんまし無理すんな。ユーリエだってお前の死体は見たくねえだろう」


 死だって、そんなまさか。

 いや、でも、あの容態にも関わらず戦場に行けば、本当に死んでしまうかもしれない。通りがかりに見かけた部屋を思い出す。もし彼が死んだら、やっぱりあそこに放り込まれるのだろうか。書類に死亡者一名と書かれて、機械的に処理されて終わるのだろうか。

 ゲヴァルトもキュナスも人間だ。完璧にフランツを助けるなんてできない。それは軍の人々も同様である。あんな状態で参加するなんて無理筋だ。軍でも、傭兵でも魔術師でもいい、誰かが止めさせないといけない。

 キュナスにそう伝えようとしたとき、フランツの呟きが聞こえた。


「ユー、リエも、みんなも、僕の活躍を、期待してる。だから、頑張ら、ないと、だよ」

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