アンダーソン博士の苦悩
昼。
風が強く吹く度グラウンドに悲鳴が小さく響く。太陽が高く昇るも雲がそれを隠していて、明るさのわりに寒い。
私はグラウンドの隅、ジャージを上下とも着込み、体操座りで見学をしていた。体育の連続見学記録は続いている。
皆の半袖の体操服が辛そうだ。見ているだけで寒くなる。
「カドー!おーい!」
こちらに手を振る火達磨少女、花隈 萌を除いては。
燃え盛る彼女が小休憩の度に私の名前を呼ぶので、自然と他の同級生の視線が集まる。私は目立つのが苦手だというのに。
「花隈さんは元気だねぇ、僕も見習いたいものだよ」
いきなり背後から声がした。
驚いて振り返ると、そこには私と同じジャージに身を包み、さらにその上に白衣を羽織るという、統一感の無い服装の小柄な少女が立っていた。
「三宮さん、体育には出ないの?」
「うん、今日はいいかな。見学しようと思ってね」
まあ、私と同じ場所にいるのだから、それはそうなのだろう。彼女は周りを少し見回したあと、白衣の袂を引っ張って皺を伸ばすと、私の隣に座った。
「花隈さんが何故燃えるのか、門戸さんは解る?」
私の隣に座ったかと思うと、彼女は再びトラックを炎上しながら駆けるクマを指差して私に聞いた。
「……いや、知らない」
多かれ少なかれ、この学校の生徒には変なところがある。それはクマのように体外に顕著に現れるものもあれば、委員長のように下手に動かなければ気付かれにくいものまで様々だ。ただ、それらは一概に一般の人の記憶には残らない。私はそのことだけ知っている。
だからそのメカニズムやら、原理やら、そういったものはさっぱり分からない。
「……これは当初僕の仮説だったものだけど、まず、彼女の炎は"プロメテウスの炎"だと言わざるを得ないよ。つまりはーーー
別に「教えてほしい」と言ったわけではなかったが、既に目を輝かせて説明に夢中になっている彼女の気を害するのもどうかと思って、私は黙った。言い忘れていたが、三宮 神無、彼女は天才である。
私は天才という存在について、独自に二つの定義があると思っている。まず一つ、"ある一定の高い知識を有すること"だ。
「物質の燃焼というのは、まず前提にーーー
膨大な知識というのはそれだけで他人を圧倒する智の力である。それを有するか否かは、天才という肩書きを語る上で必要不可欠となる条件だと、私は勝手に思っている。
「にもかかわらず、自然発火せずに、かつ最大で一日程度しかーーー
そしてもう一つは、"一般の理解の範疇を超えること"、としている。一般の理解の外に出た独自の認識を自分の中のみで確立させられるのはおそらく彼女ら天才だけだ。馬鹿と天才は紙一重、なんて言うが、天才は人の理解の範疇を紙一重で超えられるだけだと思う。
……頭が痛くなってきた。慣れないことを考えるのはもうよそう。
「つまり内在エネルギーが核に近い、アストロポジウム145の原子の相似関係をーーー
いつの間にか低速で聞き直しても分からない単語が彼女の口から呪文のように流れていく。クマがまたグラウンドから手を振っていたので軽く振り返した。
「そしてついに完成させたんだよ!」
どうやら話の結論が出たようだ。最後のほうくらいは真剣に聞こう。
「……何を?」
「二号だよ!花隈さん二号!」
やはり彼女は天才だ。私では何を言っているのかさっぱり分からない。
「それで是非、門戸さんには見てもらたいたいんだ。……今日の放課後、化学準備室で待ってるよ。それじゃ、またね」
笑顔でそう告げると、三宮さんは立ち上がり、白衣を翻して校舎に戻っていった。その堂々とした姿にはなんとなく、天才の風格が漂っているようにも見えた。
「カドー!生きてるー!?」
「……何その質問」
クマに手を振り返す。
ちなみにまだ授業中である。
三宮さんの所在を尋ねる声がグラウンドから挙がったが、私は聞こえていないフリをした。
門戸さん
#4 アンダーソン博士の苦悩
放課後。私は化学準備室と書かれた部屋の前にいた。
別に「花隈さん二号」とやらが気になったわけではない。断ってもいない誘いを一方的に反故にするのは、何となく気が引けただけだ。
「……失礼します」
恐る恐るドアを開ける。どうせクラスでも時折、天才発明家を自称している彼女のことだ、変なロボットでも作って見せるつもりだろう、適当に相手して帰ろう、などということを頭の中で反芻しながら部屋を覗く。
「あれ?いない……」
部屋には誰も居なかった。その代わり、机の上には金属製らしき四角い箱と、メモが置いてあった。
「何これ……"花隈さん一号"?」
メモには確かにそう書いてある。というより、それしか書いてなかった。私はこれのどの辺りが花隈 萌であるのか数分思索した後、思いついたように鞄からライターを取り出し、火を近づけようとした。
「あ、待って!駄目だよ火を近づけたら!」
ドアが大きく開き、三宮さんが大声を上げた。私はむしろその声に驚いてライターを箱に落としそうになった。学生服の上に白衣といういつものスタイルに着替えていた三宮さんは、机の上の"花隈さん一号"を手に取ると、薬品瓶やら実験器具やらが並ぶ棚に仕舞い込んだ。
「もう……何だかんだ興味あり、って感じだね?」
「いや、何その"花隈さん一号"って」
棚から振り返ってにやつく彼女の言葉に、私は反論ではなく少し話題を変えることで対抗した。
「おや、さっきも話したじゃないか。"花隈さん二号"の前に作った、いわばプロトタイプの発明品だよ」
彼女によると、この"花隈さん一号"は火を点けると五日ほど燃え続けた挙句爆発する代物だったらしい。この時点でクマの能力を超えているような気がするが、何より火を点けなくて本当に良かった。
「それで……こっちが、門戸さんお目当ての"花隈さん二号"だよ!」
「別にお目当てとかじゃないんだけど……何これ」
彼女が鞄から丁重に取り出したのは、透明な箱に入った、いわゆる少女を模したフィギュアだった。
「どうだい、似てるだろう?生き写しだろう?火を点けたくなるだろう?」
三宮さんがどうだとばかりに胸を張る。確かに、亜麻色の髪や顔立ちなど、上手く再現されている。商品としてどこかの店に並んでいても、遜色無いレベルだ。だが、
「このクマ、ちょっとスタイル良過ぎない?」
「数字は本人から聴いたんだよ?」
大きめ胸、引き締まった腰、ラインを意識させる尻元まで、何となくいつも見ている彼女とは脚色があるように見える。数字を聴かれて目を逸らしながら答える彼女の様子が頭に浮かんだ。
「まあ、そこはいいじゃないか。それよりこっちには火を点けてくれて構わないよ。さあさあ、どうぞやってくれないか!」
「ええ……別に良いけど」
彼女の前でライターを出した手前、断ることも出来なくなった私は、"花隈さん二号"の尻の辺りにライターの火を近づけた。
するとまるで、本物のクマがそうなるように、"花隈さん二号"は一瞬で火達磨になり、机の表面を焦がし始めた。服や鞄のオプションは燃えずに、しっかりと形を保っているところまで、再現されていた。
「はい、火災報知器が作動する前に消火」
予想外の出来に少しの間見惚れていると、三宮さんが濡れた布巾を被せて、火を消した。
「凄いだろう?ちなみにこっちは最大で七時間までの燃焼、途中で自然鎮火する」
「よく作れたね、服や鞄もそうだけど」
濡れ布巾を外された"花隈さん二号"はしっとりと汗を掻いていた。夏服仕様なので少し透けている。妙なところで凝っている発明品だ。
「何を今更。彼女らの服やら鞄やらの材料を作ったのはこの僕だよ?」
「あ、そうなの?」
どうやら彼女が言うには、この学校の生徒が学生服を着て登校できるように、学校側が元々開発を進めていたものを、彼女が完成させたらしい。クマが前に言っていた『特別製』とは、このことだったのか。
「で、どうだい?この"花隈さん二号"は。花隈さんを"理解"した僕の努力の結晶だと思うのだけど」
三宮さんは私に期待の眼差しを向けて尋ねてきた。
「どうして私に聞くの?」
「門戸さんは花隈さんと、"カド""クマ"と呼び合う仲だし、お互いを"理解"し合った友達だと思ったからさ」
彼女の能力は"理解すること"。彼女は自分が見たものや聴いたものを、人が通常理解できる範疇を遥かに超えて、瞬時に理解することができる。彼女はさらにそこから発展させ、考察し、発明品として形にする。故に私の定義から言うと生粋の天才であったわけである。
この発明品も、そう考えると満点の代物である。私には燃え盛るクマに濡れた布巾を被せたことなどないから判らないが、結果はきっと彼女の思った通りになるはずだ。
だが、
「クマの"体質"を理解した、という点でなら完璧だよ、きっと。でもクマ自身を理解したかどうかについては、私には点は付けられないよ」
「……そうですか」
「クマなら、こんな寒いところに置かれた時点で"早く火を点けてくれ"と騒ぐね」
「……なるほど、これは一本取られたかもだね」
三宮さんは、少し残念そうに笑った。彼女はクマの体質を通して、クマのことを理解したかったのだろう。どうしてクマを選んだのかは分からないけど。
「それにしてもどうして……?」
「……彼女は僕と対極にあると思ったからだよ」
私の考えを見透かしたように三宮さんが口を開いた。
「あの子、人と仲良くなるの上手そうだから。僕って話長いし、浅い交友しかしてないからさ」
「まあ、クマが人付き合い良いのは認めるけど」
ついでに彼女の話の長さも。
「だから、彼女の一部でも理解してみれば何か掴めるかな、ってね」
三宮さんは、濡れた布巾で"花隈さん二号"を拭きながら言った。
何と言うか、頭が良いわりに不器用な人だなと私は思った。
「三宮さんなら、別に人形に火なんか点けなくても、クマの良いところくらい理解できると思うけどね」
「……」
三宮さんがじっと私を見る。
「今日は面白いもの見せてくれてありがとう。その"花隈さん二号"、本人にあげたら喜ぶよ、きっと」
私はそう言って化学準備室を後にしようとした。
「門戸さん」
ドアに手を掛けたところで呼び止められた。
「門戸さんのことも、是非"理解"させてもらいたい」
「……そ、頑張ってね」
私は振り向かずに答えて、部屋を静かに立ち去った。
今まで特に彼女との深い関わりもなく、ただ天才とは理解出来ないものだと思っていたけれど、今日は何だか彼女という天才を少し理解した気がして、私はちょっと嬉しかった。
…… ……
翌朝。
「カド見て!カドの机の上にカドの人形がある!」
「……は?」
教室で私を迎えたのは、やたらと周囲に媚を売った顔の、私を模した人形だった。
その足に挟んであったメモには、
『大事な参考意見の御礼です。あなたのことは調査前なので人形だけですが、どうぞ取り敢えずこの"門戸さん一号"をお納めください。』
と書かれてあった。三宮さんのほうを見ると、笑顔で手を振られた。頭痛がした。
「ねぇカド、すごいねこれ……スカートの中までちゃんと作ってあるよ!」
「……捲るな」
前言撤回だ。
やはり天才のすることは理解が出来ない。
#4 アンダーソン博士の苦悩 終
三宮さん 出席番号16
・人の理解力の範疇を超える天才。
・自称天才発明家。他称三宮博士。
・兄がいる。