F1216号室 けいちゃん>>彼氏なんだっけ?
「面白い人ですね〜そのタケチさん」
「面白い?どこが?」
私は、プリンのつるりとした面に思いっきりスプーンを立てた。
朝ご飯が終わって、しばしの休息タイム。この時間は面会が無いから、談話室で『隣の彼女』ことさっちゃんと他愛もない会話中。いつもいつも『頂き物だけど』と見舞い客の持って来てくれるお菓子をお裾分けしてくれていた彼女とは、歳が近いせいもあってさっちゃんけいちゃんと言い合える友達になれた。今日は実家の母の持ってきた饅頭とプリンを交換こ。そのまま昨日のいきさつをグチる羽目になってしまった。
「アイツは絶対サドだと思う」
「そうなの?」
「だってこの仕打ちだよ?」
私はほっぺたをさすって見せた。
「ストレスで、ボロボロになっちゃった」
「大変。責任とってもらわないと」
「責任って……」
ないないないない、と手を振って、プリンを一さじ口に入れた。
「何これすっごく美味しいんだけど!」
「友達が勤めてる会社の、なんと隣にオープンしたんだって」
「いいなー羨ましい!……ってフツーの饅頭と交換でゴメン」
「これはこれで良い味よ?」
カラメルのほろ苦さに取り憑かれたみたいに、パクパクとスプーンを口に運ぶ私。幸せすぎて怖い。
「ホント羨ましいよ〜こんな美味しいもの差し入れてくれる友達がたくさんいて」
「私だってけいちゃんが羨ましいよ」
「マジで?!」
「うん」
「もしかして、さっちゃんってマゾ?」
「なんでよ!?」
「じゃあ何が羨ましいの」
「タケチさん」
「え?」
「とぼけないの。彼氏なんだよね?」
思わずカラメルに噎せてしまった。
「こ、この状況の何処にそんな要素が」
「だってけいちゃん、タケチさんの話してる時は楽しそうだから」
「そ、そんなこと」
「あるよ」
「ないよ!」
「あります。少なくとも、最初よりは」
「最初?」
さっちゃんが頷く。
「入院したての頃。あの頃は、1日ぼーっとしてたじゃない」
プリンが喉に詰まった感覚。ぐうの音が出ないと言うかなんと言うか。何て答えたら良いんだろう。違う。違わない。確かにぼーっとしてたけど、タケチがどうこうじゃない。ないはず。ないに決まってる。いやでも。なんか良くわからない。
言いたい事が何なのか自分でも分からないから、お茶と一緒に飲み込んだ。
「とにかく、違うからね」
「そうなの?」
「タケチはそんなんじゃなくて、ただの上司。もっと言えばただの意地悪。ただのサド!」
「そ、そうなんだ」
「一度カフェに来たら良いよ。やつの意地悪っぷりが滲み出た顔を見てやって」
「二階だったっけ、カフェ」
「そだよ。あれ?行った事ないんだっけ?」
さっちゃんはまぁね、と笑った。そう言えばさっちゃんが下に降りる姿を見た事が無い。まだ傷も痛むだろうし、友達が色々と差し入れてくれるだけあって、不足する物も無いのだろうけど。
じゃあ、今度アイツが来る時は是非一緒に。そんな約束をしたと同時に、看護師からさっちゃんに検査の声がかかった。
◇◇◇◇◇
さっちゃんと別れて一人で部屋に戻って来た私は、そのままベッドに横になった。見慣れた風景の中で、私の頭はさっきのさっちゃんの言葉を何度も何度も繰り返す。
確かに、入院したての頃はさっちゃんの言う通りぼーっとしていた。一通りの検査が終わってベッドに戻ったら点滴を付けられて、後は『のんびりしていて下さい』だ。そう。下手に動いてケガでもしたら大変だったから。血が止まらなくなるなんてピンと来なかったけど、看護師さん、いやってほど慎重に点滴の管を刺した。仮に鼻血だとしてももし今出たら、溺れるほどの量、って事だよね。そんな事を漠然と考えていたから、テレビなんて点けているだけ無駄だったし本は手に取る気にもなれなかった。むしろ長いこと仕事ばかりしていたから、今の流行は何かとか、退院したらお洒落して何処かに出かけようとかそんな簡単な事すら考えられない頭になっていた。気紛れに誰かと話でも、と思った所で、大学時代の友達も社会人になってからは疎遠になってしまったし、両親は地方でそうそう通ってなど来れない。会社の人間だって、同期の女子は退職してしまっている。
何の事は無い。『私』から『仕事』を取ったら、内にも外にも何も残らなかった。それだけの話だ。
交友関係はさほど狭く無かったと思う。が、足繁く見舞いに通ってくれるような親友となると、誰の顔も思い浮かばなかった。私の、もっと言えばただの『私』の顔が見たい奇特なやつなんて居る訳がないのだ。
でも私は、その事実が分かったからと言って、今更新しい『私』を探すための手段を何一つ見出せなかった。
そんな中一人だけ、奇特な奴がいた。突然のメールと同時に階下まで押し掛けたソイツは、私が携わっていた仕事を一式引っさげて立っていた。以後、三日と開けずやって来ては嫌味を言い、無茶を押し付け、人をおちょくり、高笑いするようなやつ、タケチ。かつての同僚で、現在進行形で上司でもある男だ。同僚だった頃はバカも言い合ったし仕事を挟んでガチでバトルもした。けれどもヤツの昇進と新プロジェクト発足から私は対等の存在ではなく直属の部下となった訳だ。周囲からは『秘書』なんて冗談かつ敬意のこもった表現もあったが、待遇の悪さと言ったらプロジェクトNo.1だったんじゃないか?今日に至るまでのありとあらゆる面倒事。何かにつけてアイツはそれを私に押し付けて来たからな。
なのにそんなアイツの言動に、今。計らずとも『私』を取り戻させられたのは、この私、だ。
私は目を閉じた。
さっちゃんの声が聞こえる。『彼氏なんだよね?』
……違うに決まってるじゃない。アイツが私の事をそんな風に思ってる訳ないでしょ。
『だったら無視すれば良いじゃない』続けて聞こえるのは誰の声だろう。無視?出来ると思う?仮にも上司なんだから。仕事持って来てるんだから。
『なら無理しないで良いじゃない』私の声みたいだ。で?それで終わらなかったら誰の責任よ。それこそ復帰後の席が危ういわ。
『会わなきゃ良いじゃない』これも私の声?確かに、アイツに会わなかったら仕事も届かない。嫌味も言われない。そもそも仕事だって、病院は『休職理由』を証明してくれてるんだ。私が不利になる要素は無い。そりゃそうだけど。…………。
『仕事なんだよな』
……タケチの声だった。そ、そりゃそうでしょ?てゆーか自分が仕事持って来てるんじゃない。さっちゃんの友達みたく、美味しいものとか一度も持って来てないよね?それ以上に、ツケといてとか言ってたまに私がコーヒーおごらされてますけど?!
『だから会わなきゃ良いじゃない』……私の声だ。そんなの分かってる。それ以前に、仕事を持って来るなと言えば良いだけの話。大体仕事を届けるだけだったらメールだってできるんだから。そうだよ、そう言えば良い。次に来た時にそう言おう。
『会わなくて良いの?』
今の誰の声?質問の意味がイマイチ分からないんですけど。会わなくて良いも何も、理由も無しに会う意味が分からないと言うかなんていうか……いや、だから。だから…………
いつの間にか眠っていたみたいで、目を開けた時には全身に嫌な汗をかいていた。
そして、思いっきり発熱していた。
◇◇◇◇◇