第十一話 人間強度が下がるし
肌寒い朝は、寝台から抜け出すのも一苦労だ。
仕事服の上に毛皮の外衣を羽織る。
宿を出れば吐く息も白く、城壁を越えて見える山稜は雪の衣を纏っている。
今頃、男たちは黄昏谷で魔獣の群れを狩っているのだろうか。
村では見ることのなかった霜積もる谷底を思い浮かべながら、まだ起きたばかりの街並みを通り抜けた。
昨日の夜に整理した書類を携え、勇者ギルドへと足を運ぶ。
扉を開け、冷気を呼び込んだことで勇者たちが嫌そうな顔を向ける。
はは、こっちだって冷え冷えしていたんだ。同じ気持ちを味わうがいいさ。
「おはようございます、二人はまだ戻ってきていませんよ」
建物の中は暖炉によって暖かく、爆ぜる木片の音が心地いい。
窓口に立つと、受付係が奥から出てきた。
たわしのような髭を蓄えた彼は、まだ髪型も整えていない。
挨拶を軽く済ませ、鞄から書類を取り出すと彼の前に並べる。
「ここ二日間の活動報告です」
「拝見いたします」
弛緩していた表情がピリリと締まる。
彼の顔つきは、すっかり仕事人のそれに変化していた。
ギルドから配布されている報告様式は、いくつか決まった項目へ記入するのと、依頼中の行動を文章化する作業に分かれている。
受付係が確認するのは、だいたい前者だ。
「活動時間と場所……依頼人の記名もありますね。いいでしょう」
髭の受付係は指で丸を作った。
筋骨隆々の厳つい見た目に反してこまごまとした身振りが多いのは、小さな娘の影響らしい。
「モルゲンブルグにも慣れてきたようですね、ユーリエ」
「ご指導の賜物です。それで……」
「わかってますよ、王都に及ばずとも、都市では何かしら起こっているものです」
見知らぬ土地の話は、そこに生きる人々に尋ねるのが早い。
来たばかりの頃から、都市で起きている出来事を話してもらうようにお願いしていた。
もう引っ越したてという時期でもないが、情報収集は継続的に行ってこそ意味が生まれる。
「戦線は激化する一方です。修道院は連日勇者と騎士で満杯ですし、題材を求めて作家先生まで入り浸る始末ですから」
戦争は、一進一退の様相である。
領主のジギスムント侯爵は優秀な指揮官であると聞いているが、魔王軍の攻勢を押し返すには至っていないようだった。
ギルドにおいては専ら、作戦行動の邪魔にならないよう魔獣の駆除依頼が流れてくる。
どこもかしこも、荒事の気配が蔓延しているのだ。
「領の依頼は……ないみたいですね」
「敵将の指揮で魔王軍も活発化していると聞きます。侯爵様も慎重を期しているのでしょう」
モルゲンブルグ領からの依頼は、すなわち軍事行動の補助を意味する。
作戦の時期、内容を外部に共有する性質上、敵側に情報が漏洩するのを危惧しているのかもしれない。
別の角度から考えることもできる。
受付係によると、最近は栄誉を求めて王都からやって来る勇者も少なくないのだという。
経験不足が祟り死にかける奴の話もしょっちゅう聞く。
ギルド全体の練度が低下しているのを考慮すれば、侯爵が足踏みをするのも仕方ない。
私としては領主との繋がりを持つきっかけが欲しいので、もっと積極的に依頼を出してほしいのが正直なところだが。
「侯爵様と言えばご存知でしょうか。お抱えの勇者が一人追放されたそうです」
にわかに、仕事の気配を感じ取った。
貴族の例に漏れず侯爵は幾人かの勇者を囲い込んでおり、彼らの活躍はよく耳に入ってくる。
一方で、失態や素行不良で城を追い出された人間の話も流れてきており、ジギスムント侯爵の厳格な人柄が伺えるものだ。
空きができたのであれば、フランツを売り込む好機かもしれない。
「勇者は多少荒っぽいくらいが好ましいとよく言いますが、侯爵様のお考えは違うようですね」
「ああ、いえ、今回は人間性の問題ではなくて……」
侯爵様の従者を焼き殺したんですよ。
声を潜めながら、受付係は言った。
暗殺でも企てていたのかと疑うほどの無法ぶりだ。
故意であれ事故であれ、怒りを買うのも納得である。
相手の様子に合わせ、眉をひそめてみせた。
「よく追放で済みましたね。火刑に処されてもおかしくなさそうですが」
まあ、犯罪者が追い出されようが処刑されようが、私には関係のない話だ。
せっかく訪れた機会をふいにするわけにもいかない。
侯爵と側近たちに存在を認識してもらうには、戦場で華々しく活躍するしかないだろうか。
あるいは、修道院に入り浸っているという『作家先生』に接触するのもありかもしれない。
「いずれにせよ、領にはいられないでしょうな」
髭の受付係は目を伏せた。
冷たいようだが、仕方のない話といえる。
別の場所で再起を図るか、全てを諦めて故郷に帰るかは本人次第。
勇者の道はとても狭くて、ちょっと踏み外しただけで転落する危うい行程だ。
骨身に染みているが故に、経験者ほど同僚の末路を詮索するような真似はあえてしない。
すぐ横に広がる崖を覗きたがる人間などいないのと同じように。
「そういう意味では珍しい事例だと思いますよ」
「えっと、何の話ですか?」
「あなたの仲間……」
受付係の話を遮るように、ギルドの扉が荒っぽく開いた。
寒風が一気に吹き込み、思わず大きく身震いする。
いきなり扉を全開にするとは何を考えているんだ。常識知らずの間抜けめ。
「ゲヴァルト様が帰って来たぞーっと」
腰から斧をぶら下げた傭兵が、あごひげに雪を飾りながら入ってきた。
前方のたわし髭と後方のあご髭。なんてむさくるしい光景だ。
傭兵の後ろから顔を出した青年が、麻袋を抱えているのが見える。
仕事の成果物だ。
「おかえり」と声をかけると、フランツは笑った。
「来てたんだね」
「言ったろう、君たちを一番に出迎えるのが最も大切な仕事だ」
王都にいた頃と違って、仕事に同行することはなくなった。
足手まといになってしまうばかりだし、今は経験豊富な味方がいる。
「嬢ちゃん、俺には『おかえり~♡』って言っちゃあくれねえのか?」
「すまない、在庫を切らしてる」
開口一番、気色悪い声真似をするおっさんを受け流す。
普段は万事こんな調子だが、戦闘も索敵もこなせる熟練の戦士だ。
私が雇い主となって、フランツの補佐をさせているのだが、おかげさまで管理する帳簿が二つに増えたのが些か面倒くさい。
放っておくと酒だの色街だのにつぎ込んでしまうのだから、困りものだが。
「おいフランツ、お前の幼馴染はいつになったら俺に心を開いてくれるんだ」
「ゲヴァルトが自分らしさを貫く限り無理じゃないかなあ」
傭兵は唸る。
冗談はこのくらいにしないと、周りからうざったく思われそうだ。
フランツが差し出した麻袋を、受付係が受け取る。
「勘定、手伝いますか?」
「忙しい時間でもないので大丈夫です。お二人と朝食でも召し上がられたらいかがですか」
モルゲンブルグ領のギルドは、すぐ隣に大きな酒場がある。
昼と夜は料理人や給仕もいるのだが、今はまだ出勤していないだろう。
幸い調理場は解放されているため、利用することは出来る。
仕方ない、近くの市場で食材を買って何か作ってやるか。
「二人とも先に行っててくれ。買い出しに行ってくるから」
寒風が足元をすり抜けていく。
凍えるような気温の中でも、朝市では活気ある声が飛び交っていた。
探していた野菜を一通り揃え、別に発火符を注文すると、符売りの野良魔術師に一枚おまけで貰った。
常連さんへの特別待遇らしい。
酒場に向かおうと踵を返して、咄嗟に目を細める。
屋根にうっすらと積もった雪が陽光を反射して、きらきらと眩しかった。
「いやあ、待たせたね。ささっと作ってしまう、よ……?」
酒場に入ると、二人のほかに見知らぬ女性が座っていた。
燃えるような赤髪は精彩を欠くこの場所で存在感を放っている。
見慣れない容貌は隣国人の血筋に思えるが、どうだろう。
「ええと、フランツ。こちらの方は?」
女性が抱く大きなとんがり帽子と、ゆったりとした服装には見覚えがある。
胸元で輝く記章には交差する杖が描かれており、彼女の身分を表していた。
「キュナスって言うんだ、ここで勇者をやってる」
なるほど、ご同業か。
勇者の仕事で生計を立てる魔術師は意外といる。
基本的に特定技能であるため、都市に行けば職に困ることは無いのだが、魔術の探求に時間を費やしたい人などはあえて定職につかない場合もあると聞く。
彼女もその例なのかもしれない。
「初めましてキュナスさん、二人が何か迷惑をかけてないといいのですが」
横から非難の声が上がる。
社交辞令を言ってるだけだから少し黙りなさい。
初対面だからと言って、こちらが臆する必要はない。
勇者が仕事中に成り行きで協力関係を結ぶことなど珍しくないし、あるいは単に食事の場に居合わせただけの関係であっても、愛想良くしておいて損はないのだ。
差し出された手をじっと見つめて、彼女は言った。
「慣れ合うつもりないから。人間強度が下がるし」




