第58話 ひとならざるもの
――あなたに恥はないのか。
異端者と認定されかけているという私から投げかけた、現職の「異端狩り」を自称する者への問い。これは確かに、挑発の意もあったのだけど――
向こうには、きっとそれだけしか伝わらなかったのだと思う。
一度は問答で、相手の出鼻を少しくくじいた感もあった。それが今では、憤怒で息を吹き返したように動き出してくる。
夜闇の中で踊り狂う紅い切っ先は、火を噴く勢いだった。
「恥、恥だと!? ハハハ、笑わせてくれるなッ !かつて籍を置いた貴様を、今のまま野放しにすること以上に、恥ずべきことなどあるものか!」
「無辜の民を巻き込んでまで、為さなければならないようなことですか!」
「異端という邪悪を討つ務めに、導きを施してやったまでのこと!」
「戯言を!」
私はかつて、邪教徒や異端者を討伐する務めに就いていた。
力なき良民のため、代わりに血を流してきた。
それが正しいことだと信じて。
でも、自分の中にある何かが、音を立てて崩れていきそうだった。
息もつかせない、真紅の薙刀の連続攻撃。
でも、私には当たらない。直撃は、意図して受け止めた、あの一回だけだった。
かすり傷も負わないでいる私を前に、攻撃には少しずつ焦りが見えてきた。見せつけるような流麗さが消え、ただ手数だけを優先したような粗雑さが滲みでる。
かと思えば、打開できない状況で手探りするように、攻撃を少し止めて緩急らしきものを見せてくる。
やがて、攻撃の切れ目が訪れた。双方の間合いが少し開かれる。
「……舐められたものだな。このまま徒手で戦おうと?」
私にだって、「授かった」ものはある。
だけど、その気はまったくなかった。
「人に向けるべき武器ではありません」
教義からすれば当然の答えを発すると、「わかっているはず」の向こうの顔が、皮肉めいた笑みで歪んだ。
「その程度の理解は残っているか!」
声を発しながらの、先のやり取りを経ての薙ぎ払いは――
私を人扱いしていないという意思表示そのものだった。
わかってる。
異端狩りは、異端者を人間扱いしない。そのように教えられて、仕込まれて……
私は、何人も切り伏せてきた。
欠片ほどの弔意さえも、許されざる大逆だと、そういう規律の下で。
何人も何人も。
心の中でしか送り出せなかった「向こう側」の人たちの中に、今の私がいる。
私が置かれている現状に、ドッと汗が噴き出ていく。
そこへ追い打ちをかける一手があった。
いったん攻撃の手を緩めた敵が、それまで見た事のない動きで槍の穂先を宙に遊ばせる。 一見無意味な、ただの手癖のように思えたそれは、実際には合図だった。
木陰とタ闇に紛れ、周囲から私へと飛来物が襲い掛かる。
それらは、ただの小石だった。
だけど、街中で投げられたものよりはずっと、遠慮もためらいもない速度がある。
とっさの事で避けきれ、四方八方から飛び交う数発がこの身を打ち付ける。
痛いことは痛い。
でも、私は、これで死ぬようなことはない。
案の定、これは単なる前座に過ぎなくて。
「今の貴様に、安住の地などあると思うか?」
これが本命だった。
その気になれば、いくらでも「関係者」を動員できる――ぐらいの含みがあるのだと思う。
だけど、私はむしろ冷静になった。
「見積もりが甘かったのではないですか?」
「……強がりを。恥を雪ごうというのに、大々的に動いてどうしようというのだ」
「コソコソするにしても、もう少し動員できたのではないですか?」
未だ信じがたくはあるのだけど、仮にこの敵が自称通りに現職の異端狩りだとして……他に同等の敵は、この場にいないのではないかと思う。
周りにいる配下らしき人々は、実際には直接的な配下ではなくて。こういう「作戦」に駆り出されるような部署の人間ではあるのだろうけど……
私たちの基準からすれば、他はみんな一般人でしかない。
この作戦規模は、事を明るみにしたくないという事情だけではなくて、別の事情も影響しているのではないかと思う。
「異端認定が俎上にあるとのことですが……」
「それが何だと?」
「『審問課』が上に働きかけたような口ぶりでしたが、現に動いているのは、あなたの周りだけでしかないのでは?」
答えは薙刀の一閃だった。
突然の薙ぎ払いが、すんでのところで、私の首があったところを駆け抜けていく。
「この首が繋がっている内は、お答えくださるのではないですか?」
「黙れ!」
「意味のないお返事は、すべて肯定とみなします。せいぜい、頭柔らかくしてお答えくださいね。さもなくば、『先の申し入れ』だけでも取り下げられては、いかがかと」
逆鱗を撫で回す私に、怜悧な顔が憤激で染まった。宙に遊ぶ穂先が石の飛礫を招き入れる。
こんなのはどうでもいい。
私は、人にはあの神器を使わない。
だけど、私なりには戦う。




