第16話 灰色の名簿
学園を出た風間は、最寄りの駅に向かう途中、足を止めた。
午後の陽が斜めに差し込む公園の片隅、誰もいないベンチに腰を下ろすと、スマートフォンを取り出し、記録アプリに向かって呟く。
「記録:黒瀬校長の証言により、角谷瑞季は失踪直前まで学園に“いたように扱われていた”が、徐々に存在が薄れていった可能性。担任および周囲の教師、生徒もそれを追認していた……ように見える。篠崎という人物の関与があったかは不明だが、“記録の掃除人”という言葉が象徴的。何かを消す存在だったのか、それとも拾う存在だったのか——」
風間は録音を止め、しばらく画面を見つめたあと、改めて端末の通話履歴を開いた。
最後に篠崎から着信があったのは、二日前。その後、連絡は一切ない。
風間は迷った末、発信ボタンを押した。
——数秒のコールのあと、留守番電話に切り替わった。
「……こちらは篠崎です。いま電話に出られません。ご用件のある方は——」
風間はすぐに通話を切り、深く息をついた。
「篠崎さん、今どこにいるんですか……」
問いかけは宙に消える。
そのとき、通知音が鳴った。画面を確認すると、先ほど訪れた学園の事務局からメールが届いていた。
《件名:角谷瑞季に関する在籍確認について》
添付ファイル付きのそのメールを開くと、PDF形式の「学籍名簿一覧」が表示された。
風間は目を凝らして、生徒の名前を一つひとつ追っていく。
だが——どこにも、角谷瑞季の名はなかった。
それどころか、**“名前の間隔が不自然に空いている箇所”**が複数存在していた。
「これ……削除された跡……?」
ページをスクロールしていくと、生徒番号が飛んでいたり、
名簿の一部に「不明」「欠番」とだけ記された箇所があった。
まるで、その部分に“何かがあった”ことを暗示するように。
風間はその画面をキャプチャして保存した後、立ち上がった。
風が少し冷たくなってきた。
スマホをポケットに入れながら、心の中で呟く。
「やっぱり、いたんだ。……記録の外に。」
再び学園に戻るわけにもいかず、風間は署に戻る前に、ひとつ寄り道をすることにした。
向かったのは、篠崎がかつて住んでいたとされる団地の一角。そこは既に空き家となっており、表札すら外されていたが、念のため周辺住民への聞き込みを試みた。
古びた自転車を押していた老婆が、風間の尋ねる声に小さく首をかしげた。
「しのざき……さん? あぁ、あの静かな若い人ね。数年前までここにいたけど、突然いなくなったのよ」
「突然?」
「ええ。ある日からぱったり。荷物もなくなってたし、夜逃げって感じでもなかったけどね。誰かを見送るような顔して、最後に挨拶してたのは覚えてる」
「どなたにですか?」
老婆はしばらく考えたが、やがて困ったように首を横に振った。
「ごめんなさいね、顔は思い出せないの。でも……制服を着た若い子だった気がする」
「……学生、ということですか?」
「たぶんね。制服だったから、きっと近くの高校の子だと思うけど……」
風間はお礼を言い、その場をあとにした。
篠崎がいなくなった時期と、角谷瑞季の“記録抹消”が重なっていたとしたら——
ふたりの間に何らかの接点があった可能性は高い。
風間は署に戻り、捜査支援データベースで過去の記録を洗い直した。
事件性はないと判断された過去の行方不明者リスト——
その中に、角谷瑞季の名は**“やはり”**存在していなかった。
それでも、彼女の痕跡は完全には消えていなかった。
別のリストに、風間は目を留めた。
——「学内トラブル報告書(未処理)」
日付は三年前。担当は“篠崎透”。
件名はこう記されていた。
《匿名通報:特定生徒への継続的な排除行為について》
詳細欄は閲覧制限がかけられており、開くには管理者権限が必要だった。
「篠崎さん……あなたは、何を見て、何を残したんですか」
風間はそっと画面を閉じ、思考を巡らせた。
記録に残っていない者。記録を残そうとした者。
そして——記録を、消した者。
この事件の輪郭が、ようやく見えてきた気がした。
風間はその夜、簡易的な報告書をまとめたあと、署を出て自宅へと戻った。
デスクの上には、篠崎から預かっていた手帳がまだ残されていた。
全体の半分以上のページが破られていたが、残された部分には、走り書きのような箇条書きがいくつも並んでいた。
《欠番=意図的な削除》
《"内申に残らない処分"という闇》
《風紀委員と生活指導、誰が記録を決める?》
《記録の価値は“残ること”ではなく、“届くこと”だ》
《匿名通報——いつも無視される理由は?》
《声にならなかった叫びを、誰が拾う?》
風間は何度もそれを読み返しながら、手帳の最終ページに挟まっていたメモに気がついた。
わずか数行の手書きの文。
それは、篠崎自身が自分に向けて残した“手紙”のようだった。
——
記録係へ。
君がこれを読む頃、僕はもう現場にはいない。
記録を残す者が、すべてを救えるわけじゃない。でも、誰かが残さなきゃ、無かったことにされる。
それが、いちばん怖いことだと思う。
あの子の声が、まだ間に合うのなら。
どうか——
手帳を閉じ、風間は目を伏せた。
記録は冷たい。事実を切り取るだけで、慰めも解決もしてくれない。
だが、そこに名前が刻まれることで救われる魂も、確かにある。
翌朝、風間は再び学園を訪れた。
校長の応接室ではなく、今回は資料室へ。
かつての職員——篠崎が管理していた過去の学級日誌、出席記録、トラブル報告——
それらがアーカイブ化され、今も保管されているはずだった。
管理室の中年職員が、申し訳なさそうに言った。
「篠崎先生の管理分、一定期間経過後に廃棄されました。報告書の一部だけは電子化されていますが……ほとんどは」
「いつ、廃棄されましたか?」
「ちょうど……角谷さんが退学扱いになった、あの年の春ですね。人事異動のタイミングでしたから」
記録が、重なるようにして消されていた。
まるで、それが計画されていたかのように。
風間は小さく息を吸い、メモ帳を取り出した。
そこに、はっきりと記した。
“角谷瑞季。存在を確認。記録の再調査、継続。”




