37 終章2
「え……あれ……」
「考えていることを口に出す癖がついているぞ」
しれっとした顔で入室すると、レアラードは暖かそうなスープの入った皿をサイドテーブルに置いた。ターバンを巻かずに髪を下ろしているものの相変わらず男のような服装で化粧気も無い。なぜだか幾分やつれて見えたが、それでも彼女の周りの空気だけはやはり常人にはない輝きがあった。と考えてから、これは口にしていないだろうかと確認して安堵した。
「レ、レアラード、さん……いてくれたんですか」
「さん付けはいらん」
動揺した私が子供たちに目を向けると、兄は呆れたように肩をすくめた。
「魔道士の兄ちゃん早合点しすぎなんだって。俺は“姉ちゃんなら三日前からずっと兄ちゃんの看病してたよ”って言おうとしたのに」
「私だって、“お姉ちゃんがご飯の時でも下の食堂から看病のためにすぐにぴゅっていなくなっちゃう”って言ったのに」
「だからー、リアが話すとぐちゃぐちゃになっちゃうんだって」
兄妹喧嘩を始める子供たちに初めて拳がわなないたが、レアラードの手前良い大人を演じたい私はかろうじてそれを発動するのを抑えた。
伝説の少女はそんな私の葛藤に気づいた様子どころか興味もないようで、サイドテーブルにスープ皿を置くと、私にベッドに腰を下ろすように目で命じた。彼女ははだけたままの私の服を大胆にもさらにぱっくりと広げ、胸の傷を触診した。角度によって淡い金色にも銀にも見える髪が、私の目の前で美しく艶めいている。私は顔の筋肉の弛緩を止められずにいた。
「おまえはしゃべらなくても考えていることがわかる節がある」
一通りの診察を終えると彼女は不満げな様子で部屋唯一の椅子に腰かける。私は慌てて自分が何か粗相をした可能性を探り、下半身を確かめ、これまた安堵し――この行動を悔やんだ。
じっとりと感じる彼女からの視線に気づかないふりをして、私は胸ボタンを閉めるのに夢中になった。
その後はしばらく子供たちが先を争うようにして始めた、「私にいかなる角度でスープを飲ませるとこぼれないかゲーム」に耐える運びとなった。私としては「熱い? では、冷ましてやるしかあるまいな」などと涼しげな顔でふーふーとスープを冷ましながら飲ませてくれるレアラード……という妄想を膨らませていたので、これには怒髪天を衝く思いだったが、やはり大人気を見せたい私にその思いを露わにする術はなかった。
ただ一通りその趣向が終わると、子供たちは今度は我先にと空のスープ皿を片づけに階下にあるらしい台所へと去って行った。下の階から母親らしき女性と子供たちの声がにぎやかに聞こえる。おそろしく単純で可愛くそしてアホな子供で私は満足した。そう、今部屋には私とレアラードだけが残っているのだ。
しかし――いざ想い人の女性と二人きりとなると話に困った。焦る私の気持ちを静めるかのように窓から心地よい微風が部屋に入り込む。
「気持ちいい風が吹いていますね」
「…………」
「……」
「…………」
もっと焦ることになった。
どうしよう、さりげない感じで天気の話をするという会話術の王道が通じなかった私には、もう次の手はない。ここはひとつ賢さアピールで古代詩でも暗唱しようか、それとも女の子が命を投げ出すほど好きだというお菓子にまつわる雑学でも古代神話から披歴しようか、ああ、こんなことならずっと話続けていた頃の方がましだったのか、などと考えていたら、レアラードが腰帯に吊るした皮袋から小さな粒を取り出して私に手渡した。
手の平に乗ったそれは小指の先ほどの大きさをした緑色の小石だが、中央から放射状の亀裂が黒々と伸びていた。
「これが、入っていた」
「え?」
「おまえの体の中に、だ」
ぎょっとして、小石を取り落しかける。
「な、なんですか、こんなものがなんで? ――ああ! つまり、あなたが私を斬りつけたのはこれを取り除くため?」
レアラードが頷く。胸の傷が思い出したように痛んだ。
「取り除いて治ったということは、つまりこの小さな石っころが……私が話し続けていた原因だと……?」
「おそらく自白薬の固まったものだろう」
「薬が体の中で留まったって言うんですか? そんな作用……うん、まあできなくもないか」
師匠の薬剤研究の中に、いかに薬の持続作用を長引かせるか、という内容で“患者の体内に薬を留める”作用案があったのを今になって思い出した。幸い、その案は実際の製薬に用いられずに終わったため、私が治験者となることもなかったのだが……ロイはその資料を読んで応用したに違いない。
私に自白薬の開発協力者として白羽の矢を立てたのも、製剤に優れた師匠の研究資料を読むというのが一つの理由だったのだろう。そう考えると、やはりロイは卓越した研究熱心さとセンスを持った魔道士だったのだ。その能力を悪い方向にしか使わなかったのが悔やまれる。
「飲み薬だったら時間と共に体外に排出されるはずが一か月以上も効力が弱まることが無かったのは、これが私の体内にずっとあったからなんですね」
「よくできた仕組みだ」
「感心しないでください。おかげで私は四六時中話し続けるという傍目に苦しさがわからない一見ご陽気な責め苦にあっていたんですよ。そのせいで初めの何日かは喉から血が出るし眠れないしで、ずいぶん苦しめられたものです」
石をじっと見つめるが、それはただ鈍く光るのみだ。
「これが私の意志を操っていたんですね」
「たぶんな。留まって異世界の力が流れ込む『穴』を作る。そういう式に改竄したのだろう」
「ひどい話です」
あんなに苦労したのに、こんな小石一つが自分の自由を奪っていたかと思うと腹が立った。腹立ちまぎれに床に叩きつけてやりたい気もするが、反面、一月の間自分の体の中にあったのだという奇妙な親しみもあり、私はそっと小石を手の平に包み込んだ。
「おまえはロイに感謝すべきかもな。教えてくれたのだから」
「あ……!」
迂闊にもその時になって、ロイが死の間際に指差したのが私の背後にあった建物ではなく、私自身の体内だったのだと気付いた。“取るといい”とは、私の胸に留まっている自白薬の塊を取るように言っていたのだ。
死者を冒涜したくはないが、そんなもんわかるか。死に際だったとしても、もうちょっと説明の仕方があるだろう。
「でも、あなたもそうならそうと言ってくれればいいのに、いきなり斬りつけるなんて」
「説明したっておまえ、どうせギャーギャー言うだろう。内臓探るのは嫌だって」
「そりゃあ誰だって嫌がりますよ! っていうか、どこに自白薬があるかわからずに私の臓器の中を探ったんですね?」
「大丈夫だ。傷は大きくなってしまったがこの三日ずっと回復魔法をかけたから」
女性は血に動じないというがこれほど怖いものだとは思わなかった。想い人とは言え、私は胸の中を探られるのを好まない。それが比喩じゃなく実際の話だというのが恐ろしい。
私は改めて緩い襟ぐりから自分の胸の傷を見た。胸筋の下で交差するように十文字に大きく斬られた傷はすでに塞がっている。だが、中身の方は完治しているわけではないようで、なんとも言えない熱を帯びたような痛みが残っていた。
「もう少し回復魔法はかけるが、傷跡は残ると思う」
そう言ったレアラードの目の下にうっすらと隈ができている。それはこの三日間、彼女が私を生かすためにほぼ寝ずに治療に当たってくれたことを意味していた。
いくら“伝説のよりしろ”だとは言え、魔法を際限なく使えるわけではない。異世界の力を無尽蔵に引き出す『穴』を体内に持っていても、体力が無ければ魔法を発動することはできないのだ。自分の成果を誇らず、常に涼しげな様子を変えない彼女から読み取ることは難しいが、私の治療にその体力を極限まで使ってくれたことが顔色から伺えた。
ふと見ると、レアラードのこめかみに傷跡が見えた。記憶を遡ると、ロイにとどめを刺したあの時、彼女がこめかみから血を流していたことに思い当たる。たいした傷ではないのだろうが、それは自分の治癒に一切の魔法を使わず私の回復を優先させてくれた証であった。
胸の奥が、傷とは違う熱を帯びる。
「内臓を漁られたのは複雑な思いですが……ありがとうございます。私を元の体に戻してくれて。それに何度も命も助けてくださった。あなたは私の命の恩人です」
唐突に言った私が悪かったのだろう。思いがけない言葉を聞いたようで、きょとんとしたレアラードの顔が、驚くほどの速度で赤く染まった。まるで本当に見た目どおりの十代の乙女のように、彼女は激しい動揺を示す。
「い、いや、私もおまえに助けられた。その、ロイに捕まっている時」
「あの時だって、私が助けに行くと信じてくれたんでしょう?」
自分で言ってから気づく。レアラードは馬車の荷台で私が言った“信用さえしてくれれば、私は必ず期待に応えます”という言葉を覚えていてくれたのだ。
「う……まあそうだが」
「信じてくれて嬉しいです」
じっと瞳を見つめると、レアラードはさらに困ったように視線を左右に行き来させた。これは予想外に可愛らしい反応である。
「や……役に立てたのか? 私は」
「もちろんです。いや、それ以上」
「そうか……だったら、それでいい」
頬どころか首まで真っ赤に染めて、伝説の美少女剣士は視線を下に向けたままぼそりと言った。――いまだ! 私は一瞬の好機を見抜き、意を決して彼女の手を取り、両手で強く握りしめた。
「さっき言いそびれた、どうしても言いたかったこと、言いますね」
「いや、べつに言わなくても」
「愛しています」
ヒューヒューと子供たちの囃し声にはっとして目を向けると、開け放たれた戸口に幼い兄妹の顔が縦に並んでいた。
「こら、子供たち。お兄さんはこれからとても大人の良い雰囲気になる予定なんです。できうることならそのままいろいろなだれ込んで初めてのことどもを逐次済ませたいと画策しているのですから、そんなところで覗き見しない! 扉を閉めて小一時間ほど外で遊んでらっしゃい!」
「おまえは何を言っているんだ」
先ほどまであんなに潤んだ瞳と上気した頬をしていたと思ったのに、それは恋心ではなく怒りだったのかなんなのか、レアラードは立ち上がりざまに驚くほど力強く私の両手をもぎ離す。銀色の長い髪がまだ薄紅色に染まった顔を隠すように彼女の輪郭を縁取った。その可愛らしさを忘れたくなくて、私が自分の海馬にそっと専用の記憶場所を用意したその時、
絶叫が村に響き渡った。




