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6月 その2

 こーろっけこーろっけ

 今日もコロッケ、明日もコロッケ、毎日コロッケ、こーろっけこーろっけ。

 コロッケの歌をしっかり覚えていないけど、そんな歌だったと思う。

 昭和の家庭のご飯はコロッケばかりだったらしい。実にうらやましい限りだ。毎日コロッケが食べられるなんて。

 万里は牛肉たっぷりのコロッケを肉屋で買いながらそう思った。

 なんでも食べる万里だが、コロッケは特に好きだった。お金のない学生時代、お腹が空いたときにスーパーで百円のコロッケを買うのだ。たまに奮発してふたつ買ったりもする。

 社会人になってからコロッケはもっと容易に買えるようになった。

 学生時代は五つで二百五十円のコロッケを腹いっぱいに食べるのが夢だったが、今はそんな夢はあっさりかなえられる。望めば、その日の晩に。

 横浜駅の中心街近くにある幸田の家を訪ねるのは、万里にとっての習慣のようなものだった。

 おいしいものは大好きなくせに、自分で料理を作るのは面倒という幸田は、ほうっておくとカップラーメンやおつまみしか食べない。

 外食のできる日は外で食べてくるが、基本的に幸田は引きこもり男なので、仕事やデートで外に出るとき以外に外に出ようとはしない。

 万里は駅前のジョイナスでコロッケを買うと、慣れた道のりを歩いた。

 誰もいないのを確かめて、コロッケの歌を口ずさむ。

「今日もこーろっけ、明日もこーろっけ」

 毎日コロッケだとしても、毎日カップラーメンよりは栄養があるんじゃあないかと思う。

 右手にコロッケ、左手に野菜とお惣菜の入ったビニール袋を引っさげて、小さな神社の前を通りかかったときだった。

 ごろごろと空が鳴ったと思ったら、夕立が降り始めた。

 傘を持っていなかったので、神社の小さな屋根の下で雨宿りをする。

 夕立ということは、やがては止むということがわかっていた。だけどいつ止むのかわからないくらい土砂降りの雨が降り続いている。

 万里は足が疲れたので、賽銭箱の上に腰を下ろした。

 コロッケをひとつ、口に運ぶ。

 程よく塩コショウで味付けされた牛肉コロッケがおいしい。

「どうやったらこんなさっくさくのができるんだろう」

 もぐもぐと口にほおばりながら、雨が止むのを待った。

 ふと隣を見ると、そこに猫がいっしょに雨宿りしている。触ると逃げるだろうか……そう考えて遠くから見つめていた。

「何見ているんだよ?」

 低いだみ声でそう聞こえた。近くに誰かいるのかと思って周囲を見渡すが、誰もいない。

「こっちだよ。お前今こっち見ていただろ」

 もう一度声が聞こえたので、そっちのほうを向いた。

 猫がじっとこちらを睨みつけて口を開いた。

「にゃー」

「うわぁあああ!」

 女の子らしからぬ悲鳴をあげて万里は後ずさった。

「猫が喋った!」

「あ? 猫が喋っちゃいけねぇのかよ。喋るのは人間とオウムだけでいいとでも思っているのか?」

 シャー、と威嚇しながら猫が言った。

「まあいい、そのコロッケを床に置け」

「……は?」

「コロッケだよ。さっくさくの牛肉コロッケ。お前のそのコロッケ寄越しな」

「いやだよ。このコロッケ今日ひとつしか買ってないもの」

「あ? 人間ってケチくせぇな。スーパーに行けばコロッケなんて食い放題なのにひとつ猫にやるのにも躊躇するのか?」

 態度のでかい猫である。だいたいコロッケはスーパーに行けば食べ放題なのではなく、ちゃんとお金をスーパーに払って買ってくるのだ。そして猫が今やろうとしていることは、コロッケのカツアゲである。

「コロッケ寄越さないと引っ掻くぞ!」

「なんだと!?」

「お前とろそうだからすぐコロッケ落として逃げて行くに決まっている」

「生意気な猫!」

「コロッケー!」

「君さ……」

 猫とのコロッケ談義の最中に、聞きなれた声がして振り返った。

 ダークグレーの髪に暗く濁った目、くたくたのシャツにスラックス姿は仕事に行く格好とは言いがたい。パープルの傘をさしているのは、間違いなく幸田だ。

「あ、幸ちゃん」

「君さっきからさ、何もないところ目掛けて『コロッケはひとつしかない』とか『生意気』だとか、頭大丈夫?」

 万里はそう言われて猫のいたところを振り返った。そこには猫はいない。

「猫がね、私のほうを見て『コロッケを寄越せ』って言ってたんだよ」

「君の小説に出てくる哲学者猫さんみたいな猫?」

「いや、もっと素行の悪そうな猫」

「猫って多かれ少なかれ素行が悪そうなイメージあるけれどもな。ともかく猫はそこにいないよ」

 幸田がカラフルな傘をもう一本万里に差し出した。

「雨が降ってきたから迎えにきた」

「私今日幸ちゃんの家に行くって言ったっけ?」

「言ってないけれども、なんとなく来ると思った」

「こなかったらどうするつもりだったの?」

「呼び出す。傘持ってきたから僕の家にきなさいと」

「それ本末転倒じゃない?」

「かもね」

 万里はビニール袋を幸田に渡して傘をさした。買ったばかりだろうと思われる傘だった。柄が自分好みのものだ。

「可愛いね、この傘」

「君さ、こういうカラフルなビビッドきいた傘好きでしょう」

「うん、好き」

「和服とあわないくせにね」

 言われて黙り込む。今日着ているのは水色の花手毬模様の小紋だ。カラフルな傘とは相性が悪い。

 ふたりで幸田の自宅まで歩き出して数歩いったところで、幸田が万里のほうを覗き込んできた。

「そのさ、コロッケ。一口ちょうだい」

「え? やだ」

「ケチだね」

「私コロッケ好物だもの」

「僕は君のコロッケを奪うのが趣味なんだけど」

「なんだよそれ。初耳だよ」

「うん、僕の目の前で美味しそうにコロッケを食べている君が悪い」

 幸田が体を乗り出して、傘が重なった。

 土砂降りの雨の中で、コロッケを握っている万里の手ごと食べるくらい大きく口を開いて、幸田がコロッケをぱくりと食べた。

「普通の味だ」

「ひとつしかないコロッケの半分を幸ちゃんが食べた!」

「つまり半分は君の口に入った計算になる」

「半分は幸ちゃんの口に入った計算になる!」

「しつこいな。コロッケくらい今度奢るよ」

「そうしてそのコロッケをまた奪うつもりだろう!」

「うん、よくわかっているね」

 幸田が意地悪そうににっこりと笑った。

「今日コロッケを半分ずつ食べて、明日またコロッケを半分ずつ食べれば一個食べた計算になる」

「……それまた明日コロッケを半分こしようってこと?」

「そういうこと」

 こーろっけこーろっけ、

 今日もコロッケ、明日もコロッケ、毎日コロッケ、こーろっけこーろっけ。

 頭の中でコロッケのテーマソングが流れた。

 コロッケを奪う猫はきっと幸田だったに違いない。今はそんな気がする。

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