8 深夜の自分語りは迷惑
すでに時刻は深更に近づいていた。
森の中からは虫の声や夜行性動物の声が聞こえていたが、少女にとってはそれも心地よい子守唄でしかないようだった。
「寝ている……聞いておいて寝ていますね、やっぱり。どうもさっきから相槌が無いなとは思っていましたが、まさか眠っているとはいやはや、恐れ入る豪胆ぶりですねまったく」
「ん……いや、五分だけだ。それ以外はうっすら聞いていた」
「うっすらって、私の一大叙事詩をうっすらって」
「で、そのロイとの生活が二年目に入ったとこだっけ?」
「そうですが……もうオネムのようですからかいつまんで話すと、まあ三年目間近にして、そう、忘れもしない、今から一ヶ月前に薬の開発は成功してしまったのですよ」
「だろうね、おまえがそれを飲んだんじゃなきゃこんなに話し続けてる意味がわからない」
「なんと! 私がここまで延ばしに延ばしてきた結論をそんな感動薄く! 今、一番盛り上がるべきところですよ! ものわかりがよいのもいい加減にしてほしいものですよ。まったく、これだから若いお嬢さんというのは我侭で困るし、可愛い顔に免じてそれを許してしまう私も困り者」
「研究には荷担したくないと言っていたのに、どうして自白薬を開発したんだ?」
若さゆえなのか、少女の言葉は容赦なく青年魔道士の心を踏みにじる。ヴァリスは言葉に詰まり、それでも「ぎ…」とか「ぐぐ…」と口は何かを話そうとするのを意思の力でねじ伏せていた。が、彼の中の葛藤が終わったのか、しばらくするとふいに憑き物が落ちたように話し始めた。自分を飾ることを止めたのだな、と少女にはなんとなくわかった。
「……言ったようにロイはただのお子様ではなかったんですよ。だから研究の進みをぐずぐずして遅らせることはできても、まったく進展なしの状況を作り出すことはできなかったのです。それに……正直言って私も研究者ですから、いざ始めるとけっこう熱が入ってしまいまして……これは人を治す薬ではない、何か悪いことに使われてしまう可能性の高いものなんだ、と思いながらも研究が捗ったり成果が出てしまうと嬉しくなってしまいまして……こういうところは研究職の性ですね」
恥じ入りながらも寂しそうに頭を掻くヴァリスを、少女は頭にターバンを巻きながら見つめた。銀色の艶やかな長い髪が白い布地に隠されていくごとに、女性らしさが消え、美少年が姿を現す。なるほど、これであれば女の一人旅でもそうとは気づかれまいと納得できるほど、それは堂に入った男装であった。
手馴れたターバンの扱いや使い込まれた腰の半月刀からすると、もともとは遠い異国の出身なのかもしれない。であれば、ヴァリスの旅慣れているという見立ては間違ってはいないだろう。
彼女の少し吊り気味の大きな瞳はそれを裏付けるようにごく静かで、十七、八の少女とは思えない深い色がそこにはあった。
「それで開発した完成品を自ら飲んだのか」
ヴァリスはいい加減手足の拘束に痺れを覚えて閉口したかったが、彼の口は彼の意思には従わなかった。
「あの薬ができたとき、何か嫌な予感がしたんです。いや、成功していたんだから良い予感、だったのか。とにかく何か特別なものを感じました。だから私は自ら治験者として名乗り出て――」
「なんでわざわざ自分で?」
「人体に予想以上の悪影響を及ぼす可能性がありましたからね。だったらそれを試すのは開発した自分の責任だろうと思ったのです。ロイのやつ、すぐに投薬被験者、つまり実験体を手配するなんて言い出すし、慌ててそれを遮って――って、あれ、もしかしてその顔は惚れてしまいましたか? 多くの研究者が無責任に開発を繰り広げる中、こんなに責任感のある魔道士はなかなかいないわね、なんて……ぎゃっ! ナイフ飛んできた! ちょっと軽口叩いただけでナイフが飛んできた!」
「ギャーギャー言うな。辛そうだったから足の縄を切っただけだ」
自らの状況を実況しながらヴァリスが足を確認すると、確かに投げられた小刀は彼の足を縛りつけた縄の結び目に刺さっており、少し足を動かすと緩んで解けた。
「あなたは美しいけど言葉足らずです」とぶつぶつ言いながら、足の自由を満喫すると、ヴァリスの足元に転がった小刀の柄に埋めこまれた石が相槌を打つようにきらりと光った。
よく見ると、石は中に人の瞳の光彩のような靄が閉じ込められていた。魔力を封印した“魔石”であり、小刀はそれを柄に埋め込んだいわゆる魔道具であった。少女の持っている半月刀とお揃いの造りである。
魔石は作り出した魔道士によって強さが異なるが、強い力を持った魔石であれば、キレ味を増すどころか破邪の力を込めて実体のない幽霊を滅ぼしたり、精霊力を込めて滝を切り取るというような人間離れしたことなどもできる。少女の剣と小刀がどれほどの威力を持つ物かは一見してはわからないが、十人以上の盗賊団を全滅させた剣技を見て間もないヴァリスとしてはすでに魔石云々ではない強さを彼女に見出だしていた。
少女は立ち上がって小刀を拾いつつヴァリスの手首の縄も切り解いた。何時間かぶりにちゃんと血の廻った手を、青年魔道士は喜悦の声をあげてこすり合わせる。
「開発したのなら、その薬の解毒薬も作れるんじゃないのか?」
「確かに薬の設計図がわかれば解毒薬の調合も簡単と思うでしょう。ところが、そうはいかなかったんですよ。私の研究した混合比と生成魔法でできたと思っていた自白薬に、私の知らない間にどうやらロイが細工をしていましてね。それがわかったのは、こうして逃亡に成功して、いろいろ試した後なのです」