足人
足人
夏の太陽も去り、少しぬるい夜。二人、奥まった林の道を行く。
「どうだった?」
「楽しかったよ」
あの人はいつものように優しい声で言う。いつもの優しい顔をしているのだろう。
「ヒールじゃ、歩きにくいね」
「ごめん」
「あなたが謝ることじゃないわ」
道は土道で、凸凹している。風が吹いて、樹々の葉擦れの音がした。
「それに虫も多そう」
「野良猫もね」
「野良猫なら肌を刺さなくて良いわ」
くすりと笑う。あの人も一緒に笑う。
案の定、街灯には虫がぶんぶん行き交っていた。カブトムシかな、カナブンかな、今ひとつ判別できない。まっ、いっか。
*
真っ暗なコンクリの建物についた。街灯だけで薄暗いが、看板には笑顔のあの人の似顔絵と「足人」とある。
「よくこんな市街地から離れたところで、商売が成り立ったわね」
「そりゃ、最初は苦労したさ」
「うんうん、お客さん一日に一人も来ない。月に5人なんて日もあったって」
「でも、徐々に常連も増えて行って」
「ネット社会って凄いわね。ちょっとした悪条件でも口コミでひっくり返せる」
ホットペッパービューティーやgoogle レビュー。あの人の「足人」は、開業3か月くらいから評価がつきはじめ、それも満点に近いものが多かった。初見さんには説明しにくい「足圧」というものもかみ砕いて説明され、店もそれに連れて繁盛していった。
あの人もわたしもレビューがつくたびに、「よしよし」と話題にしたものだ。だが、その数が30を超え、店は予約しないと入れないくらいになると、自然と話題からは消えていった。
あの人がそういったネットレビューに戸惑い、苦しんでいたのを知ったのは大分後からだった。実際の顔の見えない口コミに意味があるのか。新規客がどんどん入ってくるのは最初は嬉しかったが、常連さんとの距離が開くほどに盛況になって、それは正しいのか。
複数の人で回している店なら、また違ったのだろう。だが、あの人の店は本当の意味での個人店。受付、会計から、施術まで彼一人で行っていた。あの人は良く言ったものだ。
「僕は人と話すのが好きだから、トークも出来る足圧屋としてやっていこうと思うんだ」
結局のところ、彼は人が好きなのだ。
だから、何も知らないで、ただ身体だけを癒やしてもらう人、心を温める必要のない一見さんが増えるのが嫌なのだろう。
まるではじめてわたしが彼と会ったときのように。
*
ちょっとした昔。
熊谷の方の「足圧」施術院でわたしとあの人は出会った。その店長はその道では有名な人らしく、弟子を雇って施術法を教えていたらしい。あの人もその一員で独立を目指して修行中の身らしい。「足圧」を受けながらそう聞いた覚えがある。覚えがあるとしか言えないのはなぜならば。
わたしは仕事に追われていた。それも単純作業のカスタマーサポートを。延々と客のクレームを聞きつつ、落しどころを探す役だ。わたしが所属していたのは、とある乳製品メーカーなのだが、本当にさまざまなクレームが来た。一番多いのが、製品を食べて「お腹を壊した」とか「体調が良くない」と言ったものだ。こちらが「賞味期限を確認したでしょうか?」とマニュアル通りに聞くと、「そんなの当たり前だろう」とか「バカしてるの?」と来る。そして泥沼のクレームが続くのだった。
そんな激務に追われ、ふと入った「足圧」施術院。足ツボコースなんてあると思ったのだが、なかった。上半身コース、下半身コース、全身コースとある。もちろん全身コースを選んだ。そのあと軽いアンケートに答え、横になった瞬間、すらっと身体が心地よさに震えた。なんでだろう。施術前なのに。
そして施術開始。
あの人は横になったわたしの足を、彼の足できゅっきゅっと圧をかけはじめた。あの人の足の指がふくらはぎのツボに入って絶妙に気持ちいい。
「すごいですね。はじめてですが、足圧ってすごいですね」
そんなことを言い、あの人に最初のこの店とのなれそめを聞いて、恥ずかしながら。恥ずかしながらわたしはぐーすー眠ってしまったのだ。
幾つか体勢を変えるように指示された記憶だけを残して眠ってしまったわたし。今思えば何かあったらの首筋の施術など、不安定な足圧されることに少しの恐怖と緊張があっても良いはずなのに。まどろみの中、眠ってしまっていた。起こしてもらって見ると施術から50分経っている。40分コースなのに良い店だなと思いつつ、なんか眠っちゃって良くわかんないなと思いつつ。
「ありがとうございます!」
とあの人に言い、五千円札を払ってそこを去った。
違いが分かったのはその翌日からだった。身体が軽い。いつもある慢性的なものだと思っていた頭痛がない。足が軽い。腰が痛くない。肩も軽い。
それから常連になるのも時間の問題だった。施術後、次の施術の予約をする店だったからか、複数のマッサージ師がいる店だったが、担当するのはいつもあの人だった。
*
身体のコリを取るとともに、心のしこりも取ろうとするのは自然だった。わたしはあの人に仕事の愚痴をいつの間にか言っていた。
「わたしのやっている仕事ね、きっといつかコンピューターに変わっちゃいますよ。だって、わたしたちが教わるの、機械でも出来るこうしたらこう返してっていうアンチョコだけですもん。それでその通りにならないから、ひたすらクレームを聞き続けるという」
あの人は陽気に応える。
「ウチでもクレームは来ますよ。効かないっていうクレームは少ないのが幸いですが、効きすぎたっていうやつがね。揉み返しというか、強くやり過ぎると、次の日、却って身体が悪くなっちゃうんですね。最初の時は僕も大変だったなぁ」
そんなやりとりをしつつ、ぐーすー。
次の施術の時、あの人は恥ずかしそうに言う。
「いやー、師匠に怒られちゃいましたよ。店のマイナスポイントを言うんじゃない。って。お前は素直過ぎるって。いや、ウチの足圧はああいうのが来にくいのがセールスポイントでして。でも、もし揉み返しがあったら、遠慮なく言ってくださいね、お客さん」
わたしはおたおたと
「いえいえ、めっちゃ効きます。ここ。わたしこんなのはじめてで」
あの人はにこやかに
「ありがとうございます。いやー、嬉しいな」
そのままくいくい、ぐーすー。
わたしはあの人に聞く。
「あの、ここのマット、かなり特別なものですよね。なんか寝心地が段違いというか」
彼は幸せそうに
「お気づきになられたのですね。お目が高い。これは低反発マットレスといって。ほら、某大手チェーン店が料金ふんだくって特別サービスに使うようなやつ」
わたしは笑う。
「ははは。あそこ安いんですけどね」
彼は少し眉を上げて
「価格破壊ってやつですか。お陰でウチの料金も値上げできなくて。でも、あのチェーン店、価格破壊以外に何をしたんですかね?」
そのままくいくい、ぐーすー。
わたしはこの店に来ると眠気に襲われる秘密の一つに気付いてしまった。
「なんか、この店、音楽が独特ですよね」
彼はにこやかに
「気づきました? 何だと思います?」
わたしはなんとなく。
「ギターとも違う。洋楽っぽいけどちょっとアジアンテイストで」
彼はふむふむと
「いいとこつきますね。ハワイアンミュージック? なんかウクレレの曲集です」
わたしは思う。眠くなるのはそのバックミュージックもあるけど、彼の話し方にもあるのだ。絶妙に心を安らげてくれる、大海のような。
やはりそのままくいくい、ぐーすー。
「寝ちゃいましたね」
「寝ちゃいました。この店、わたしの仮眠室ですね!」
あの人は言う。
「この店、親方が畳むことになって。僕も埼玉の田舎町に、新しい店オープンしようと。だからあなたともこれが最後ですね」
わたしは言う。
「最後なんて言わないでください。それにこの店なんで閉店しないといけないんですか。こんなに繁盛してるのに。こんなに沢山の人を幸せにしているのに。理不尽ですよ」
あの人は言う。
「はは、どうか泣かないでください。じゃ、僕の携帯番号教えるので、たまには一緒に会話しましょう」
わたしは肩甲骨を足で圧をかけてもらいながら。
「うん」
「本当は店のお客さんとこういう個人的つきあいをするのはこの店ではご法度なんですがね。もうどうせ畳んじゃうから」
あの人は悲しげに笑いながら
「あなたみたいな美人さんと友達になれるんだから、何が幸いするかわからないですね」
*
埼玉は田舎町の土道の果ての「足人」。師匠から継いだ「足人」の屋号だ。あしすと、アシストと呼ぶのが正しい呼び方らしい。わたしは最初普通にあしひとって読んでたけど。
あの人が店の照明をつける。パッと暖色の光が辺りと二人を照らす。
あの人は思ったよりもずっと元気そうな顔で、わたしはいつも通りの印刷の会社員の帰り道の姿だ。
店の入り口には人が全身すっぽり入る大きな酸素カプセルが設置されている。
「あっ! これ知ってる! 頭とか視界、すっきりするんだよね」
あの人は笑う。
「都会の半分のお値段でやれるのがセールスポイントだったなぁ。後でやってみる?」
「もう、へとへと」
足をさする。駅からあの人に向かいに来てもらって、ゆうに30分は歩いていた。最初は彼の足が気になっていたが、そんな余裕もなく。
「でも最後の最後にあなたに呼んでもらえて良かったわ」
あの人は言う。
「こちらこそ。いつかあなたに僕の店を見せて、それで施術するのがちょっとした夢だったから」
わたしはまだ清潔さを保っている、よく掃除され、整えられた室内を回る。
わたしは言う。
「ねぇ、なんとかならないの?」
彼は黙っている。
それでわたしは答えを知る。
だけど、こう言ってしまう。
「ねぇ、なんとか」
あの人はいつものスマイルトークで
「膝の皿が離れちゃってね。職業病ってやつ。師匠と同じところを壊しちゃうなんてね。セーブしないといけなかったんだろうな。張り切り過ぎちゃった」
LINEでも聞いた。実際レントゲン写真も見た。それでも直接彼の口から聞くと、格別に重みのある一言だった。
優しいあの人はもう施術に立てない。
「なんかの営業とか。この年になると難しいかもしれないけど、なんとかやっていくよ」
「良い想い出もあったんだよ。あるお客は東大王のバカヤローってね。あんな四択問題のプロを東大の王様にするなとか。無茶苦茶な人だったな。あの人の肩きっちきちでね」
あの人の背中は大きい。
「お相撲の力士さんの施術に出張したこともあったな。やっぱり力士は身体の構造から普通の人とは異端なんだって、あの経験でわかったな。ちゃんこ鍋は塩味だった」
それが少し震えている。
「地元のサッカーチームの高校生も診たな。知ってる? 高校生のカモシカのような筋肉の足? もうちょっとその先まで見てやりたかったな」
言葉がまくしたてられていく。
わたしは言う。
「でも、完全に無理ってわけじゃないんでしょ? じゃなきゃわたしと一緒にあんな夜道歩かないもん」
あの人は言う。
「うん、ほんとは車で送ろうとも思ったんだけど、一緒にちょっと話したくてさ」
わたしが言う。
「じゃ、わたしを施術して」
わたしは財布から5千円札を引っ張り出す。
「全身コースで」
あの人は笑う。
「わかったよ。いえ、わかりました。『足人』最後のお客さんはあなたです」
フワフワのクッションに寝そべる。
やがてウクレレの音が聞こえてくる。
彼が優しい声で「それでは始めますよ。どこがコってます?」なんて言って。
わたしの足先をまず足で踏んで整えて、それからふくらはぎを押し始める。
わたしはそっと眼を閉じた。
あの人の優しい声とウクレレと足がわたしを包んだ。




