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心地よい温もりと柔らかな感触に、頬が緩みながら意識が浮上していく。髪を梳く指先が優しくて身を任せていると、聞き慣れない男の声がして一気に瞼を上げた。

「…おはよう、サラ」

緩んだ頬は引きつり固まっている。何度瞬きをしても彼の姿は消えなくて、頭をフル回転させると昨日の出来事が夢ではなかったのだと実感した。

「…皇子…」

最後の悪足掻きで目の前の男の前髪に触れてみるけれど、それはしっかりと実体を持っていて。私が触れたことが嬉しいとばかりに目を細めて微笑んだ。

「…目覚めのキスでもしようか」

皇子の腕の中が心地よすぎて、そんな提案にもすぐに反応できなかった。

「…可愛いな、本当に」

ぼーっとしたまま皇子を見つめると、髪を撫でながらそっと顔が近付いてくる。

「…え」

落とされた口付けは額に。そこからじわじわと熱を持っていくようだった。

完全に覚醒した私の意識。慌てて起き上がり、おでこに手をあてる。

「なにすんのよっ!」

怒鳴りつけたのに、彼はそれすらも嬉しそうだ。

「すまない。お前は飾らなくていいな」

同じように起き上がった皇子が私と向き合って座る。ちっとも悪びれていないのは気にしないことにする。


「好きだよ、そういう娘は」

優しくそう告げた男は信用してはいけない。まともな男がこんなセリフを自然に吐けるものか。

だけどこの男の笑顔は嘘くさくは見えなくて。そのせいなのだ、こんなにも戸惑ってしまうのは。

「…それは、どうも!」

ふんっとそっぽを向いた私にくすくすと笑う。何をしても、この男を喜ばせる結果にしかならない気がして、私は無駄な抵抗をやめた。


「…さあ、行くぞ」

「どこへ?」

「我が帝国を紹介しよう。この国を、お前にも好きになってもらいたいからな」

ベッドから下り、立ち上がった皇子が私に手を差し伸べる。エスコートされるがまま、シャワーを済ませて着替える。…もちろん、手伝ってもらったのは皇子ではなく、エリンという名の侍女。私よりも少しだけ年下に見えた。



「サラ様、とてもお似合いでございます!」

この人もヴァンパイアなのか…と思えば人懐っこそうな笑顔も疑心の目で見てしまう。

「…どうも」

そう答えてみるけれど、顔は引きつっていたんじゃないだろうか。

「さあ、ノア様にお見せしましょう!」

エリンに背中を押されて試着室から出されると、廊下には皇子が立っていて、窓から外の景色を眺めている。その横顔はもちろん美しい。

「…皇子」

私の声に微笑みを浮かべて振り返った。

「ああ、思った通りだ」

私のそばへ来て、頭の先からつま先まで眺めると満足そうに頷く。

「予想以上に似合っているよ。可愛いな」

恥ずかしげもなくそう褒められるから、これは照れる方がおかしいんじゃないかと思ってしまう。

「…ありがとう」

素直にそう言えるのも、彼の言葉がいつだって素直だから。

「さあ、行こう」

差し出された手を何の抵抗もなく掴めるのも、いつだって私に触れる手が優しいから。

そんな私の気持ちなんてお見通しなのか、ふっと笑って私を連れ出してくれた。





「わー…すごい…」

宮殿から少し離れた繁華街にやってきた私たち。皇子はマントのフードを被って顔を隠している。仮にもこの国の皇子、住民に顔はバレているし、見つかったら騒動になるのだそう。

「ね、これは何?おう…」

“皇子”と呼ぼうとした私の口を手で塞いで、人差し指を自分の口元にあてる。

「私が正体を隠している意味がなくなってしまうだろう?」

そう注意されてハッとした。口を塞がれたまま頷くと

「いい子だ」

と手を離してくれる。

「…なんて、呼べばいいの」

チラリと皇子を見上げれば、どこか嬉しそうに、何かを思いついたような悪戯な笑みで見つめ返された。

「…ノア」

低く落ち着いたその声にドキンと胸が騒いだけれど、平常心をなんとか保った。

「…の、ノア…様」

どうしても、皇子を呼び捨てにすることは憚られて敬称をつけてみるけれど、彼は不満げに口を尖らせた。

「…ダメ…?」

ちょっと可愛子ぶってみれば少々効果はあったのか、悩む素振りを見せたけれど、納得はしてくれない皇子。

「…可愛い顔をしても、ダメだ」

観念して「ノア」と小さく呼べば、子どものように無邪気に笑う。

「サラ、ああ…本当に。可愛すぎてどうしようか」

興奮した皇子が私の脇に手を差し入れて、持ち上げられる。宙に浮いた身体に驚き、小さい子がされる“たかいたかい”のような態勢に周りの好奇の目も感じられて慌てふためいた。

「やめてっ!ノアっ!」

すぐに下ろしてはくれたけれど、周りの人たちはクスクスと笑っているのがわかる。若いカップルがイチャついているようにしか見えないのだろう。

フードの隙間から見える綺麗な笑顔にまたドキリとしたけれど、このままでは彼の正体がバレてしまう可能性もあるのだからと腕を引っ張って人気のないところまでやってきた。

「人前であんな…っ」

文句を言ってやろうとするけれど、皇子はどこ吹く風。彼の腕を掴んでいた私の手を離すと、指と指を絡めて繋ぎ直した。

「…まずいな、お前を手離したくなくなる」

どこまでが本気で、どこまでが冗談なのだろう。全く分からないこの人の心を、知りたいと思った。

「ノア」

「…ん?」

見上げた綺麗な瞳には、私の不安げな顔が映っている。それを察したのか

「…心配するな、お前の帰る道は私が作ってみせよう」

どこからそんな根拠が出てくるのかは分からない。けれど貴方が言うのなら、不安なんて吹き飛んでいくの。

「お前のことは、私が守り通す。笑ってお前が帰れるように、この世界にいるうちは何も心配せず、ただ楽しんでいればいい」

ふわりと笑ったノアに、思わずコクンと頷いていた。

「…あれェ~こんなところで逢引きか?」

なんだか薄気味悪いというか、嫌悪感を抱く喋り方で近づいてくる男たち。三人の薄汚れたおじさんは、さっと顔を隠した皇子を見て鼻で笑う。

「随分小奇麗な兄ちゃんだな。姉ちゃんもえらく着飾って」

私の頬へ手を伸ばした男に顔を顰めて避けようとする。すると男の動きがピタリと止まった。

「…おいおい、おめえ…。人間か?」

そう言われて、咄嗟に答えられなかった。きっと否定すべきだったのに。

「おもしれぇ…。俺、人間の女に興味あったんだよな」

ニヤリと笑う男に鳥肌が立つ。そして動きを再開した指先が、あと数センチで肌に触れる――…。

「…悪いが、これは私のものだ」

ひやりと冷たい声が男が触れるのを阻止した。

「兄ちゃん、あんたこの人間は王宮から許可されてんのかい?」

そう問われて皇子は黙り込む。下手なことを言えば皇子の正体がバレてしまう。

「…この男は関係ないわ」

「おい、サラ」

はやく、大騒ぎになる前に皇子をここから逃がさなくては。王宮のことなんて私にはわからないけれど、きっと皇子が人間を連れて出歩いているのはマズい。そう私の勘が言っていた。

「ダメだよ、ノア」

そっと彼に囁く。

「私なら平気だから」

安心させるように「私、走るの速いんだから」と言えば、皇子は私の腕を掴んで自分の背に隠した。

「馬鹿を言うな」

少しだけ、怒っているのが背中から伝わってくる。鋭く放った言葉に男たちが表情を変えた。

「…おい、お前みたいな坊ちゃんが俺たちに勝てるとでも思ってんのか」

“坊ちゃん”ねえ…。思わず噴き出しそうになるのを堪えて、皇子の背中からちらりと様子を窺った。

「…もう一度言うぞ」

低い、その声色は皇子と出会ってから初めて聞いたもの。いつだって優しい声で私に語りかけてくれていたのだから。

「この娘は、私のものだ。手を出すのであれば命はないと思え」

きっぱりと言い切ったと同時に、深く被っていたマントのフードを取り払う。

「私はノア…。この国の皇子だ」

皇子の顔を見れば、みるみるうちに男たちの顔が青ざめていく。それはもう、面白いほどに。

「私の愛する姫君を、薄汚い手で触らせはしない」

そう言って私の肩を抱き寄せた皇子。

「…ノア様…っ、ですが“それ”は…」

彼らの言う“それ”は、私が人間であることを言いたいのだろう。何も言い返すことのできない私はぐっと押し黙る。けれど皇子は顔色一つ変えずに、ただ私の髪を撫でた。

「ああ…、人間だからどうした?今までも、人間の女性を寵姫として迎え入れた皇帝は何人もいる。正室にするわけではないのだから、問題はないだろう」

そう堂々と言い放った皇子になんだか胸がもやっとしたけれど、彼が私を守ろうとしてくれていることだけは分かっている。

「し、失礼しました…っ」

皇子の言葉に深々と頭を下げて私たちの視界から消えていった男たち。

「…もう、平気だな」

ふっと一つ息を吐いてふわりと微笑んだ皇子は、先ほどの圧迫感なんてもう微塵も感じさせなかった。



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