第二十一話 馬鹿にする人はもういないわ
雪国として有名なモルゲンブルグにも、当然ながら四季がある。
冬の厳しい寒さに耐え、短い春を過ぎると、暖かな夏の季節がやって来る。
この時期になると装備品も軽くなり、準備に係る経費がいくらか浮く。
同業者の中には夏から秋にかけて一年分を稼いで、冬は都市に引きこもる生活を送る者もいるくらいだ。
雪解けした山の麓では薬草が採取可能で、実地研究を主とする魔術師にとっても大切な時節である。
「疲労を癒す……まではいかないけど、筋肉はほぐれたんじゃないかしら」
とんがり帽子の魔術師が、後ろを振り向く。
息を切らした人物が、姿勢を乱しながら山道を歩いていた。
「砂糖と水をたんまり入れてただろ。あれじゃあ煎じ薬じゃなくて甘味飲料だぜ」
「キュナスの調合は苦いからなあ」
「薬は苦いほど効果があるのよ。彼女は初心者だからちょっと薄めたけど」
傭兵が「ちょっと?」と呆れるように言う。
治癒魔術は修道院や教会の領分だが、薬効のある山菜や果物は在野の魔術師でも取り扱いが許されている。
派手な攻撃魔術や防護結界だけでなく、理学の一部は魔術こそが源流にある。
万物の理、世界の根源を解き明かすのが、魔術学問の最終目標なのだ。
「ねえ……みんな、あ、歩くの早くないかな……」
他の三人より大きな荷物を背負い、最後尾をのろのろと歩く影がいる。
滝のような汗を流している鈍臭い人物は、私だ。
体力はつけたと自負していたが、いざ歩いてみるとひどいものである。
「冬じゃねえんだ、荷物は置いてこいって言っただろうが」
「便利な登山用具がたくさんあるんだ。ほら、この杖があれば楽々……」
杖で地面を叩くと、きれいに真ん中から折れた。
出費を渋って雑貨屋で購入したのがいけなかったか。
しまった。ここまでの疲れと背中の重みのせいで、転倒から復帰できない。
「ゲヴァルト、ユーリエの荷物持ってもらえるかな」
「ふ、フランツぅ……起こしてぇ……」
裏方の私が三人にくっついているのには理由がある。
今回で、個人から請け負う依頼の遂行は最後になるのだ。
城仕えの誘いを受けてからの半年間、中途半端になっていた案件の整理や、新生ギルドへの引継ぎで大忙しだった。
関係各所への挨拶も終わり、粛々と依頼をこなすだけの段階になって、フランツから提案があった。
現場に出ている三人の仕事ぶりを知ってもらいたい、と。
魔術師のキュナスが加わり、後方の守りが安定したため、一人くらいは同行者がいても問題ないと考えたらしい。
案の定、ゲヴァルトは前みたいに素人を現場へ連れていくのに難色を示したが、一度きりという条件で了承を得た。
「すまない、こんなはずじゃあ……」
「お前のもやしっぷりを失念してたよ。この埋め合わせはそうさな、帰ったらモルゲンの酒場で奢れや」
くそう、負い目に付け込むなんていい度胸じゃないか。
軽々と荷を持ち上げる傭兵を横目に、差し伸べられたフランツの手を取った。
「言い出しっぺは僕だし、二人で割り勘にしよっか」
やはり我らが幼馴染は頼りになる。割り勘なら心置きなく旨い料理が食べられるというものだ。
私たちが来ているのはブロッケン山脈の端、ブリーゼバウム山の麓である。
魔獣が土地を荒らして困っていると、地元の森林組合から連絡があった。
ブリーゼバウム山は領都から程近く、仕事の関係で度々世話になっていた組合員への挨拶も兼ねて現地に赴いた。
道中の痕跡から、種族もおおよそ見当がついている。
キュナスのおかげで地形把握も終わり、住処の目星も付いた。
後は駆除を残すのみだ。
「キュナスとユーリエは木の上で待機。僕が先行して中に入るから、ゲヴァルトは距離を保ちながら続いてくれ」
フランツがてきぱきと指示をこなす。
斜面に掘られた横穴を前に、軽い打ち合わせをしていた。
「逃げられたら俺が合図を出してキュナスが追跡する。いつも通りだな」
魔術師が「ツヴァイク」と唱えると、木の枝が滑らかに絡みつき、遥か上層まで運んでくれた。
防護結界に包まれながら、二人が入っていくのを眺める。穴の直径は天然の洞窟と比較しても大きく、小屋くらいならすっぽりと納まってしまいそうだった。
魔獣の体格は、年々嵩を増しているという論文を読んだことがある。体内に宿る魔力量の増加や、人を食すようになった影響であるとされているが、決定的な原因は明かされていない。
そもそも、起源や進化の過程すら人類には究明できていないのだ。
邪魔をしないようにじっとしていると、キュナスが足をぶらぶらさせているのが目に入った。
「君は魔獣って何だと思う」
「この世で最も孤独な生き物、かしら」
正体不明の怪物に、孤独という感傷はあるのだろうか。
詩的な表現に込められた意図を尋ねると、魔術師は足を止めた。
「魔術とは理学よ。雑草や動物の骨、水、風、石、言葉すらも、特定の事象を引き起こす媒体として使用できる。自然を通じて世界の理に接続するのが、魔術の本質なの」
「形状が整っていれば石ころでも球技で使える、みたいな?」
正式な規則は異なるだろうけど、大雑把な例えとしては悪くないだろう。
キュナスは「乱暴にまとめたわね」と苦笑した。
「唯一の例外が魔獣。骨も血肉も何一つ媒体にならない。この世界と何ら関わりがないと魔術的に証明されている。それって、とても孤独だと思わない?」
「もしかして、同情している?」
「まさか。あたしには貴女たちがいるもの。ちょっと昔が懐かしくなっただけ」
あっけらかんとした口調で、魔術師は言う。
魔獣には生殖機能がない。従って、番の概念もないとされている。狼型のように疑似的な群れを形成する場合はあるが、多くは単独で出没するのが基本だ。
社会性を育む余地がない生き物は、孤独を感じたりするのだろうか。
「あれ、ゲヴァルトと……フランツ?」
穴から出てきた二人は、大急ぎで斜面を横切りながらこちらに手を振っている。事前の打ち合わせでは説明の無かった合図だ。集合か撤退だろうか。
魔術師の「やらかしたわね」という呟きを聞き逃さなかったのは、偶然である。
「ツヴァ────」
詠唱は雷鳴の如き轟音によって遮られた。回収は失敗し、二人の行方を見失う。地滑りでも発生したのかと思うほど、土くれが宙を舞っている。穴の入り口は跡形もなく吹き飛び、岩石が斜面を転がっていった。
極彩色の毛並みを持つ、齧歯類に近しい風貌。左右非対称の小さな翼が、絶え間なく痙攣し空気の振動でこちらの位置を探る。胴体に埋まっていた長い首が、粉塵の中を蛇行していた。
予想通り、鼠型の魔獣だ。
「ウェントゥス!」
強風が煙を押し流し、視界が鮮明になる。
熊の二倍はあろうかという体躯の怪物と、二人は対峙していた。
「フランツたちが入ったのは『閉じ口』だったのね」
鼠型は餌のある環境で無限に大きくなり、巣に通じる穴をいくつも掘る。成長によって通れなくなってしまう昔の穴、これを閉じ穴と呼んでいた。平地ならばともかく、遮蔽物の多い山で正確な入口を探すのは至難の業である。閉じ穴から侵入した勇者には、往々にして不幸が待ち受けている。
初心者であれば、だが。
「インソリトゥス・フムス」
戦闘における優位性とは何だろうか。力、知性、培われた技術。どれも主導権を握るのに必要な要素だが、決定的な勝利条件たりえない。もっと根本的で普遍的な条件、即ち、体格である。狂暴な狼が温厚な熊に勝てないように、図体の大きさは優位性に直結する。こと鼠型の魔獣は、生まれながらに勝利の条件を満たしていると言っても過言ではない。無限に成長する身体は、絶対の猛威となる。
一方で、大きさとは、重さである。体重によって生じる負荷は己自身に牙を剝きうる。何の前触れもなくぬかるんだ地面に魔獣は足を取られた。転倒を防ぐために使われる運動熱量は、人間のそれを遥かに凌ぐ。
「────逃すかよ!」
ゲヴァルトの攻撃を、魔獣が前歯を盾の代わりにして弾いた。硬質の牙は岩石に劣らぬ強度を持っている。怪物は、徐々に体重を乗せて傭兵を押し潰そうと試みていた。
「こっちだ、怪物!」
重さとはつまるところ鈍さに繋がる。鼠型はこの欠点に対応するため首が伸びるようになったとされている。こいつらは鈍重な体ではなく、縦横無尽に動く素早い頭部で攻防を行う。欠点の払拭に成功したかと思える構造は、しかし致命的な弱点となった。
魔獣の頭部はフランツの上半身ほどの大きさになっていた。大きい前歯が勇者の剣を易々と受け止める。初心者ならば眼前の醜い形相に慄いて、咄嗟に身を引こうとするだろう。そうなれば鋭い一閃で首を切断されておしまいだ。
「降りるわよ、ユーリエ」
「へっ、いやいやいや、危ないよ?」
「幼馴染の雄姿、近くで見届けてあげなさい」
しかし、勇者フランツは臆さない。彼はとうに鼠型の魔獣の弱点を見抜いていた。受け止められた剣を歯茎の根本へと滑らせる。本来ならば避けられる一撃だが、肥大化し、少しだけのろくなった今の魔獣では反応できなかった。山道の破壊者は、あまりに成長しすぎたのだ。柔らかい肉が引き裂かれ、切っ先は頭骨に到達する。
唾液と体液が派手にまき散らされる中、勇者の冷静な表情は揺るがなかった。緊張で身を固くしていた少年の面影はどこにもない。
その日、ブリーゼバウム山に数週間ぶりの平穏が訪れた。
────
大きな成功を収めた時、人は祝いの席を設ける。机には贅を尽くした料理や醸造酒がところ狭しと並べられ、苦労や展望を愛でる歓談が方々で交わされる。そして机の下ではおべっか使いたちの熾烈な権力闘争が始まっている。余興の芸者すら、主催者が人望を誇示するための道具に過ぎない。
彼らは面の皮が分厚過ぎて、本当の道化が誰であるかを忘れてしまう。
貴族の宴とは、そういうものである。
「ネローを撃破してからなんと情勢の目まぐるしいことか。老骨は追いかけるので精一杯ですな」
肥え太った老人が、顎のぜい肉を揺らしている。前線に出向こうともせず、才能ある勇者を囲って満足するだけの、王権にたかる禿鷹だ。
王都に引きこもっていても、情勢など掴めるはずがないだろうに。
「勇者フランツはまさに英雄ですな!」
「ジギスムント侯爵の支援あっての活躍です」
この男の人材蒐集家としての評判は、王都にいたころから知っていた。
大商人を両親に持ち、金を積んで爵位を得た男だ。
当時は内情を知らず、支援者になってもらうよう手紙を送ったりしたが、返事はなかった。
「あら、フォールケ男爵じゃない。お久しぶり、今日は奥様と一緒じゃないの?」
「げっ、伯爵夫人……やや、私と妻は用事がありますゆえ、失礼いたします」
そそくさと退散する老人を、イガル夫人が見送った。
朗らかな物腰に反して目は全く笑っておらず、正直怖い。
「鳥かご男爵なんて、あの男の愛称にぴったりだと思わない?」
五年ぶりだというのに、この人は変わらず若々しい。
フランツがいればより再会を楽しめたのにと、空席の椅子を見て思った。
ジギスムント侯爵に連れられて、私たちは王都に来ていた。
モルゲンブルグの襲撃やゲヴァルトの近況など、矢継ぎ早に繰り出される質問に答えると、夫人は無邪気な子供みたいに喜んだ。
「ゲヴァルトと夫人って、どういう関係なんです?」
「あいつから聞いてないの? うーん、じゃあ秘密」
「じらしますね……え、もしかして」
「注意してね。変な勘違いしたらこの手で潰すから」
会場内に拍手が響く。
満を持して、宴の主役が登壇したからだ。
長い歴史を持つ王国の象徴にして、古より続く王権の継承者。
自称、半生を戦争に捧げたと言われる生粋の指導者にして勇者公募の発起人。
第十六代国王、ギルベルト二世である。
「諸君、初めに言っておくが……飲みたまえ。そして食べるのだ。退屈な話は酒の肴にでもしてほしい」
魔王が復活してすぐに先王が病死し、彼は若くして王に即位した。
十七歳であった彼は国家事業だった勇者捜索を打ち切り、公募制に踏み切った。
「さて先日、私は王城の執務室で頭の痛くなる決断を迫られていた。なんと貯蔵庫から年代物の葡萄酒が見つかったのだ。この喜びを民と共有したかったが、悲しいかな今は戦時中。国王ともあろうものが酒如きで浮かれては、またぞろ民の顰蹙を買うであろう」
聴衆から笑いが漏れる一方で、居心地悪そうに咳払いをする者もいる。
言外に、毎晩のように宴を開く王都貴族に風紀の引き締めを促しているからだ。
イガル夫人もその一人だろうが、彼女は上品な微笑を崩さなかった。
「だが酒は絶対に飲みたい。どうしたものかと悩んでいると、モルゲンブルグから便りが届いた。しかもだ、詳しく聞いてみれば四大将軍のアエールを討伐したとの知らせではないか!」
ジギスムント配下の勇者部隊が魔人アエールの軍勢と激突したのは、つい二週間前の出来事だ。
決死の作戦は双方に甚大な被害をもたらしながら、王国軍の辛勝に終わった。
先陣を切った勇者フランツと他二名が見事敵将の首を討ち取った、というのが、各地に伝達された公式記録である。
「この四年間で三匹の将軍が撃破された。残るはフォティア、そして魔王である。いやあ、めでたい。めでた過ぎる。よって功労者を称えるため、ここに宴を開いたのだ。決して酒が飲みたいわけではない。勘違いするでないぞ」
王が壇の下から酒瓶を取り出すと、再び笑いが起こった。
「ではここで主賓に登場してもらうとしよう。来るが良い!」
物陰からジギスムントとフランツが現れ、壇上に招かれる。
治療の甲斐あって、左脚がアエールに噛み砕かれたとは思えないほどフランツはピンピンしていた。
示されるがままに二人は国王の傍に並み、貴族の耳談合は加速する。
勇者フランツ、若き英雄。田舎からやってきた本物の平民。しがらみを持たず、己の腕で成り上った実力者。
まさに初代勇者の再来である、と。
「名声と醜聞は瞬く間に広がるわ。来週になれば、きっと村にも届くでしょう」
「はあ……」
「おめでとうユーリエ、あなたたちを馬鹿にする人はもういないわ」
祝賀会は滞りなく進行し、遠方から呼び寄せた道化師の芸は好評を博した。
質問攻めに遭い、食事にありつけなかったフランツが不憫であった。




