催眠術にかかったふりまでしてるのに、なんで何もしてこないの!?
(なにこれ? どういう状況なんだけど!?)
あたしの目の前にスマホを突きつけられていた。
スマホの画面には赤と黄色の螺旋がグルグルと回っている。
(あれ? これって最近流行ってる催眠アプリってやつ!?)
(ギャルのあたしをいつもは避けてるくせに、これでエッチなことでもするつもり!?)
(放課後に呼び出されて、ちょっと期待しちゃったんだけど!)
「これで催眠術にかかったよな?」
ソルは不安そうな顔で、あたしの顔を覗き込んできた。
(発想がオタクすぎて逆に笑うんだけど!)
(でも、あのオタクくんなソルならやりかねないのがバカっぽくてちょっと可愛いかも)
(あーでも、ソルのこと好きだし、これは普通に親密になれるチャンスじゃね!?)
ルナは、ソルを見上げる瞳の焦点をわざと少しずらした。
とろんとした表情を作って、肩の力を抜く。
大きく開いた胸元からこぼれそうな胸をわざと揺らして、誘うみたいにゆっくり唇を湿らせる。
「なんか頭がぼーっとする」
「やった! かかったみたいだ」
(……ぷぷっ! マジで信じてるし! あっぶな、今のちょっとで吹くとこだった!)
(あんな怪しいアプリで催眠とか、ソルほんとバカ。でもそういうとこがいちいち可愛いのムカつく)
(よし。ここは思いっきり「かかったフリ」して、ソルのことたっぷりからかってやろ)
(どんな恥ずかしい命令してくるのかなー。ちょっと期待しちゃうじゃん!)
「でも、本当にかかるとは思わなかった。どうしよう」
(あはは! 焦ってる焦ってる! 後先考えずにやったんだ? バカじゃん!)
(もう、そういう無鉄砲でバカ正直なとこ、ほんと可愛いんだけど!)
(やば。あたしまで普通にドキドキしてる!)
期待が顔に出ないように、とろんとした顔のままソルを見つめ返す。
(で、何してくるわけ?)
(キス? 胸? それとももっとやばいやつとか……?)
ソルは何かものすごくやばいことを言うみたいに、何度も口を開きかけては閉じた。
耳まで真っ赤。
視線も泳ぎまくり。
なのに逃げない。
なにそれ。
そんな顔で逃げないの、ちょっと可愛いんだけど。
「ま、まずはやっぱりあれだよな」
(来た!)
(キス? 胸? それとももっとやばいやつ!?)
(別に、ちょっとくらいなら)
(相手ソルだし)
(いや、ちょっとどころか、まあ、わりと)
「下の名前で呼んでくれ」
(は!?)
(そこ!? 順番バグってない!?)
いやいやいや。
そこから行くの?
もっとこう、あるじゃん普通。
「……ソルくん」
その瞬間、ソルの肩がびくっと跳ねた。
(え、そんな効く!?)
(なにそれ、反応ピュアすぎてウケるんだけど!)
「ち、違う。呼び捨てで」
(細かっ!)
(でも、そういうとこがいちいち可愛いのずるい)
「……ソル」
耳まで真っ赤。
目も合わせられてない。
わかりやすっ。
(なにこれ。中学生の初恋かよ!)
(いや、でもこれ結構くるんだけど!)
(名前呼んだだけでこんななる!?)
ソルはこっちを見られないまま、小さくうなずいた。
「……ありがと」
(うわ)
(そこで素直に礼言うの、マジでずるすぎでしょ!)
(いや、でも)
(名前呼びで終わりってことないよね?)
(さすがに次はもうちょい来るでしょ)
ソルはまだ赤い顔のまま、今度はおそるおそる手を前に出した。
「やっぱりせっかく催眠にかけたんだから、体に触りたいよな」
(お、来た来た。今度こそちょい先まで行くやつでしょ!)
(体に触りたいって、なに。胸? 腰? それとも太ももとか!?)
でもソルが言ったのは。
「手を繋いで」
(そこ!? いや方向ちがくない!?)
(いや、確かに触ってる。触ってるけど、もっと他にあったでしょ!)
「……うん」
ルナはちょっと笑いそうになるのをこらえながら、ソルの手に自分の手を重ねた。
(待って)
(手、繋ぐだけでこんなドキドキするとか聞いてないんだけど!?)
ソルの手、ちょっと冷たい。
でも、ぎこちなく握り返してくる力だけは妙に真剣で。
しかも顔、まだマジで赤すぎる。
そんな顔で手なんか握ってくるな。
(そういう真剣な感じ、ほんとずるい!)
「ち、違う」
「……どうするの?」
「恋人繋ぎで」
(そこは言えるんだ!?)
(いやでも恋人繋ぎって、キスの一歩手前みたいなもんじゃん……!)
ルナは少しだけ震える指で、ソルの指の間に自分の指を絡める。
「……あ」
うわ、また固まった。
ほんと分かりやす。
「……そんなに?」
「ご、ごめん。思ったより、近い」
(お前が言い出したんでしょ!)
(でも、そんな大事そうに握られたらこっちまで変になるって!)
しかもソル、恋人繋ぎにした瞬間また固まった。
顔真っ赤。
目もそらしっぱなし。
手だけは妙に真剣に握ってくる。
なにそれ。
雰囲気だけ彼氏ヅラして中身ゼロかよ。
空気だけめちゃくちゃ甘くして、その先が一ミリも来ないってどういうこと!?
(いや、ヘタレにも程があるでしょ!)
(でも可愛いのがマジで腹立つ!)
ソルは恋人繋ぎのまましばらく固まっていたくせに、また何か言おうとして口をぱくぱくさせた。
(え、まだ行くの!?)
(行くならもうちょい上、あるでしょ普通!)
「つ、次は……その、下、というか……」
(下!?)
(え、なにそれ。ついに来た!?)
(スカートの中に顔うずめるとか、そういう変態っぽいやつ!?)
(いやでもソルなら、まあ、ちょっとくらいなら……)
「ひ、膝枕して」
(なんでやねん!!)
(下ってそういう下!? いや確かに下だけど!)
「……うん。ほら、おいで」
ルナは椅子に座ったまま、自分の太ももの上を軽く叩いた。
ソルはものすごく緊張した顔で、そろそろと頭を乗せてくる。
近い。
近い近い近い。
(うわ、ちょ、待って!)
(頭の重み、思ったより来るんだけど!)
(しかも顔近っ。距離感バグるって!)
「……やばい」
「……なにが?」
「黒崎さんの太もも、その……思ったよりやわらかい」
(感想が素直すぎるんだよ!)
(でもそんなの言われたら、こっちが意識するに決まってんじゃん!)
ルナはソルの髪をそっと撫でた。
「っ……」
(うわ、また反応でか!)
(撫でただけでそれは反則でしょ!)
(え、なにその反応!?)
(かわいすぎるんだけど!)
(でも、ここまで来てまだキスとかしてこないわけ!?)
膝の上のソル、また固まってる。
名前呼びして。
恋人繋ぎして。
膝枕までして。
ここまで来て、まだ止まる!?
どんだけ慎重派なの。
いや慎重とかじゃないわ。
ヘタレ通り越して絶滅危惧種でしょ、もう。
(……いや、さすがにヘタレすぎでしょ!)
(ここまで来てまだあたし待ち!?)
ルナは膝の上のソルを見下ろした。
顔、真っ赤。
耳まで真っ赤。
しかもこっち見れてない。
いやほんと、分かりやすすぎ。
初心か。
今どきそんな反応するやついる!?
(でも、もう無理)
(ここまで来てまだ来ないなら、こっちから行くしかないじゃん!)
ルナはソルの髪をもう一度撫でた。
「……ねえ、相沢くん」
「……な、なに」
「こういうの、したかったんじゃないの?」
そう言って、少しだけ顔を寄せる。
ソルの肩がびくっと跳ねた。
(うわ、反応でっか!)
(なにそれ、かわい)
「べ、別に……」
「……別に、なに?」
ルナはわざと逃がさないみたいに距離を詰めた。
もう少しで鼻先が触れそうなくらい。
「催眠にかかってる相手には、もっと命令できるんじゃないの?」
「たとえば?」
ソルは完全にフリーズしていた。
口を開いても、声が出ない。
顔だけずっと赤い。
いや、そこまで行って黙る!?
逆に才能でしょ、それ。
(いや、そこで黙る!?)
(ここ、押し倒すとかじゃなくても、せめてキスくらい行く流れでしょ普通!)
(っ……)
(近い! 近い近い近い!!)
(あとちょっとで届くじゃん!)
(なのに、そこが無理なんだけど!)
(なにこれ、無理!)
(さっきまで余裕ぶってたのに、ここであたしが無理とかダサすぎ!)
ルナは唇をきゅっと結んだまま、ソルの顔を見つめる。
ソルもソルで、完全に固まったままルナを見上げていた。
変な沈黙。
甘いくせに、気まずい。
でもここで逃げたら終わる感じだけは、やたら分かる。
(逃げたくない)
(でも、進むのはちょっと怖い)
(なにこれ。なんでここであたしまでビビってんの)
ソルの喉が小さく鳴った。
「……黒崎さん」
(いや、そこで黒崎さんって言う!?)
(さっきまで名前呼びさせといて、そこはまだ黒崎さんなんだ)
(そういうとこほんとムカつく)
(でも、そういうとこがソルなんだよなあ……)
ソルはまだルナをまっすぐ見られないまま、何かを言おうとしていた。
でも、言葉がなかなか出てこない。
(なに)
(ここで何言うの)
(まさか今さら「ごめん」とか言わないよね?)
ルナは少しだけ顔を離した。
でも、完全には離れない。
膝の上にはまだソルがいて、指もまだ絡んだままだ。
ソルは一度だけぎゅっと目を閉じてから、ようやく口を開いた。
「……もう、催眠にかかったフリしなくていいよ」
(は? え、ちょ、待って。バレてる!?)
(やば。今の絶対反応に出た)
「……べ、別にフリとかしてないし」
(終わった。バレたうえに誤魔化し方が下手すぎる)
「無理しなくていい」
「無理なんかしてないし!」
「してる」
「してない!」
(うわ最悪。よりによって一番いいとこでバレる!? でもソルもソルで余裕ゼロじゃん)
「だって黒崎さん、命令してないことまでしてた」
「っ……」
「だから分かった」
「……だったら、なに」
「からかってただけだし」
(あ、それはダメなやつ)
「……そうやって、また誤魔化すんだ」
(うわ、その言い方ずるい。ていうかそっちがそれ言う!?)
「誤魔化してたのはそっちでしょ!」
「だってあんた、ずっとそうじゃん!」
「なにが」
「避けるし! 目そらすし! 話しかけても微妙な顔するし!」
「それは……」
「それで今日いきなり催眠アプリとか意味わかんないんだけど!」
「意味わかんないのは僕だってそうだよ!」
「黒崎さんのこと、昔みたいに名前で呼びたかったし!」
「っ」
「名前で呼ばれたかったし!」
(そこ来るの!?)
「……あたしだって、呼びたかったし」
「ずっと恥ずかしくて無理だっただけだし」
「僕だってそうだよ」
「中学入ってから、なんか急に意識して……前みたいに話せなくなった」
「昔みたいに抱きつかれたりしても平気だったのに、無理になった」
「……なにそれ」
「避けてたわけじゃない」
「でも避けてたじゃん!」
「避けてたけど、嫌だったわけじゃない!」
(なにそれ。そんなの、わかるわけないじゃん)
「こっちだって傷ついたし!」
「避けられるし、他の子に茶化されるし、あたしだけ空回ってるみたいで、普通に嫌だったし」
「……うん」
「だから、高校入ったらギャルになってやろって思ったし」
「ソルに構ってほしかったからに決まってんじゃん!」
(うわああああ!! 今のはやばい!!)
(言った! 勢いで言った! もう無理!)
「……ほんと?」
「今さらそこ疑う!?」
「だって、黒崎さん、ギャルだし」
「ギャルだと何!?」
「他の男とか、普通に寄ってくるし」
「っ」
「だから、ずっと嫌だった。取られそうで」
(は? ちょ、なにそれ。急にそういうの言う!?)
「……ばか」
「今さらそんなの言う?」
「今しか言えない」
「あたしだって、そうだし!」
「催眠にかかったフリしたら、もっとエッチなことしてくるのかなって、普通に期待してたし!」
「なのに名前呼びとか手つなぎとか膝枕とか、どこのピュア男子中学生だよって思ったし!」
「ご、ごめん」
「しかもそのくせ、いちいちドキドキさせてくるし!」
「……ごめん」
「そこまでさせといて最後まで来ないし!」
「それは、その……」
「ヘタレ! バカ! ……好き」
(うわ。やった。死ぬ)
ソルがまた固まる。でも、今度は逃げなかった。
「僕も好きだよ、ルナ。ずっと好きだった」
「……遅いし」
「ごめん」
「そこは謝るとこじゃないし」
目はそらす。でも手は離さない。
「変わる。ヘタレなのは、ほんとだから」
「知ってるし」
「でも、ルナにそこまでさせたままは嫌だ」
そう言ってソルが身を起こす。膝の上から頭が離れて、そのまま今度は顔がまっすぐ近づいてくる。
(え、ちょ、今度こそ来る!?)
でも、逃げなかった。
ソルの唇が触れる。ほんの一瞬、軽く。でもちゃんとキスだった。
離れた瞬間、ルナは完全に真っ赤になった。
「……っ、ばか」
「うん」
「そこは謝るなって言ってんの」
「じゃあ、どうしたらいい」
ルナは数秒だけ黙って、それからそっぽを向いたまま言った。
「最初からそうしろヘタレ」
「……でも、あれはあれで反則だったし。名前呼びとか、恋人繋ぎとか、膝枕とか。ああいうの、なんか……昔みたいで」
(うわ、そこまで言うの!? 無理無理無理、今それ掘る!?)
「……普通にめっちゃドキドキしたし」
「また固まるの!?」
「だって、ルナがそういうこと言うから」
「そっちが言わせたんでしょ!」
「僕も、あのへん全部かなりやばかった。名前呼ばれたとこから、ずっと」
(なにそれ。やめて。今さらそんな正直に言うの反則なんだけど)
「……ばか。ヘタレ。でも、そういうとこも好きだし」
(いや待って今のなし!! なしじゃないけど!! ちょ、顔熱っ!!)
ソルがまた何か言いかける。その前にルナはソルの袖を引いた。
「……なに」
「今さらだけど、明日からもちゃんと名前で呼べし」
「うん」
「あと、催眠とかもういらないから」
「……うん」
「次からは普通に来い」
「がんばる」
「そこは、来る、でしょ」
「……来る」
「よし」
「ほんと、最初からそうしろって話なんだけど」




