表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

10月

 文章に愛される人と愛されない人の違いはどこにあるのだろうか。

 自分はセンスのある人間だと思う人と、センスがないと思っている人の違いは何か。

 志の高い人間と低い人間というのはどこに差があるのか。


「どれもこれも『俺様最高タイム』がない限り文章を書き続けるパワーが生まれませんが?」

 人生の先輩でもあり、文壇の先輩でもある人間に対してそう聞いてみた。

 幸田直哉は紅茶を口に運びながら

「僕は特に『俺様最高タイム』がなくてもなんとかなるよ」

 と言った。

「そら大先生は俺様最高タイムがなくたって完璧な文章書くじゃあないですか! 誰もがぐぅの音も出ないような文章書いちゃうじゃあないですか」

「いやまあ、プロってそういうもんじゃあないの? 自分が最高と思わなくても、人が最高だと感じる文章書いちゃうのがプロだと思っている」

「そんなプロがいったいどれだけいるっていうんだい? 幸ちゃんが最高だと思うプロは何人いるの?」

「十人いるかいないか……かな。だいたいさ、どこかいいところは見つかるけれども、悪いところもあるからね。君の文章なんて最高なときは95点あげたくなるのに、最低なときは5点だな……と思うし」

「だあああ!」

 駄目出しされて万里はカフェのテーブルに突っ伏した。

 常に完璧な文章を書くのがプロ。そりゃあそうだとわかっていても、その条件を満たせる小説家はそういない。

「幸ちゃんに不完全な時代はなかったの?」

「ありますよ」

「いつの時代?」

「同人誌書いていた頃」

「どうじん……? 明治の文豪のような同人?」

「そんな大層なもんだと思った? 高校生の頃書いていた文章は自分の好きな文章だった。色々可能性広げたかったし、刺激がたくさんあったから」

「今は?」

「今も毎日が刺激的だよ」

 スコーンにジャムとクロテッドクリームをたっぷりとつけながら、幸田は頬笑んだ。

「色々なことに疑問を持っている後輩が目の前にいると特にね」

「私も全部の答えを持っている辞書みたいな先輩が目の前にいるととても助かるよ」

「どうして文章に愛されている人と愛されない人とか考えたの?」

「どう逆立ちしたって幸田大先生のような文章が書けないことに絶望したから!」

「僕は君と酒を飲むときに最初に僕が潰れることに絶望している」

「微々たる絶望!」

 大声でそう怒鳴る万里に「しっ」と人差し指を立てる素振りを見せてから、幸田は言った。

「僕の高校生時代の文章、ほとんど始末しちゃったけれども、いくつか嫌いじゃあないのは残っている。君のメールに送信しておくよ」

「……本当?」

 訝しむように首を傾げると、幸田は「本当だよ」と呟いた。

「嫌いじゃあないけれど、あまりにも恥ずかしい文章だから笑わないでね?」

「私の高校時代の文章なんて読んだら幸田大先生は大爆笑だぞ?」

「いや君の文章は今でも大爆笑だよ。真面目に文章と向き合っている? 君くらい文章書く行為にこなれてくると、真面目に書かなくても誰かが賞賛してくれるからOKとかなっちゃうんじゃあない? 編集者はたしかに認めてくれるだろうね、君はいちおうプロだし。だけど君は、いつでも新鮮な気持ちで書いている? 文章に恋したときの気持ち忘れていないかな? 素人の文章を馬鹿にすることはない? プロの文章はどれも素晴らしいものだと思っている? 君はプロだけど、本当にプロフェッショナルなのか、僕の高校時代の甘酸っぱい文章でも読んで考えることだね」

「えらく毒舌じゃあないか。そんなに最近の私の文章って酷いのかい?」

「ひどい」

 きっぱりと幸田は言い切って、紅茶をずずっと啜ると「不透明だ」と呟いた。

「携帯やパソコンができる前、文章を書くという行為はもっと崇高だったはずだ。誰にも見せずに自分の中を整頓するものか、或いはしっかり整頓して誰かに見せるだけのものか、どっちかしかなかった。今は中途半端! ブログやらWEBやらがはびこることによって人に見せるものと見せないものの境があやふやだ。処理するのは簡単かもしれないけれども、文章を軽々しく扱いすぎなんだよ。アナログに戻りたいとは言わないけれども、たまに『しね』と思うね。文章はとても透明なものだと思っている、濁ってちゃいけないんだ。純粋なエロスが文章を作るんだよ」

 熱弁を振るう幸田に呆気にとられながら、自分の文章のありかたについて考える。

 たしかに文章は昔よりも手軽に手に入るようになった。それ自体は悪いことだとは思っていない。創作者と読者の距離が近くなったというのも悪いことではない。

ただどこかに……その文章は自慰的ではないかと、疑問を持つだけ。

 その行為が悪いわけではなく、それを堂々と公開するための場所がそこかしこにあるという、それが問題だと言いたいのだろう。

 秘かにしたためる文章、人に見せる文章、それを考えるべきなのだろうな。そんなことを考えながらアトリエに戻った。


 アトリエの自室にあるパソコンを開くと、既に添附ファイルは届いていた。

 その中にあった"幸田直哉の脳内恋人"というファイル名に飲んでいた紅茶を吹くかと思った。

「のうないこいびと……」

 自分の本名をそのまま小説に使っちゃう神経といい、脳内恋人という人には見せられない単語といい、これは絶対に非公開の文章だろうということは推測がついた。

 ならばどうしてそれを人に、万里に見せようと思ったのだろうか。

 ぽち、とボタンを押すと、テキストファイルが開く。高校時代の、幸田の世界が広がっていた。


―幸田直哉の脳内恋人―

 中学時代、僕はそんなに文章が上手だったわけではない。作文が入賞したことなんて一度もなかったし、誰かに賞められたこともない。

 人の賞賛を浴びるような、模範的な文章の書き方は知っていたけれども、だけど僕は人に賞められるために文章を書くことを善しとしていなかった。

 だってそうだろう? 僕にとって、文章というのは表現しがたい存在なのだ。

 僕の代弁者であり、友達であり、恋人でもある。

 君のことを誰も賞めてくれなくたって、僕は君のことが好きだから、僕の心を大切にする以上に、君のことを大切にしたいと思っている。

 高校に入って、僕は文芸部に入部した。部員は全員女子で、彼女たちの書く文章は自分の好きな世界。

 彼女たちの文章を嫌いなわけではないし、むしろ素敵な文章がたくさんあったけれども、だけど僕の中にはひとつの疑問があった。

あなたたちが好きなのは、文章? それとも、文章を書いている自分?

 僕が愛しているのは、君なのか、それとも君を作り出している自分なのか……。

 高校二年生のときに、僕は君を賞めてくれる先生に出会った。

「君は素敵な恋人を持っているね」

 と言ってくれて、僕は思わず作家になりたいんだと、嘘をついてしまった。

 作家になんてなりたくなかった。自分の好きな文章を書けるわけではない世界になんて入りたいと思っていなかった。君のことを勝手に批評するような世界に入りたいなんて思わなかった。

 僕には当時、君以外にも恋人がいた。

 彼女は人間で、同じ文芸部の子だったけれども、彼女は作家を目指していて、僕は目指していなかった。

「直哉は作家を目指せばいいのに。売れるわよ?」

 彼女の口癖はこうだった。

「私が作家になったら、あなたを推薦してあげる」

 どうでもいい話だった。

 野心家というのは、僕にとっては魅力的な存在だった。自分の実力を、過大なりにも信じられるというのは、ひとつの才能だと思っていたから。

 僕にとって、君は最高のパートナーだけれども、君のことを世界が評価してくれるなんて、僕は思っていなかったんだ。当時の僕は君のことを慰撫することはできても、素敵にドレスアップさせてあげることができなかった。

 僕の恋人はいつでも自分の文章にOKを出していた。僕は彼女の文章ではなく、彼女のその姿勢にOKを出していた。

 自分を認めるところからしか、先に進めないと思っていた。

 だけど彼女は、自分を認めるところから、他人に認めさせるところまで進まなかった。いつまでも"自分の好きな文章"の世界から抜け出せなかった。

 たまに考えていたんだ。あなたが好きなのは、自分の文章というよりも、自分なんじゃあないかって。

 僕は自分の文章をどれだけ愛しているか、口に出すのも奥ゆかしいくらい、愛している。

 きっと人間よりも、愛している。

 だけど人間も、愛している。

 自分の書くものが崇高だとは思っていない。だけど、君は崇高なものだと思っている。

文章というのは、すごく崇高なものだ。君を愛しているなんて、容易に口にしちゃいけないんだ。

「私は作家になれないかも」

 二年生の終わりに、彼女がそう言った。

「でも、ずっと小説は書くつもり」

 僕はそのとき、愚かにも、彼女にこう言ってしまった。

「君の文章はたしかに上手い。だけど、文章を愛してあげている?」

 彼女はふっと笑った。

「文章を愛するってどういう意味? 直哉は私よりも自分の文章のほうが好きなんでしょう? たしかにあなたの脳内恋人は最高の美人よね! 器量もいいし、知性もある。人間なんて敵わないわよ。あんたは作家になるべきなのよ、それをあんただけでがじめておくことなんて勿体無いんだから!」

 彼女はそのままぼろぼろと泣き出しながら、こう何度も言った。

 悔しい、悔しい。女として勝つこともできなければ、才能で勝つこともできない。あんたの恋人が憎い。だけど私もあんたの恋人が素敵なことを知っている。だから私たちは終わりよ、終わりなのよ。あんたの恋人に会えてよかった、私なんていなくたって、文壇はあなたのことを求めていると高校時代に知ることができたんだから!

 僕は自分の脳内恋人が本当に素晴らしいものだとそのとき知ったけれども、だけど嬉しくはなかった。僕は人間の恋人を失ったのだから。

 君を失うことよりも怖いことがあることを知った。僕は彼女のことが本当に好きだったんだ。

 だけど十七歳の僕には、君を愛するように人間を愛することができなかった。

 君は何も言わなかったけれども、僕の愛を感じ取るように出来ていた。人間の恋人は、どれだけ愛を囁いても、愛を信じてくれなかった。

 その頃から僕は何故君と僕が違う次元の生き物なのかを考えるようになった。文章は二次元、僕は三次元。君が僕に恋をするのもおかしいし、僕が君に恋をするのも間違っている。

 もっと現実的な世界を向いて、人間のことを好きになるべきなんだと考えた。

 文芸部を辞めて、アルバイトをするようになった。正直もう高校三年だったので、親は反対したけれども、だけど僕は文章以外の世界を知るべきなんだと考えていたから、だから反対は押し切った。

 僕は新聞配達の仕事をしばらくして、大学に行くだけの金が溜まった。担任の先生は「文学に進みなさい」と言ったけれども、それには従わずにCGを勉強する専門学校に行くことにした。

 受験勉強がほとんどいらない進路になったために、僕はアルバイト以外の時間潰しを探す必要がでてきた。そのときになって、僕は久しぶりに、君を読もうと思った。

 金をかけるつもりがなかったから、図書館でてきとうに一冊借りてきてそれを読んだ。 僕の頭の中は、君を書くことしか考えていなかった。

 君を書かなかった半年の間、僕は勉強と仕事しかしていなかったけれども、だけど君を忘れることはできなかった。

 カレンダーを見て、今が十月であること、そして受験まであと二ヶ月あることを確認した。

 時間はある――

 僕は久しぶりに、大学ノートを取り出して、そこにプロットを書いた。

 親が新しいパソコンを買うときに譲ってくれた古いパソコンの電源を入れて、テキストエディタを開く。

 すぐには書き始めず、しばらく僕が、今までどれだけ君に愛を語ってきたのかを見ていた。

 恥ずかしい文章から、これはなかなかいいかもしれないというものまで、色々。

 すべてを見終わったときに、僕はキーボードにこう打ち込んだ。

――仲直りをしよう。

 僕は君を愛している。君が僕を愛してくれなくても、ずっと愛している。



「恥ずかしい文章」

 万里は思った言葉をそのまま口に出してしまった。

 ここまで文章への愛を擬人化させて語れる気持ち悪い男が今の自分の恋人だったということにいささかショックを受けながらも、考えさせられるところはあった。

 自分は、彼が文章を想うくらい、文章を愛したことがあったのだろうかということ。

 そして自分は幸田直哉の文章に勝てる恋人なのだろうかということ。

「どっちも無理だな」

 あいつの文章に対する愛には勝てない、そう判断した。

 奴の脳内恋人は本当に完璧なのだ。幸田の愛を真っ直ぐに受けて、どこまでも美しく輝いている。

「私は、自分の脳内恋人を愛しているかな……」

 そんなことを考えた。実は言葉の暴力で自分の文章が虐げられていないかを考えた。自分の文章なんて…と卑下してけなしていないかも考えた。

 幸田の文中にもあったが、自分の文章が崇高なものだとは思っていない。だけど、自分にとって文章は崇高なものだ。それも事実。 万里はパソコンに向き合って、幸田直哉の脳内恋人に向かって言ってやった。

「あんたには本当にいつも負けると思っていたよ。どこまでも美人で知性があって性格も可愛いみたいな最高の文章でさ! 私のきもちわるいホラーじみた文章とは月とすっぽんだよ。だけど私の文章を、私が愛してあげなかったら誰が愛してくれてたって意味はないんだ。今に見ていやがれ、すっぽんの甲羅だって磨けば鏡くらいにはなるんだぜ? あんたに負けたりするもんか、対抗するなんて自分の顔見ろよと言われても、私は女としても、才能の面でも、幸田直哉の脳内恋人に並ぶ存在になってやるんだからな!」

 ふん、と鼻息荒く語ったあとには、そのファイルを閉じてから自分のファイルを開いた。

「お前はあいつを倒すための共犯者だ」

 あなたの中の脳内恋人。

 私の中の共犯者。

 愛しているなんて、そんなあまったるい言葉は言えないけれども、だけどお前は私にとっての最高のパートナーだと、呟いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ