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36 終章1

 悪い夢を見た。


 いや、良い夢だったのかもしれない。何しろ、伝説の少女と出会った夢だったのだから。

 温かい布団を首元まで引き上げ、天井をぼんやりと見つめる。

 胸のあたりが痛むが、ほどよい眠気の中ではそれも辛いとは思われない。どうして平凡な研究職の私が体を痛めているのかというと――


「っ!」


 体を起こしてみたが、急激な動きにあわせて感じた痛みにまた枕に頭を押し付ける。胸の中が、ちりちりと焼けるように疼く。


「あ! 起きた! 魔道士のお兄ちゃんが起きた!」


 可愛らしい声に目を向けると、小さな女の子が私の腕にむしゃぶりつくように飛びついてきた。慌てて抱きとめながら、そろりと起き上がって室内を見回す。簡素な木造の部屋には、自分が横たわるベッド以外には椅子が一脚と小さなサイドテーブルがあるのみで、開け放たれた窓から見える景色は森を切り開いた小さな土地にきれいに区分けされた畑が広がるあまりにのどかな田舎の村落のものだった。小川がきらきらと陽光を反射し、遠く柵に隔てられた放牧場には牛が数頭草を食んでいる様子も見えた。


 そのどれにも見覚えが無い。


 もしや記憶喪失の類になってしまったかと不安が胸を苦しくさせていると思ったら、女の子の頭が私の胸を掘削機よろしくぐりぐりと攻めたてていただけだった。体中で喜びを表してくれるのは嬉しかったが、胸の奥が原因不明の痛みに悲鳴を上げたためそっと女の子を引きはがしていると、ドタドタと慌ただしい音が聞こえ、部屋唯一の扉から今度は十歳に満たない少年が部屋に飛び込んできた。


「魔道士の兄ちゃんっ! 良かった、起きたんだな! 心配してたんだぜ!」


(君たちは……?)


 問いかけて、声が出ないことに驚く。喉を押さえて、そのひりつく器官をもう一度震わせようと試みるが、声帯からは掠れた音を立てて空気が漏れただけだった。そんな、まさか……


「喉が渇いてるんだな、なにせ丸三日寝てたんだから」


 少年はサイドテーブルに置かれた盆の上から、陶器の水差しと木のコップを手にすると手際よく水を注いで私に飲ませてくれた。飲み込むたびに、喉が徐々に潤いを取り戻していくのがわかる。


「き、君たちは……バーゼルの街道で馬車に乗せてくれた……」


 恐る恐る、まるで音を空中に置いていくようにゆっくりと息を言葉にした。しゃべり続けることを恐れていた自分が、声が出るかどうかを心配する日が来るなんて思ってもみなかった。


「俺たちを覚えてるんだったら頭も無事みたいだな。あの時は助けてくれてありがとうな」


「いえ、もとはと言えば私が巻き込んだことなので――って、あの、ここは……?」


「うちだよ。お姉ちゃんがランダを返しに来てくれたの。で、ランダの背中に魔道士のお兄ちゃんが乗ってたの」


 ランダ……覚えがない、やはり私は記憶喪失になったのだろうか。


「リア、おまえが話すとぐちゃぐちゃになるだろ! ランダってうちの馬の名前。レアラードさんは父さんからランダを買ったのに、きっとうちで大切にされていたんだろうってこの村まで返しに来てくれたんだ」


「レアラード!」


 瞬時に記憶が甦った。夢じゃない、そうだ、私は確かに伝説の少女と出会い、助けられ、共に戦い、そして――斬られた。

 胸が疼いた。見ると、簡易な服を着せられた私の胸には確かに新しい十文字の切り傷がはだけて見えた。傷口はきれいに塞がっているため包帯はされていなかったが、皮膚一枚を切り裂いたような浅い傷ではないことは、内側からのじくじくとした痛みで悟らずにはいられなかった。

 だが、見た目から大事に見えなかったようで、女の子がまた掘削機よろしく私の体と顎の間にねじ入り、下から顔を覗き込んでくる。全身を預けてじっと見上げてくる少女に、胸の痛みを感じながらも思わず目の色のことを言われるのではと身構えたが、彼女の質問は私の予想とは大きく異なるものだった。


「魔道士のお兄ちゃん、今日は全然しゃべらないんだね」


「いててて……え? しゃ、しゃべらない? ……あ‼ …………あは……あははははは! うん、そうだね、いやーそう? しゃべってないかな、あはははははははははははは‼」


 急に笑い出した私に近寄ってはいけない人間特有の何かを感じたようで、女児型掘削機はじりじりと後退して兄の後ろで停止した。

 何をどうしたのかわからないが、レアラードは私を斬ることで、自白薬の効果が続く私の体を治したのだ。嬉しさのあまり無言でいられずに笑い続けてしまうのをなんとか押し込めて、ぎゅっと口を閉じてみる。

 部屋に沈黙の時が訪れ、窓の外から鳥のさえずりが聞こえた。

 子供たちが何事かと私の顔を覗き込むのを見て、私は耐え切れずに噴き出した。


「なんだよ気持ち悪いな、兄ちゃん」


「え? そう? いや、ホント、無口ですまないね」


 しゃべらなくてよいというのがこんなに自分の体を軽くするのだと発見して、私はただただ頬を緩ませ続けた。が、


「そうだ! レアラード!」


 はっと気づいて布団から飛び出すと、転げるようにして傍らの少年の両肩を掴む。


「レアラードは?」


「え? ああ、姉ちゃんなら三日前――」


「もうすっごいの。風みたいにぴゅっていなくなるんだから」


「やはり、そうでしたか……」


 自分でもがっくりと肩が落ちたのがわかった。お礼を言う機会すら与えてくれず、彼女は去ったのだ。

 美少女魔法戦士レアラード――すでに伝説となっている人物が、一つ所に留まったり特定の人物と付き合うことは、冷静に考えたらとても危険なことだろう。力が衰えたとはいえ唯一の生き残りの『よりしろ』である以上、彼女の存在を嗅ぎ付けた連中が彼女の身を捕えようとすることもありうるのだ。

『門』が狭められた今、『よりしろ』の魔法にかつてほどの力はない。しかし魔力の強大さよりも、その名声や知識を欲する輩は多いに違いない。

 昔の知り合いも死に果てたであろう今となっては、浮雲のように漂泊を続けなければ、どこかの国に加担したと勘ぐられ、戦の火種にもなりかねない。世界の安寧のために、旅を続けなければいけない――それが、伝説の『よりしろ』である彼女の立場なのだ。


「それでもせめて――せめて一言言いたかった」


「何をだ?」


「え?」


 顔を上げると、開け放たれた木戸の前にすらりとした長身に銀色の長い髪をした美しい少女の姿があった。


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