4話
もうなんか形容しようのない散らかり具合だった。
床に落ちているものは有象無象、お菓子の袋からお金まで貴賎なく、何もかもが無造作に床に放り投げられていた。この世界からいろいろなものを集めてきてそれを床にぶちまけたようなそんなカオスが広がっていた。人が寝転がるスペースなんて無い。この人一体どこで寝泊まりしているんだろう?
「…もしかして泥棒とかに入られたんですか?」
「ははは、そんなヤワな警備じゃねえよ。侵入者はネズミの一匹だって気がつく自信がある」
怪盗漫画でそれ言ってる奴、大概盗まれるんだよなあ。
ここのセキュリティはネズミ一匹の侵入も許さん!的な?
「一体この部屋の何をどうすれば良いんですか?」
僕はとりあえず座る場所を確保しようと、有象無象をずりずりと部屋も隅に押し寄せた。
「おいおい、あんまり乱暴に扱わないでくれよ。もしかしたら宝物とかあるかも知らんからな」
クククと笑う大家さんの顔に爽やかな殺意が芽生えそうになったが、すんでのところで堪えた。
「じゃあせめて宝物だけ集めておいてもらえますか?俺はその間に片付けの準備するんで」
自分で言っておきながら、片付けの準備ってなんだろうと疑問に思ってしまった。
「おお!やってくれるのか少年。いやはや…弟子にやらせようとしたらドン引きで何も言わずに帰ってしまってな」
「お弟子さんが本当にいるのか怪しいところですけど、いるのなら謝っておいた方がいいと思いますよ」
正直お弟子さんが気の毒で仕方ない。
というか何の弟子なんだろう?
「ははは、これは手厳しい。ふむ、それじゃあ宝物探しでも始めますかな」
大家さんは懐かしいなあ、なんて呟きながらガサガサと床を漁り始めた。その様は宝探しなんてものじゃなく、ゴミ漁りにしか見えなかった。
僕は一旦自分の部屋に戻って、汚れてもいい服装に着替えた。あと荷物整理のために買っておいた軍手を準備。大家さんがゴミ漁り…じゃなくて宝探しにはもう少し時間がかかるだろうと思い、布団に横になると途端に掃除を手伝うのが億劫に思えてきてしまった。
「…ったく、自分の部屋くらい自分で掃除しろよな」
ゴロリと寝返りを打つと、億劫さにさらに拍車がかかった。
「自分の部屋なんだから、自分で掃除させた方がいいのでは?」
きっとその方が本人のためにもなるし、もとい自分のためでもある。
心地よい春の風が僕の部屋を通り過ぎていく。春風と呼ぶにはいささか寒いような気がしたが、分厚い布団に包まれるとそんなことはどうでも良くなってしまった。
ピンポーン
…
ようやく眠りにつけそうなタイムングを見計らったかのようにインターホンに起こされてしまった。
「おーい、少年。終わったぞ」
まあそりゃそうっすよね。
僕は軍手を装着して部屋を出た。
「お疲れ様です。ちょうど準備終わったとこで」
「ははあ、ナイスタイミングだったわけか」
「まあ、そうっすね」色々な意味で。
大家さんの部屋に行くと、大家さんはなぜか得意げな顔で「どう?結構進んだろ?」と言った。
一体この30分間何をしていたのか問い詰めたくなるくらいの変化のなさだった。
僕は何も答えず「じゃあ始めますか」と呟く。
「もう床に散らばってるものは全部ゴミでいいんすよね?」
「まあ、基本的にはな。かく言う俺も実際何が何だか把握してねえんだ」
「じゃあ全部捨てましょうか」
「え、ちょっと待て。流石に全部はまずいだろう全部は」
「でも掃除って捨てるとこから始まりみたいなとこありますから、もしすごく大事なものだったらまた買えばいいじゃないですか」
大家さんはしばらく首を捻って、まあそれもそうかと渋々承諾してくれた。
僕は大家さんの気が変わらないうちに、ガサガサと有象無象を袋に詰め始めた。
「ちょ、ちょっといくらなんでも乱暴すぎやしないか?」
「良いんすよどうせ捨てるんすから」
「まあそれもそうか」
「大家さんも自分で捨てれそうなものがあればどんどん捨てていってください」
僕は大家さんにゴミ袋を渡した。
「わかった。尽力しよう」
そう言いつつも大家さんはその辺のゴミをポイポイと少し入れただけでゴミ袋を縛ろうとし始めた。なにも分かってねえじゃねえか。
「ちょちょ、ちょっと待って下さい!まだまだ入るでしょ…頼みますよホント…大人なんすから」
「大人…ふふ、大人ねえ。大人ってなんだと思う?少年」
「何って言われても、自分で意思決定できる人…とかですかね」
「意思決定、なるほどな。私はこう思うのだよ"子役を見て素直に可愛いと思えなくなってから"」
「…はあ」この人に言われなかったら素直に納得したんだろうなと思った。
そんな具合で、僕と大家さんの押し問答もありながら、どうにかこうにか一日でほとんどのゴミをまとめることが出来た。
「ふう、何とか目の当てられるくらいにはなりましたね」
「うむ、大精進ってやつか。助かった」
大家さんに封筒を渡され、俺は受け取る。
「あ、どうもありがとうございます」
「少年、明日から入学式だろう?ほれ餞別だ」
そう言って大家さんはおにぎりを2つくれた。
不格好でゴツゴツとしたそのおにぎりは、市販では決して味わえない何か温かいものを感じた。
大家さんの部屋を出ると、いつの間にか外はすっかり暗くなった空に呟いてみる。
「そっか、明日から大学生か…」
全然実感わかないなあ…大学生ってもう大人だと思っていたけれど、いざ自分がなってみると全然そんなことはない。親の力がなくては1人で生活もできない大きな子供だ。
ピピピピ
ピピピピピピ…
眠い目を擦り、重い足を引き摺りながら向かった入学式は期待していた程のものではなかった。
そもそもどんな物を期待していた訳ではないけれど、まあなんと言うか、退屈なものだった。
「なあ、入るサークルとか決めた?」
同じように隣に座っていた退屈そうな男に声を掛けられた。
隣の席のやつは、茶色に染めた髪とやや個性的なスーツに身を包み、僕の想像していたThe大学生みたいな奴だった。
「いや、サークル入るつもりは今のところ無いかな…どこか入るの?」
「えー、まじ?友達とか彼女とか欲しいやん?」
やん。
初めて関西弁を直で耳にした。
なんか新鮮やん。
「まあそりゃ欲しいけど」
「先輩に聞いたんだけどサークル入らんかったらと、ぼっちライフ送ることになるらしいで。な、この後一緒に回らん?」
別に僕は断る理由など無かった為承諾した。
この若干チャラチャラした男は赤城言うらしい。
僕と同様、県外からこの大学に入学したらしく、友達いーひんねん。と明るく笑った。
「なあ、テニスサークルとかどうよ」
特になんでも良かった俺は「いいね」と答えて赤城について行った。
「おー、いらっしゃい。ええと新入生?」
テニスコートに着くとよく日焼けをしたガタイの良い男に声をかけられる。
「はい。部活見学で」
「はは、ここは中高みたいにみんなガチやないけど、その分みんなで遊んだりしてるんや」
ガタイのいい男は白い歯を見せて、ニッと笑った。
この人も関西弁やん。
「まあとりあえず見ていき。本気でテニスするんやったらちょっと物足りんかもしれんけどな」
俺と赤城はテニスコートの端にあるベンチに座らされ、その横にガタイのいい男が腰掛ける。男女が入り混じりひたすらラリーをしているのを見て、本当に楽しいのか?と少し疑問に思った。
「君らはどこからきたん?」
「僕は東京の方から…」
僕は答える。
「え、まじ?何でこんな田舎来たん?こんなとこ来んでも東京なんか大学だらけやろ?」
「はは、大学だらけってほどじゃないですけど...まあ国公立しか認めてもらえなくて」
「まじか。まあ何もないけど楽しんでってな。じゃあそっちの子も東京?」
「いえ、俺は大阪から…」
「まじ?んじゃあ二人とも今日知り合ったん」
「まあそうすね」
「へええ、君らコミュ力すげえな。俺なんかここ入るまで友達おらんかったで」
ガタイのいい男ははははと快活に笑った。僕と赤城は笑っていいものなのかわからずに、へへへと控えめに笑った。
「あー、疲れた。なんか見てるだけなのに疲れた。なあどっか見たいとこ無いん?」
僕もテニスサークルの陽気な雰囲気に揉まれ、少し疲労感を感じた。確かにあの中に混じってやっていける自信はない。
「んー、もうちょっとおとなしいところが良いな」
「おとなしいところねえ…」
赤城はキョロキョロと周りを見渡し、「なあ、あそこ面白そうじゃね?」
「なんだあれ?人間同好会...?もうすでにやべー匂いがプンプンするけど」
「ははは!人間同好会ってなんだよ」
「ちょっと行ってみる?」僕がそう言い終える前に、赤城はブンブンと首を振った。
「ぜってー嫌だ。なんか怪しい人体実験とかされそうじゃん?」
「どんな偏見だよ」
「ま、とりあえず初日はこんなもんか。なあ、連絡先交換しとこうや」
そのあと赤城とラーメンを食べに行き、8時頃に解散となった。赤城は第一志望に落ちて、第二志望でここが受かったらしい。高校ではサッカー部で彼女は出来たことない。そんな話をダラダラとお互い話し合った。
「色取はアレやなあ...ゲームとかだと魔法で援護するタイプやなあ」
そんなよくわからないことを言いながら、赤城は帰って行った。
少し考えてみたが、やはり分からないことだった。
翌日、プレゼミというよく分からないがゼミに所属する予行練習のようなものを選ばなくてはならない日だった。
僕は研究したいテーマも特になかったので、苗字のカッコ良かった上堂寺ゼミに行って見ることにした。上堂寺ゼミは募集人数が40人とゼミの中で2番目に大きく、ここなら採用されそうな気した。
教室に入ると明らかに募集人数よりも多い生徒が席についていて、開幕早々帰りたくなってしまったが、ふとあの美女が視界に入った。バスの待合室で赤っ恥をかき、ボロアパートの前で醜態をさらしたあの美女だ。同じ大学だったのか…今度こそ汚名を挽回したい。そう思い僕は席についた。
40代くらい、初老の女性が白衣を着たまま教室に入り、教壇の前に立つ。
「本日は上堂寺ゼミを希望してくれてありがとうございます」
上堂寺さんが柔らかく微笑んだ。緊張で硬くなっていた空気がふわりと和らぐのがわかった。なんだろうこの人...不思議な人だな。
「ふふ、随分沢山来てくださったのね。そうねぇ、じゃあまず皆さん今から最低五人の異性と自己紹介しあってください、それじゃあスタート」
上堂寺さんはパチンと手を叩く。再び教室がざわついた。くそ、なんでよりによって異性なんだよ。女の人って何話して良いかわかんねえんだよなあ。両隣の人と短めのあいさつを済ませ、残りの三人を探しに立ち上がる。
あの美女と視線があった。
ペコリと頭を下げると、向こうも頭を下げて僕の方に歩いてきた。近づくにつれ僕の心臓がEDMみたいなハイペースでビートを刻んでいるのがわかった。
落ち着け僕。運命の髪はきっと僕を試してる。
「あの、えと…色取 雫って言います。先日東京から越してきて」
今更ながら敬語で話すべきなのだろうか?
多分同じ歳なんだろうけど、初対面だしな。
「あっ!待合所で独り言いってた人だよね?私は恋塚って言います。出身は大阪です」
「ああ、あれは独り言じゃなくて…なんというか無視されただけで」
「ん?そうだったの?私も良く独り言いって恥ずかしくなっちゃうから、わかるなーって。だからちょっと気になってたんです」
「あの、僕もよく独り言言います」
「…」
「…」
アレ?なんだこの空気?
なんか地雷を踏んでしまったかのようなアウェイ感。
「あ、そうなんですね」
数秒後、恋塚さんは視線を逸らしながらそう言った。
あれ?フォローしたつもりだったんだけどなあ。多分だけど、もうこのゼミには居られない気がする。
「あの…色取さんはなんでこの大学に?」
必死に会話を続かせようとしてる感じがして辛かった。
無理しなくていいよ恋塚さん。
「両親が国公立しか認めてくれなかったんです。本当は都内の私立行きたかったんですけど…恋塚さんは?」
「私は実家を出て一人暮らしがしたくて。私も本当は私立がよかったんだけど、流石に私立で一人暮らしは出来ないから公立で行けそうなところにしたんです」
なんか大学に入学してから一度も、ここの大学が第一志望でした。って人に会ってないけど大丈夫だろうか?
「さ、そろそろ大丈夫ですか?今話している人で最後にしてくださいねえ」
と上堂寺さん。
もう十分話したよ…
「そうなんすね、実は僕も一人暮らし始めたばっかで…実家ってすげえなあって感動する毎日っすね」
「たしかにねー、ご飯も洗濯物も掃除も全部やってくれたもんね」
チラリと周りを見渡してみる。
辺りの人はまだ話しているみたいだ。まだ解散って訳には行かないよな。やべえ、そろそろ会話が…
「好きな…食べ物とか……ある?」
もうダメだ。小学校レベルの質問しか浮かんでこねえ。
「そうそう!最近トルティーヤにハマり出したの!確かメキシコの食べ物でアレンジもできて美味しいの」
「トルティーヤ…初めて聞いたな。どんな食べ物?」
「なんかね、野菜とお肉を薄い生地で巻いたやつ?みたいな」
「生春巻みたいな?」
「そーそー!生春巻の兄弟みたいな?よかったら今度...」
「はい!それじゃあ席についてー。ある程度打ち解けたかな?」上堂寺さんはパチンと手を叩く。
恋塚さんはニコリと笑って席に戻って行った。
よかったら今度…そのあとなんて言おうとしたんだ?もしかしてトルティーヤを食べに誘ってくれようとしたのだろうか?二人でメキシコ料理なんてなんだかシュールな気がするけど。
くそっ、連絡先の交換出来なかったな。
そんなことを考えながら聞いた講義は一切頭に入っていなかったのは当然の話で…
その後話す機会をうかがったが、恋塚さんはすぐに近くの友達と親しそうに話はじめ、授業が終わるとそのまま教室を出て行ってしまった。
「何浮かれてんだ僕…」
社交辞令に決まってんだろ。顔見知りの初対面と好物を食べに行こうとする人間なんていてたまるかよ。
昼休みに、赤城から連絡があり食堂で待ってる時のことだった。
「よお、ゼミ決まった?」
「んー、微妙…いいの無さそう」
そう答えると赤城は意外そうに首を傾げた。
「ふうん?なんか俺のとこ楽しかったけど、文系の方が明るい人間集まってそーやのにな」
と呟きながら、唐揚げを頬張った。
「そういや赤城って学部どこなの?」
「ん、おれ工学部」
「まじか、工学部ってなんかかっこいいよな。頭良さそうだし」
「そーか?メガネって感じして好きやないけど」
そんな頭の悪そうな会話をしつつ、二人で唐揚げ定食を食べる。ごちそうさまと手を合わせ、俺が盆をもったところで赤城に止められた。
「おい、サラダ残ってんじゃねーか」
「んー、僕サラダ好きじゃないんだよな」
「ばか、そういう問題じゃねーよ。いいか?オマケみたいなサラダも誰かが俺らの為に何ヶ月もかけて育ててだなあ…」
「わかったよ、食うよ」
僕は盆から手を離し、サラダを睨め付ける。
何故唐揚げは美味いのに貴様は不味いんだ?と問いかけてみたが返事はなかった。箸でつまみとり口に運ぶ。ほのかに塩素の匂いがした。やっぱり俺はサラダが嫌いだなと再確認させられただけだった。
「よし、偉い」
赤城に褒められてなんだか恥ずかしくなってしまった。
「へいへい、偉い偉い」
「なー、色取ってバイト何してんの?」
「えーっと、大家さんの部屋掃除?」
「え?部屋掃除?」
「そう、僕の住んでるアパートの大家さんのな」
「あっはははは!なんだよそれ!いくら貰えんの?」
「1回5000円」
笑っていた赤城の顔が真剣な顔になった。
「まじ?めっちゃ高給じゃねえか!俺にも紹介してくれよ」
やたら乗り気の赤城を見て、自分が口を滑らせた事に少し後悔した。
僕の部屋じゃないけど、友達にあの部屋を見せたくない。なんか他人だけど恥ずかしい。
「いや、まあ毎日って訳でもないし大家さんの部屋が汚れたらだから不定期だし」
「えー、マジかー」
「まあ次頼まれたら赤城を紹介しとくよ」
「やった!まじ頼む。それにしても意外やなあ、色取ってなんか深夜のコンビニでバイトとかしてそうやのにな」
「…どんなイメージだよ」
「けどこの辺コンビニすくねえから倍率高そうやけどな」
「しかし大家さんの部屋掃除を4年ってのはどうも格好つかねえよなあ。それにそんなに頻度高くないし」
「じゃあ一緒にバイト探そうぜ。今週の日曜日空けといて」
じゃ、俺そろそろ授業始まるから。と言い残し赤城は走り去ってしまった。
「やべ、見送ってる場合じゃねえ、俺も次授業あるじゃん」