第174話 荒野の果てにて聖女は歌う
「アンヌ=マリー! 無事だったのね!」
『そんな大声で騒がずとも聞こえていますよ』
ノイズこそ混じるが、返事はすぐに返ってくる。
声も落ち着いている。
ひとまずは安心か。
「救助に来たわ! もう大丈夫よ!」
興奮気味で前のめりのシルビアだが。
『それは、どうでしょう』
アンヌ=マリーは苦笑いの様子。
「何がよ!」
『本艦はいつ爆散してもおかしくありません。あなたも指揮官なら、死地へ部下を放り込むのはやめなさい』
「だったら!」
『えぇ。なので、脱出した子たちを回収してあげてください』
相手は淡々としているが、やはり状況はよくないらしい。
その両方が彼女を焦れさせる。
「だったらあなたも! そんなところにいないで早く!」
デスクを軽く叩くシルビアに対して、
『あら、知らないんですか? こういう時、艦長は最後なのですよ?』
逆にアンヌ=マリーは、くすくす笑うような、どこか楽しげな。
「何言ってんのよ! 命かかってんのにそんなこと言ってる場合!? あなたいくつよ! 未来ある若者優先よ!!」
『寿命などというものは、長い短いではありませんよ? この世での役割を終えたかどうかです』
「説法してる場合!? 死にたいの!?」
さすがにここまで言われると、真面目に答えなければならないと思ったらしい。
声が機材の調子とは無関係に低くなる。
『そういうわけではありませんがね』
「じゃあ何よ!」
すーっ、と、冷めるように息を吸う音がする。
『そもそも艦橋から出られないのですよ』
シルビアの脳裏に、艦橋の根元が暴発した瞬間が蘇る。
ビルの火災などと同じで、下に降りられなければ逃げられないのだ。
『生き残ったクルーが道を開きに行ってくれたのですが。先ほどまた大きな爆発があって以降、連絡が取れません。私の周りにいる者は皆動きませんし。おそらく今艦橋で、生きているのは私だけです』
「だったらこっちから救助を」
『忘れましたか? あなたは指揮官です』
思わず弱々しい声が出た彼女へ、すかさず叱咤するような凛とした声。
『命じることは全て、部下や市民のためでなければならない』
「うっ」
シルビア自身、ついさっき癇癪でクルーに迷惑を掛けたところである。
心を入れ替えた矢先にそれを言われると辛い。
少し迷っているうちに、アンヌ=マリーは話を進めてしまう。
『なので私も部下のために。最後に弔ってあげるとしましょう。これでも教会お墨付きのシスターなのです』
「ちょっ、まっ、待ちなさい!」
『ついでにあなたのためにも。この命と敗戦をもって、コズロフ閣下を更迭してやりましょう』
「いらないっ! そんなのいらない!」
ついに涙声が混じり出した彼女を制するように、
『天使たちが荒野に降りいて 主を讃え歌いたまいます 山々は木霊に歌い 幾重に聖歌が響きわたります』
静かに、ノイズに震えながら。
「これは」
「歌?」
スピーカーから歌が聞こえはじめる。
艦橋中を包み込むように。
悲しみにくれるシルビアを励ますように。
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ!』
「これって」
「閣下」
「『荒野の果てに』……」
『人を傷つけるため歌わない』と誓ったはずの歌を。
戦争が終わったら、平和になったら聞かせてくれるはずの歌を。
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ、栄光あれ!』
「待って、アンヌ=マリー、待って。そんな」
『羊飼いたちよ、その歓びは誰のものでしょう 甘美なる歌は誰に捧げられるべきでしょうか いかなる者が勝者で、いかなる征服者が その祝福にふさわしいのか』
「『これが最後』みたいな……!」
シルビアの声は届かない。
アンヌ=マリーの歌は朗々と、止まることがない。
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ!』
最後などではなく、彼女はすでに永遠なのだ。
すでに主の庭にあって、祈りを捧げているのだ。
散っていった英霊のために。
生き残る戦士たちのために。
生まれくる子らのために。
別れゆく愛する友のために。
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ、栄光あれ!』
「ダメよ、待って」
歌声に導かれるように、シルビアはフラフラと艦長席から降りてくる。
モニターに映る、聖堂と化した崩れゆく『主の庭は満ちたり』を見つめながら。
『天使たちが告げたまいます 救い主、イスラエルの王の誕生を そして大地は感謝に満ち 天と一つに、この日を歌います』
「話を聞いて」
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ!』
「話をさせて……!」
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ、栄光あれ!』
操舵手の真横。モニター真正面に陣取るも、届かない。
『祝福されし村を探しましょう その誕生を見届けた村を 救い主に心を、敬意を この声をもって、献上いたします』
モニターいっぱいに、大きく映っているのに、
手を伸ばせば触れられそうな距離なのに、
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ!』
届かない。
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ、栄光あれ!』
言葉も失くしたシルビアの胸に、ポツリと小さな温もりが宿る。
あぁ、これは
『羊飼いたちよ、隠れる必要はありません 天使たちとともに歌いましょう』
いつか、ともに海賊退治をした時と同じ感覚。
そして、あの時はとは逆。
『その優しきミュゼットの音をもって この歌が永遠に続きますように』
今度は流れる歌声の中に。
満ち足りて、解き放たれて、大好きな歌を思う存分。
全身を歓喜に震わせて歌うアンヌ=マリーの姿が見える。
その光に包まれた姿にシルビアは、
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国! 主に栄光あれ!』
「あぁ、アンヌ=マリー、あなた」
知らず、一雫の涙を溢し、
「今、あなたの心の庭は、満ちているのね」
思わず祝福を感じた。
『あぁ天上の御園、いと高き庭、御国たる天国!
主に栄光あれ、栄光あ──』
その時、
強いノイズと爆音に歌が掻き消されたかと思えば、一瞬で途切れ、
モニターの中心で、『主の庭は満ちたり』の艦橋が内側から吹き飛んだ。
「アンヌ=マリー?」
その呟きに返事はない。
「アンヌ=マリー?」
ただ無情に、暴発が広がっていくだけ。
「アンヌ=マリー!」
艦体はすぐに真っ二つに折れ、原型を失っていく。
「アンヌ=マリーーーーーッ!!」
張り裂けるような絶叫。
シルビアは膝から崩れ落ちる。
「閣下!」
「あっ、あっ、うぅ」
カークランドが助け起こすと、彼女の視界にモニターが入る。
反射的に逸らそうとするが。
「あ……」
彼女の目が何かを捉えた。
モニターの中心、小さい小さい、
こちらへ向かって、漂ってくる何か。
それは、彼女の目だけが捉えられるもの。
シルビアがよたよたと、モニターへ向かって手を伸ばす。
操作盤へ乗り上げようとするので、カークランドが重力装置を切る。
ふわりと浮いた彼女がモニターへ近付くと。
映っている何かも正体が分かりはじめる。
それは、
ボロボロの、
シルビアがアンヌ=マリーに贈った、
赤いマフラーの切れ端。
「っ! あぁ!!」
彼女がそれに気付いた頃、マフラーはモニターにペタリと張り付いた。
その映像に、
「あっああああ!! ああああああ!! ああーっ!!」
シルビアは取りすがり、ひたすら声を上げ続けた。
2324年7月14日午前8時22分
戦艦『主の庭は満ちたり』 轟沈
アンヌ=マリー・ドゥ・オルレアン 19歳
ユースティティア星域、ディアナ攻防戦にて
聖女は宇宙の塵となった。