第十六話 何も分からなくなっちゃったわ
「フランマ」
キュナスが構える杖の先で、小さな火が灯る。
絶えず揺らめく琥珀色の光は、幾度か消滅を繰り返し、最後に大きく爆ぜた。
焔に包まれた魔術師の身体は、事前に展開していた防護結界のおかげで煤ひとつ付いていない。
曰く、攻撃魔術と防護結界の同時展開は戦闘時の常識なのだそうだ。
熱波と焦げのにおいがこちらまで届き、無意識のうちに後ずさりする。
まだまだ調整が必要か。
「ご、ごめんなさい、怪我はないかしら」
杖を投げ出さんばかりの勢いで走り寄って来る。
民家四軒分くらい離れているのだから、怪我などしようもないのだが。
「問題ない、続けてくれ」
「今日は存分にここを使っていいんだぜえ」
傭兵が柵に寄りかかりながら言う。
私たちは、訓練場に来ていた。
都市の外れに大きく作られた屋外施設は、勇者たちが鍛錬に励むところである。
施設と言っても、空間を仕切る木柵と、武器や防具を貸し出している小屋が設置されているだけの質素な場所だ。
とはいえ、安っぽい外観で侮るなかれ。利用にあたり許諾書の提出と料金を支払わないといけない立派な領営場である。
「しっかし参ったねぇ、魔術の出力に難ありときた」
定位置に戻るキュナスを目で追いながら、ゲヴァルトが呟いた。
今日は休みを取ってもらったのだ。
一人で仕事をしているフランツには申し訳ないが、こういう時にこそ、この男が役に立つ。
尤も、ゲヴァルトは「傭兵が魔術師の面倒を見るなんてよ」と愚痴っていたが。
「前に同行した時は、威力を抑えられていたんだが……」
「逆だ逆。問題は抑制じゃなくて、放出だ」
「素人にもわかるように言ってくれないか」
「魔術の威力を上げるのが下手くそって話」
妙な話だ。
特大の攻撃魔術は彼女の得意分野ではなかっただろうか。
侯爵に認められた理由がそれだし、私自身キュナスが魔獣を吹き飛ばした現場に居合わせている。
とても下手くそとは思えない。
「君だって見ただろう。ありえないよ」
キュナスを仲間に引き入れて幾日。
最初は問題も生じていないと感じていたが、彼女の仕事ぶりを聞いて驚いた。
探索や移動においては実力を発揮するも、戦闘はからっきしと言うではないか。
傭兵など「はっきり言って邪魔」と言ってはばからなかった。
実態を確かめるべく、私たちは訓練場を選んだのである。
「じゃあさっきの暴発はなんだ。あれはどう見ても失敗だぜ」
最大放出は可能でも、段階的なそれが苦手とか?
あるいは、何らかの理由で不調になっているとか。
「出来ないのか不調なのか。あいつの話を統合するに、後者かもしれん」
「魔術師の不調、か。どんな場合に発生するんだろう」
「心身に傷を負った場合や全部忘れちまった時、だったっけかな」
「詳しいんだね」
傭兵は「ちっとは見直したか?」と笑った。
元勇者、剛腕のゲヴァルト。
彼が何かを恐れ、臆しているところを見たことが無い。
かつてはどんな勇者で、どうして辞めてしまったのだろうか。
今は、どんな思いでここにいるのだろう。
わざわざ本人に聞くこともないが。
「……君から見て、キュナスはどうなんだ」
「勇者、魔術師、どっちを選んでも不合格だな」
おお、冷たい意見。
飾らない口ぶりから、彼が冗談を言っているわけではないと察した。
切って捨てるほどでもないだろうに。
「何者かになりたけりゃ目標が必要だ。目標を達成するには執念が必要だ」
傭兵が指さす先で、魔術師が杖を構えている。
何度も炎を燃え上がらせるも、それは何かを焼き切る前に消えていく。
「あいつからは、目標も執念も感じられない。」
「飲み仲間としてなら及第点」とゲヴァルトは茶化すように言った。
例えば、魔王を倒す。
例えば、世界の根源へと至る。
例えば、誰かのために武器を取る。
金でも、評判でも、なんでもいい、何かを成し遂げるという執念。
人を規定するのは、心でも見た目でもなく行動であると、昔読んだ本にも書いてあった。
酔っぱらったキュナスを部屋で寝かせた翌日の朝を思い出す。
初対面で突っぱねるような態度を取って、次に協力を受け入れ、仲間になったと思えば、戦闘には非協力的である。
率直に言ってちぐはぐが過ぎる。
でも。
「彼女にだってきっとあるだろう。例えば……」
例えば、侯爵の元に再び仕えるとか。
胸の奥がちくりと痛む。
私の目的は、勇者フランツをジギスムント侯爵に売り込むところにある。
こちらの思惑がうまくいったとして、彼女の望みが叶う余地はあるのだろうか。
むしろ、キュナスにとって一番の壁はこちらではないか。
「例えば、なんだよ」
「…………いや、なんでもない」
「キュナスは変な奴だけどよ、最近のお前も大概だぜ」
私?
何が変だというのか。
先日は失敗してしまったが、他の業務は滞りなく進めている。
思わぬ批判に困惑していると、ゲヴァルトはこちらを一瞥した。
な、なんだよ、そのダメな子を叱る親みたいな目つきは。
「守銭奴ユーリエが、儲けを減らす真似をするなんて信じられん」
守銭奴って、お、おま、お前……。
私を、そんな風に見ていたのか。ちゃんと管理しなければ、すぐ貯金を酒と女につぎ込むくせに
収入の減少は考慮している。最終的により質のいい仕事につながるから魔術師を仲間にしただけだ。
「彼女は役に立つ。だから仲間に誘ったんだ」
「あの体たらくを見て、同じ言葉が出てくるか?」
キュナスの手から滑り落ちた杖が、地面に落ちて小さく跳ねた。
大切な仕事道具を拾おうと屈むも、足を滑らせて尻もちをついている。
仕事ぶりを聞く限り、まるっきりお荷物というほどでもなさそうだが。
「魔王を倒すってのは生半な準備じゃあ出来ない。本当にキュナスが仲間として適格か、よく考えろ」
返事を待たず、傭兵は魔術師を呼んだ。
尻をさすりながら、彼女がこちらにやって来る。
分かっているとも。
志半ばで折れる人間など、この世にたくさんいる。
目の前の彼女だけを助ける理由なんてない。
もう一度、向き合わなければならないことくらい、分かっているとも。
「なあ、お前さんは何を目標に頑張ってるんだ」
「攻撃魔術を上手に扱えるようになって、貴方たちの手助けを……」
「聞き方が悪かったな。将来の夢ってやつだよ」
キュナスは黙り込んだ。
まだ、城仕えを諦めていないらしい。
けれど、この話題は彼女にとって自分の過去を話すのに等しい。
勇者を引退すると言ったあの日から、なんとなく禁忌扱いされている話を。
無遠慮に突っ込んでいく傭兵をどうにもできず、私は自分の髪を指で弄った。
「それは、この時間と何の関係があるのかしら」
前も同じような文句ではぐらかされた。
彼女のきつく結ばれた唇は、会話を続けたくないと言外に表明している。
たまに垣間見える頑なさというか、取り繕う様子も見せないのが面倒くさい。
「お前さんが本気を出さない原因を探ってるのさ」
「手を抜いているみたいに言わないで。最大限努力しているわ」
離れたところで、わっと歓声があがった。
見ると、勇者同士で模擬試合をしているようだ。
王都の闘技場ほどではないが、競い合いは戦士の本質らしい。
成り上っていくほどに、勇者という職業は個人事業の性質が色濃くなっていく。
他よりも優れていると誇示するのは、彼らにとって真っ当な行為でもある。
こうした事実に、キュナスは気付いているのだろうか。
「……努力しても結果が伴わなければ、用意された末路は侘しいものだ」
模擬試合の勝利者が拍手を浴びる。
対戦相手と握手を交わし、見物人から称えられ、次の対戦相手を募っている。
彼が与えられた勝者という肩書の後ろには、いくつもの可能性が広がっている。
「結果が出せなければ、目標なんて見果てぬ夢なんだよ」
模擬試合の敗北者が去っていく。
対戦相手と抱擁を交わし、見物人から称えられてこそいるが、柵を抜けた途端に見向きもされない。
勝負が決した彼は敗者の烙印を押され、それ以上でもそれ以下でもなくなる。
「私たちは魔王を倒すのが目標だ。そのために仕事を頑張って、ジギスムント侯爵に認められる機会を狙っている」
「侯爵様にってことは、つまり、あたしと貴女たちは……」
隠していたんじゃない。
説明の機会を逸していただけだ。
明言してしまえば、何かが決定的に終わってしまう気がして、嫌だった。
認めざるを得ないだろう。
私は、キュナスに対して最初とは別の感情を抱いていた。
魔術師が欲しかったとか、侯爵に纏わる情報が欲しいとか、そういった理屈ではなくて、もっとふわっとした、言語化しにくい関係を彼女との間に見出していた。
黙っていれば都合がいいのは百も承知で、話さずにはいられなかった。
「ちょっと待って、じゃあどうしてあの時引き止めたの。放っておけば……」
放っておけば、商売敵が一人減った。
言われなくたって分かっている。
「目標の話をしている。関係ない質問はやめて答えるんだ」
「関係大有りよ。こっちを見て、質問に答えなさい」
偉そうに指図するじゃないか。
元はと言えば、君が無銭飲食をしたのが全ての始まりだろう。
世話をして、泊めてやったのはどこの誰だと思ってるんだ。
初対面で舐め腐った態度を取って、酒飲みで、依頼を一人で出来ない駄目人間を助けてやる理由なんて限られているだろう。
「…………打算と義務感さ。わざわざ言わせないでくれ」
深く息を吸う音が聞こえた。
彼女は、指が髪色と同じくらい真っ赤になるほど杖を握り締め、全身を震わせている。
こんな突き放すような物言いをしたいわけじゃなかったのに、適切な言葉は何も思い浮かばなかった。
「そう、そうなの。ごめんなさい、勘違いしていたわ」
勘違いだって?
彼女から見て、何をどう誤解する余地があるんだ。
仕事に同行したのも、仲間に誘ったのも、今こうして面倒を見ているのだって、全て打算と義務感で説明できる。
むしろ勝手に勘違いしていたのはこちらだ。
これだけ求めても、彼女は自分の話をしようとしない。
あくまで仕事上の付き合い程度の間柄。
私は、キュナスに何を求めていたのだろう。
「あたしは孤児院で育ったの。見ての通り、異邦人の血筋が流れてるのよ。それが原因でからかわれることもあった」
魔術師は静かに語り始めた。
木製の杖に爪を立てながら、こちらをじっと見つめている。
絶えず吐き出される白い呼吸だけが、交差する視線を遮っていた。
「魔術は独学で始めて、なんとか学校を卒業できた。あの頃はいろんな人に迷惑をかけたわ」
彼女の口調は、今までにないほど熱を帯びている。
やめてくれ、変な期待はさせないでくれ。
「人付き合いは怖かったけど、打ち込んでいる間は何者かになれた気がした」
珍しくはない。
農村で生まれた子供が口減らしで都市に送られたり、戦争で両親を亡くしたり、人さらいに遭ったりと、孤児が生まれる可能性はいくらでもある。
そうして引き取られた子供たちは、往々にして自己統一性を強く希求する傾向にあるという。
本にいくらでも書いてある。
「おかげで魔術師になれたわ、でも実を言うとね、根源の追求なんてまるで興味がなかったの。汚い部屋を魔術で掃除して、院長さんに喜ばれた時のほうがよっぽど充実していた」
「……だから勇者になったのか」
「そう。勇者になって、侯爵様に声をかけられて、毎日誰かの役に立っていたのが嬉しかったわ」
誰かに褒められたくて勇者をしているなんて、隠すような話でもない。
ありふれた話。人並みの動機。
なのにどうして、はぐらかすような真似をしたんだ。
「追い出された時、絶対に戻ってみせると思った。あたしにはこれしかないって。でも、うまくいかなかったわ」
依頼は上手くこなせず、詐欺師のかもにされて、財産を失って酒に逃げた。
酒場での醜態は鮮明に覚えている。
「でも貴女たちと出会って風向きが変わった。あたしは……」
「あたしは、なんだ」
「もう、何も分からなくなっちゃったわ」
なんだ、それ。
侯爵の元に戻るんだろう。
彼と共に働いて、人の役に立つのが嬉しかったんだろう。
求めていたものを一度手にしておいて、簡単に諦められるものか。
今度こそって、言っていただろうに。
「あーご婦人方、会話の目的をお忘れでない?」
それは。
覚えているとも。彼女の過去を通じて、不調の原因を究明するんだ。
ゲヴァルトが大仰に両手を広げる。
顎に手を当てて俯くことで、キュナスから顔を逸らした。
考える風体を装えているだろうか。
「…………ごめんなさい、少し頭を冷やしてくる」
キュナスは柵を開けると、傭兵の声掛けを無視して歩き去っていく。
ちらりと視線を投げた時、一度も振り返る素振りを見せなかった。
胸の内に、じんわりと冷たい感覚が広がっていく。
言わなくてもいい発言をして、買わなくてもいい不興を買ってしまった。
これじゃあ、彼女と同じだ。
どんと、肩を突き飛ばされる感覚がした。
背後を睨め点けると、片眉をつり上げた傭兵がいじわるな笑みを浮かべている。
「ひっでえ面だな」
「……うるさい」
見透かしたような言い方をするな。
大人はこれだから嫌だ。人の気も知らないで、無遠慮に踏み込もうとしてくる。
「ま、あんまし気にすんな。手応えはあったからよ」
あんな感情的な説明の中で何を掴んだのか。
キュナスを追いかけるゲヴァルトの大きな背中を、私はいつまでも見ていた。




