第十八話 杖を貸してくれ
喇叭の音が、悲鳴をかき消していく。
黒煙が、天を貫くようにあちこちで昇っている。
夕闇の中で、モルゲンブルグが煌々と燃えていた。
「生き残った者は城へ逃げろ、こっちだ!」
松明を掲げた衛兵が、逃げ惑う人々を懸命に誘導している。
周囲に倣って、私は闇に揺れる松明の光を追いかけた。
魔人の襲撃を受けた劇場は、瞬く間に巨大な棺桶に変貌を遂げた。
炎魔術で退路を塞いだ怪物は、逃げ場を失った人間を見つけ次第殺していった。
職員の案内で、備品室から地下通路へと走り、離れの小屋から地上に戻ると、今までみたことのない都市の光景が広がっていた。
「侯爵様の軍は何をしているの!?」
「ローデンマルクで交戦中じゃないか!」
吹きあがる焔が頬を掠める。
何が起きているんだ。
侯爵率いる王国軍を、魔人の手勢はどうやって突破した。
都市の外にいるフランツたちは無事なのだろうか。
これほど大規模な襲撃は、衛兵だけでは対処しきれないだろう。
ギルドと協力して防衛に当たれれば良いのだが、我の強い勇者たちと即座に連携が取れるかは怪しい。
私は。
私はどうするべきだ。このまま誘導に従って逃げるのか。
「お、おい、誰か助けてくれ!」
見ると、石造りの家が無残にも瓦礫の山と化していた。
悪夢の中の勇者が、山の上から睨みつけているように錯覚する。
やっぱり、逃げるなんてまっぴらだ。
しわがれた声は、瓦礫の下から聞こえる。
近くの人に呼び掛けて、崩れた民家の元へ近寄った。
「大丈夫ですか、怪我は!?」
「ああ、勇者よ。まだ人がいたのか!」
屈みこむと、中に老人が閉じ込められているのが確認できた。
暗がりのせいで不明瞭だが、何かを大切そうに抱えているように見える。
「助けてくれ……孫が煙を吸っちまって、意識がないんだ!」
折り重なるように倒れる壁を動かそうとするが、びくとも動かない。
落ちていた木材を拾って、隙間に引っ掛けた。
上下板遊具と同じ原理だ。
どこかで、再び喇叭が鳴った。
「人助けなんてしてる場合か、逃げ遅れれば我々もおしまいだぞ!」
「今じゃないならいつ助けるってんだ。黙って力入れろ!」
全身の体重を乗せて、ようやく横倒しの壁が動く。
手の空いている人間たちで、老人と子供を引っ張り出した。
胸に抱かれている幼子は、ぐったりして動く気配がない。
容態は芳しくなさそうだが、素人ばかりではどうしようもなかった。
「城に対処できる人がいるかもしれません。閉門にはまだ間に合うはず」
彼らと反対の方向へ行こうとして、肩を掴まれた。
「あんた、どこに行くつもりなんだ!」
「勇者ギルドに。誰もいなければすぐ戻ってきます」
「正気か、死にに行くようなもんだぞ!」
「指をくわえて待つなんて────」
舗道が激しい音と共に爆ぜる。
制止を振り切って、私は走り出した。
魔人共は、モルゲンブルグを徹底的に破壊するつもりらしい。
軍勢はどこからやってきたのだろう。
王国軍が敗北したなら、事前にギルドで動きがあったはずだ。
かと言って伏兵だけの襲撃とも思えない。
単純に考えるなら、他領から増援が派遣された、とか。
モルゲン酒場の主人は、どこの業者も商隊派遣をしぶるほど、各地で魔人が目撃されていると言っていた。
ブロッケン山脈で目撃された部隊が裏付けとなる。
敵は安全な行軍経路を探していたのかもしれない。
ずっと前から。
燃え盛る街並みに目をやりながら、走る。
もしかしたら、出遅れた人がいるかもしれないと思いながら。
もしかしたら、助けられる命があるかもしれないと願いながら。
けれど、通りに影はなく、物言わぬ建物から音が応えるばかりであった。
ぱちぱち、ぱちぱち。
魔人の襲撃を歓迎するような炎の拍手。
人間の悲鳴は、今の彼らにとって喝采のようなものかもしれない。
川沿いを行くと、橋の下で黒い物体が動いているのが見えた。
「大丈夫ですか、閉門まではまだ間に合うはずです。どうか城に……」
物体は右から左へ、逆らわずに流れていく。
人だったであろうそれは、血の滲む身体を水面に浮かべるのみである。
殺されて川に放り込まれたのか、傷を負って川に飛び込み果てたのか。
どちらにしたって手遅れだ。
悲鳴を上げないよう、奥歯を噛みしめるので精一杯だった。
ああ、死だ。
こんなにも鮮烈な死と直面するのは、王都の一件から随分と久しかった。
「くそ、考えるな、考えるな。今はとにかく行動するときだろう」
橋を渡り、見知った景色に戻って来る。
よく利用していた革屋が燃えていた。懇意にしていた酒屋は見る影もなかった。
働いていた人たちの行方を、私は知らない。
爆炎とともに、魔人に追い立てられる人の姿を何度も見かけた。
襲撃者たちは施設破壊に余念がない。殺しよりも優先しているように見えるのは気のせいだろうか。
あと少しでギルドに辿り着くところで、廃墟となった店の影で立ち尽くす少年を見かけた。
傍らにいるのは、彼の母親だろうか。
「どうしたのかな、少年」
「お、お母さんが、動かないの。逃げようって言ってるのに」
服のすそをひっぱられる。
どのような言葉をかけるべきかという悩みは、目が合った瞬間に解消した。
彼は既に知っているのだ。
知っていて、それでも諦めきれないで、ここにいるのだ。
「…………お母さんは私がおんぶするから、付いておいで」
少年を一人で城まで行かせるわけにもいかない。
背中に伝わる冷たい感覚が、ずっしりと重たかった。
「どこに行くの?」
「勇者ギルドだよ」
路地を曲がれば、ギルドに到着する。
少年を預けて、職員と共に事態解決に向けて行動するのだ。
行こうとして、またしても少年にすそを掴まれた。
「だめ、行っちゃだめだよ」
「置いていかない。一緒に行けば怖くないさ」
「違う、そっちに行くのがダメなの」
「お願いだから言うことを聞いておくれ。お互い死にたくないだろう」
言い切って、危うく転倒しそうになった。
何かにつまずいたわけでも、路面が凍結していたわけでもない。
足元に、ねばりけのある液が流れていた。
火炎よりも赤く、水よりも昏い流体は、本来地面を伝うものではない。
嫌な予感。嫌な記憶。
あの時と一緒だ。森の奥にある洞窟に入った時と同じ。
あれは魔獣だった。どれだけ猟奇的でも魔獣だったから堪えられた。
喉の奥に何かが詰まっていて、息を吸い込むのすら上手にできない。
駄目だ。少年の言う通り、行ってはいけない。気がついてはいけない。確かめてはいけない。
駄目だというのに。
私の脚は勝手に動いて、路地を曲がっていた。
「──────────あっ」
見知ったギルドの前に、見知らぬ像が置かれている。
てらてらと輝く台座から流れる液体がこちらまでのびている。
血河の根源は、あの未知の像にあるのだ。
脳が、本能的に理解してはならないと警告を発する。
しかして理性は、努めて客観的に状況を分析し始めていた。
極めて歪な『木』である。
枝葉は垂れ、水を吸わずに血を漏らす、おおよそ生命力とは真逆の異形。
溶け合い、混じり合った人面は虚ろの表情を崩さない。
幾重にも纏められた死体が、ギルドの目の前に飾られている。
「うっ……」
くらくらする。
咄嗟にしゃがむだけの判断力が残されていたことに、感謝しなければならない。
大げさに胃袋の中身をぶちまけてしまえば、魔人に勘付かれていただろう。
またしても、どこかで喇叭が鳴った。
「逃げよう、お姉ちゃん……」
こちらを見上げる少年の懇願が、頭の中で反響する。
やはり逃げるしかないのだろうか。
いや、諦めるにはまだ早い。目の前にギルドがある。像をすり抜ければ……。
違う、違う、違うだろう。
あの像は魔人共の勝利宣言だ。
勇者何するものぞという、敵からの挑戦状だ。
ここでギルドに近づくのは自殺行為に他ならない。
呆けるな、忘れるな、気を抜くな、今の私は命を預かっているんだ。
自分の口を拭い、物言わない女性を背負いなおす。
「……君の言うとおり移動しよう、すまない」
『木』の中に、見知った顔が何人もいた。
モルゲンブルグの勇者ギルドは壊滅と言っていいだろう。
安全を優先して、狭い裏路地を通り抜ける。
結局、城に避難する以外に道は残されていなかった。
「この辺をうろつくのは初めてかい?」
気を紛らわせるために、少年に話を振る。
彼は小さく頷いた。
「お母さんが、怖い人がたくさんいるから近づくなって」
「はは、怖い人ね」
部外者にとって、勇者を名乗る連中が荒くれ者に過ぎないというのは共通認識である。
何も知らない子供が、怖い人の仲間と共に行動しているのだから、皮肉な話だ。
都民からすれば、武器を担いで往来を歩く連中はおっかないだろう。
対外的な印象は、こちら側の努力に関係なく払拭し難い。
「お姉ちゃんは、勇者のお友達なの?」
「正解。勇者本人だとは思わなかったのかい」
「だって怖くなさそうだから」
フランツに出会ったら、きっとびっくりするだろう。
ふにゃふにゃ笑う幼馴染を思い浮かべる。
記憶の中にある彼の輪郭が、先ほど見た『木』と重なった。
くそ、悪いように考えるのはよせ。
ゲヴァルトだっているし、フランツは前よりもずっと強くなったじゃないか。
魔人なんぞに後れは取らないさ。
「お姉さんはね、勇者に恐れられてるんだよ」
「全然そう見えない……」
「本当さ。私を怒らせれば、彼らはたちまち泣き出してしまうんだ」
「えー、嘘っぽい」
嘘は言ってない。
下品な冗談をしつこく言いまくるゲヴァルトに、小遣いを抜くと宣言した時は、娼館に行ける回数が減ってしまうと泣いていた。
ゲヴァルトがおどけて、私が怒って、フランツがとりなす。何でもない、いつもの光景だ。
最近は、近くでキュナスがおろおろしているまでで一まとまりだった。
心配はいらない。今日を生き残ればすぐに取り戻せる日常なのだと、自分に言い聞かせた。
大きな影がたむろしているのが見え、少年を止める。
魔人は下水道への侵入を試みているようだが、何を企んでいるのだろうか。
「大丈夫かな、少年。休憩する?」
「ううん、行く」
よく野菜を買っていた市場を過ぎる。
鎧を整備してもらっていた防具屋を横切ると、隣に続くのは雑貨屋だ。
さらに行くと緩やかな坂になっていて、ここから城が見えていた。
夜になれば方々の煙突から夕餉支度の白霧がのぼっていく。
毎朝、通りを行くたびに散歩する老人とすれ違っていた。
老人とは、挨拶を交わす程度の間柄だった。
みんな、橙色の光が舐めとっていく。
記憶も感情も、余さず灰となって消えていく。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
少年の声で、自分の歩調が緩んでいたのに気が付く。
意識を取り戻したのに、私はある一点から目を離せなかった。
猛火に包まれた安宿が、黒煙によって何人の侵入も拒んでいる。
時間が、経験が、積み重ねてきた一切が、塵となって空に吸い込まれていく。
ああ、死だ。
私は、都市の死を見ているのだ。
「…………なんでもない、行こう」
城の近くに来ると、門の近くに人だかりができていた。
ある者は高くそびえる門を見上げ、ある者はうなだれている。
中へと続く道は、とうに閉じられていた。
私が通ると、周囲から「うわっ」とか「ちょっと」という声が上がる。
静かにしてほしい。こちらも、ちょっと参ってるんだ。
「────────────ユーリエ?」
綺麗な赤髪が揺れる。
木の杖を携えたとんがり帽子の魔術師が、地に腰かけていた。
抱擁でも交わして再会を喜ぶべきだろうが、お互い余裕は残されていないみたいだった。
「キュナス、フランツとゲヴァルトはどうした」
「訓練場で足止めを受けてるわ」
「勇者を引き付けている間に都市基盤を破壊する算段か」
城に来るまで、ほとんど魔人を見かけなかった。
施設の破壊や、下水道への侵入行為をふまえると、目的は占領でなく破壊活動にあると推測できるが、例の立像の意図までは理解できない。
もし虐殺が目的であったなら、子供と素人では生き残れなかったろう。
せめて敵の大将さえ見つかれば、積極的に仕掛けられるのだが。
「君、空を飛べたりしないのかい。箒とか、絨毯とかでさ」
「できるけど、無理よ。城内と連絡を取りたいんでしょうけど」
「回りくどい説明はやめろ、何が無理なんだ」
キュナスが「怒鳴らないでちょうだい」と眉を寄せる。
彼女こそ、よく呑気でいられるものだ。
城の内側と接触できれば、取り残された民を入れてもらえる。
人命救助を渋る理由がどこにあるという。
「さっき大声で呼びかけたら、開けられないって返事がきたわ」
「なんで、どうしてそうなる」
「怖いんでしょう。侯爵様も王国軍も不在の今、身の安全を保障するのは城壁だけだもの」
くそったれ、民が死んでるんだぞ。
人だかりの中に、武器を持った者は見受けられなかった。
もし魔人に襲われれば劇場と同じく、一網打尽だ。
「とりあえず、その人をおろしてあげなさいよ」
キュナスが、私の後ろを指出す。
厳密には、背負っているものを指しているのだろう。
母親を寝かせると、少年が心配そうに傍に来た。
今日だけで、どれだけの人間が死ぬのだろう。どれだけの人間が、家族や友人に置き去りにされるのだろうか。
あの日もそうだった。私が判断を間違えたせいで、勇者が死んだ。
生き残ると決意していた彼女は、魔人によって押し潰されて死んだ。
悲劇が増える前に、誰かが行動しなければ。
命を取りこぼしてしまう前に、死なせてしまった人に報いるために。
「…………ねえ、聞かないの。あたしがここにいる理由」
「聞かずとも分かる。逃げてきたんだろう。戦闘でお荷物になってしまうからね」
「お荷物って言い方はないでしょ」
「癪に障ったかな、事実を指摘しただけだけど」
不調からも、戦闘からも逃げ続けているのは彼女だ。
こんな惨事に至っても杖すら構えない魔術師に、かまっている暇はない。
「いいさ、君が使わないなら杖を貸してくれ」
「何をするつもり」
「自衛のこん棒代わりにはなるだろう。私は逃げ遅れた人を探す」
右手を突き出す。
杖を持つ、キュナスの手が震えていた。




