魔術師の私、「やらかした令息たちが送り込まれる辺境」に派遣される
ノリと勢いで読んでください
私の名前は、アン・フローリー。
職業は、魔術協会に所属する魔術師。年齢、二十歳。彼氏いない歴、十五年。
五歳のときに告白してくれた隣の家の男の子と付き合った翌日、その子が六股していることが判明してビンタし関係解消して以来フリーを貫いている。
魔術協会はどの国にも属さない中立的な立場を保っていて、ここに所属する魔術師たちは各国からの要請に応じて各地に派遣されている。
私が今回派遣されたのは、サマーズ王国ラスキン辺境伯領だった。
「フローリー女史、よく来てくださった。私はラスキン辺境伯の、レックス・エッガーだ」
「お初にお目にかかります、ラスキン辺境伯閣下。魔術協会より参りました、アン・フローリーでございます」
辺境伯城の応接間にて、私と握手をしたのはゴリマッチョの中年男性。実にいい筋肉を持っていて顔はかなり怖いけれど、魔術師といえど平民の私に対しても丁寧な物腰で接してくれる紳士だ。なお、私に筋肉萌えの趣味はない。
「今回あなたに来ていただいた理由について話したいが……まずあなたは、我が辺境伯領が現在どのような問題を抱えているかについてご存じだろうか」
「浅学で申し訳ございません。ラスキン辺境伯領はサマーズ王国でも歴史が古く、屈強な騎士団を抱えていることくらいしか存じません」
「……いや、結構だ」
ラスキン辺境伯は少し疲れた顔で、教えてくれた。
ラスキン辺境伯領はサマーズ王国の北の国境を守る役目を持っており、昔から優秀な騎士たちを育成してきた。
ラスキン辺境伯領で鍛えられた男たちは、質実剛健で正義の心を持った騎士になる。それはラスキン辺境伯家の誇りでもあり、代々の当主たちは王国の盾となる領地を抱え、優秀な騎士たちを育て上げてきた。現当主のレックス・エッガー様も同じだ。
だがここ数十年の間で、王都から騎士候補の若者たちが送られてくるようになった。ただし、騎士になることを夢見る将来有望な若者などではない。
彼らは王都でやらかした貴族の令息たちらしく、「ラスキン辺境伯領で鍛えられてこい!」と王都から追い出されたそうだ。そういった令息たちは例に漏れず貧弱で泣き虫でずる賢く、辺境伯はそんな若者たちをしごき上げてきた。
それはまあいいのだが、去年困ったことが起きたという。
「サマーズ王国の王太子が婚約者だった公爵令嬢に婚約破棄を言い渡し、身分の低い女性と一緒になると宣言した。このことは知っているだろうか」
「……いえ」
「そうか。……王太子は学園で出会った身分の低い令嬢との恋に夢中になり、彼女と一緒になるために公爵令嬢と婚約破棄しようとしたことを咎められ、王太子位を剥奪された。そうしてここに送り込まれてきたのだが……来たのは、彼だけではなかった」
「もしかして、王太子の取り巻――お友だちも?」
私の言葉に、ラスキン辺境伯はうなずいた。
王太子には、取り巻きがたくさんいた。彼らも愚かな恋にのめり込んだり王太子に協力したりしたため、王太子と一緒に辺境伯領に追いやられることになった。
「それが、一人や二人ではなくて」
「……まあ確かに、王太子ともなると十人くらいのお友だちがいてもおかしくないですよね」
「……四十八人だ」
「えっ」
「王太子とその友人、その部下や協力者など、四十八人の若者たちが一気に送り込まれてきた」
……嘘でしょ?
婚約破棄事件で処分を受けた令息たちが、四十八人?
アイドルグループ作れるんじゃないの?
「多くの者は学園の学生で、中には若い教師や世話係もいた。元々は貴族の令息令嬢たちの交流と勉学の場であった学園だが、ここ数十年ほどの間に恋愛にかまける者たちばかりになってしまったという」
そんな学園、廃校にしろ。
「ここ数年で送り込まれてきた者たちは皆、学園で問題を起こした者ばかりだ。だが国王陛下は、王妃殿下と出会った思い出の場である学園の閉鎖などを渋っているらしい」
国王、退位しろ。
「そういうことで国王陛下は、元王太子やその取り巻きたちの再教育の場としてラスキン辺境伯領を指定した。……私は確かに陛下のご命令を受けたが、四十八人だなんて聞いていなかった。真実を知ったのは、馬車の行列が辺境伯城に来てからだった」
国王、退位しろ(迫真)。
「だが、命令を受けたのは事実だ。私は四十八人のバ――元令息たちを再教育しているのだが、困ったことが起きた」
それは、主に女性関係の問題だという。
そもそもこの四十八人の面子の大半は、恋愛に腑抜けになった野郎どもだ。恋愛する間に訓練して猛省しろ、ということで女日照りな辺境伯領で暮らさせているのだが、辺境伯領とて女性が皆無ではない。
城には若い女性使用人がいるし、近くの村には村娘がいる。馬鹿野郎どもがそういう女性たちに迫って関係を持とうとしては、ラスキン辺境伯の怒りの鉄拳が落とされたという。
若い女性との交流を禁止しても、ならばと中年女性や既婚女性の尻を追いかける者が出てきた。さらには、これまでは離れて暮らしていた辺境伯家のご令嬢が諸事情により先月、城に来ることになった。
「我が娘まで、あの馬鹿どもの性欲の対象になってしまった。……娘は気丈に笑って受け流しているが、もう我慢ならない」
「辺境伯令嬢にまで手を出すのですか!?」
「やつら、私に殺されてもいいから娘の手を握りたい、抱きしめたいなどと言うのだ。もう手をつけられない。これ以上されると、私は奴らを殺してしまうかもしれない」
辺境伯の怒りもよく分かる。
「だから、フローリー女史に依頼したい。あの馬鹿どもが女性たちに対して手荒なことをせず、精神をたたき直せるような魔術を編み出してほしい」
「お任せください!」
私は身を乗り出した。
軽薄な男は、嫌いだ。女性たちを傷付ける馬鹿ボンボンたちを懲らしめる魔術なんて、いくらでも思いつく。
私は魔術協会で、「いたずら好きのフローリー」と呼ばれていた。私が扱う魔術はちょっとひねくれていて、悪い子にお仕置きをするのに向いていたからだ。
協会長が私を推薦したのはなぜかと思っていたけれど、辺境伯の話を聞いて合点がいった。これこそ、「いたずら好きのフローリー」の出番だ!
「必ずや、ぴったりな魔術を編み出してみせます。そしてご令嬢を始めとした辺境伯領で暮らす全ての女性たちが穏やかに過ごせる環境を作ります!」
「おお……! ありがとう、フローリー女史!」
私たちは、改めてがしっと握手を交わした。
……ふふふ。これから楽しくなりそうだわ!
私がラスキン辺境伯領に来て、約十日後。
「皆、集まったな」
騎士団の制服を着こなしたラスキン辺境伯が、練兵場を見回す。そこには、四十八人の選ばれし馬鹿が集まっていた。
一応六かける八の形で整列しているけれど、そのほとんどは制服を着崩しているし、あくびをしたり隣のやつと笑い合ったりしている。真面目に辺境伯の方を見ているのは……あれれ、一人いるかいないかじゃないか。
だがこんな光景も辺境伯や騎士たちにとっては慣れっこのようで、辺境伯はため息をついてから隣に立つ私を手で示した。
「今日は、こちらの女性を紹介する。魔術協会よりお越しになった、アン・フローリー女史だ」
「アン・フローリーでございます。よろしくお願いします」
被っていたフードを下ろして挨拶すると、明らかな好奇の眼差しが向けられた。さすが、色ボケ性欲ボーイズ。値踏みをするような視線をひしひしと感じる。キモい。
だが、そんな下卑た眼差しができるのもここまでだ。
「簡潔に申し上げます。今このときより皆様が、世界中のあらゆる女性の半径五メートル以内に近づくことを禁止します」
私の言葉に、馬鹿どもは「はあっ?」と声を上げた。
「あなたたちは男女の性に大変興味があると聞いています。思春期ですかねぇ。ですが簡単に言いますと、それはキモいですし女性にとっては嫌悪でしかありません。言っておきますが、『俺は顔がいいから追いかけても許されるはず』なんて思ってはいけません。キモいものはキモいのです」
「……このっ……女ぁ!」
「あ、ちなみに」
私の言葉に怒りも露わにした男がずんずんと進み出て、私に掴みかかろう――とした瞬間、バチッと音と光が弾け、男は悲鳴を上げてうずくまった。
その姿を見て、周りの者たちが「殿下!?」と叫ぶ。なんと、この勇敢なる馬鹿が噂の元王太子だったか。
「もう既に魔術は発動しているので、女性に近づいたらこうなります。はい、感想をどうぞ」
「……ぐ、ぁあ……も、もげそうだ……」
元王太子の苦悶の声を聞いて、馬鹿どもはさっと静まりかえった。
私はにっこり笑ってやる。
「このように、ルールを破った人は『もげそうな痛み』に苛まれることになります。あと、この人の頭上を見てください」
「……なんだこれ。数字……?」
そう、悶える元王太子の頭の上に、「1」という数字が浮かび上がっていた。
「これは、お仕置きを喰らった回数です。可視化するというのは、大切なことですよね」
「……これより一年間、おまえたちの素行を見させてもらう。この数字が一度も出ることなく一年間を終えることができた者は、フローリー女史が魔術を解除した上で王都への帰還を許す。また数字が多少あれども素行良好と判断できる場合も、同様の扱いとする」
ラスキン辺境伯がそう言った途端、馬鹿どもは視線を交わし合った。
女の尻を、追いかけたい。だが頑張って我慢すれば、王都に戻ることができる。
なお、元王太子はもう既にこのレースからの脱落候補生になっている。
「そういうことで、諸君。これからはこの地に来た意味をよく理解した上で、訓練に励むように」
ラスキン辺境伯の言葉の後には、元王太子の情けない泣き声だけが響いていた。
結果として、私の魔術は大成功だった。
城で働く女性たちからは「もう怖くないわ!」と喜ばれるし、村娘たちからも「もうお尻を触られなくて済むのですね」と涙ながらに感謝されたりし、辺境伯令嬢からは「これで安心してお父様と一緒に暮らせるわ。ねえ、フローリーさん。わたくし、あなたとお友だちになりたいわ」とまで言ってもらえた。
なお、私の魔術がかかっていてもなお突撃する馬鹿はおり、そのたびに頭の上の数字がどんどん増えていった。その中でもぶっちぎりは元王太子だ。やっぱり馬鹿だったのか。
ただし、「女がだめなら男でもいい」と言って、若いボーイにちょっかいをかける者が出てくるかもしれないよね? もしくは、お年寄りに八つ当たりをしようとする奴らもいるかもしれないね。
ご安心を。その対策も既に講じておりますとも!
私の魔術は「女性の半径五メートル以内に近づくと、もげそうな痛みがしてカウントが増える」だけでなく、「十五歳未満の少年および六十歳以上の男性の半径三メートル以内に近づくと、下痢になる」という効果もついている。トイレにずっとこもっている馬鹿がいたら、このお仕置きを喰らったということだ。
つまり、奴らがまともに近づけるのは同じ馬鹿仲間もしくは、屈強な男性騎士くらい。
いやぁ、愉快愉快!
「しかし、馬鹿は懲りないなぁ」
ある日、辺境伯城の庭で優雅に一人おやつ時間を過ごしていた私は、そんなことをぼやいた。
ラスキン辺境伯は私の魔術をとても褒めてくださり、とんでもない好待遇をしてくれた。部屋は広くて毎日お風呂に入れる。三食昼寝とおやつ付きで、しかも可愛い辺境伯令嬢まで懐いてくれる。
そういうことで私は毎日魔術のかかり具合さえチェックしたら後はだらだら過ごしていたのだけれど、馬鹿は腐っても馬鹿なんだと実感している。
パラソルの下でラウンジャーに寝転がりジュースを飲みながら練兵場を眺める私の前を、馬鹿どもがぞろぞろ歩いている。彼らは私を見るとぎょっとしたように逃げていくけれど、全員もれなく頭の上に数字が浮かんでいる。
私があの魔術を使い始めて、早一ヶ月。
頭上に数字が浮かんでいない者はいないんじゃないかってのが、悲しき現状だった。
毎日辺境伯城のあちこちでバチッという音と男の悲鳴が上がっているのに、懲りずに女性に突撃してばかりだ。なお、「困っている女性がいたから」なんて言い訳は通用しない。困っている女性がいれば近くにいる辺境伯家の騎士たちを呼べばいいんだから。
ちょうど訓練を終えたところらしい騎士たちが歩いていくのを、私は頭上の数字を読み上げながら見守っていた。
「6ー、12ー、3-、4-……おっ?」
思わず私は、ラウンジャーから体を起こした。なぜなら、数字が何も出ていない男性を見つけたからだ。
茶色の髪を持つ彼は、他の仲間たちが訓練の後でヒイヒイ言っている中でただ一人背筋を伸ばしてしゃきしゃき歩いている。どんなに目をこらして見ても彼の頭の上に数字はないし、では、と思って魔術を展開したけれどやはり、彼がお仕置きを喰らった回数はゼロだと分かった。
私の視線に気づいたのか、彼がこちらを見た。茶色の目の、わりと平凡な顔立ちの男性だ。
彼は私が恐怖の魔術師だと気づいたのか目を丸くしたけれど、ぺこっと会釈をして去っていった。
……珍しい。まだ数字が出ていない人もいたんだ。
気になった私はその日の夜、ラスキン辺境伯に彼について尋ねてみた。
「……ああ、そいつはおそらく、ホレス・ギムソンだな」
彼のだいたいの特徴を述べただけで、辺境伯はぴんときたようだ。
「そいつはギムソン子爵家の長男で、例の王太子婚約破棄事件にも関与していたらしい。だが子爵が言うには真面目で優しい青年とのことで、まさか自分の息子がそんな馬鹿をやらかすとは、と半信半疑ながら、本人が罪を認めるのでここに送ったそうだ」
「……そうですか」
確かに、誠実で真面目そうな雰囲気だった。
「彼は訓練も真面目に受けるし、普段の行いもとてもいい。周りの者たちを諌めるほどの勇気はないようだが、自分がするべきことやできることを進んで行っている。私としても、こんな青年が罪を犯すものかと思ったのだが……」
「では、もし彼が一年間で一度もお仕置きを喰らわなかったら、王都に戻せるのですね?」
「ああ。これから化けの皮が剥がれる可能性もあるが……私の勘では、あいつは根っからの善人だ。このままの調子でいくなら、女史の魔術を解除する候補にしてやってほしい」
「はい、私も彼のことを注意して見てみます」
私はそう答えた。
私が辺境伯領に来て、半年経ったある日。
「……騒がしいわね」
今日も魔術師様特権でピクニックシートの上に寝転がってお菓子をボリボリ食べていた私は、城の裏手が騒がしいことに気づいた。どうせまた、元王太子がやらかしているんだろう。
とうとうカウントが100を越えてそのたびにもげそうな痛みに泣いてもなお痴漢行為をやめないのはもう病気じゃないか、動く猥褻物だからなのか。
しばらくして、焦った様子のメイドがやってきた。
「フローリー様! 訓練生たちが揉めていまして……来ていただけませんか?」
訓練生とは、例のアホボンボンたちのことだ。
「ええ、もちろんよ」
馬鹿なぼっちゃんたちに魔術でメッとするのも、私の役目だ。
さて、今回は元王太子か、それ以外か……と考えながらメイドの案内で城の裏手に向かった私を待っていたのは、馬鹿どもに羽交い締めにされる茶色の髪の青年だった。
「……ちょっと、あなたたち。何をしているの?」
「……げっ、魔女が来た!」
「逃げるぞ!」
馬鹿どもは私を見るとさっと顔色を変えて、拘束していた青年を突き飛ばして逃げていった。彼がどさっと草地に倒れそうになったので、助け起こ――いや、だめだ。魔術が発動してしまう。
「訓練生たちが、あの人を捕まえて私の方に突き飛ばそうとしたのです」
メイドの説明を聞いて、やられた、と思った。
この青年の頭の上には相変わらず、数字が浮かんでいない。つまり彼がこの半年間、一度もお仕置きを喰らわず真面目にしているという証拠だ。
それが気に食わない馬鹿どもが、彼を拘束して無理矢理女性の方に近づけようとしたのだろう。私の魔術は本人の意思とは関係なく、半径五メートル以内に入った場合に発動するから。
チッ、ない知恵を絞りやがって。
「……そこのあなた、大丈夫?」
メイドを持ち場に帰らせてから私が問うと、青年――ホレス・ギムソンはうめきながら立ち上がり、そしてしゃがみ込む私を見るとはっとしてずりずりと後退した。
「ま、魔術師殿! 俺は、大丈夫です!」
「それならよかった。……あなた、あの馬鹿どもに意地悪をされていたのね」
「はは……みっともないところをお見せしてしまいました。でも、大丈夫です。今回は逃げ損ねただけで、いつもはうまく逃げているので」
ホレスはあっけらかんと言うけれど、これまでにも同じような目に遭っていたのだと思うと申し訳なくなってきた。
「ごめんなさい。もっとうまく術式を組めたらいいんだけど……」
「いいえ、これくらいでないと皆は真面目になれませんから、大丈夫です。それに俺、逃げるの得意なんです! 今日は本当にうっかり、捕まっただけで」
明るく言うホレスを、私は観察する。
おそらく、アホボンボンどもの中でまだ数字が出ていないのは彼だけだ。噂では何回か下痢にはなったそうだけど、それは道ばたで転んでいた老人を助け起こすためだったとか泣いている男の子を立たせてあげるためだったとか、そういう場合だけらしい。
子どもや老人に近づくと下痢になるってのは皆分かっているのに、それでも彼は人助けをするためならばとお仕置きを喰らう方を選んだそうだ。
うー……こういう例外を見逃せたらいいのだけど、さすがに私の魔術は人間が考えていることを察知することまではできないから、難しそうだ……。
「ねえ、あなたって本当に王都で悪いことをしたの? 婚約破棄事件に関係していたって聞いたけれど」
私が尋ねると、地面に座り直した彼は肩をすくめた。
「関係……はしていました。でも俺は元々王太子殿下と懇意にしていたわけじゃなくて、あの日いきなり殿下に『人手がほしいから来てくれ』って言われて、のこのこついていったんです。そうしたら殿下は公爵令嬢に婚約破棄を宣言し始めて……俺も一緒に捕まってしまいました」
「ええっ!? それじゃあぶっちゃけ冤罪じゃない!」
思わず声を上げるけれど、ホレスは苦笑するだけだ。
「そうかもしれませんが、それを証明することはできませんでした。王太子による婚約破棄の場に、数合わせだろうと何だろうとギムソン子爵家の嫡男もいた。……それだけで、俺は家名を汚してしまった。父を悲しませ母を落ち込ませ弟妹たちを泣かせた俺にできるのは、粛々と罰を受けることで身の潔白を証明することだけです」
「……」
「あと半年経っても俺が一度も違反をしなかったら、王都に戻れるんでしょう?」
「……ええ。それに辺境伯閣下は、一年間の素行がよければ推薦状も書かれる予定よ」
もう既に数字ゼロ候補はホレスしかいないが、ラスキン辺境伯も彼の真面目な態度には感銘を受けているようで、この調子であれば半年後にホレスを送り出す際に推薦状を書いてもいいと言っていた。
推薦状があれば、彼は汚名を返上することができるはずだ。
「でも……ああ、思い出すだけで腹が立つ! あいつらはあなたも道連れにしようと、ああやって猪口才なことをするのね!」
「あはは、大丈夫ですよ。あと半年、何としてでも逃げ切ります」
ホレスはそう言うと、立ち上がった。
「そういうことなので、魔術はこのままでいいです。……手加減なんて、必要ありません。俺は自分の行動で、身の潔白を証明すると決めたのですから」
「……」
「だから……そ、その。もし俺が半年後まで数字を一度も出さずに、魔術を解除してもらえるようになったら……そのときは、俺と握手をしてくれませんか?」
「握手?」
一体何を言い出すのやらと思って身構えていたけれど……まさかの握手?
ホレスははにかんだように笑って、頭を掻いた。
「魔術師殿のこと、格好いいな、と思っていたんです。でも今の俺では近づくだけでお仕置きを受けますから……自由の身になったら、あなたの手を握りたいのです。……あっ、その、それだけですからね!? 決して下心があるとかではなくて……」
「……ふふ、分かってる分かってる。じゃあ、そのときには握手をしましょう」
私がそう言って手をひらひらさせると、ホレスはぱっと笑顔になった。
「いいのですか?」
「握手くらい、いくらでもするわ。……一年間よく頑張りました、あなたは立派な人でした、という気持ちを込めて握手をするわね」
「ありがとうございます! 俺、頑張ります!」
ホレスはそう言うとピシッとお辞儀をして、立ち去っていった。
……彼のことは少し心配だけれど、下手に忖度すると彼の尊厳を傷付けるかもしれない。
「……頑張ってね」
私は小声で、エールを送っておいた。
さて、私があの魔術を施して早くも一年が経とうとしていた。
元王太子は、頭上カウントが200を越えた辺りから姿を見せなくなった。逃げたとか病気になったとかではなくて、一説によるとあまりにも「もがれそうな痛み」を受けすぎたためにそれが快感になり何度も自分から女性に突撃した結果、「『そうな』ではなくなった」のだとか。
ええーっ、一体どういう意味なんだろうー?
そして度重なる嫌がらせにも屈することなく、ホレスの頭上には未だに何もない。もはや数字一桁の素行優秀者の方が少ないくらいになったので、彼の頑張りには涙が出そうになる。
そんな彼は馬鹿どもからは恨まれている一方で、城の女性たちからはものすごく人気になっている。「魔術が解けた後、去る前にハグしてほしい」と望むメイドや村娘もいるし、あの辺境伯令嬢でさえ「彼とならお友だちになりたいわ」と言っている。
なおそんな彼女の好みのタイプは「お父様のようなガチムチ男性」らしいので、ホレスはちょっと違うようだ。
「約束の一年まで、あと三日……早いものですね」
「ええ。私がここに来てから、もうそんなに時間が経ったのですね」
私はお嬢様と一緒に庭の散策をしながら、そんな話をしていた。
最初の頃は馬鹿どもに怯えていた彼女も、今ではすっかり明るくなった。彼女はもうしばらく大好きなお父様ことラスキン辺境伯と一緒に暮らしてから、王都に行って結婚相手を探す予定らしい。
「でも、寂しくなるわ。アンももうすぐ、魔術協会に帰ってしまうのでしょう?」
「はい。私が作った魔術の術式は既に記録できているので、今後は協会から定期的に担当者を送ることになります」
ラスキン辺境伯は私の魔術を高く評価してくださり、もしよかったらこのまま辺境伯領で暮らしてほしいとまで言ってくれた。でも私は元々一年契約だったので、いずれ引き継ぎ作業をしたら魔術協会に帰る予定だ。
今回王都に戻れるのはホレス一人になりそうだけど、一年経過したことで数字をリセットする予定だ。そしてまた一年間様子を見ることになるという。
私の魔術のことはサマーズ国王も聞いているようで、学園のダンスパーティーとかで婚約破棄を言い渡す馬鹿がいなくなったそうだ。それはいいことだけどやっぱり学園は潰すべきだし、国王は退位した方がいいと思う。
お嬢様は私との別れを寂しがってくれたけれど、彼女もこれから淑女として羽ばたいていく時期だ。それにこれからも手紙を送り合ったりしよう、と決めているので、寂しくない。
……本当に、私はこの辺境伯領でいい出会いがたくさんできたな。
……と、少し気を抜いていたのがいけなかった。
シュン、という音が聞こえたため、私は反応が遅れてしまった。
とっさに魔術を展開して、隣にいるお嬢様の周りに守護バリアをかけたけれど――
「きゃあっ!?」
「アン!?」
飛んできた銀色のものは、お嬢様ではなくて私の肩に刺さった。矢羽根を振動させるこれは……クロスボウの矢!?
「くっ……誰が……!?」
「アン、ああ、なんてこと……! 誰か、誰か来て!」
倒れた私に真っ青な顔のお嬢様がすがりついてくる。すぐにメイドたちが来たけれど、彼女らは肩に矢が刺さった私を見て震えるだけだ。
仕方ない。彼女らは非戦闘員だから、矢で射られた人の助け方なんて知らない。
「っ……大丈夫、です。肩だけだから……」
皆を元気づけるために言って立ち上がろうとしたけれど、くらっとした。
これは……鏃に、毒が塗られている!?
解毒の魔術もあるけれど、肩を射られているからか力が出ない。
お嬢様が、私の名前を呼んで涙を流している。
「騎士を呼んで! お父様にも連絡を……」
「どうかなさいましたか!?」
男性の声がした。騎士が来てくれたのだろうと思ったようでお嬢様やメイドはほっとしたけれど、私はこの声を聞くことで揺らいでいた意識が一気に引き戻された。
これは……私に近づいても平気な騎士ではない。
「魔術師殿!? それは、クロスボウの……!?」
「あ、あなたは訓練生の……」
「っ……魔術師殿は、俺が運びます! お嬢様は騎士たちに連絡をしてください!」
ざっざっ、という足音が近づいてくる。
……だめ、来ないで。
私に近づいたら、あなたは……!
ざっと草を踏みしめる音が近くで聞こえた直後、青年が叫び声を上げてその場に片膝をついた。私の半径五メートル以内に来てしまったからだ。
「……こ、来ないで。大丈夫、誰か来るまで、待てるから……」
「……なりません!」
私は、顔を上げた。私をじっと見つめる彼の頭の上に「1」が浮かんでいるのを見て、胸が張り裂けそうになる。
それでも彼はよろめきながら私のところに来て、私の体を抱き上げた。2,3,4,と見る見る間に頭上カウントが増えていき、私を抱える彼の腕が震え噛みしめた歯の奥からうなり声が上がる。
「も……やめて。離して……」
「離しませんっ……!」
彼――ホレスは叫ぶと、私を抱えたまま歩き出した。「お仕置き」をずっと受けている状態だから、その足取りは怪しいしふらついている。
それでも彼は、駆け付けてきた騎士に私を託すまでの間、一度も泣き言を言わなかった。
ホレスがすぐに私を医務室の方に連れて行ってくれた甲斐もあり、鏃に毒を塗っていた矢はすぐに抜かれ、毒消しも間に合った。
私をクロスボウで狙ったのは案の定、アホボンボンの一人だった。王都に帰ることができない、ホレスを嵌めることもできなかった彼は逆上し、「術者が死ねば魔術は解除されるはず」と考えて凶行に至ったそうだ。
彼を処分するために、魔術協会から協会長がやってきた。協会長は相当お怒りだったし、それはラスキン辺境伯や、私が射られるのを見てしまったお嬢様も同じだったようで、そいつは「もう二度と『いたずら』のできない体」になった上で半殺し処分となったそうだ。妥当だな。
そうして一命を取り留めた私は、ラスキン辺境伯にお願いをした。
それは、ホレスについてだ。
彼は「お仕置き」を受けるだけでなくせっかく頭上ゼロカウントを保った一年間の努力を泡にするのを覚悟の上で、私を運んでくれた。
今の彼の頭上には私を抱き上げたまま移動した秒数と同じ62の数字が浮かんでいるけれど、どうか彼を王都に帰してやってほしい、とお願いした。
忖度はしない、手加減はしないと決めていたのだからと、ホレス本人は私のお願いを却下してほしいと言ったそうだ。でも現場に居合わせたお嬢様も私に同調して、その他彼の誠実な態度を見てきた城の女性たちほぼ全員からも嘆願の声が上がった。
そして、ラスキン辺境伯も彼の誠実さをよく分かっていた。
「ホレス・ギムソン。そなたはこの一年間の努力があったからこそ、これほどまで多くの者たちからの声を集められたのだ」
辺境伯はそう言って、ホレスに書類の束を渡す。そこには、ホレス・ギムソンを無罪として王都に帰らせることに同意する者たちの名前がずらりと書かれている。
そのトップはもちろん私で、その次はお嬢様。その後にメイドや村娘、はたまた彼に助けられた子どもや老人たちの名前が続き、最後は「レックス・エッガー」の署名で締めくくられていた。
「ここでそなたが固辞すれば、これほどの者たちの声を無下にしたことになる。……分かっているな、ホレス・ギムソン」
ホレスは、手元の署名をじっと見ている。そんな彼を、私は辺境伯の隣で見ていた。
頭上に62の数字を浮かべる彼はぎゅっと唇を引き結んで辺境伯を見て、そして私を見て、もう一度署名を見てから、うなずいた。
「……ありがとうございます、閣下、魔術師殿」
「礼は不要だ。……魔術協会長からも、そなたの決死の行動がなければ優秀な魔術師を喪っていたかもしれない、と言葉をもらっている。己の努力をふいにしたとしても、汚名を被ったとしても、守りたい者のために動くそなたは立派な紳士、立派な騎士だ」
辺境伯の言葉に、ホレスははっと顔を上げた。
「閣下……」
「そなた、騎士を目指していたのだろう? ……王都に戻っても、実家の爵位を継ぐまでまだ時間があろう。そなたが望むのであれば、王国騎士団への推薦状を書こう」
「……ありがたきお言葉に感謝します。ですが私は、汚名をそそいだばかりの身です。王都に戻ったらまずは家族のために働き……ホレス・ギムソンとして皆に認められるようになってから、騎士団の門を叩きたいです」
ホレスが真面目に言うと、辺境伯は「つまらんな」と言って私を見た。
「フローリー女史よ、この頑固な若者に推薦状を押しつけるには、どうすればよいだろうか」
「そうですね……何か、彼が絶対にうなずくような条件をぶら下げるのはいかがでしょうか?」
この一年間で私の第二の父親のような存在になった辺境伯に提案すると、彼は「おお、それはいいな」と厳つい顔を緩めて笑った。
「……そういえば、フローリー女史。そなたも回復したことだし、引き継ぎ作業を終えたら魔術協会に戻るのだったか」
「はい、その予定です」
「なるほど。……魔術協会はどの国にも属さないため、そなたがここを去るとなるとなかなか会えなくなるな」
「そうですね。基本的に私たちは協会長の派遣命令を受けていろいろな国に行くので、次の派遣先によってはサマーズ王国から遠く離れることになるかと」
「なんと、それは寂しいことだ。……つまり最悪の場合、そなたはもう二度とサマーズ王国を訪れることがなくなるのか」
「そういうことです」
……だんだん辺境伯の言いたいことが分かってきたので悪ノリしつつちらっと横を見ると、ホレスが真っ赤な顔でぷるぷる震えていた。
彼は何度か口を開いたり閉じたりして……そして、「魔術師殿!」と声を張り上げた。
「お、俺は……! あなたのことが、好きです! 好きなあなただから、お仕置きを受けたとしても助けたいと思って……だから、あなたと離ればなれなんて嫌です! 俺、騎士になります! だから……ほ、他の国には行かないでください! 俺のところに来てください!」
「よく言った、若者よ!」
「ホレスさん……嬉しいわ!」
手を叩いて大喜びする辺境伯の脇を通って、ホレスの前に立つ。
「でも私、変な魔術ばっかり編み出す『いたずら好きのフローリー』なんて呼ばれる女だけど、それでもいいの?」
「そんなあなただから、大好きなんです! お、俺と結婚してください!」
「ええ、ありがとう!」
断るはずもない。
強い信念を持ち、正しくあり続け、人に優しくできる……そんなホレスのことが、私も好きになっていたのだから。
「そういうことならば、フローリー女史が次の国に派遣されるのを阻止するためにも、すぐに婚約するべきだろう。……なあ、ホレス・ギムソンよ。好いた女を手放さないためにも……推薦状、ほしくないか?」
「っ……申し訳ございません、閣下。先ほどの言葉を訂正します。……推薦状、ください!」
にやにや笑いながら辺境伯が言うと、ホレスはビシッと体を九十度に曲げて頼み込んだ。
それほどまで私を手放したくないんだ……あっ、なんだか嬉しくなってきた。
「ホレス、私もあなたと一緒にいたいと思うわ。……握手だけでなくて、他のこともしたいし」
「えっ!? あ、そ、そうですね……」
「私の名前、アンよ。……一年間、よく頑張りました。あなたの努力と誠意を、称えます」
「ありがとうございます、魔術師……いえ、アンさん!」
「あっ、待って! まだ解除を――」
……辺境伯の部屋から、バチッという音と青年の悲鳴が響いた。
数字は、63になった。
かくして私は辺境伯領を離れて一旦魔術協会に戻ってから間もなく、協会を脱会することになった。
既婚者の魔術師もいるけれどさすがに貴族のおうちに嫁ぐのならば、どの国にも属さず中立を保つことを信条とする魔術協会に居ることはできなくなるからだ。
そうしてホレスの婚約者としてサマーズ王国に渡った私は、一人の女性として彼と結婚した。ホレスの家族はいい人ばかりだったし、息子の身の潔白を証明するきっかけにもなった私のことを大歓迎してくれた。
優しい旦那様に愛されて幸せだし、ラスキン辺境伯やお嬢様とのやりとりも続いた。そして元王太子がちょっとアレなことになったこともあり、国王は引退して真面目な第二王子が即位し、学園も廃校になった。
そのためラスキン辺境伯領に送り込まれるアホボンボンたちもいなくなったし、私の後を引き継いだ魔術師たちによる馬鹿ども矯正計画も順調に進んでいるという。きっとこれで、王国の治安もよくなるはずだ。
めでたし、めでたし。
今までたくさんのアホボンボンを送り込んでしまいすみませんでした