1.疑われた少女
仮想の舞台で少年少女は戦っている。
どれだけ相手チームよりお金を稼ぎ、装備を整えて、素早く相手の本拠地を破壊できるかで勝敗を決めるゲーム。MOBAと呼ばれるeスポーツ競技のために作られた特殊なマップの中で、二つの五人チームに分かれてどちらが上かを競い合っていた。
といっても試合はもう終盤に差し掛かっており、どちらがより優勢かは目に見えて明らかだった。
倒した数、倒された数、それを支援した回数が表示されたスコアボードは、圧倒的にどちらのチームが現時点で有利をとっているかを明確に知らせていたからである。
ここまで差が付けば観戦する者たちも結果が見えたことによって応援熱が冷め、あとはそのゲームの終わりを待つだけとなるのが常である。しかしその会場はかつてない盛り上がりを見せていた。
それはあまりに強く、目覚しい活躍を見せるプレイヤーがいたからだ。
『えっぐい反射神経してんな』
『人間の動きじゃなくて草』
舞台を取り囲むように設けられた仮想の観客席では、多種多様のアバターが目の前のプレイを見て口々に感想を言っている。
サーバーの許容量の問題でチケットが取れず、この場にアバターでの観戦に来られなかった者たちも、実況動画を見ながらコメントを打ち込み、それらの言葉の羅列が帯となって宙を飛び交っていた。
『鬼強ちゃん頑張れ!』
鬼強ちゃん。無数のコメントの中一際多いそれは、獅子奮迅と暴れ回っているそのプレイヤーのちょっと物騒な愛称である。
その少女は公式競技専用の体にピッタリと張り付く近未来的なスーツと、頭全体をすっぽりと覆うヘルメットをかぶっていた。ヘルメットの前面、バイザーの部分には赤い光の線で厳つい鬼の顔が描かれている。
「さっさとホームに送り返すぞ」
ゲーム内のチーム用ボイスチャットで少女の相手をしている敵チームのプレイヤーが味方に檄を飛ばす。
プレイヤーは一度倒されれば本拠地に戻され、一定時間そこで実体のないゴーストとなって待機しなければいけない。
試合が長引けばそれだけ待機時間が増える仕様なのも相まって、今この場で目の前の少女を倒せれば少なくないアドバンテージを得ることができるはずだった。
武器と武器がぶつかり合い甲高い音が響く。魔法が放たれ、矢が飛び、剣戟が少女を襲う。それでも少女はつかず離れずそこにいた。
「くっそ」
五人で対処しても未だ互角。たった一人の少女を打ち倒せずに苛立ちの声が上がる。それがこの状況の難しさを示していた。
対する少女は異常なまでに冷静だった。
彼女の仲間たちは今、試合を確実に決めるための能力強化効果を取るために動いている。それが取れるまで、仲間とは離れた前線で敵チームを釘付けにすることが彼女の役目であった。
視界の片隅に光が見えたと同時に相手チームからの魔法攻撃を示す警告がヘルメットのバイザーに表示された。それを見た少女は、別の敵プレイヤーに斬りかかろうとしていた動きを止め、体を後ろに倒しながら右足で蹴りを繰り出す。
敵プレイヤーの頭を狙った蹴りは避けられたが、少女もまた横合いから飛んできた魔法攻撃を蹴りの体勢を利用しヘルメットぎりぎりのところを擦らせながらも避けきった。
さらに別のプレイヤーからの槍の突きを自動防御機能のついた装備の効果で防ぎ、その機能のなくなった彼女を狙った剣の一振りをそれまで使わずに手に持っていた刀で受け止めた。
「抑えた!」
剣を持つ男が吠えた。
相手プレイヤーの波状攻撃を見事に受けきった少女に最大のピンチが訪れていた。
敵チームの弓使いが発動に時間がかかる威力の高いスキルの準備を終え、拮抗した鍔迫り合いをしている少女に放とうとしていたのだ。
誰もが少女が倒れる場面を想像する中、当の本人は小さく笑っていた。
とても調子が良かった。相手の動きがいつも以上によく見え、数手先までの動きが手に取るようにわかる。過去にもこんな調子のいい日はあったが今日は格別だった。
敵に囲まれ、青いスキルエフェクトをまとった矢がこちらに向けられている中、少女の足元で球体型のトラップが作動する電子音が鳴った。
それは行動不能を引き起こす爆弾。自らには効果がなく、敵チームにのみかけられる広範囲なスタンを引き起こす。
強力な反面、購入費用が高く、その発動が時限性で狙ったタイミングに使いにくい代物であるがためにあまり使われることがない。
だからこそ敵チームの警戒が薄れているこの瞬間を狙って少女は密かに落としておいたのだ。
赤い爆発エフェクトの波が一帯を包み込む。
動きの止まった敵プレイヤーの輪から抜け出し、少し離れたところから唐突な事態に少しだけ遅れて発射された矢を見据えて少女は刀を地面と水平に構えた。
視界に表示された四つのうちの一番右にあるスキルスロット、今使える中で最も強力な効果を持つそれを選択する。
途端に刀を真っ白なエフェクトが纏いその刀身が伸びた。効果は攻撃範囲の増加と威力の底上げ。一定時間内にキルを取れればその効果時間は増え続ける。
上手く当てればスキルさえも切り裂くことの出来る、一対多数戦に特化した強力無比な必殺技が振るわれた。
試合が決まる。少女自身も対峙する敵チームも、舞台を囲む観客たちも、誰もがそう思った時──。
少女の目の前に今までで一番大きな警告文が表示された。気づけば刀を構え切りかかろうとしていた少女は自陣本拠地に立っていた。
攻撃に失敗し、相手に倒されたわけでは無い。死亡待機時間の表示はなく、全くの無傷で、しかし本拠地に戻されていた。
試合会場の周りは赤い蛍光色の帯が囲んでいて、そこには試合が一時中断されたことを知らせる文が表示されている。
「なに、これ?」
呆然としながらそう呟いた少女の目の前の警告文にはこう書いてあった。
『現在、あなたのアバターにはブーストツール使用の疑いがかけられています。現在調査中ですのでご不便をおかけしますが、そのまま待機するようお願い致します』
少女は頭を振った。何かの間違いだと、そんなはずはないと頭を振る。
ブーストツール。言わば一種の不正ツールだが、そんなものを使った覚えはない。
しかし誰かが通報し、それを大会の運営がその可能性ありと判断したからこそ、こうして試合が止められているのだ。
普段あまり本気で怒ることのない少女は、珍しくも感情を爆発させそうになっていた。
それは矜恃を傷つけられた怒りである。惜しまぬ努力によって磨いてきたこの競技への今までの取り組みを否定されることは、彼女にとって譲れないことだった。
取り乱しそうになるのをなんとか抑え、運営側への連絡用アプリを立ち上げようとした彼女はしかし、そこで指が止まってしまう。
「なんでここにいるの?」
『プレイヤーの皆さんは、その場から動かないでください』
繰り返しアナウンスされる中を、バフを取るために仲間たちと共にいたはずの男が無視して歩いてきたからだ。
運営側はプレイヤーを直接拘束することを許されていない。仮想世界の発展とともに厳しく法整備が行われた影響だ。
運営の懸命な呼び掛けにも、男は歩みを止めない。彼はその場に呆然と立ち止まったままの少女に見向きもせず、本拠地にある彼女の背後の出口から現実世界へと戻っていった。
「なんで、どうして?」
疑問が口からついて出る。その耳には通り過ぎた男が呟いた言葉が耳にこびりついていた。
「もう終わりだな」
その言葉の意味も、その声に混ざった失望の感情も、彼女には何一つ理解できなかった。
この不名誉な警告文が事実を指摘しているかもしれないと。身に覚えがないはずの自分への疑念だけが強まっていた。