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9月

 恥の多い生涯を送ってきました。

太宰治の人間失格を読んだとき、万里はこの本を読むために生まれてきたと感じる人はたくさんいるのだろう、と思った。

 太宰の本といえば「人間失格」と「走れメロス」ぐらいしか知らない人が多いだろう。かくいう万里自身も「駆け込み訴え」と「津軽」を読んだことがある、くらいだ。

 お金持ちの家に生まれて、父親は出張から帰るたびにお土産を買ってきてくれて、人気の漫画家で、心中に付き合ってくれるような相手もいる。なのに自分のことを生きる価値のない人間だと思っている主人公。

 何が不満で、そんなふうに思うのか、理解できないとまでは言わないが、理解しがたい。

 ところが人間失格を読んでいると、そんな彼に最後まで付き合っている自分が存在しているのだ、とても不思議な作品である。

 いつかこのような人の心に影響を残すような作品を作るのは、万里の野望のひとつだ。


 その日吹螺出版社に午後に顔を出した。

 幸田はその日姿を見せず、長井さんに原稿を渡したあと編集室の中を見渡した。

 見覚えのある編集者さんが何人か、そしてぼんやり立っている男の子がいた。

「どうかしたの?」

「あ……いえ、原稿を」

「持込み? 天野さーん、あれ、天野さんいないや。まあいいや、座って待ってよう」

「いえ、僕はここで立って待って……」

「いいんだよ。座っちゃえよ、私が許すよ」

「はあ……」

 持ち込みの少年は、曖昧な返事をしてからソファに腰掛けた。

 万里は水筒から鉄観音を注ぐと少年の前に出した。

「まあ、飲みなよ」

「ありがとうございます……」

「やっぱ作家になるのが夢?」

「作家になるのが夢というか……」

 煮え切らない少年である。

 何か伝えたいのだろうけれども、口の中でもごもごと喋っていて、全然伝わらない。

「あれ、真澄ますみじゃん。榎島と何やってんの?」

 聞きなれた声がして振り返ると、官能小説家の御手洗司みたらいつかさがいた。かなりがっしりとした男らしい顔立ちで、意外と女にもモテそうな顔をしているのだが、風俗に行き慣れているというのはマイナスポイントである。もっとも、職業的なものはもちろんあるわけだろうけれども。

「御手洗さん、この子知ってるの?」

「知ってるも何も……榎島こそそいつが誰なのか知らないで、話しているのか?」

「?」

 首をかしげて、真澄を振り返る。

 本人はしどろもどろになりながら、やっとのことで「あの……」と言った。

「僕……実はもう、作家なんです。江成ますみって名前でデビューしています」

「江成……ますみ……」

「直哉より売れたことのある、うちのエースだよ」

「ええ!?」

 万里は思わずのけぞって、まじまじと真澄を見た。江成ますみ……思春期の女の子のような文章を書くので有名な作家。

 雲の上の人(もっとも、幸田もつい最近まで雲の上の人だったが)だと思っていた作家が目の前にいた。しかも……

「高校生?」

「はい、今年一年生です」

「デビュー当時は中学生だよ。びっくりするだろ?」

 御手洗に説明されて、目が白黒する。

 中学生でデビューする、そんなことがあったりするのだろうか。

「それはそれは、大先生だと知らずに失礼しました」

「い、いえ。お茶美味しかったです」

「水筒にいれたお茶なんぞ出してしまって申し訳ありません」

「そこまでかしこまらなくたっていいだろ、榎島」

 御手洗が呆れたように呟いた。

「ちょうどいいや、真澄の原稿が没にならなかったら、全員で飲みに行かないか?」

「おお、お酒? いいねえ。最近飲んでなかった」

 万里がすぐに賛成した。

「真澄くんも行くでしょう?」

「あ、あの……僕は未成年なので」

「今時未成年で酒飲んでない奴ってどれくらいいるわけ? 仕方無いな。オレンジジュースで許してやる」

「珍しいね、御手洗さんが酒を強要しないなんて」

「真澄の学校、けっこううるさいらしいから」

 学校。何もかもが懐かしいと感じるほど遠い昔の記憶だ。

 しばらくして真澄の原稿を受け取った狩野さんが「OKです」と言ったのにひと安心したところで、全員で飲み屋に行くことになった。

「あ、あとひとり誘っていい?」

 御手洗が店に入ったところでそう言った。

「店入ったあとで呼ぶの? まああとひとりくらいは座れるけれども」

「最近ユキノに会ってないなあと思って」

「なんだい、あんたの女かよ」

「最高に美人だから心しておけよ?」

 御手洗が万里を指差してそう言うと、外に電話をかけに行った。

 残された万里と真澄は先に食べたいものを注文しながら、出てきたお通しといっしょに飲み物を口に運んでいた。

「真澄くんってさ、頭いいの?」

「え、悪いです」

「なんか頭よさそうだなと思った」

「万里さんこそ、小説に読めない漢字ばかり出てきます」

「小説読みにくいってよく幸ちゃんに怒られるよ」

 そこにおでんが運ばれてきた。真澄はからしをたっぷりとつけたちくわぶを口に運びながら、涙をこらえている。

 なんだか可愛い少年だな、そんなことを考えながら万里は観察していた。

 しばらくすると、御手洗といっしょにひとりの男が入ってきた。

 黒髪に黒い着物を着た三十路間近の美丈夫である。万里も着物姿だが、こんな色気は出ていない。

「あ、紹介する。官能小説家の仲間、函南雪乃かんなみゆきのだ。こっちは現代小説の榎島文と江成ますみ」

「こんばんは」

 間違いなく、男である。

 お向かいでからしに涙目を浮かべている江成ますみ、そして隣に座った流し目色男の函南雪乃。お前ら女の名前で小説書いているらしいが、本当にかわいかったり色っぽかったり、ここにいる唯一の女である自分の存在意義を問う羽目になりそうだ。

「ふっふっふ、榎島。お前女として色々ピンチなのがわかったか」

「うるさいな。御手洗さんこそこんな可愛い子と色男に挟まれてたら男としての魅力半減じゃないか」

「いいんだよ。ユキノ、好きなもん注文しろ」

「とろサーモンの炙ったのと、たこやきと、馬刺しと、枝豆と……」

 どんどんと注文していく色男に、こんなにたくさん食べられるのだろうかと思いながら万里は酒を口に運んだ。

「榎島さん酒しか飲まないんだね」

 ユキノにそう言われて顔をそちらに向ける。あちらは日本酒を手酌しながら大根を食べている。

「うん、お酒大好き」

「すきっ腹に酒だけだとあとで悪酔いするよ?」

「チューハイ以外だったら潰れたことないんで大丈夫」

「おい、ユキノ。そいつ本当酒だけは強いから大丈夫だって」

 御手洗が焼酎を片手にそう言った。「お前もどんどん飲め」と言いながらあっさりと一杯空にして追加の酒を注文する。

「それにしても小説家が四人集まってお互いの小説の話が話題にのぼらないってのもびっくりだな」

「いえ……僕の小説そんなに面白くないし」

「真澄の小説が面白くなかったら俺の話とかエロしかないぞ」

 すっかり仕切っている御手洗がいきなり妙な案を出してきた。

「リレー小説やんないか?」

「はあ?」

 万里が思わず顔をゆがめる。

「よしてよ。酒飲んでるときくらい小説のこと考えずにいさせてよ」

「お前いっぱしに小説家気取ってるんじゃねぇよ。このメンバーでやったら面白いかなって思っただけだよ」

「ちょいとまて。官能小説家がふたりいるリレー小説に未成年加えるの?」

「真澄だってエロいのに興味のある年頃だよな?」

「いえ、僕は聞いているだけにしておき……」

「最初がユキノ、次が榎島、次が俺、最後が真澄だ」

「……はい」

 すっかりやる気満々の御手洗に気おされて真澄が頷いた。

「嫌なら言っていいんだよ? 江成くん」

 ユキノが枝豆を食べつつそう言ったが、真澄は首を振って「いえ、面白そうなので」と笑った。

「じゃあ俺が先鋒ってことで」

 ユキノは酒を口に運ぶと、のろのろと即興の話を話しはじめた。

「郁夫はまどかの白い内腿に手をすべらせ……」

「いきなり大人な展開から入りやがった」

「駄目だった?」

「起承転結の起でその展開ってありえなくない?」

 酒に酔って未成年がいることをすっかり忘れている大人たちの会話を真澄は黙って聞いていた。


***

「ああ、およしになって」

「ふうん、どう言えばいいんだい? 『ごめん、やさしくするから』とでも言えばいいのかね?」

 郁夫はまどかの柔肌にそっと口付けて、指をショーツへとすべらせた。ひっそりと湿ったそこに指をあてがう。


◆◇◆◇

「はい、榎島さん」

「ああ、はいはい」

 万里はげそ揚げを齧りながら続きを考える。


***

 しかしもぞっとした感触がするので、なんだろうと思って掴んだらそれは男の証であるものだった。

「なんだ? これは」

「あなたの下半身についているものと同じよ」

「お前、まさか」

 そう、まどかは男だったのである!


◆◇◆◇

「はい、御手洗さん」

「お前、こんな急展開を俺に押し付けるなよ」


***

 まどかは悪戯っぽい目で「私が男じゃあ駄目?」と郁夫に尋ねた。

 郁夫は迷ったすえに、顔は女っぽいしそれはそれでOKかと思って、まどかの顔の上に馬乗りした。口と手だけなら女も男もそう変わらない。


◆◇◆◇

「はい、真澄の番だ」

「ちょっと御手洗さん、その展開を未成年に押し付けるか? 普通」

「やかましい。まどかをオカマにしたのは榎島だ」

 責任問題をなすりつけあっているふたりを尻目に、真澄がのろのろと口を開く。


***

 まどかの体は男を知らないかのように敏感で清らかだった。

 数々の女を抱いた郁夫ですら、そのたおやかな躰にいつしか夢中になっていた。そのときである、まどかの体に異変が起こる。

 どくん、とひときわ心臓が高なり、彼女は痙攣しはじめて苦しそうにのたうちまわり始めた。

「まどかさん?」

 思わず躰のつながりを解いて彼女をゆさぶった。しかし運命とは残酷なもの、彼女はすでに事切れていた。

 葬儀のあと、郁夫はまどかが重い心臓病だったことを知った。

「死んでもいいの。郁夫さんとの思い出を抱いて私は病と闘う」

 彼女の日記にはそう書かれていた。

 ああ、何故彼女は男として生まれたのだろう。女性として生まれたならばその苦悩も少しは軽かっただろうに。

 今は亡きまどかに愛をこめて、君はたしかに美しい女性だった。


◆◇◆◇

「完。です」

「うわー、まどかが死んだ!」

「心臓病のオカマだったの!? 郁夫に恋しちゃってたんだね」

 御手洗と万里がリレー小説の顛末に涙を流した。

「ねえ、この誰も買わなさそうな官能小説で泣くって君たち飲みすぎじゃないか?」

 ユキノが呆れたように言った。真澄は顔を赤く染めて、「あの……ちょっとトイレいってきますね」と逃げるように去った。

「ほら、やっぱり真澄くん嫌だったんだよ」

「嫌ならちゃんと嫌って言うだろ?」

「嫌だって言わせなかったの司じゃあないか」

 ユキノが御手洗にそう突っ込んだ。

「まあなんだっていいんだよ。真澄を元気づけるのが目的だったんだから」

「真澄くん何かあったの?」

「彼女が自殺したんだとさ」

「……へえ」

 そんな深刻なことが起こったあとだとは思わなかった。まあ一小説家の彼女が死んだくらいではたいしたニュースにはならないだろうが。

「でもさ、こう云っちゃ何だけど、小説家を志す人なんて、もともと夢見がちな人かそうでなかったら何か辛い経験のあった人でない?」

「普通は辛い経験があって、そんで小説家を志すもんだろ? あいつの場合は小説家になってから人生が変わりすぎちまったんだよ。なんせ印税すごいからな、父親の給料なんてかるーく飛び越えちゃうくらい稼いでるわけ。当然父親とも仲が悪い」

「よく知ってるわけね。司は」

 ユキノが隣からそう呟いた。

「十五歳でデビューするなんてその後の人生大変に決まってるだろ? 俺、あいつのために相当色々やってるよ。一人暮らしのマンション確保するのも手伝ってやったし、親が参加してくれない三者面談には俺が代理で行ったし」

「やさしいね。司がそこまでしてやるのってどうして?」

「俺も未成年で官能小説家デビューしたから」

「それは問題ありまくりだな」

 ユキノが呆れたように呟いた。

「函南さんはいったいいつ頃官能小説家にデビューしたんですか?」

「うーん気づいたらかな。ライターの仕事やってる間にちょろちょろと知り合いから仕事もらって……」

 つまりこいつから、と御手洗を指差した。だから仲がいいのか。

 お手洗いから戻ってきた真澄を囲んでみんなで再び食事を始めた。

 既に酔っ払っていた御手洗が

「真澄、十八歳になったら風俗デビューしないか」

 と持ちかけたりしている。

 十時くらいになって、万里が帰ることになった。御手洗が真澄を送っていくことになり、ユキノが万里を送って行くことになった。

 ネオンの輝く夜道を和服の二人組が歩いていると、普通それは近しい関係の友達か恋人か、そんなところだろうと普通の人は思いそうだ。実際は今日会ったばかりなのだが。

「函南さんって本名なんていうんですか?」

雪之丞ゆきのじょう

「あ、私万里って言います。万里の長城の万里」

「かわった名前だね」

「マリって読ませるのが普通なんだろうけれども、妹が千里と百里なんですよ」

「姉妹で生まれなかったときどうするつもりだったのかが不思議だ」

「男女兼用で使える名前っぽいし」

 ユキノは自分と同い年くらいだろうか。少なくとも幸田や御手洗よりは年下に見えた。切れ長な目と美しく整えられた眉、こんな男が官能小説を書くのだとしたらファンは多いのだろうな、そんなことを考えた。

「さっきのさ、司の話」

「はい?」

 ユキノの顔に見とれていたら、ユキノが先ほどの話題を蒸し返した。

「辛い人生歩んだ人間が小説家になるって話」

「ああ」

「俺が思うに、特別壮絶な人生を歩んでいなくても小説家になる奴はなるんだと思う」

「感受性が豊かな人が小説家になりやすいかもしれませんね」

「辛い人生歩んでいても、それを言葉に出来るだけの力がないと、ゴーストライターを雇わないと作家になれないしね」

 手厳しいことをユキノは言った。そういえば彼はライターから小説家になったのだ。

「だけどさ、自分の辛かった出来事、全部書き尽くしたとしても、そのときの辛さを全部表現できるとは……俺は思わない」

 言葉には限界がある、ユキノはそう言って歩きだした。

 きっと万里に辛い過去があるように、ユキノにも辛い過去があって、真澄にも御手洗にも辛い過去があるのだろう。

 小説家を生業にしている自分たちは自分の人生の一部すら商売の一部にしてしまうけれども、実際にそのときの辛さを知っているのは、他でもない、自分だけなのだ。

 本を買った人間からよく知りもしない人生をあーだこーだ言われても反論する機会も与えられぬ、そんな商売だと考えると少し寂しい。

「みんな幸せになるって難しいことなんでしょうかねー」

 万里は思わず呟いた。ユキノが隣でおかしそうに口元を歪めている。

「幸せになりたいって思っていればなれるんじゃあない?」


◆◇◆◇

「真澄ぃー、真澄ぃー。もう一軒回ろうぜ」

「いやですよ。司さん飲みすぎです」

 送ると言いつつ、その実酔っ払って送られることになった御手洗が真澄の肩にぐてんとしな垂れかかったままよたよたと歩く。

 ようやく着いた真澄のマンションで酔い覚ましの水を貰いながら、御手洗は上機嫌に言った。

「真澄、最近ちゃんと食べてたか?」

「ひとり暮らし始めて半年くらい経ってるんです、それなりに食べてますよ」

「わっかんねえよ。お前細いし」

「司さんはお酒の量少し抑えないと最近太り始めましたよ?」

「うるせぇ。三十代になったら多かれ少なかれこういう体型になるんだ」

「はいはい」

 仕方がない、と相手にしない真澄にふと真面目に御手洗は言った。

「お前さ、後追い自殺とかするなよ?」

 真澄は目をぱちくりとさせて、「やだなあ」と言った。

「自殺なんて……するわけないじゃあないですか」

「でも彼女のこと好きだったんだろ?」

「大事でしたよ。本当に」

「あの子いい子だったもんなあ……」

 思い出したように御手洗は呟いた。

「あの子が生きるのに、この世界は少しばかり厳しすぎたんです」

 真澄はぼそっと呟いた。

「感受性が豊かすぎた。本の内容を真に受けすぎたんだ」

 ぽろぽろと涙を流し、親指で拭いながら「ごめんなさい」と言った。

 恥の多い生涯を送ってきました。

 彼女の遺書の冒頭は人間失格になぞらえて、そうつづられていた。

 自分がどんなに恵まれていて、そして他人と同じように振舞うのが難しいか、笑い方が分からない、怒り方が分からない、どうすれば相手と同じ感じ方ができるか分からない、そういうことが書いてあった。

 江成ますみの最新作、「道化師」は人間失格をモデルにした作品だった。それが本になって真澄の手に届いた日、真澄の恋人はそのあまりに高い感受性に胸を打たれて、悲しみに打ち拉がれて自殺した。

「ごめんなさい。司さん、涙が止まりません」

 嗚咽を洩らす真澄に、御手洗は「好きなだけ泣けよ」と言った。

「お前の作品はさ、すげえんだよ。あの子でなくたって死にたくなった人間はたくさんいるだろうさ。だけど、お前は死んだら駄目だ。恥の多い生涯でもいい、ユキノだって俺だって、榎島だってさ、なんかしら苦しいこと辛いこと抱えてて、それがお前と同じ重さだとかそんな野暮なことは言わないけれど、みんな自分に釣り合うレベルの重しを持っているんだ。いいか、釣り合うレベルだ。お前はその重みに耐えられるだけの力がある、不相応な重さではないはずだ。バネにして立ち上がるだけのガッツ見せろ。だけど……今は泣けよ」

 恥の多い生涯なんて、誰でも送っている。ただ、それを強く感じ取るかどうかだけの差なのだ。

 あの子にとってこの世界は厳しすぎた、そうかもしれない。お前は強くあってくれ、真澄。御手洗はそう願った。


◆◇◆◇

「……恥ずかしい」

 朝、何故かアトリエでなく幸田の家で目を覚ました万里は牛乳を飲みながら羞恥心に打ち拉がれていた。

 話ではこうらしい。酔っ払った万里がユキノの前でリバースを披露して、このままじゃあ電車に乗せられないと思ったユキノが幸田と万里が仲がいいことを聞いて彼の家に万里を置いていったそうだ。

「あんないい男の前でゲロっちゃうなんてどうかしている」

「まあ飲みすぎは注意ってことだね。迎え酒いる?」

「いる」

 ブランデーの小瓶を渡しながら幸田は笑った。

「恥ずかしかったこともさ、喉元をすぎれば笑い話になって、いつかネタになるんだよ」

 万里はユキノの前で吐いたこともいつしか小説のネタになるんだろうかと考えたが、あまり小説のネタとして映えそうな気がしなかった。

「まあ小説家なんて、恥の多い生涯じゃあなきゃなれませんよね」

 と万里が言ったら、幸田が笑って「違いない」と言った。

 恥が多くてもいい、明日を生きていればそのうちいいこともたくさん巡ってくる。

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