表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/39

38 終章3

 瞬時に厳しい戦時の顔に戻ったレアラードが窓辺に寄り外を窺う。後ろから覗き込むと、農地の向こうを視界いっぱいまで広がる放牧地の先から、転げるようにして数人の村人がバラバラにこちらに向かってきていた。それが戯れなどではないことは、彼らの形相が必死なのと、馬にしがみついている男の背に幾本もの矢が突き立っていることでわかった。

 足の速い村人の一人が放牧地と農耕地を分ける柵を乗り越えて小道を駆け抜けながら


「隣国の兵士だ! 略奪だ! 家の中に隠れろ!」


 と近隣の家々に向かって声を張り上げる。

 農耕地にいた者たちも含め、慌てて家屋の中に入る村人を尻目に窓から体を乗り出して放牧地のさらに奥の森を見透かすと、その上空には少なくない数の鳥が騒いで弧を描いているのが見えた。彼らの寝床を騒々しく通り過ぎる者がいるためだろう。


「隣国の兵? ニディアさんの言っていたことが本当に――?」


(軍に内乱の入れ知恵をしていたのがやっと仕上がったの)


 ニディアの声が頭の中で甦る。


(後は、数日のうちに隣国に攻めさせれば――そうなればこの国は終わり)


「王都での軍による内乱の知らせは、昨日にはこの村にも届いていたな」


「そして根回し通りにこんなに早く隣国が介入して来た、と」


 冷や汗が頬を伝う。この顛末が私には目の前の敵を片づけることだけを考えてニディアを屠った自分の責のように感じられていた。過ぎたことであり、そんな選択肢や可能性はなかったことなど頭の片隅でわかっているのに、あの時ああしていれば内乱も防げたのではとか、せめて隣国の介入を止めさせられたのでは、という妄想がぐるぐると頭の中を駆け巡った。


 そんな顔を青ざめさせるだけの私とは違い、レアラードはベッドの下から旅装の塊を引っ張り出し、彼女の剣帯とそれに差し込んだままの半月刀を引っ掴むと飛ぶように階下へ向かった。私も釣られてとっ散らかった旅装の残骸から靴だけ取り出して足先に引っかけると、


「君たちはベッドの下に隠れていなさい」


 固まったままの子供二人を室内に引き込み、入れ替わりに廊下に出るとレアラードを追った。


 階段を降り、簡素ながら温かみのある食堂に入ると、見知らぬ女性が立っていた。顔立ちや癖のある黒髪がリアと呼ばれた少女そっくりで、見ただけで母親だとわかる。

 私にとっては初対面だが、彼女にとって私は三日前から逗留している既知の存在なのだろう。驚いてはいるが、不審者を見かけたような顔はしていない。フードを被っていないために、私の左右が違う色の瞳を恐れるのではないかと一瞬気が怯んだが、むしろ不安な状況に現れた逞しき頼れる男性の存在を前にして、彼女は藁をも掴みたいというように瞳を潤ませ、血の気が引いて強張った顔で今にも大型掘削機として私の胸に飛び込んできそうだった。

 私はとっさに「子供たちは上です! あなたも一緒に隠れて!」と、さも事情通のように指示をすると、開け放たれたままの玄関から外に出た。受け止めてあげられない私を許してください奥さん、間違いが起こってからでは遅いのです。


 玄関扉から一歩出ると、そこは抜けるような青空の下、青々とした草地と整然とした農地が広がり、家々が同じデザインで統一された素晴らしく長閑な田舎だった。こんなに慌ただしくなければ、十分に美しく、静養に適した場所と感じただろう。

 久しぶりに浴びた眩しい太陽と寝たきりからの三日ぶりの急激な運動に、一瞬平衡感覚がおかしくなり頭がぐらりと揺れる。


「魔道士の兄さん!」


 かかった声になんとか足を踏ん張って顔を向けると、見覚えのある農夫が少し離れた家屋の庭からこちらに手を振っていた。庭先には五人の村人としゃがみこんだレアラードの姿が見え、さらに彼らの足元には朱に染まって横たわった人間がいる。

 集まっていた村人たちは、年齢こそ多少のばらつきがあったが身なりに差は無く、ただ一様に青ざめた表情で足元の重傷人を見下ろしながら何事かを話し合っていた。


 見覚えのある農夫は子供たちの父親で、カーツの森沿いの街道で野菜を運んでいた男だった。背丈が低いわりに逞しい体つきも、粗末だが小ざっぱりとした服も記憶と相違無いが、あの時にあった穏やかで幸福そうな笑みは消え、今の彼は険しく落ち着きのない表情で視線を彷徨わせていた。

 近付いて見ると彼の服は真っ赤な血に染まっている。すわと思ったが、本人に痛そうな様子がまったくなく、足元の怪我人を抱えた時に付いたものらしいとわかった。


「意識が戻ったんだな! 良かった。起きたてですまないが妻と子供たちと隠れてくれ! 俺はあいつらと何とか交渉してみる」


「あいつら?」


「すぐそこまで隣国の兵士が来ているんだ。隣の村は略奪にあったと、彼が……」


 振り返って差す指は恐怖と興奮のために酷く震えて先が定まらないほどであったが、彼が示したいものはすぐにわかった。横たわった血まみれの男だ。背中に何本もの矢が突き立っている姿は、先ほど窓から見たそのままだ。今はうつ伏せに横たえられ、傍らにしゃがみこんだレアラードから回復魔法をかけられている。

 すでに二、三本抜かれた矢を見ると、小ぶりなうえ雑な作りで威力もさほど強そうではなかったが、鎖帷子や鎧を着こんでいるわけではない平民の服などやすやすと破って皮膚に矢尻をめり込ませていた。

 こんな状態で馬に乗れるはずもないのにと不思議に思っていると、傍らにいた見覚えのある馬が私に体を擦り付けてくる。これが農夫の家のランダだと思い当たると、果敢にもこの瀕死の男を背負って馬にしがみつき連れ帰ったのは農夫だったのだと、彼の服の血に染まった様子と合致した。


 瀕死の男はまるで自白薬を飲んでいた時の私のように、何事かをしきりとつぶやいていた。レアラードのすぐ背後まで近づくと男の声ははっきりと聞こえた。


「メリサ、アイナ……ああ、なんであんなことに……人間じゃない、あれは……あんなことができるのは人間じゃない……」


 重い傷のせいではなくショックのためだろう、止めようのない震えが彼の体を蝕んでいた。顔に煤がつき、矢傷以外も擦り切れたりぶつけたような痕が質素な野良着から覗く体のそこかしこに見られた。隣の村がどれほど離れているか知らないが、ずいぶんな距離を逃げてきたようだ。全身を染めた血が汗に滲んで真っ赤なぬらぬらとした生物のように見える。


「お知り合いですか?」


「顔見知り程度だ。放牧場の端に急に現れて……一家どころか村の者全員が殺されたって半狂乱で話し始めて」


「クラビス、なんで放っておかなかった。この人にゃ悪いが、村のためには森に戻して気づかないふりをしておいた方がよかったろう」


 私と農夫の会話に割り込んで、若い村人が気色ばんだ。クラビスと呼ばれた農夫はあからさまにムッとし返す。


「それで巻き込まれずに済んだと思うんだったらとんだ楽観だぞ。この人はすでに血の跡をつけて村の端まで来ていたんだ。兵士がこの村に気づくのだって時間の問題だったろう」


「クラビスの言う通りだ。おまえはまだ兵役を済ませていないからわからんだろうがな」


 年かさを盾に取られては反論の仕様もなく、若い村人は黙る。が、その目は納得とはほど遠い光を放ち、横たわった隣村の男を見下ろしていた。

 剣呑な雰囲気をいなすように、そして現実から目を逸らすように、他の村人が疑問を口にする。


「なんで隣国の兵士が略奪なんかする必要があるんだ。軍からの支給品があるだろう」


「現地調達ってことだろう?」


「この辺りは街道沿いでもない小さな村ばかりだぞ。わざわざ食糧調達にここまで軍が分け入ってくるか?」


「いっそこちらから食糧や金品を用意すると先に言えば、二の舞にはならないんじゃないか?」


 傍にいた村人たちが冷や汗をぬぐいながら早口に意見を交換する。


「交渉なんかできるやつらじゃない! あいつらはただ暴れたくて村を襲ったんだ」


 最年少の村人の足に急に飛びつくと、矢を負った男は噛みつくように叫んだ。そのまま何事か悲惨な情景を思い出したのか喰いしばった歯をカタカタと鳴らす男に、ひっ、とその若い村人は小さく悲鳴をあげた。


「遊び半分の略奪? 隣国の兵士は内乱を治めに来た態なのに、そんな無体なことをするなんてありえますかね」


「おそらく本隊を離れた不良部隊だろう」


 首を傾げた私に答えたのはレアラードだった。


「不良部隊?」


「略奪目的の盗賊が傭兵の募集に応じたんだ」


「そんな、それでは隣国から盗賊が派遣されてきたようなものじゃないですか!」


「急な寄せ集めで軍隊を編成すれば、そういうこともある」


 聞いていた村人たちが動揺のあまり足踏みする。


「そ、それじゃあ我々はこんな理不尽に合っても、それをただ運命だと受け入れるしかないっていうのか?」


 村人の相手を間違えた口撃に、レアラードは心を動かされた様子もなく「どうしようもない理不尽が人生にはつきものだ」と言い放った。

 わずか十七、八歳に見える小娘の場違いな訓示であったのに十分に年を重ねた村人たちを黙らせる迫力があったのは、やはり彼女の実際の年齢が凄みとなって言葉に滲み出ていたのかもしれない。クラビスを含めた村人たちの顔から一気に血の気が引き、その視線はそれぞれの愛しい家族のいる家に注がれた。


「これが……運命……」


 放牧地の先から、恐慌をきたした牛のほえる声が聞こえる。いよいよ隣国の兵士――盗賊たちが森を抜けて草地に出たらしい。軍勢の野卑な雄叫びと馬煙がここから確認できる。村人たちの顔がいよいよ色を失った。


「だが、私がここにいるのも運命だ」


「え?」その場にいる全員の声が揃った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ