(2)組織の存在性認識
子供暴力組織。刺激的な呼称のため、一般の方々には違和感があるであろう。
ただ、その実態に鑑みて、このような呼称がふさわしいと判断し命名させていただいた。
一般の方々に違和感を生じさせる原因は、この子供暴力組織がリアルに存在するのであろうかという疑念による。
疑念を生じさせるほどに、その存在は子供の手により巧妙に隠蔽されている。
アンケートという手法が、ある。
学校現場でよく使われており、いじめの発見につながるとされている。
しかしアンケートをしても、この子供暴力組織の存在はなかなか明るみに出ない。
なぜか。
子供たちは、アンケートに正直に答えないからである。
答えることを阻まれていると、いったほうがよい。
子供暴力組織は、子供たちのリアルの日常に厳然と存在し、リアルに存在する日常の危険として子供たちの日常を脅かしているからである。
ゆえに、子供暴力組織の存在を明るみに出すには、教育専門家である中学校教員の力量が重要になる。
ところが、リアルにはこの教育専門家というスキルは発揮されず、組織の存在はなかなか明るみに出ない。
それは、日本の現在の教員養成・人事制度に起因する。
中学校教員の多くが、勤務校が存在する地域の出身者でないことが、最大の欠陥である。
そのため、勤務中学校が存在する地域の実情を知らぬまま、地域でリアルに生活する子供たちを指導するという、ありえない教育になっている。
教師と子供たちとのリアルな巨大な乖離のため、子供たちにとって教師集団は、リアルとは異なる異世界住民に見えている。
さらに、現に教育現場に立つ大半の教員が、子供時代からの成績トップクラスの優秀者であることが、ある。
採用試験が難関であることが、結果として教員をそのような者たちで構成させている。
このことは、教員の大半が、子供時代にリアルに存在していた子供暴力組織に関わった体験がないことを意味する。
後述するが、成績優秀者は子供暴力組織から一目置かれ、巧妙に組織暴力の対象から外される。
子供時代にこのように外された者たちが、教員になるのである。
子供暴力組織の存在が中学校教員に認識されないのは、当然といってよい。
さらにいえば、日本の社会に存在する、腕力(暴力)容認の風潮が、子供暴力組織の存在あるいは脅威を希薄なものにしている面が、ある。
昔のCMにあったような腕白でもよいたくましく育って欲しいという、子供は元気で快活で明朗であるべきだという誤った子供観が、災いしている。