34 持たないもの
「意識が戻った時には、そこには私しかいなかった。仲間も、兄の姿もなかった。回復魔法を使ってみると、魔力は以前とは比べものにならないくらいに弱くなっていたが、使えた。異世界との繋がりを絶つ儀式は中途半端に門を狭めただけで失敗した。だが……どうしてそうなったのか、私にはわからない」
小さな声で途切れがちに語り終わったレアラードをロイは凝視した。目が爛々と輝いている。
「その話本当なの? ……は、……はははは! 面白い! じゃあ本当にあんたは何もしてないんだ! 儀式の唯一の生き残りだ救世主だって言われているけど、ただその場で寝ていただけなんだ!」
少年の嘲りが少女の胸を抉る。
「しかも、カイザークがあんたを裏切っていたなんて! カイザークがあんたを助けるサーガなんていくらでも残っているのに。最愛の兄に裏切られたんじゃあ、あんたが人を信じられないってのもわかるね」
ロイが纏った金糸の縁取りのローブは、瓦礫の下敷きになったことで随分ボロボロになり、彼が笑うたびにその隙間からは瓦礫の粉が揺すり落とされた。
「でも伝説にそんなことはこれっぽっちも語られていないじゃない。もしかして、兄想いのあなたが庇って嘘をついたの?」
「声の大きな者が歴史を作る。私が話した真実より、誰かが話した嘘の方が魅力的だっただけだ」
「面白い、非常に面白い! 無口なあんたからこんな話が聞けるなんて、いったいどういう風のふきまわしなの? 今まであんたが無駄口を叩いたことなんて……」
「“おまえが持たないもの”を待っていたんだ」
レアラードが言い終わらないうちに、ロイの背後で風が唸った。はっとしたロイがとっさにうなじの青い刺青を庇って大きく身を伏せる。その頭上を、白く光る梟が通り過ぎた。
「使い魔か!」
ロイが驚きを口にする。その瞳は、梟の足に光る魔石を柄にあしらった小刀が握られているのを見て大きく見開かれ、さらに主塔脇のアーチに姿を見せた懐かしい青年魔道士の姿を捉えて輝いた。
「やるねヴァリスさん! 使い魔を使って僕の『穴』を狙ったようだが……」
ヴァリスに対して勝ち誇るように響き渡らせたロイの言葉は、途中で止む。なぜなら、梟が目指したのが、自分のうなじではなくレアラードを拘束している“賢者の光”だと気付いたからだった。
梟が、狙いたがわずレアラードの足元――光の円の中央に小刀を突き立てる。途端、小刀の魔石がぎゅんと光を増し、光の円はまるで熱しすぎて割れる土鍋のような音を立てた。
瞬間、レアラードを拘束していた光が弾けて消滅する。
舌打ちと共に、ロイは急いでレアラードと距離を取ろうとし――違和感がロイの足にぺったりとくっつくのに気付いた。はっとして視線を落とすと、少年の足にまとわりつくように水袋のような物体が絡みついていた。
「っ……グラン!」
骨の無い、不気味で締まりのない人型の水袋の中にある顔が恐ろしいほどの真剣さで少年の足を絡め取る。
「死にぞこないが! 邪魔だ!」
瞬時に少年が宙に描いた魔方陣から飛び出た白く光る槍が、グランの体を貫く。水風船を割るように、グランの体から血が飛び散った。
ロイの視界が血に煙る。
その血の霧を切り裂いて、少年の前に肉薄する者がいた。
「あ……!」
瞬きの間もなく脇を通り過ぎた影を振り向こうとして、がくっとロイの首が前のめりになる。目を見開き自分の首の後ろに手を当てると、そこには明らに濡れた感触があった。
「……これ……は……」
手の平を目の前に持ってくると、指は血で真っ赤に染まっていた。がくがくと震え始める手を反対側の手で押さえようとしても、震えは一向に収まらなかった。
「こん……な、ただの……傷じゃ……ない?……」
ただの刀傷であれば、すぐに肉体の再生が始まるはずであった。
しかし、いつもならすぐに感じる内部からの肉や血の沸きあがる感覚はなく、ただ全身の血が冷やされていくような、不思議に痛みもない奇妙な喪失感が続いた。
「そんな……」
「これは、特別なんでね」
レアラードが手にした半月刀の魔石が目を細めるように致命傷を負った少年を見つめた。うなじの刻印の中央を引き裂く傷から溢れ出る血を止めることもできず、不安定な瓦礫の足場にがくりと膝を折るまでに力を失くしたロイに、後ろから近づく影があった。
姿を見ないでも正体がわかったのは、影がひっきりなしにぶつぶつと何かをつぶやいていたからだ。
「ヴァリス……さん……」
「ロイ……」
体全体を使ってなんとか影を見上げた少年の目に、複雑な表情のヴァリスが映った。
「ニディアは……あなたが……?」
「ええ、なんとか」
「……はは……三年も一緒に住んでいたのに……見くびっていたな……」
「ロイ……なあ本当に……死ぬのか……なあ……ロイ……」
絶句したい心境のときでも、この体は何かを話し続けなくてはいられないのだとヴァリスは改めて知らされた。まるで拷問だと、ヴァリスは思ったし口にした。
「やるね、ヴァリスさん。……ずっと……引きこもっている……平凡な……魔道士だ……」
「もういい、もういいよロイ」
ロイの体がいよいよ力を失って後ろに倒れるのを、ヴァリスは受け止めた。自分がとどめを刺すのに手助けをしておいてなんという馬鹿なんだと、自分に吐き捨てる。不老の少年にとっても、引きこもりの青年魔道士にとっても三年という歳月はか細いながらも絆を成していたのだと、引き返せない今になってお互いに感じているようであった。
「不思議だな……ヴァリスさん……僕の死を喜んでないんだね……」
「私が殺したようなものなのにな……。これで君を二回殺したことになる」
「いいよ……僕も拷問したもの……はは……それに昨日は……丸焼けにした」
「なんですかこれ、憎しみ合ってもいいのに、なんでこんな気持ちになるんですか」
「なんだろうね……こんな関係……こんな気持ち……不思議だね……ああ、こういう謎も……僕は……もう……解き明かせ……ないん……」
ヴァリスの腕の中でロイは指を持ち上げながら最期に小さくつぶやくと、彼特有の笑みを口元にただよわせて息を引き取った。
黙って見送りたかったヴァリスだが、薬の影響はどこまでも彼を追いつめ、死を悼む言葉を何度も何度もその小さな骸にかけ続けた。




