第一話 脱退通告
気が付けば、拠点にしている『陽気な梟亭』の前まで戻ってきていた。
どうやらショックを受けすぎて、ここまで戻った記憶がないみたいだ。
もう辺りは真っ暗で、かろうじてポツポツと点在する魔石を嵌め込んだ魔導具が光を発して辺りを照らしている。
夜という事は、戻ってきたもののあの後しばらくあそこで立ち尽くしていたんだろう。
朝早くから依頼をこなしていたからか、先程リアナに完膚なきまでにフラれたからか、疲労感と脱力感で体が重い。
早くベッドに潜って何も考えずに寝てしまいたい。重い体を引きずって宿に入ろうとして、ふと思い立って立ち止まる。
ここを拠点にしているのは、俺が所属しているパーティ『暁の旅団』だ。
そして勿論、同じパーティメンバーであるリアナもまた、ここを拠点にしている。
つまり、ここには告白して玉砕どころか木っ端微塵に砕け散った相手がいるのだ。
気まずいなんてもんじゃない。顔も合わせられない。
リアナは何も悪くない。
分かりきっていたのに早漏のように想いを告げ、分かりきっていたのに実際に断られると女々しく縋るように軽々しい言動をした俺が、全部悪い。
だからこそ、彼女の為にも彼女の視界に俺を入れたくないと思った。
いや、これも彼女の為なんかじゃないな。こんな情けない俺を、見られたくないだけだ。
それは他のパーティメンバーにも言える事で、俺は宿の前に立ち尽くして逡巡していた。
今日は宿に帰らず、酒場にでも行って時間を潰すか。
でも、明日もまた依頼をこなす予定のはずだ。体を休めないと、ただでさえ足を引っ張っているのに更に皆に迷惑をかけてしまう。
さっさと部屋に戻れば、皆と顔を合わせる事もないだろう。食事は給仕に頼んで部屋でとればいい。
そう思い直して、宿の扉に手をかけて開こうとする前に、向こうから開いた。
「あぁ! やっと帰ってきたわねこのグズ! どこほっつきまわっていたのよ!」
宿から出てきたのは、パーティメンバーのララだった。
桃色の二つに結い上げた髪と魔術師が着る黒いローブの裾が、怒る少女に合わせてふりふりと揺れる。
幼げな可愛らしい容姿とは裏腹に、その口からは少女が出したとは思えない言葉が出てくる。
実はそれが一部の冒険者の間ではご褒美に感じるらしいのだが、俺にそんな趣味はない。
「別に……俺がどうしてたってお前には関係ないだろ」
いつも通りのきつい言葉に、いつもなら軽くいなしていたが今は煩わしいとしか思えなかった。
ぞんざいに返事を返す俺を訝し気に見つめる瞳と視線が合う。
「あんた……なんかあったの? いつもならへらへら笑って流すのにどうしちゃったわけ?」
「だから何もないって。疲れてるからどいてくれ」
小さい体を目一杯背伸びして見つめてくる少女から顔を背け、ぶっきらぼうに言う。
いつもの俺らしくないのは分かっているが、早く一人になりたかった。
「はあ……何があったか知らないけど、それ明日までに戻しておきなさい。いつも以上に酷い顔してるわよ」
「あぁ、言われなくても分かってるよ」
さらりと吐く毒は無視して、ララから背を向けて自分の部屋に向かう。
これ以上こいつと居ると、感情が爆発してしまうかもしれない。
「あ、そうだ。セルウィンがあんたに話があるって言ってたわよ! あたしがあんたの帰りを待ってたのもそれを伝える為なんだからね! ちゃんと伝えたから忘れんじゃないわよ」
そんな俺の背中に、伝えるべきことを伝えたララは自分の部屋に引っ込んでいった。
セルウィンが話を? 何の話だろうか。
まさか俺とリアナの件がもうセルウィンに伝わったとか?
それは流石にないか。いや、セルウィンとリアナが親密な関係ならありえるかもしれない。
セルウィンとリアナが仲睦まじい様子を想像して、首を振って打ち消した。
もしそうなら、そもそもリアナはセルウィンとの関係を理由にフッていたはずだ。
なんにしても、かなり待たせているだろう。
俺も早く休みたいし、さっさと話しを聞きに行こう。
気まずさを感じながらも、セルウィンの部屋へと向かった。
セルウィンの部屋の前に着いて、コンコンと扉を叩く。
「セルウィン、ユーグだ。話があると聞いたから来た」
「あぁ、入ってくれ」
その返事を聞いて、俺は扉を開けて部屋に入った。
部屋の中を見渡すとベッドの近くにある椅子に青みがかった銀髪の男が座っている。
彼が『暁の旅団』を率いるリーダーのセルウィンだ。
端正で精悍な顔立ちをしていて、冒険者の実力も金級。俺達が拠点にしている都市、サリアナで活動する冒険者の中でも特に期待されている若手のホープだ。
言うまでもないが、これだけ要素を備えていれば女性にモテる。
これで内面が酷ければそうでもなかったのかもしれないが、あいにくとセルウィンは温厚で爽やか、そして紳士的であるためその勢いは増す一方である。
「……随分と酷い顔をしているな。仕事の疲れが出たのか。大丈夫か?」
そりゃリアナもこいつに好感を持つだろう。
チリっと嫉妬の炎を燻ぶらせつつも、今までリーダーとしてパーティを引っ張ってきたのを俺は間近で見てきているから、理解はしている。納得は、していないが。
こんな完璧で隙がない男が、もしリアナの事を想っていたらどうすればいいのだろうか。
脳裏に過ぎった嫌な可能性を消し去って、近くにあったもう一脚の椅子を引き寄せて座りながら、セルウィンに向けて呼び出された用件を聞く。
「いや、明日までには戻しておくから大丈夫だ。それより、話ってのはなんだ?」
「あぁ、そうだったな……そう、それで呼び出したんだったな」
そう言ってセルウィンは、暫く黙りこくったまま、目を閉じて下を向いた。
部屋に束の間の静寂が訪れる。その静寂が決して落ち着くものではない事を、セルウィンの様子から感じ取った。
「何だよ、気になるじゃないか。早く言ってくれよ。明日も早いんだからさ」
黙ったまま言いづらそうな雰囲気のセルウィンに、俺は嫌な予感がしながらも続きを催促する。
その言葉にセルウィンは目を開いて、決意を秘めた瞳で俺を射抜く。
「その事なんだが――ユーグ。君はもう明日から来なくていい」
「……は?」
セルウィンの言った事が理解出来ないといった体の反応をする。
だけど、心の中ではああ、やっぱりか。と予想が当たってて可笑しいなどと俯瞰的な感想を抱いていた。
「少し前から考えていた事なんだ。うちのパーティ『暁の旅団』は僕とリアナが金級、ジェラルド、ララ、ノエルが銀級、そしてユーグ――君は鋼級だ」
「そう、だな」
冒険者には等級がある。
それは冒険者ギルドが査定して冒険者の実力を段階で分けたもので、実力を保証してくれる称号だ。
等級に見合った適正な依頼をギルドが斡旋する事で、冒険者の死亡率と依頼達成率を底上げする意図があるらしい。
上から白金級、白銀級、金級、銀級、銅級、鋼級、鉄級と分けられていて、俺は下から数えた方が早い。
「パーティの平均的な等級に合わせた依頼を受けている、というのが僕らの現状だ。それ自体には特に問題はない。問題があるのは――君の方だよ」
「……どういう事だよ」
「それは君が一番痛感していると思うが……二等級以上上の魔物を相手に君は何もできないでいるだろう。そして何もできないから、ろくに経験も積めずにパーティの雑用を率先してやってくれている」
「ッ――」
何も、言えなかった。まさしくその通りだったからだ。
段々とついていけなくなって、皆の背中を追いかけようとしつつもどこか諦めの気持ちがあった。
それでもパーティに貢献して必要性を示そうとした結果が、率先して雑用をする事だった。
「君がパーティの為を思っての事なのは承知している。でもね、雑用なんてのは皆で分担してやればそれ程困らないんだ。いいか、ユーグ。今の現状は君の成長を妨げている。僕達も君に合わせて適正等級を下げる事はできない。それは他の冒険者の仕事を奪う事にもなるし、何より僕達じゃないとこなせない依頼があるからだ。これは君の為でもあるし、僕達の為でもあるんだ……これ以上パーティを組み続けるのはお互いの為にならないと、僕が判断した」
セルウィンの言っている事は何一つ間違っちゃいない。
セルウィンは俺の現状を憂いた上で、パーティの現状を正しく認識し、どうする事が一番全員の益になるかを考慮して、当事者である俺に誠実に向き合ってくれている。
でも、なんで今なんだよ。
今じゃなくても良かっただろ。
フラれた直後に、仲間からも見放されるのか。
俺はただ、仲間と、リアナと一緒に居たかっただけなのに。
そう思うと、悲しみよりも沸々と怒りが込み上げてきた。
そうさ、お前が全て正しい。確かに正しい。
俺の感情なんて、気持ちなんてお構いなしに残酷なまでに正しいよ。
「分かったよ。今まで世話になったな。俺も漸く解放されるかと思うと清々するっ!」
「すまない、ユーグ……」
俺の激情に駆られた視線から、エルウィンは気まずげに目を逸らした。
それを一瞥して背を向ける。
「……明日、皆にも説明するからそのつもりでいてくれ」
「ああ、勝手に説明しておいてくれ。俺は今夜の内にここを出て行く」
背中にかかる言葉に、振り向きもせずにそう返した。
その返答に困惑したように息を止めたような気がした。
「それで、いいのか? 君はリアナを――」
「黙れ。それ以上言ったら許さねえ」
怒りとやるせなさにどうにかなりそうになりながら、セルウィンの言葉を遮った。
そうしないと、更に惨めな思いを味わうと思ったから。
「……分かった。君の成功を祈ってるよ」
それには返答せずに、部屋を出る。
扉を閉める瞬間、「腐るなよ、ユーグ」とセルウィンの声がした気がした。
自分が借りていた部屋に戻り、荷物を纏める。
とはいっても、大した荷物はない。
冒険者たる者、常に身軽でいなければ行動に制限がかかるからだ。
量産型の魔導剣を腰に佩き、背負い袋を持って部屋を出る。
入り口にあるカウンターにあった紙に店主に向けて出て行く旨の書き置きを残し、感情のままに宿の外に出た所で、後ろを振り返る。
思えば、長くここを拠点にしていた。
三年だ。冒険者を始めて間もなくこのパーティに入って今までやってきたが、あの頃はこんな惨めな最後になるとは思っていなかった。
感傷的な目で宿を見ていたが、やがて目を逸らして、俺はそこから逃げるように背を向けて歩き出した。