第238話 敬意をあなたへ
動き出すエポナ艦隊。
するするっと流れるようなその立ち上がりは、熟達の舞踊家のすり足か。はたまた世界レベルのアイススケーターか。
モニターを見つめるシルビアの目は相変わらず険しい。
が、口から溢れる心は、
「……惜しいわ」
「御意」
驚くほど静かな響きを持っている。
芸術に心打たれ、深く感じ入るような温度。
それも、大人が大々的なショーにスタンディングオベーションするのとは違う。
「ボロボロで、もう力尽きたあとのはずの艦隊よ。なのに、あれほど美しく、乱れず。こちらへ向かってくる」
「本当に、一世の英傑たる艦隊です」
もっと純粋に子どもが、赤いラインを閉じ込めたビー玉に、時を忘れて食い入るような。
華美ではなく、研ぎ澄まされた、本質だけの美。
それは鱗を剥がし、尾鰭を打ちながら遡上する、鮭の命にも似ている。
静謐で清らかな剥き出しが、音もなく心に触れる感覚。
「パパがね、三国志が好きで」
「皇帝陛下がですか?」
「……いえ、違ったわ。昔会ったおじさん。張任だったかしら。敵側の優秀な武将が、最後まで降伏してくれなくて。それで泣く泣く首を刎ねるって話をしてて」
本来このような私語をしている場合ではないのだが。
二人の姿は余裕というより、餞であった。
葬式のあとの宴会で故人についての話で盛り上がるのを、先にやっているような。
言葉を尽くすことで、美しく飾ってやるような。
「惜しいわねって」
「悲しいながら、よくあることですな」
「でも、私たちは逆よね」
「は?」
「最初は、仲間だったはずなのにね」
なればこそ悲しけれ。モニターを静かに見つめる、というよりは立ち尽くすシルビア。
しかし戦場はそんな感傷を許さない。
許してくれるなら、あれもこれも、最初からこんなことにはならない。
「閣下! 間もなく射程内です!」
「えぇ、そうね。アンチ粒子フィールド展開。本艦も前へ」
ここに来てのポジション変更に、カークランドの眉が動く。
「首狩りですか?」
「いえ」
彼女は静かに首を左右へ。
そこにはたしかに、普段のような気迫の高まりはない。
「ただ前線へ。元帥閣下へあいさつを。尽くせる礼は、尽くさなければ」
「御意」
副官の理解も得られたところで。
普段ならカーチャの真似のように、右利きでも勢いよく左手を突き出すシルビアだが。
「艦隊、砲撃準備」
今回はゆらりと、ゆっくりモニターへ手を伸ばす。
まるで、愛しい人へ、届かぬ手を差し伸べるように。
一方、動き始めたエポナ艦隊。
その先頭を切るのは、
「ミチ姉。現状の我々の戦力は?」
「聞いて驚け」
「見て笑え」
「なんと184隻だ」
「だいぶ脱落したな」
「エネルギーがな。これでもおまえの演説で逃げたやつはいないんだぞ?」
彼らの旗艦、『勇猛なるトルコ兵』である。
いくらボロボロであろうと、普段は先陣を切ることがなかろうと。
今日ばかりは、皆を導く姿を示さなければならない。
過酷な道をついて来てもらうのだ。先に立つのが礼儀であろう。
「アンチ粒子フィールドは?」
「棒立ちで死ぬでもよければ、少しは張れるようだぞ?」
「僕らも貧乏になったなぁ」
「あれだけ連戦したんだからな」
「カーチャめ、ガルシアめ。みんなしっかりバーナード元帥の礎になったか」
呟き、歯を剥くバーンズワースは少しうれしそうですらある。
実際うれしいのだろう。
自身が破った英雄たち。彼らが負けてなお立ちはだかる強敵であると。
運命の綾とはいえ、死なせてしまうことになったカーチャ。
彼女が犬死にではなかったと。
そう思えるのが救いなのだろう。
であれば、これも彼にとっては福音なのかもしれない。
「敵艦隊熱源増大! 間もなく射程内に入ります!」
「よし。僕らも全力を尽くそうじゃないか」
彼は心地よさそうに艦長席で居住まいを正す。
「入営の時から見てきたが、まさかお互い元帥として矛を交えることになろうとはね」
「ジュリアスおまえ、老人くさいことを言うんだな」
「アラサー的には、まだそんな資格ないとお思いかな?」
「だったらアラサーに年功の敬意を払え」
そうは言うが、イルミもふっと笑い返す。
「ま、おまえもその年で元帥だ。密度の濃い人生だったろうさ。こんなこともある」
「にしても、数奇なもんさ。最後の敵が味方ってだけでもそうなのに、弟子とは」
「日頃の行いがよかったのか、報いなのか」
「閣下! いつでも砲撃可能です!」
二人してもう終わったような話をしているが、むしろ今から始まるのだ。
指揮官がダラダラしているあいだにも、クルーが動いて用意した攻撃。
バーンズワースは勢いよく右手を突き出す。
「じゃあ早速いってやれ! 華々しく、出し惜しむなよ!!」
一方、ユースティティア艦隊の方も、
「敵艦隊、射程内に入りました!」
「閣下!」
「えぇ!」
ジュリさま……!
シルビアは祈るように歯を食いしばり、
「撃ーっ!!」
「撃ーっ!!」
かくして、交差する閃光。
普段なら殺意の応酬などと評するところだが。
今日ばかりは、英雄たちの会話にも似た。
立派になった部下を讃えるように。
真実銀河一であった英傑の最後を飾るように。
そんな煌めきが交わされる。
が、それにはやはり切ないか。
ユースティティア艦隊の砲撃は、いつもの戦場にも見劣りしない迫力。
弔花のごとき華美さに対して。
エポナ艦隊はもはや、瀕死の鳥が羽を撒き散らすような。
残り少ない命を、それでも無理矢理搾り出した貧弱な光の筋。
その差がもたらすものは、一目瞭然である。
ユースティティア艦隊最前線、『悲しみなき世界』では、
もうお約束のようになった些細な揺れや悲鳴もなく。
「先ほどの砲撃で」
「エポナ艦隊はっ!?」
「はっ、はいっ!」
観測手が面食らうほど、シルビアもセオリーを無視できる余裕があるのに対し。
「ぐうぅぅ!!」
艦長席の背もたれをつかんで衝撃に耐えるイルミ。
こういう時、座ることがほぼない副官は辛い。
もっとも、今日ばかりはあったとしてもここを離れないが。
しかし、そんな信念を揺さぶるような衝撃である。
爆音も凄まじかった。
彼女は副官として、素早く状況把握に努める。
「被弾したか!」
「はっ! 艦隊前面に複数被弾! 被害45パーセントを突破しましたが、戦闘続行可能です!」
「艦隊ではどうだ!」
「今ので8パーセント持っていかれました!」
「『掟破り』『早く速く』轟沈!」
「そうか……」
やはりどうしても前向きな報告がもらえない隣で、
「敵は、いくら……削れた?」
バーンズワースが静かに口を開く。
しかし、
「それは」
「いや、聞くのは野暮だな」
観測手のリアクションを見て、すぐに引っ込める。
そんな彼の様子を、イルミは見ていた。
「ジュリアス、おまえ」
「うん、傷が開いたね」
「またか。腕のいいドクターのはずなんだがな」
「それでも限度がある、限度を超えてる戦闘ってことだ」
バーンズワースは静かに、あるいは力なく微笑む。
「まぁ、よくも悪くも長引かないだろうさ、この戦いは」
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