第166話 待っていた男
2324年7月13日、午前10時40分。
途中までは艦隊を率い、約束の場所が近付くとただ一隻前に出た
「レーダーに反応あり! 識別コードは!」
「お出ましね」
『悲しみなき世界』艦橋、艦長席。
深く座り腕を組むシルビアのまえに現れたのは、
「『主の庭は満ちたり』です!」
当然と言えば当然、待ち人来たる。
やがてモニターにも、大きな鐘を携えた白銀の艦が姿を映す。
「他に艦影は」
「ありません!」
「約束どおり、サシで来たってわけね」
「のこのこ一人で行って袋叩き、は避けられましたな」
カークランドが胸を撫で下ろす。
それはさておき。
レーダーやモニターに映るということは、電波が有効な距離である。
「回線繋ぎなさい」
「はっ!」
若い男の通信手の声は威勢がいい。
というよりは少しオーバーに空回っている。
エレが抜けてチーフに繰り上がり、緊張しているのもある。
だが何より、
「閣下、あれだけ反対しておいてなんですが。会話をしにきたからには、理性的にお願いしますよ」
「……分かってるわよ」
シルビアの形相、オーラ。
今ばかりは副官の細かいお小言も、余計な心配ではない。
しかし、指摘を受けた彼女が表情を和らげるまえに、
「通信、繋がりました! いつでもどうぞ!」
会談の場が整った。
もっとも、時間があれば眉を開く気があったかは不明だが。
「こちらは皇国宇宙軍ユースティティア方面派遣艦隊旗艦『悲しみなき世界』。艦長及び元帥のシルビア・マチルダ・バーナードよ」
受話器を握るシルビア。自然な声を出しているつもりだが、どうしてもやや低くなる。
『こちらは「地球圏同盟」軍ユースティティア艦隊「主の庭は満ちたり」。艦長のアンヌ=マリー・ドゥ・オルレアンです』
しかしそれは、返ってきた声も同じことだった。
クルーたちが威圧を感じるなか。
シルビアは緊張と複雑な心情が込められているを感じる。
だからこそ、
「じゃあアンヌ=マリー。虚飾とか、会話の作法は抜きにして、単刀直入に聞くわ。だからあなたも、正直に答えて」
部下たちを説得するのに使った『礼節がどう』というお題目も忘れて。
真っ直ぐ相手の肚を掘り起こしにかかる。
「どうして、攻めてきたの」
文章だけ見れば愚問である。
お互い戦争をしているのだ。こんなことを訊く方がどうかしている。
このまえの会談とて、別に和平や講和を結んだわけではない。
アンヌ=マリーからしても、そう切り捨てれば済むだけの話である。
それでも、
『……私とて軍人なのです。どうにもならないことがある』
正直に答えろと言われたからだろう。
それを素直に聞き入れるほど、素直な人柄だからだろう。
声に滲んだ複雑な心境を、複雑なまま吐き出した。
しかし、煮え切らない答えが。
何より彼女のことをよく知っているという事実により、シルビアを燃え上がらせる。
「それではぐらかそうってつもり!? あなたがいくら上から外征をせっ突かれても無視すること、私だって知ってるのよ! 『臆病風のアンヌ=マリー』!」
思わずデリケートな言葉が飛び出すが、もう止められない。
相手が怒りすらしないので、本当に虚飾のない気持ちが流れ出てしまう。
「それがいったいどうして急に! 理由は何!? 私が何かしたの!? 何がいけなかったの!? それとも私たちの友情は、全部騙す日のための嘘だったの!?」
カークランドが思わず振り返るような叫び。
途中からは声が上ずり、涙を溢しそうにすらなるほどの。
対する答えは、
『くっ』
喉の奥を鳴らすような、小さな呻きだった。
それは返事に窮したというよりは、
こちらこそ、声を出したら揺れてしまいそうな
泣き出す寸前の少女のようなか弱いか細い音。
違う! やっぱり私の思ったとおりだわ!
その音の中に、事実とは裏腹のアンヌ=マリーがいる。
心ではまだ両者は繋がっている。
シルビアが、最初の名乗りで感じたものの正体をつかみかけたその時。
『まぁそう、ドルレアン大将を責めてやるな』
「え」
よく知る声が割り込んでくる。
あの、
低く厚みのある声。
「あなたは」
『久しぶり、というほども空いていないか』
絵に描いたような威厳と威圧感を発する、深く強い声。
『こちらは「地球圏同盟」軍ユースティティア方面艦隊提督。イワン・ヴァシリ・コズロフである』
「な、ん、ですって?」
愕然とし、腰を浮かせる彼女に対し。
スピーカーから聞こえる声は実に愉快そうである。
『そう驚くこともないだろう。オレが同盟へ亡命した件は、卿とて聞いているはずだ』
「それは、そう、だけど」
『それとも何か? 「だとしても、何故ここにいて、提督と名乗るのか」に理解が及ばんか』
ふふんと笑う息遣いがする。
その似合わない仕草が、シルビアの脳内で妙にこだまする。
『卿がユースティティアに来ていると聞いてな。こちらへ配属されるように交渉したのだ』
「それは、また、重たい求愛ね。苦手なタイプだわ」
『求愛か。求愛と言えば。オレが交渉へ出向いているあいだに、こそこそドルレアンと逢引きしていたようだが』
シルビアは脳裏で、やたらとアンヌ=マリーが詰まった日程で遊びに出たこと。
帰るのを急かし気味だった理由を理解する。
と同時に。
『それも指揮官が変わったのでな。一度白紙に戻してもらおうか。継続したければ、もう一度手続きを申し込め。受け付けてはおらんが』
「それは、いいわ。口ぶり的に、受け付けている方が怖いもの。それより」
もう一つの疑問。
アンヌ=マリーの方針を、コズロフがひっくり返せる理由。
そのパワーバランスになっている、
「亡命して即、しかもアンヌ=マリーを押し退けて提督業とはね。似合わない賄賂でも覚えなさった?」
『ふむ』
彼の返事には、幾分も挑発が聞いた様子はない。
『ありがたいことにオレの実力が知られていた、というのはあるが。卿がいかんのだぞ?』
「私が?」
むしろ挑発返しをするほどの軽やかさ。
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