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5 回想2:命令書

「助手? わ、私に助手ですか!」


「ええ、あなたに依頼した仕事をたった一人でやらせるほど、軍や魔道士協会は非道ではないわ」


「よろしくね、ヴァリスさん」


 ロイは勝手に、ニディアと握手したままの形で宙に残った私の手を掴みとってぶんぶんと振り回すように握手をした。ニディアが配ってくれたのような気遣いの感じられない、おもちゃを手にしたような扱いを、しかし私はさせるがままにしていた。今はそれどころじゃない。


 視線をグランの持つ紙の上へと向けると、むっつりとしたまま立っていたグランは私の気持ちを察して、再度胸を反らしてから命令書を広げた。

 今回は私に見えやすいように目の高さまで上げてくれるあたり、意外に優しい人なのかもしれない。


「“上級魔道士・ヴァリス・ターヴァレイド、貴君に我が軍で使用するための魔法薬の調合研究を命じる”……“薬効は『自白』”……じ、自白薬の調合ですって⁉」


「静かに! 軍の機密だぞ」


 低いが圧倒的な制止の声に思わず息を飲んだ。グランは太い眉に力を入れたが、それ以上このひ弱な私を脅すようなことはしなかった。


 二人の若い軍人は、私が叫んだとたんに素早い動きで窓や入り口に散って外を警戒したが、そもそも辺境の地にあるこの塔の周囲には他国の諜報員どころか人の気配などあろうはずが無かった。


「あ、あの、私の研究は歴史や伝説に関するもので、製薬なんて――」


「あら、あなたの師匠は薬の開発をやってらしたんでしょう? 前の支部長があなたがくれた胃薬がよく効いたって喜んでいたわ」


 栗色の髪をかき上げながら言うニディアの傍らで、ロイのにやつきは人の慌てぶりを嘲る色を含んでいたが、私は怒るよりもさらに慌てた。


「あれは師匠の物が残っていたから渡しただけで」


「でも製薬の基礎は知っているんでしょ? この国の魔道士教会はこの数年でめっきり人が減ってしまってね、人手不足なのよ。頼んだわよ」


 私の動揺を気にした風もないニディアの言葉に、ここに来てようやく私は自分が巻き込まれつつある事態を把握した。


 軍の命令で軍需品、しかも兵器に準ずるような薬品を作る……それが後にどのように使われ、影響を及ぼすのか、そもそも人体に害悪となる開発ではないか、そういった疑問を押さえ込んでとにかく開発しろと軍は命じているのだ。


 国軍からの指示、ということは国が許可した案件なのだから、当然資金は潤沢に渡されるだろう。今までの貧乏暮らしをさほど苦に感じていなかったものの、やはり研究職としては豊富な資金で不可能に挑戦する、という響きには大きな魅力を感じてしまう。

 さらに開発に成功すれば国内で安定した地位を約束されるに違いない。この朽ちた砦で誰かに求められているわけでもない神話研究に勤しみ、ただ神話の中に出てくる伝説の乙女のみを恋人として年を経ていくことには、実は前からひどく悩む夜もあったのだ。一つ栄光を手に外の世界へ出ていき、絶世の美女とまではいかずとも、私に似合いの可愛いらしい娘さんと仲睦まじくなり、人としての幸せを追い求めてもよいではないか。

 しかし――そこに至るまでには研究者という立場の遂行だけを目的とし、人間としての想像力を捨て去らなければならない覚悟がいる。人の口を割らせる薬なのだ。無害のはずはない。


(優れた研究者は、未来を最悪の方向で想像する力が必要だ)


 師匠の言葉が不意に私の頭の中で反響する。


 私はフードをゆっくりと後ろにずらすと、正面からロイを見据えた。


「君は助手ではなくて、監視なんですね」


「へえ、珍しい。右目が青で左目が紫なんて」


 口笛でも吹きそうな軽い口ぶりで私のコンプレックスを真正面から見つめる少年は、さらに「それって生まれつき? それとも後天的なもの?」と私が奇異な瞳の色を気にしていることを見抜いたうえでずけりと踏み込んで、頭2つ分以上背の高い私に物怖じした様子もない。

 彼の身につけた青藍の魔道士ローブはだぶついていて、その裾余りな様子が幼い印象をさらに強めているが、これに騙されてはいけないと私の中の何かが叫んでいた。


「なんでも悪い方向に考えるものじゃないわ。私達がお願いしているのはあくまでも自白薬の調合よ。毒薬だとか殺傷能力のある武器や魔道具ではないでしょう?」


 張り詰めた空気をいなすようにニディアが視界に入ってくる。先ほどまでは愛情深く世話好きな憧れの年上女性に見えていた彼女が、今では表面をいくらでも装える手練手管に長けた年増女にしか見えない。実際、優しく微笑みながらもニディアの大きな口は正体を現して少し崩れたような印象があった。


「そもそも、毒物のむやみな開発は魔道士協会の禁忌に当たるもの。それを研究しろだなんて魔道士協会が命じるわけがないじゃないの。自白薬はあくまでも『薬』。だから禁忌には当たらないと『我が国の魔道士協会は』――“支部長の私は”、判断したというわけ」


「そんな言い訳まで用意して、なぜ今必要なんですか。自白の薬なんて当然毒物でしょう、意志とは別のことをさせるのだから、脳に不具合を生じさせるのが作用の前提じゃないですか」


「だから、そうさせない薬を開発しようってことだよ。安全な自白薬。物騒になってきたからね、有事を見据えなきゃ。隣国から大量の間者がこちらに潜り込んでいるって話も聞くし……そんな時には、必要なものでしょう? 拷問なんかよりずっとスマートだし。まあもちろん、開発の過程で人体に悪影響の出るものが生成されたとしても、それはそれで副産物として研究の成果に入れさせてもらうけどね」


 わざとらしいロイの上辺だけの解説に、悔しい思いを抱きつつも私は視線を逸らすことしかできないでいた。

 丁稚奉公の形でごく幼いときに師匠の下に預けられて以来、私はほとんど魔道士としての研鑽に明け暮れて成長してきたから、驚くほど世慣れていないことを自覚している。目の前に出された嫌な命令書を跳ね除けることも、諾々と飲むこともできずに、ただただ震えながら俯いているしかなかった。

 そのため、不満気な舌打ちが耳に響いた時には、私は自分の無意識が出てしまったのかと慌てて口を押さえた。が、続けざまに聞こえたあからさまな非難の声はもちろん私のものではなかった。

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