第一話 君は勇者になるんだ
王国は危機に瀕していた。
古の封印から復活した魔王が、魔人を率いて侵略を開始したのだ。
王国には「甦りし魔王、地平より来る勇者が滅ぼす」という言い伝えが残されており、時の国王ギルベルト二世は、臣下に勇者を探すよう命じた。
当然、都合よく見つかるわけもなく、ギルベルト王は苦肉の策として『お触れ』を出した。
すなわち、勇者の募集である。
立身出世を望むもの、食い扶持に困るもの、あるいは大切な人を守りたいもの。
様々な事情を抱えた平民がこぞって応募し、その数は百を超えた。
世はまさに大勇者時代である。
貴族たちは平民に特権じみた称号を与え、多額の予算を使ったギルベルト二世に反発したが、戦争において一部の勇者が実力を示すと、徐々に声の調子を落としていった。
王国と魔王の戦いは、新しい局面を迎えようとしていた。
────
「……というわけだよ、フランツ君」
「ユーリエせんせー、質問があります」
木陰に腰掛けるフランツが手を振った。
私は彼を指さし、「なんだね」と声を張る。
「えーと、その『勇者』の話と、僕らにどんな関係があるのかな」
「かーっ。まるで分かっていないようだねフランツ。君を『ここ』に呼び出したのは、まさに勇者の話をするために決まっているじゃないか」
村の外れ。雑木林を抜け、山道を少し歩いたところに丘がある。
黒々した木々の世界から一転し、胸のすくような青空と、地平線まで続く山稜が広がる光景はとても気に入っている。
両親から、野獣が出るから近寄るなと忠告を受けていたが、私は度々フランツを連れてここに来ていた。
人々の営みから切り離されたここは、考え事をするのに持って来いの場所だ。
どこかで鳥のさえずりが聞こえた。
「いいかい、君は勇者になるんだ」
長年の付き合いになる幼馴染は目を丸くしている。
まるで野鳥が雷に打たれたみたいな表情だ。
「僕が勇者……それってつまり『支配地』まで行って、魔王を倒すってこと?」
なんだ、打って変わって察しが良いじゃないか。
理解の早い友人に安堵し、私は説明を続けた。
「ご明察。顔ぶれは君と私、それに……もう一人くらい戦士が欲しいかな」
もちろん、後方から支援してくれる魔術師は欠かせない。
本に書いてあったが、彼らはどこにでも瞬間移動できるらしいじゃないか。それがあれば驚くほどあっけなく旅が終わるかもしれない。
残念ながら、私は武術も魔術も才能が無いから、どこかで仲間を探し出さないといけないだろう。
この手の人材は、酒場で勧誘を待っていると相場で決まっている。
本に書いてあったのだから、間違いはない。
「ちょっと待って、戦士とか魔術師とか、都合良く進むわけないじゃないか」
なんと弱気な発言だろう。
冒険はまだ始まってすらいないというのに!
じれったくなり、足元に転がる小石を蹴ると、丘の向こうに落ちていった。
どこまでも続く森の中で、同じ小石と出会うことはもう無いだろう。
代わりに、緑一色の中で屹立する、ひときわ大きな灰色の輪郭に意識が向く。
王都だ。
空想の中で何度も旅行に行った大都市の外観を注視する。
「だいいち僕はしがない猟師の息子だよ。魔王を倒すなんてできるわけない」
「村の連中もそう言うだろうね。猟師の息子と村長の娘になにができるってさ」
嫌な顔ぶれが頭をよぎる。
彼をドン臭いガキと笑う奴や、私を頭でっかちの小娘となじる奴。
みんなくそくらえだ。
「前に二人で村の連中を見返そうって言ったろう。絶好の機会なんだよ!」
勇者に応募可能なのは、十六歳になってからだ。
一年の余裕を持って話を切り出したのは、ちょっぴり怖がりなフランツに覚悟を決めさせるための期間である。
加えると、フランツの両親も説得しないといけない。息子思いの温厚な二人が、果たして了承するだろうか……。
いや、できるかできないかではない。私はやるんだ。
「現実的に考えて、失敗して帰る羽目になるのがオチだ」
「それでまた馬鹿にされるんだ」と、彼は口を尖らせる。
現実的に考えて、だって?
私が大嫌いな言葉だ。
「フランツ、そんなチセツな言葉を口にしないでくれ」
チセツ。
昨日読んだ本から言葉を拝借する。
『現実的』なんて言葉、人の限界を手前勝手に決めて、可能性に蓋をするための方便じゃないか。
この言葉も、この言葉をありがたがっている、自分のカラに籠るだけの連中も、みんなチセツだ。
本当の『現実』って言うのは、もっともっと、無限大だっていうのに。
「君の中には人一倍の勇気が眠っている。私が断言しよう」
「もしかしてだけど、野獣と魔王を同列に思ってるのかい。僕には、いや常人には思いつかない考えだ……」
「世にあふるる凡骨共に魅せつけてやろうじゃないか、勇者フランツの人生をさ」
「君の、緻密なようでガバガバな人生設計に乗っかるのはさぞ楽しいだろうね」
「ガバ………………暴言はよさないか」
フランツはすっかり背中を丸めて縮こまっている。
「そもそも勇者って何なのさ。地面に刺さる宝剣を抜けば勇者でございって話?」
「今までどれだけの人間が勇者になったと思ってるんだ。宝剣の大安売りじゃあるまいし」
私は、後ろ手に隠していた紙を取り出す。
ペらりと宙を舞うそれは、魔術で編まれた品だ。都市ならばありふれているが、魔術師のいない田舎で見かける機会は少ない。
山間にポツンとある村でも、たまに行商人が来る。
本や紙といった存在に触れられるのは、彼らのおかげだ。
「これは王国の各都市で配られている広告紙だ。読み上げるよ」
書かれているのは、勇者の応募方法についてだ。
勇者の登録の手続きは、専ら王都で行われる。
登録料の支払いと経歴検査を無事に済ませれば、後は何もすることはない。
なんてことだ、こんな簡単に勇者になれるなんて!
これだけではない。勇者となった暁にはなんと革鎧と鉄の剣、一週間分の飲食代が支給される。
年齢出自不問。誰にでも可能性がある、こんな素晴らしい職業があるだろうか?
「登録料って、用意してあるの?」
「問題ないさ。当面のあいだ泊まる宿も見繕ってある。頭の中では三年先までスケジュールが組まれているよ」
友人の人生を巻き込むのだ。生半可な準備では許されない。
資金調達のために村の連中の仕事を手伝ったりもした。向こうからすれば子供のお小遣い程度に考えていたかもしれないが。
「うーん、でもやっぱり、なんというか、無謀じゃないかな」
フランツの口調はどこか重い。
私が彼のことをよく知っているように、彼もまた、私についてよく知っている。
暴走しがちなときは、決まってたしなめるような言い方をしてくるのだ。
「私は本気だ。本気なんだよフランツ。魔王を倒して、村の連中を見返そう」
幼馴染に手を差し出す。
ふいに、緊張が心を刺した。
じんわりと手が汗ばむのを感じる。
迷いはない。きっと後悔だってしない。立ち止まることはあっても、必ず最後は前に進んでやる。
そんな覚悟を持っていたはずなのに、いざとなると指先が震えた。
くそ、格好がつかないじゃないか。
「り、了承してくれるなら、君の両親も必ず説得して見せる。私の両親ことは気にしなくていい、彼らはどうせ優秀な兄のことで頭がいっぱいさ。王都に行ったら、家事だってやってやる。料理は……まあ、なんとかなるだろう。生活費の管理だって任せてくれ、本でたくさん勉強した。戦闘だって、出来る限り手伝うよ……私たちならきっとうまくやれる筈なんだ」
木陰に座っているからだろうか、幼馴染の顔色が見えない。
気が付けば日はすでに沈みかけており、暗闇は増すばかりだ。
遅くなれば、親から文句が飛んでくるだろう。
だが、少なくとも、こいつの返事を聞かなくちゃ帰れない。
「……僕がもう無理って言ったら、諦めて、二人で帰って来る。それでいいい?」
暗がりの中で、フランツが私の手を取る。
引き上げると、彼は光の中に出てきた。
彼は、いつものように柔らかく笑っていた。
「ああ、じゅうぶんだとも!」
こうと決まれば、やるべきことはたくさんある。
あと一年で出来る行動を頭の中で整理していると、フランツが疑問を口にした。
「僕が勇者になるとして、ユーリエはなんなのさ。付き人?」
胸を張ってみせる。
ピッタリな言葉を、本から探していたのだ。
こうして自らに役割を振ると、目標の実現に近づくように感じられて、大変心地良い。
「私はアシスタント。勇者をアシストするのさ」
────
あの日の出来事は一生忘れない。
怒りと情熱と、現実に立ち向かっていく無鉄砲さを持っていたあの頃の自分を、私はいつまでも覚えている。