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第176話 ある保身者の足跡

 アレハンドロ・ガルナチョ。

 彼は焦っていた。

 人伝(ひとづて)に、シルビア・マチルダ・バーナードの自身に対する評を聞いたのだ。






 彼は元来、野心家というわけではない。

 多くの宮中や政治の世界へ足を踏み入れた者が燃やす、出世への熱意。

 それを彼は保身に注ぎ込んでいるだけのことだった。


 ゆえに先々帝の治世において、シーガー卿などのように名の上がる人物ではなかったし。

 この業界の人士として脂の乗りはじめる40〜50の頃合いに、

『帝位につくことはないだろう、第三皇子の教育係』

 などという、

『素晴らしい地位ではあるが、これ以上キャリアが積み重なることはない』

『本気で上を目指す者には、夢の強制終了に近い』

『出世競争から外れた、そこそこの栄達』

 (つい)棲家(すみか)のようなポジションを与えられても、甘んじて受け入れた。


 彼はそれで幸せであったし、もちろん一般市民からすれば望外の栄達でもあった。






 だから、ことなかれ主義。現状維持。ただ何も起きないように、余計なことをせず淡々と職務を。

 差し出がましいことは何もしなかった。


 若き日よりショーンが忸怩(じくじ)たる思いを拗らせているのも。

 なんとなく感じながら、野心を助長したりはしなかった。

 逆に当の主人に嫌われるのも損なので、宥めも矯正もしなかった。

 表面上はただ朴訥な人間だったので、そのままにしておいた。


 シルビアが軍隊へ追放となった頃。

 責任問題となった対岸の傅役(もりやく)の不運を「哀れよの」と思いつつ。

 その裏でショーンが何やら動いているらしい気配も、タンスの裏のホコリ。

 見えなければ存在しないと、あえて目を向けなかった。






 その結果がこれである。

 20年かけて熟成されたショーンの野心は爆発し、クーデターが発生した。

 野心なき老人には、その感情のエネルギーは読み切れなかったのかもしれない。


 もちろん寝耳に水だったわけではない。

 教育係として、彼に政治の()()()と統治者の学(皇帝ではなく皇族としてだが)。それらを叩き込んだのは他ならぬガルナチョである。

 何よりショーンの最も近く、家族より縁のある男だったのだ。

 事前に、なんなら真っ先に相談されたのは彼だった。


 もしこれが偉大なる保身者(ほしんもの)であったなら。

 先々のことなき安寧のため、「やめておけ」と諭しただろう。

 だが、腰の曲がった彼は体躯どおりの極めて小心な。

 我々と同じような等身大の保身者だった。


 もしここで「それはよくない。私は加担しない」と言ったが最後。

「聞かれたからには生かしておけぬ!」となったなら。

 背丈以上の遠くを見渡さぬ彼の保身は、


「おやりなさい。殿下ならできまする」


 耳障りのよい言葉を選んだ。






 するとご存じのとおり。

 ショーンはこれをやってのけた。


 さらにご存じのとおり。

 それに伴い、ガルナチョは宰相となった。

 口を出さない、抑圧しない。そんな彼の性分が野心の新皇帝には都合よく、何より人として好ましかったのだ。


 これは彼にとって、さすがに荷が勝ちすぎる身分である。

 もちろん人並みに名誉欲もなくはない。人の闇と言えるほどにそれが強い政治の世界では、人並みでは埋もれるだけである。

 嫌とまでは言わない。

 言わないが、うれしくもない。


 場合によっては、辞退することもできただろう。


「殿下もご立派になられて……。ガルナチョはもう思い残すこともございませぬ。役目は終わりました。これからは独り立ちなされた陛下の覇道を草葉の陰から、ヨヨヨ……」


 とでも言っておけば上出来だっただろう。


 しかし彼は偉大なる保身者ではない。

 身を引く勇気はなく、流されるままその座に留まった。






 しかし崩壊はすぐにやってくる。

 クロエやケイを取り逃し、死んだと思っていたシルビアまで蘇り。

 計画は綻びはじめた。


 そしてそれは、坂を転がり落ちる石のように。

 同盟軍の介入、コズロフの敗北。

 さらに予想だにしない事態に、加速していった。


 ガルナチョが焦らぬはずはない。

 野心に伴う自信に満ちたショーンが取り乱すほどの事態だったのだ。

 彼が平気で過ごしていたわけがない。


 迫る破滅に彼は悩んだ。

 このままでは三日天下の逆賊一味として滅んでしまう。

 元よりクロエにケイに、そのどちらか一方にすら、人望では勝っていないのだ。

 そのうえ武力すら敗退したのであったら、もう展望はない。

 いち早く、この沈みゆく泥舟から降りなければ。

 毎日胸騒ぎならぬ腹騒ぎを抱え、夜毎頭を抱えた。


 しかし、彼がその運命から逃れるというのは。

 ショーンを見捨てるということに他ならない。

 首魁たる彼を、敗北しながらも滅びより救う手立てはない。

 何より、その首を差し出さぬことには、ガルナチョの罪は(すす)がれない。


 首を。幼い頃から仕えてきた、見守ってきた、育ててきたショーンの首を。


 彼とて忠誠心がないわけではない。

 それ以前の、人情とて持ち合わせている。

 だが、


 彼はどうしても、小心者の保身者であった。






 その後の顛末は誰もが知るところ。

 ガルナチョはなんとか命を繋いだ。

 長年の主人たるショーンに、苛烈とも言える仕打ちをして。


 罪の意識はある。

 が、後悔はなかった。

 それ以上に、我が身の安全を取り戻し、久々の安寧の日々だった。


 宰相からは外されてしまったが。

 それでも平和のために動いた功臣として、旧体制側の人間にしては破格。

 彼としては()()()()()()くらい。

 一角(ひとかど)の大臣の席に。

 これで紆余曲折ありながら、終わりよければ全てよし。

 残りの人生を、満足のいくウィニングランで迎えられるはずだった。






 そこに聞こえてきたのが、シルビアの彼に対する人物評である。

 なんでもショーンの逆さ吊りを見て、

『ガルナチョは信用ならざる人物』

 と。

 そう元帥『半笑いのカーチャラッフィング・カーチャ』に説いたというのである。


 もちろん彼は震え上がった。

 今のところは許されたように見えるが、このままその言説が浸透したら。


 今度こそ破滅するかもしれない。

 今すぐにと言わずとも、新体制が安定してきたら切られるかもしれない。


 しかも相手は、あの悪徳令嬢シルビア・マチルダ・バーナードである。

 聖人たるクロエ・マリア・エリーザベト・シーガーすら、執拗に虐めた女。

 言わんや憎き仇の腹心たる自分を。


 絶対に排除する勢いで悪評を言い募るに違いない。

 なんなら、クビで済めばいいほどの末路を用意しているかもしれない。


 彼は思った。

 自身がこの先生き残るには。安寧をつかむには。


 あの女を排除せねばなるまい、と。






 ゆえにガルナチョはこの日、皇帝の御前に進み出て、人払いをして。



 ──歴史家は口を揃えてこう語る。『得てして攻撃的な小心者ほど厄介な者はない』と──



 一世一代、奏上したのである。



「シルビア・マチルダ・バーナード閣下の脅威について」



 と。

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