第十七話 馬鹿か、私は
取り出した礼服を寝台に並べる。
唯一持っている鮮やかな朱色の服を除外すると、後は溶け込めそうなものばかりである。
昏く染めあげられた衣類を眺めていると、自分の胸中を代弁しているみたいで、心地悪かった。
連鎖的に、赤髪の魔術師を思い出す。
気まずくて、キュナスとはしっかり話していない。
会えば挨拶はするし、必要事項の連絡も怠っていないけど、上手に雑談まで発展させられない。
ゲヴァルトは「気にすんなよ」なんてあっけらかんとしていたが、そんな簡単にいかないものだ。
関係を改善すると言っても、どうしたらいいのだろう。
「非があったのは認めるけど、元はと言えば……」
こちらが先に謝罪して、終わらせればいいというのか。
分別を持って理知的に接しろと?
いや、いいや、彼女が過去を隠し立てしたり、意味不明な不調に陥らなければ、変にこじれたりしなかった。
そもそも、『わからなくなった』とはどういう意味なのか。
こちらは素直に話したのに、有耶無耶にしようとするなんて失礼じゃないか。
やっぱり、先に謝るべきはキュナスの方だ。
そうしたら私も、訓練場での仕打ちを詫びて関係修復に尽力してやらないこともない。
今日の用事が終わったら、直接会おう。
言葉一つで過ちを精算できるのだから、こんな易い話はない。
「………………馬鹿か、私は」
衣装を棚に戻していくと、最後に残ったのは簡素な装飾が施されている紺青の服だった。
黒々とした青を見つめると、飲み込まれてしまうような錯覚を覚える。
益体のない思考を打ち切り、私は普段着を脱いだ。
礼服というのは、一人で着用するには不親切な作りだと思う。
いつもだとフランツに手伝ってもらっていたのだが、今日は都市外にいる。
虫みたいにもがきながら悪戦苦闘する己を想像すると、おかしかった。
前はもっと容易に着られたのに。
「少し太っ……いやいやいや、成長期なんだから仕方ないさ」
薄く化粧を塗って、外套を羽織る。
商店街で買った帽子を被れば、よそ行きの格好としては申し分ないだろう。
依頼人に差し出す手紙と、いくらかの小荷物を持って部屋を出た。
受付を通り過ぎると、中から「お貴族様と宴会かね」と声をかけられた。
「違う……と思うんですけど、私もよくわかってないんです」
「ふぅん。ま、貴族ってのは奇天烈なもんを好むからねぇ」
「いえ、わかってないのは私の勉強不足が原因で……」
「難しく考えるんじゃないよ。人間、見てくれを変えたってやってることはいつも同じさね」
「ははあ……」
宿を出て、まず向かったのは酒場だ。
裏口へと回り、扉を叩く。
ここ数日、商隊護衛計画について文書のやり取りをしていて、ようやくまとまりそうなところだった。
先方は食料の安全確保を優先して長期日程を希望したが、こちらとしては、拘束時間が長引くのは望ましくない。
最後の調整が一番肝心なのだ。
「すみません、手紙を届けに参りました」
「おやユーリエちゃん、おめかしなんて珍しいね」
主人は快く手紙を受け取ると、厨房の仕込みに戻っていった。
表通りに出ると、都市の喧騒が息を吹き返す。
寒さの厳しい地方都市でも、根付いた人々の気力は音となり、活気となって表出する。
右から左へ流れる音をかき分けながら、目的地まで歩く。
うっすらと積もった雪を踏みしめる感覚を除けば、都市の様相は王都と大差ないと思った。
見てくれが変わってもやることは同じ、か。
演劇と呼ばれる営みも、突き詰めていけば理解できるようになるのだろうか。
あるいは、キュナスとも歩み寄りを……。
「……目先に集中しろ。未来がかかってるんだぞ」
自分の頬を軽く叩いてから、そびえたつモルゲンブル劇場を見上げた。
入場券を確認すると『目覚めの時』という演目が記されている。
事前に調べてみると、初代国王と勇者の建国伝説を題材とした演劇らしかった。
戦争のただなかで、王権の威光を知らしめるにはぴったりの題材だ。
「最近は同じ演目ばかりだな」
「国王陛下の命令らしい。劇を通じて勇者への信仰を呼び覚ましてほしいのだと」
正装に身を包んだ顔ぶれが、続々と場内に吸い込まれていく。
夕暮れのために判然としないが、貴族と従者、その縁者といった感じだろうか。
考えてみると、私がここにいるのは妙だ。
取るに足らない村娘が、なんて場違いなところにいるのだろう。
「入場券をご提示願います」
「えっと、これですか。私、代理人なんですけど」
「ありがとうございます。フランツ様の代理ですね。なんとお呼びすれば?」
「ゆ、ユーリエです」
「ユーリエさま、どうぞこちらにお進みください」
本来はフランツこそが客で、私は付き人として入場する予定だった。
勇者の依頼がかち合っていなければと思うが、最初に日程を組んだのは私だ。
後悔しても遅い。
案内されたのは、知らない廊下であった。
職員の後ろにくっついて階段を上ると、金色の取っ手が付けられた入場口の前に出る。
中は狭くなっていて、上質な机と椅子、ちょっとした食事が用意されていた。
机には一枚の紙が用意されており、演劇の日程が書かれている。
これが、ゲヴァルトが言っていた特別席か。
職員が退出するのを待ってから、椅子に腰かけてみる。
「なんだこれ……」
ふかふかし過ぎていて落ち着かない。
すぐに立ち上がると、露台のような造りになっている部屋の奥側に移動した。
二階席は高い位置にあるらしく、会場全体を一望できるようになっている。
室内の光源は舞台の照明しか存在せず、一階席の観客は他人の足を踏まないよう注意する必要がありそうだった。
始まりの合図だろうか、どこかで喇叭が鳴いた。
しばらくすると、舞台の脇から人が出てきた。
古めかしい毛皮の上着を身に着けているのは、劇作家のヴィルヘルムだ。
「諸君、北風にも負けず、国王たる余の雄姿を見届けるためによく馳せ参じたな。忠道、大義である」
開幕の挨拶から、観客はすでに劇の世界に飛び込んでいるようだった。
演劇とは、吟遊詩人の唄を聞く感覚に近いのかもしれない。
「さて、今宵は最高の盟友にして最大の好敵手、『勇者』との馴れ初めを語ろう」
初代国王と『勇者』の物語は、王国でもっとも古い大衆童話だ。
地方豪族に過ぎなかったルートヴィーヒが、流浪の戦士と共に諸地域を統一し、恐るべき魔王を退治する一連の御伽噺は三部構成で区切られている。
第一部は出会いと友情。
第二部は魔王討伐と建国。
第三部は『勇者』が神として祀られるまでの行程を描く。
『勇者』の名前や経歴は知られておらず、現在に至るまで議論の的になっている。
平民説が主流なのだが、別の地域を支配する豪族の息子であったとする説もあり、運命的な出会いの裏側には豪族間の権力闘争があったと主張する学者もいる。
最大の好敵手と謳うあたり、今回の劇はこの説を採用しているのかもしれない。
「息子よ。勇壮なるヴィクよ。我らの憂いが聞こえぬか」
「愚かな父よ、老いさらばえ怒りを忘れた凡俗王よ。湖の乙女が如きその口で何を紡ぐ」
「世を正すは怒りにあらず、拳にあらず、血であってならない」
「では、いかなる在り方で以て民草に応えるべきか」
「人を知り、人を糾す篤信、すなわち人愛である」
不義の子ルートヴィーヒが、父王に諫められる場面。
王位継承者として認められるため、武で以て功を成さんとする王子。
強引な姿勢を咎められ、孤独を深めていく流れは、傲慢な彼への因果応報として描かれている。
「愛、愛などと。拳で握れるものかよ」
失意の中にある王子は、無名の戦士と出会う。
後の勇者である。
ルートヴィーヒは戦士を引き連れて、数々の戦いを乗り越えていく。
舞台裏から囃し立てているのだろうか、迫真の雄たけびが印象的だった。
二人の友情と活躍を描いた第一部は、特に民衆からの人気が高い。
やがて王子は気付くのだ。
求めていたのは王位でなく、他者からの承認であると。
どんな人間でも、誰かに認められたいという思いは抱きうるものだ。
私も小さな頃は、大人たちに余計な口出しばかりしていた。
付け焼刃の知識で、やれ農業はこうするべきだの、やれ料理は工夫すれば旨味が出るだの。
時代も環境も違うのに、本で読んだ内容を諳んじれば、尊敬を集められると信じていた。
認められたかったのだ。
父に、母に、村人たちに。
だから理知的であろうと振舞った。聞かない人間を悪し様に言ったりした。
真の愚か者がどちらなのか、考えもしていなかった。
「そなたの頑固ぶりは度し難い。目に見えぬばかりが人愛ではないのだ」
「面白い、手に取れる愛とやらを示して見せよ」
物語は、豪族と戦士が固く握手を交わす場面で、第一部は幕を下ろす。
建国神話は、あくまで神話の名を冠しているように、正確性は二の次だ。
冒険譚であり、戦記物であり、道徳を学ぶ寓話である。
初代国王が本当に他者からの承認に飢えていたのか、勇者と友情を築いたのかは分からない。
だが、実在の人間が演じるルートヴィーヒは、時を越えた生の質感があった。
絵画や文章からは得られない感覚ではないだろうか。
「…………友情、か」
劇は第一部までを扱っていたが、神話は終わらない。
王は勇者と共に魔王を打ち倒し、今の王国を打ち建てる。
ルートヴィーヒは栄光を掴む一方で、同じように民草から愛される友に猜疑心を持つようになる。
関係悪化の果てに、王の命令によって勇者は国を追放される。
手にできていたはずの愛を、自ら手放してしまうのだ。
やがて老境へと至り、過去の疑心を悔いた主人公は、荒野の果てに消えた友を思い、彼を祀るようになる。
『甦りし魔王、地平より来る勇者が滅ぼす』の預言と共に。
舞台袖から再び現れた役者たちが、万雷の拍手で迎えられる。
主人公を演じた劇作家が、満面の笑みで観客席に手を振った。
どこかで、再び喇叭が鳴り響く。
「余の旅路はまだまだ終わらぬ。気概のある者は続くがいい!」
ぱちぱち、ぱちぱち。
作家の口上に応えるように拍手が起こる。
客席からは熱狂の声が上がっている。
日程表を見るに、劇は三日にまたがって上映されるらしい。
ぶっ続けでやらないのはありがたい。
ぱちぱち、ぱちぱち。
またしても、裏手から雄たけびのような音がした。
続いて、何かが倒れるような音も。
効果音どころでなく、まるで本当に事故でもおきているみたいだ。
見ると、舞台上の役者たちも顔を見合わせている。
ぱちぱち、ぱちぱち。
「ん、なんだこの臭い……?」
行きがけに寄ったモルゲンの酒場でも、同じ臭いがした。
キュナスと仕事をした時にも嗅いだ。
まるで、何かが焦げているよう、な。
ぱちぱち。
ぱち
どよめきを切り裂くように、悲鳴が上がった。
下の階だ。
暗くて見えづらいが、立ち上がった人々が舞台に近寄ろうとしている。
にわかに、一階の入り口付近が明るく照らされた。
否、照らされたのではない。あれは────────炎だ。
露台から身を乗り出していたせいで、背後の扉がいきなり開いた音に驚き、落下しかけた。
「今すぐお逃げください、ユーリエ様」
「何かあったんですか?」
見ると、初めに案内してくれた職員が、息を切らして立っている。
衣服の一部は黒ずんでおり、まるで煤の中から這い出したように見えた。
「モルゲンブルグは陥落したも同然です。魔人が侵攻を開始しました」




