どうせ婚約破棄されるから、もうスッピンでいいや。
「『魔女集会の夜の高貴な貴婦人』コーデ完成!」
見知らぬ明るい声が、新品のドレスに身を包み、鏡を覗き込んでいたロザリンド・ミキャスヴィル公爵令嬢の脳内に響き渡った。
……何? 今のは……。
ロザリンドは鏡を覗き込んで、理解した。
ここはファッションが数値化されステータスとなる、おしゃれこそが強さの世界。
主人公がファッションデザイナーとして店を繁栄させ、おまけのイケメンキャラを攻略していくライフスタイル・シミュレーションゲーム「フェアリィテイル・コレクション」の中に転生してしまったのだということを。
紫を基調に、黒の手編みレースと赤いシルクのリボンをふんだんにあしらった装飾がゴッテゴテのドレス。真っ赤な口紅、バッチバチのまつげの濃すぎる化粧に、とにかくボリュームを出そうと高く結い上げた髪。金にものを言わせて高価なアイテムを身に纏い、主人公であるモモの前に立ちはだかる悪役令嬢・ロザリンドそのものだ。
「……どうして、私が悪役令嬢なのよーっ!」
ロザリンドはゲームの舞台であるファムセット王国の貴族令嬢で、モモのポップで奇抜な幼女趣味の衣装デザインに対抗するため、日に日に派手なドレスと濃い化粧に傾倒していった。
その結果がこの『魔女集会の夜の高貴な貴婦人』コーデだ。
ロザリンドにはよく分かる。これはロザリンドの最終形態、最強コーデとも言えるもの。プレイ中に「魔女なのか貴婦人なのかどっちなの?」と思ったから、よく覚えていた。
「魔女集会コーデということは……つまり、もうゲームのエンディングということよね?」
ロザリンドはファムセットの王子であるレオニールと婚約しているが、舞踏会での主人公とのコーデバトルに敗れ「君のコーデはただ盛ったばかりで魂がなく、服に着られている。ありのままの自分を愛せない女性は未来の王妃にふわさしくない。自分を見つめ直すんだ」とかなんとか言われて婚約破棄をされてしまうのだ。
「このままだと、私は破滅ってことじゃない!」
ロザリンドは頭を抱える。ゲームの中で婚約破棄されたロザリンドのその後は描かれていないが、おそらく悲惨な未来が待っているだろう。
「なんとかしなくちゃ……魂の入ったコーデ……レオニール王子の好感度を上げるような……」
何か違うドレスがないかと探してみるものの、見渡す限りの豪華絢爛、派手なドレス。どれもこれも、とてもレオニール王子からコーデポイントがもらえるような服ではない!
「これじゃ、どうしようもないじゃない~!」
服は沢山あるが着る服がない、というのはまさに今彼女のためにあるような言葉だろう。
ロザリンドには、もう外へドレスを買いに行く時間も残されていない。
──仕方ない、不戦敗を狙うしかない。ロザリンドは病欠よ。
熱があるとか、頭が痛いとか適当な理由をつけて、ロザリンドが自室に引きこもろうとしたその時だった。
「ロザリンド! 何をしているの!」
扉の向こうから怒鳴り込んできたのは、ロザリンドの母のセシリアだ。
「あなたのために新作のドレスを用意したのよ! これを着て、王子の婚約者として堂々と舞踏会に出席しなさい! そして、あの目障りな平民の小娘を完膚なきまでに叩きのめすのよ!」
「でも、私……」
「もしそれができないなら、お前は役立たずよ! 公爵令嬢のつとめを果たせないものは、このミキャスヴィル家には不要。舞踏会に行くか、平民となるか選びなさいっ!」
「うう……!」
ロザリンドは母親の剣幕から逃げるように衣裳部屋に飛び込んだ。
……ロザリンドが追い詰められて、どんどん派手になっていったのは家族からのプレッシャーもあるのよ。
ため息をつくと、一着のドレスが目に留まった。淡い青色のリボンがあしらわれた、白を基調としたこれまでの派手なドレスとは一線を画す控えめなデザインだ。
「……こんなドレス、持っていたかしら?」
ロザリンドはそれを引っ張り出し、恐る恐る手に取った。ほとんど寝巻きも同然のシンプルなドレスだが、生地や仕立ては上質だ。
「そうだ。このドレスを着て壁と同化して……壁の花になろう」
ロザリンドは鏡の前に立つと、派手な化粧を全て落とし、髪を下ろした。大ぶりの宝石も外し、ドレスに袖を通すと、そこに映るのは素朴で清楚な少女の姿。
婚約破棄されたくないから、スッピンで、地味な服を着て、別人になろう。そうすれば、誰も私だと気が付かないはず。
追い詰められたロザリンドは、ゲームとは似ても似つかない格好で舞踏会に行くことにした。
『ありのままの君を見せて』コーデ完成!
脳内に響くゲームのシステムメッセージを無視して、ロザリンドはスッピンのままで馬車に乗り込んだ。
普段とはあまりに違う装いに、誰ひとりとして彼女が公爵令嬢だと気づく者はいない。しかし白い肌にすっとした切れ長の瞳、艶のある黒髪、そして清楚な白いドレス姿。壁際でひっそりとたたずむロザリンドは、まるで壁の前に咲く一輪の白百合のように人目を引いている。
──よし、よし。うまくいっているわ。
しかし、当のロザリンドは自分は完全に壁の花になりきれていると信じて疑わない。
これならなんとか乗り切れそうだとロザリンドがほっとしたのもつかの間、会場にざわめきが溢れた。視線を向けたロザリンドの瞳に映ったのは、ゲームのヒロインであるモモの姿だった。
チューリップと星モチーフが悪魔合体したようなシルエットが独特なドレスに、ピンクの内巻きのボブヘア、頭には同系色のベレー帽、耳には巨大な星をかたどったイヤリング。
前衛芸術家のような出で立ちに、ロザリンドは戦慄した。
「あれは……星屑プリンセスのコーディネート!」
星屑プリンセス。主人公の「好き」をひたすらに詰め込んだコーデ、つまりゲーム終盤の最強コーデ。
ファッションとは魂。魂をさらけ出しているモモの前で、ロザリンドはあまりにも無力だった。
……こんな、スッピンの状態で、もしモモに気づかれたらどうしよう?
ロザリンドは思わず、自分がやった「悪事」を思い返してみた。
──ええっと、確か……私、モモに直接嫌がらせなんてしたことないわよね? 『そういう服は私の趣味じゃない』とか嫌味くらいしか言ってないし……デザインバトルの時は同条件になるようにモモに生地を分けてあげたりしたし……たぶん大丈夫、きっと大丈夫……!
必死に自分で自分を納得させようとするが、心は落ち着かない。自分を守る鎧──ドレスが地味なのも、やはり心許ない。
「……とにかく、舞踏会が終わるまで、壁際から動かないほうがいいわね」
ロザリンドは壁にぴったりと寄りかかり、息を潜めながら会場の様子を眺め続けた。誰も話しかけてこないのが幸いだった。
やがて、レオニール王子が会場に姿を現した。彼はいつもと変わりなく、明るい金髪に映える、白に青を基調とした「月下の貴公子」コーデだった。
彼は何かを探しているようで、きょろきょろと人混みの中を見渡している。だが、普段の派手な装いとはまるで違うロザリンドに気づく様子はない。
──よし。レオニール王子は私のスッピンを見たことがないから、気が付かないはず。
ロザリンドはじっと息を殺し、ひたすらに舞踏会の終わりを待つことにした。
やがて主役の一人であるロザリンドが不在のまま、優雅な音楽とともにダンスが始まった。人々が踊るためにホールの中央に集まる中、モモは一人片隅に腰掛け、スケッチブックを取り出して何やら絵を描き始めている。その様子をレオニールはじっと見つめていた。
「やっぱりレオニール王子はモモのことが気になるのね……」
二人の様子を観察していたロザリンドだったが、ふとした瞬間にレオニール王子と目が合ってしまった。
「……えっ?」
それだけならば正体を見抜かれることはないとロザリンドは思っていたのだが、彼女の予想とは裏腹にレオニール王子は人々の間を突き進み、一直線にロザリンドのもとへ歩いてきた。
「私は壁よ、壁の一部よ。ただの壁の端っこで目立たない存在なのに、絶対にわかるはずがない!」
ロザリンドは心の中で念じながら、必死に壁に溶け込むように身を縮めた。
レオニール王子の堂々とした足取りは、迷いなど微塵も感じさせない。そしてついに、彼はロザリンドの目の前で足を止めた。
頭のてっぺんからつま先まで、王子の鋭い視線を感じたロザリンドは思わず背筋を伸ばした。
『そんな地味な装いでパーティーに出席するとは何事だ。貴族令嬢として、国の文化を理解しているのか!』
そう叱責される未来を思い浮かべて身構えたが、レオニール王子は何も言わず、ただじっとロザリンドを見つめている。
「ダンスでもいかがかな?」
「だ、ダンス……?」
ロザリンドは緊張のせいか、全身に汗をびっしょりかいていた。
ロザリンドはレオニール王子にダンスに誘われたことはなかった。なぜならば普段のロザリンドは、背を高く見せるためにつま先立ちのような高いヒールを履いていて、踊るのには不向きだったからだ。しかし今日は、つま先に宝石があしらわれた可愛らしい平らな靴を履いている。
これなら踊ることができるのだが、スッピンに地味なドレスで王子と踊ると、悪目立ちしてしまう。
「こんな地味な姿では、とても踊るなんて……」
ロザリンドはうつむきながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「そんなことはないよ、ロザリンド。今夜の君はとても美しい」
レオニール王子のその一言に、ロザリンドは驚いて顔を上げた。
「えっ、レオニール様、私をロザリンドだと認識しているのですか?」
王子は微笑みながら肩をすくめた。
「もちろんだ。なぜわからないと思ったんだね?」
「だって……今日はスッピンですし……!」
ロザリンドの言葉に王子はふっと笑い、優しく答えた。
「化粧をしていようといまいと、君の面影は変わらない。それに、君の声を間違えるはずがないだろう」
その言葉にロザリンドの頬が赤く染まる。今まで、厚く塗り固めた自分の外見しかレオニールは見ていないと思っていたのに、ロザリンドのありのままの姿にきちんと気が付いてくれたのだ。
「レオニール様……」
「では、ロザリンド。私の婚約者として、踊ってくれないか?」
差し出された手を見つめたあと、ロザリンドは小さくうなずいた。
「……わかりました」
王子の手を取りながら、ロザリンドは不安と喜びが入り交じった気持ちを抱えつつ、ダンスフロアへと足を踏み出した。
王子と踊り始めたロザリンドは、視線を床に落としたまま、一言も発することができずにいた。
周囲からの視線が痛いほど刺さるのだ。特にモモなどは何を思ったのか、穴が開きそうなほどにロザリンドを見つめ、一心不乱にスケッチをしている。
──ああ~、地味な私の姿が記録に残されてしまう~~!
素顔で落ち着かないロザリンドは顔を上げることができないままだ。
「ロザリンド、顔を上げてくれ。どうしてそんなに俯いているのだ?」
「だって……こんなにも素朴な格好を、周りの方に見られるのが恥ずかしいんですわ……」
レオニールはふっと笑い、優しく言葉を続けた。
「恥ずかしい? 逆だろう。今夜の君は、どんな宝石よりも輝いている。だから皆、君から目を離せないんだ」
その言葉に、ロザリンドはぎょっとして顔を上げ、信じられないという表情でレオニールを見つめる。
「……本気でおっしゃっているのですか?」
「もちろんだとも。普段の派手な君も素敵だが、こうして素のままでいる君は、まるで月の光から生まれた精霊のようだ。飾らない美しさがある。……そちらのほうが、ずっと好ましい」
ロザリンドにレオニールはふっと微笑みかけた。今までの王子のコーデ評価のバリエーションにはない言葉だった。
「???」
……王子って、もしかして、ゴテゴテでもなく、キラふわでもなくて、シンプルな服装が好きだったの~?
ロザリンドは雷に打たれたような衝撃を受けた。
「それでは、私の今までの努力は……無駄だったのでしょうか?」
ロザリンドはすべての令嬢の頂点に立つべく、しのぎを削っていたつもりだった。一番すばらしいコーデをしてファッションリーダーになること、それが国を牽引する未来の王妃としての第一歩だと信じて疑わなかった。
「無駄なんて言っていない。君の努力は素晴らしい。だが、私はありのままの君だってよいと思っている。それだけは知っておいてほしい」
「……っ!」
ロザリンドは胸の高鳴りを感じた。いつもの派手なドレスや化粧をしていないのに、レオニール王子はこんなにも堂々と自分を褒めてくれる。彼はゲーム内でファッションコーデをジャッジする側の人間だから、服飾に関する嘘はつかないのだ。
「なら……」
ロザリンドは思い切って問いかけた。
「普段から、そう仰ってくだされば……」
王子に意識されているモモに対抗して、悪役令嬢ぶりがエスカレートすることもなかったのに。と思うロザリンドに、レオニールは少しだけ困ったように微笑んだ。
「私はファムセットの王子として、文化の継承者にならなくてはいけない立場だ。だから自分が本当に好きか、より王子としての自分にふさわしいか、という観点で物事を見る癖がついてしまった。その点、ミキャスヴィル公爵令嬢は私にとって完璧な婚約者だった」
「……」
「君は子どもの頃から完璧だった。私は自分の内面を見抜かれてしまうのではないかと、近づくのが怖かったのだよ。今日までは、女友達と仲良く服談義をしているところを、遠くから眺めることしかできなかった」
「……友達!」
どうやら、自分とモモはファッション友達だとレオニールに認識されていたらしい。通りでコーデバトルをやめるように言わないはずだ、とロザリンドは今までの出来事に納得してしまった。
「今夜、素顔の君と話してみて、改めて思った。私は君をもっと知りたい」
その言葉に、ロザリンドは言葉を失った。レオニールががこんな風に自分を思っていたなんて、考えたこともなかった。
「これまでの私の行い、少し反省すべきかもしれませんわね……自分本位な服装をして、レオニール様の好みを考えたことがありませんでした」
「君は君の好きな服装をすればいいさ。みんな違って、みんないいんだからね」
ロザリンドはレオニール王子の手の温かさを感じながら、少しだけ微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます……」
「……でも、素顔は私だけに見せてくれたほうが嬉しいかな」
「……っ! そ、そうですね……」
ダンスの最後の音楽が流れる中、二人は視線を合わせて、静かに見つめ合った。
翌日から、ファムセット王国ではモモの主導でロザリンドの装いを参考にした「月下の女神コーデ」が大流行したのは言うまでもない。
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