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6 回想3:逃亡の試み

「これだから魔道士ってやつは苦手なんだよ。禁忌だなんだって自分たちでルールを決めておいて、後で自分たちでその解釈を変えて都合がいいようにしちまうんだからな。話したくない人間の口をこじ開けようってんだから、そりゃ薬じゃなくて毒だろうが」


「中隊長……!」


 上司の放埓な言葉に部下二人が慌てるが、それに気遣うくらいの人間であったらそもそもそんな発言はしない。グランは気だるげに、それでいて目だけは挑戦的に自分が付き添ってきた魔道士二人に向けた。

 ロイとニディアは動じたふうもなく、むしろ面白い余興に出会ったように老軍人を見つめる。


「魔道士協会ばかりを悪者にしないで欲しいわ。軍だってこの命令に荷担してるのよ」


「もちろんだ。俺はこんな性格だから出世とは縁がなかったが、中央の奴ら――ほとんどが俺の同僚や後輩だが、あいつらが何を考えているんだか疑問だね。こんな世間知らずの孤児の青年を捕まえて、研究という名目で軟禁状態にして毒を開発させるなんて胸糞が悪い辞令だ。体のいい奴隷じゃないか」


「奴隷だなんて人聞きの悪い。潤沢な資金に助手、さらに国軍の役に立って出世する機会まで提供しているのよ。大戦前じゃないんだから、今や魔道士なんて宮廷魔道士以外のいわば野良では生活していけないのが現状。街に出たら鍋釜に低レベルの魔法かけて日銭を稼いでいる連中ばかりなのはあなたも知っているでしょう。感謝されこそすれ、まさかそんな言われ方するなんて心外だわ」


「あんたが心外でもけっこうだ。だが、この青年はもう食っていけない! ってあんたに泣きついたのか? そうじゃないだろう」


「魔道士協会に属している以上、協力してもらうのも義務なのよ」


「だからそれが方便だってんだ。つまりは無理矢理協力してもらうのもやむなしってことだろう、そりゃあ奴隷だ」


「……やけに突っかかるのね、グランさん。なあに? じゃあ納得できないあなたにいったい何ができるっていうの?」


 冷笑がニディアの顔に浮かぶ。


「そんな首をへし折りたくなるような憎らしい顔をせんでも、俺には何もできないのは知ってるから安心しろ。俺はしがない軍の一駒でしかないからな。中央の奴らに泣きついたって、せいぜい昔の好で聞かなかったことにしてくれるのが関の山だ。ただあんたがたの解釈次第だっていうのが、俺には胸糞悪いってことを言いたいんだよ。そう思っている人間が身近にいるっていうことを知らせておきたいだけだ」


 こちらには一瞥もくれないが、それが私への激励なのをじんわりと感じた。味方の存在を感じて、一歩も動けなくなっていた体が少しだけ解けるのがわかる。


「俺は後悔したくないだけだよ。納得のいかない命令に対して何もできなくても、せめて何か言わなかったら後で後悔するってことを知っているからな」


「言ってきたから、その年齢でまだ中隊長なのよ」


「知ってるよ。だが曲げられないだろうが。魔道士ってのは信用がおけない」


「魔道士がお嫌いですか?」


「あなたもお嫌いだと思っていましたよ。ロイ様」


 不自然な恭しさの何がそれほど気に障ったのか、ロイが瞬間的に顔色を無くし、次の瞬間には音を立てるほどの歯軋りつきでグランを睨みつけた。


 だが、これは私にとって思わぬ助け舟であった。

 薬の開発という隠れ蓑をまとった人体破壊薬の研究なんかに荷担してはいけないという思いを行動に移す心の準備が整った。


 私は脱兎のごとく窓へと駆け出すとともに、途中の机に置きっぱなしになっていた書物と不気味な色の液体が入った小瓶を掴み、小瓶を窓寄りにいた若い軍人に向かって投げつけた。

 割れた瓶の中身を体に浴び「ひいい!」という悲鳴がこだまする。それはただの色のついた水なのだが、素人には得体が知れない液体なのだから、その恐怖たるや想像に難くない。パニックを起こした彼の横をすり抜けて、私は一気に窓枠に足をかけた。後ろから「待て!」と追いすがる声が聞こえるが、まさか私がそのまま外へ飛び出すとは彼らも思っていなかったらしく、私の塔外への脱出は成功した。


「“空気の層を”!」


 塔の最上階から落下しながら、私は必死に空中で魔方陣を描き、古代語を詠唱する。地面にそのまま叩きつけられる――その一瞬前に、私より少し先を走って地面に張り付いた魔方陣から風が巻きあがった。その不自然な上昇気流に乗って体全体が落下速度を落とす。どころか持ち上げられる!


「ぎあっ!」


 予想より強い風力に体が持ち上げられすぎたために、私は改めて自分の背丈ほどの高さから落ちて無様に背中で着地したが、背骨に走った痛みに気をとられている間は無かった。


 頭上から降ってきた声が誰の、何を意味するものなのか理解する余裕もなく、勘だけで無我夢中で立ち上がり、塔を離れ――


「だわっ!」


 足に何かが絡み付き、顔から地面に倒れこむ。土の味を口の中に感じながら、自分の足元を見ると、うっすらと光り輝く白い蛇が、私が描いたのとは違う地面の魔方陣から這い出し、紐のように器用に私の足を絡め取っていた。


「使い魔⁉」


 解除法を考える前に、背筋に言い知れぬ悪寒が走る。


「つかまえた」


「え……?」


 いつの間にか目の前に現れたニディアの底知れぬ笑みを見たとたん、私は自分の血の気が引く音を聞いた。使い魔を使って降下したわけでも風を起こして着地したわけでもなく、ニディアは息を切らせた様子もなく私の前に姿を現した。

 それが「どうやって」なのか、私にはまったくわからなかった。上級魔道士であるこの私が、だ。

 考えうる範囲の魔法ではない方法で現れた彼女を、私はただただ呆然と見上げるしかなかった。一切の気配もなく、どうして……。


 完全に固まってしまった私の視界の端に、これは大きな鷲の使い魔の足に掴まってふわりとロイが上空から地面に降り立つのが見えた。絶望的な状況なのに私の頭の片隅だけは妙に冷静で、ああいう使い魔の使い方もあるのだと感心した。


「やるじゃん、ヴァリスさん。ずっと引きこもっていた魔道士のわりには」


「確かに、度胸は認めるわ」


 ロイが古代語をつぶやいて、私の足元の蛇と役目を終えた大鷲を霧散させるのと同時に、やっと塔の階段を若い軍人二人が走り降りてきた。彼らは肩で息をしながら、すぐさま私を両脇から抱えて立ち上がらせた。若干色水に塗れた方の軍人が手荒だったのは致し方ない。


 ニディアはあくまで優しい素振りで私の体についた土を払いながら、


「でも、やっぱり井の中の蛙ね。上級魔道士以上の存在がいるってことを知らないなんて」


 擦りむいた頬を強めに拭い、私が小さな悲鳴をあげたのを聞くと満足したように体を離す。


「どうしても持ち出したかった本がこれなの?」


 ロイは、私が取り落した書物を拾い上げると許可もなく頁を繰っている。少年がいぶかしがるのも無理はない。それは大量に出回っている神話集で、希少価値はない。やがて本は開き癖のついた頁に少年を誘うが、そこにあるのもただの挿絵だ。


「ふうん、こういうのが好みなんだ」


 駆け出した時にはこの塔を去る決意をしていた。愛着のある品を一つだけでも持っていきたかったという私の気持ちを汲み取ることはまだ幼いこの少年にはできなかったようだ。

 彼は興醒めして、乱暴に私の胸に本を押し付けた。


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