(3)組織への無理解による活性化
これは、学校や教師に、子供暴力組織への認識不足や無理解があることによる。
認識不足や無理解は、問題を過少評価することにつながる。
自殺など、重大な結果を引き起こしている事例は、この要因も加わることが多い。
認識不足や無理解の結果、子供同士のトラブルを、小さな数人グループ内の事象と捉えてしまう。
複数の子供暴力組織がトラブルの背景にあるとは、思いもしない。
また、認識不足や無理解の結果、子供同士のトラブルを「ケンカ」と、捉えてしまうことが多い。
子供同士の世界には上下関係はありえない、存在しないという、誤った認識を有し、子供同士は対等な関係であるとステレオタイプ的に思い込んでいることによる。
子供同士の関係は、腕力挨拶などにより上下関係になっているのが、むしろ普通である。
また、認識不足や無理解の結果、子供同士のトラブルを解決できたと思い込む事例が、多い。
クラス内の子供暴力組織を、担任教師の指導により解消させたとしても、いじめあるいはサンドバッグ者の情報は、他のクラスの子供暴力組織に把握され、そこでいじめあるいはサンドバッグ行為がより活性化することになる。
子供暴力組織は、往々にして、複数存在し、しかも重層的に存在する。
様々な混合の機会を経て、現在に至っているという認識が必要である。
クラス担任教師1人で問題に当たることが多いが、子供暴力組織のそういった実態にかんがみるに、教師側も組織的に対しなければならない。
学校や教師の認識不足や無理解は、ある面、仕方がない現状である。
なぜなら、現在、中学校現場で勤務する教師の多くは、子供時代に、子供暴力組織に関わっていないからである。
現行の教員養成制度では、子供時代にいわゆる優等生であった者が教師になるのが普通になっている。
そして、子供暴力組織は、実はクラス内にいる優等生や成績優秀者を巧妙に除外し、組織の存在が優等生たちの耳目に触れないようにしている。
一目置かれているのである。
薄々は気づいていることも、あろう。
しかし、子供暴力組織から距離を置いている(置かれている)ため、いじめあるいはサンドバッグ行為への理解や知識を持たないまま、である。
そのような者が教師になるのであるから、子供暴力組織の存在を認識できないあるいは軽視するのも当然で、自ら対等な関係の子供時代を送った(送らされた)ゆえに、子供同士の関係は対等な関係であるといった思考に陥りやすい。
また、教師が組織的に問題に当たることを阻む、学校現場の伝統的(因習的)な意識がある。
クラス担任教師が、クラス子供の生活について全権を握って、他の教師に口出しを許さない因習が、ある。
小学校ならば致し方ないが、中学校では各教科の教師がクラスに入り乱れ、担任教師がクラスに行くのは1週間に数時間しか、ないのに、である。
各教科の教師がクラス子供の問題を目撃し、指導に当たると、担任教師から口を出すな放っておいてくれ、と非難される。
担任1人で、クラス子供数十人を見るのは、無理である。




