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「…ここは?」
小さな建物の中に入ったかと思うとするりと手が離される。
簡易的なベッドがいくつも並び、横たわる老若男女。ベッドも足りていないのか床にも寝転がっている人がいる。毛布は掛けられているが寝心地のいいものではないだろう。
「…ヴァンパイアというものは治癒が早い生き物だ。病にもかかりにくい。だから人間でいう“医者”と呼ばれるものはほとんどいない」
しかし、とエヴァンは続ける。
「ヴァンパイアが頑丈だからといって、怪我が治りにくい場合もある。病にかかることも、全くない訳ではない」
横たわった人々は、全員が苦しそうな表情をしている。それを見つめ、エヴァンは眉間にしわを寄せた。
「そんな者たちがここで少しでも静養できるようにと思ったのだが…」
エヴァンは昔、人間の街へ行って“病院”というものを知ったらしい。人間は好きではない彼も、その施設には目から鱗だったのだと言う。
「人間のようには、うまくいかないらしい」
自嘲気味に笑ったエヴァン。心なしかさっきまで力強く私の腕を握っていた手が、震えている気がした。
「治療の知識がある者はいない。怪我の手当はできるがそれも万全ではない」
悔しそうな彼の横顔になんだか泣きそうになった。
「なにもできず、消えていく命を見ることだって珍しくはない」
ぐっと握りしめた拳が痛そうだ。彼はこの場所で、何度も死に触れてきたのだろう。
「…ヴァンパイアにも、必ず死は訪れる」
この世に生を受けた者に与えられる平等な死。それはこのお伽話のような世界でも当たり前の秩序であって。逃れられるはずもない、運命なのだ。
「この国で暮らす仲間が少しでも安らかに逝けたら、と思うのは偽善だろうか」
ふいに伏せた視線。エヴァンは泣いているのだろうか。そんな雰囲気すら覚えるほど、彼の瞳は揺れていた。
「…私はただの学生で、医療知識なんてない」
そう…それでも。
「偽善がいつか、誰かの幸せになるのなら…無駄なものだなんて思えない」
「偽善がいつか、最善になるときが来るかもしれないから」
迷いのない目でエヴァンを見つめれば、驚いたように目を見開いた彼が今度はふっと肩の荷を下ろすかのように力を抜き、優しく笑った。
「…ノア様が閉じ込めておきたくなるのも頷ける」
少々物騒なことを言うエヴァンに首を傾げれば「なんでもない」と返された。
「とりあえずは掃除からだね」
そう言えば不意を突かれたような表情をする彼。
「何故?」
「なにゆえではないよ」
お世辞にも綺麗だとは言えない埃かぶったこの部屋。環境が悪いと治るものも治らない。そんなこと学生の私にだって分かるのに。
「…そうか。部屋が汚いのも身体に良くないのだな」
納得したように頷くと、近くにあった雑巾を手にする。…似合わない、なんて言ったら怒るだろうからやめておいた。
「私、洗濯するよ」
医療知識のない私には治療なんて何もできないけれど。部屋を清潔にすることぐらいはできる。汚れていそうな布という布を引っ張り出して手近なカゴヘ放り込んでいく。この施設で手伝いをしていたのだろう、健康そうな女性が何名か驚いたように私たちの行動を見ていた。
「あの、私もお手伝いします…」
そう言ってくれた人はここの患者さんの家族だそうで。その好意を素直に受け入れて、二人で大量の布団やら洋服やらを持って川へと向かった。