第211話 逆襲による逆襲
9月17日、11時17分。
エポナ艦隊旗艦『勇猛なるトルコ兵』艦橋内。
「ミチ姉」
「なんだ」
「何時間になる?」
「じき、12時間」
「ふぅん」
目立った衝突はないとは言え。
さすがに一睡もせず夜通しから昼前まで鬼ごっこ。
捕まえられそうでのらりくらりと逃れる相手。
さしものバーンズワースとイルミも、疲労が表に出ている。
椅子に座って泰然自若としていた元帥だが、副官と並んで仁王立ち。
でないと寝てしまう。
どころか、普段作戦行動中にイルミがタメ語で返すことはほぼない。
というか軍隊としても信条的にも、あってはならないと彼女は考えている。
あるとすればクルーや自分たちの緊張を解すため。
あともう一つくらいの場合しかないのだが。
現状二人は、普通に集中力が切れかかって雑なやり取りになっている。
「同じあたりを延々グルグル、半日も。ル・マンとかフォルトゥーナの耐久レースじみてきたな」
「だな」
「マズいな」
「だな」
相手の目論見も分かってはいるが。
現状エポナ艦隊はきっちり時間を稼がれている。
別方面からの増援も、今日明日到着するものでもないと思うが。
「このままエネルギーを浪費すると、せっかくのあれがな」
取り乱しはしない。
が、いつもの余裕はないバーンズワース。
「おまえほどの戦上手でも、困ったりするものなんだな」
「僕ぁ戦ったら誰にも負けないけどね、戦ってくれなきゃどうしようもないの」
「なるほど、言えてるな」
「カーチャめ」
「ふふん」
「なんだよ」
「いや」
ニヤリと笑うイルミに、彼は初めてかもしれない怪訝な目を向ける。
いつも上を取ってからかっている『ミチ姉』相手に。糸目でも分かるほど。
それがまた、彼女の気をよくさせる。
「なに、おまえも年上の女性に手玉に取られたりするのだな、と。人間かもしれない、と思えて安心したんだよ」
「なんだい。普段は人間じゃないみたいじゃないか」
「あぁ、まぁ、寝不足の戯言と思って流してくれ」
ニヤニヤまたとない機会を楽しむイルミだが。
対照的にバーンズワースは厳しい顔。
「……どうした」
「あぁ、いや」
彼女がそう問うたのは、明らかに『からかわれて不興』な態度ではないからだ。
奥歯を噛み締める代わりに押し付けるように。
親指であごを押す彼の横顔には、難しい思考が滲む。
寝不足だろうと、軽口に応じていようと。
彼の脳は常に戦闘に向いているのだ。勝利のために動いているのだ。
そのうえで、この表情は。態度は。
「策が、あるのか」
何かを思い付き、決断をしたのだろう。
「あるんだな」
彼女の念押しに否定も肯定も。
おいそれとは答えないのが何よりの証拠。
重ねて、それが意味するのは、
「ミチ姉」
「言ってみろ」
「進軍しよう」
「なっ!?」
どれだけ重い決断をしたかということ。
イルミは衝撃で意味もなく姿勢を崩し、意図のない動揺だけの手の動きをする。
逆にバーンズワースは、まるで大理石の像かコズロフにでもなったかのよう。
ピクリとも動かない。
「それは、つまり」
「うん。連中は無視する。追い付けないし、無駄だから」
指揮官は淡々と述べるが、副官としては聞き捨てならない。
「しかしそれは!」
「分かってる」
「こちらが追撃を受けることになりかねんぞ!」
ここで背を向ければ、必ずシルヴァヌス艦隊は反転攻勢を仕掛けてくるだろう。
追う追われるの有利不利が入れ替わる。このうえないチャンスなのだから。
だが、それでは
『鬼ごっこの役が入れ替わっただけ。先ほどまでどおり、追い付かれもすまい』
そう思うかもしれない。
が、そうはいかない。
何故ならここは小惑星帯。
どこですぐ物理的な壁が出てくるか分からない。
ここを庭に構えて、地理を調べ尽くしたカーチャならともかく。
バーンズワースらエポナ艦隊が詰まらず走り抜けるのは、非常に難しいだろう。
そして一歩立ち往生したが最後、
それは鬼ごっこの敗北を確定づける。
それを避けるために。
先にカーチャを倒しておくべく、今までわざわざ追い回していたのだ。
いきなり『やめる』というのは。
が、バーンズワースはあくまで、感情のない顔をしている。
「いや、確実に受けるだろうね」
「ジュリアス! つまりそれはだな!」
逆にヒートアップするイルミ。
その顔の前に、彼は手を立てて制した。
「分かってる。鋒矢陣は後方も脆い。攻撃を受ければ、甚大な被害を受けるだろう」
「それだけじゃない!」
しかし、それで彼女も引き下がるほどではない。
それどころの状況ではない。
「一気に尻から食い破られてみろ! 私たちの喉元まで、一気に噛み付いてくるかもしれないんだぞ! 甚大な被害どころで済まないかもしれないんだぞ!」
するとバーンズワースは、
「そう。それだけのチャンスだからこそ、カーチャは必ず追ってくる」
軽く薄く、笑った。
「だから、戦闘になる。戦闘になれば」
しかし、その笑みはすぐに消え去る。
冷めるように、醒めるように。
消え去るように、消し去るように。
そう、彼は最初にこれを言い淀んだのだ。
重い決断をしたのだ。
それが逆境を背負うことだけか?
危険な橋を渡ることか?
そんなわけはない、イルミはそう思う。
そんなことに感傷を抱いていては。
死体の札束で勝利を買い叩く、エポナ艦隊の指揮など務まらない。
ならば、地獄にも悠々足を踏み入れる彼が、一歩踏み出すのに勇気を要するのは。
「ミチ姉。『年上の女性にタジタジ』ついででさ」
「……なんでも言ってみろ」
バーンズワースはモニターから視線を外し、まっすぐ彼女を見つめた。
イルミも逸らさず見つめ返す。
「君の命がほしい」
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