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31 二ディアとヴァリス5

 徐々にニディアが近づいて来る緊張に耐えられず、ヴァリスは振り返りざまに脱兎のごとく山の急斜面を駆け下りた。

 ほとんど崖と言っていい急斜面にまさか駆け下りるとは思っていなかったのか、ニディアの攻撃の手が鈍ったのはヴァリスにとって僥倖だった。人間業と思えない歩幅を重力によって手に入れた彼は、一気にニディアの視界から逃れながら、足がもつれる前に梟の使い魔を呼び寄せ、その足にぶら下がって上空に舞い上がる。ニディアの目には、急に山の木々の間からヴァリスが飛び出したように見えただろう。


 城の上空まで再度滑空し眼下を一望してから、彼は崩れていない城壁にまで一気に急降下する。やはり、というべきか、そのすぐ後を追うように近付くと爆発する「光る魔方陣」が追いすがってきた。


「“陽炎”じゃなくてよかった」


 城壁の上で一旦使い魔から手を離すと、ヴァリスは自分を追いすがって石畳を走る光る魔方陣を誘導するように駆け出した。ぎこちない走りのヴァリスを、魔方陣は端まで追い詰めると、計ったように爆発した。どうやら対象物からある一定の距離まで近づくと爆発する攻撃魔法のようだ。

 その爆風に乗るようにして、ヴァリスは凹型の狭間胸壁から空中へ飛び出す。タイミングを合わせてやってきた梟の使い魔が伸ばした足を掴むと、彼はまた空中の人となった。


ギチギチギチギチ……


「来たか!」


 陽炎の出現音が聞こえると、緊張に背中が一気に汗ばむ。失敗できない回避をこれ以上何度も続けて成功させる自信がヴァリスにはなかった。とにかく元を断たなければ、という思いの中――あるひらめきが彼に舞い降りた。


 とっさに城門を目指して急降下をしたのは、ある目的のためだったが運が良かったと言えるだろう。ニディアはその急降下を見越していなかったので、陽炎はヴァリスの体を逸れて上に現れた。おかげで使い魔はまともに体の中心に穴を開けられて霧散したが、高さがだいぶん緩和されていたので、ヴァリス自身は大きなダメージを受けることもなく地面に着地できた。

 彼はそのまま城門を内側から飛び出すようにして転がり続けた末跳ね橋の途中で止まり、平衡感覚を失くしたのかそのままうずくまる。


ギチギチギチギチ……


 異音は再度耳に届いた。


「もう逃げ疲れました! ニディア、やっぱり考え直しました! 私は殺される心配なんてしたくない! 仲間になります!」


 聞こえているかどうかわからない相手に、自暴自棄のようにわめく。

 すると、それに応えてか陽炎がヴァリスのすぐ目の前に現れ、


「なによ、威勢よく逃げたのにもう根を上げるのね」


 陽炎の中から、細い女性の腕が出てきた。


――――瞬間。


「ぎゃあああああああああああああああ!」


 吠えるような悲鳴が、陽炎の中で響き渡る。


 それがまだこちら側に体を出していないニディアのものだと、ヴァリスは理解していた。こちらに本体が出ていないためか、すぐ近くの人間の悲鳴なのに随分距離があるようにも聞こえる。

 ヴァリスは自らの行動に萎縮する気持ちを奮い立たせて、ニディアの手の甲に突き立てた小刀を握りしめる力を緩めなかった。

 レアラードの小刀。さきほど転がりながら拾い上げていたものだ。

 小刀が刺さった彼女の手の甲には青い魔法陣の刺青が脈動している。


「なぜ……知って……!」


「すみません……!」


 ヴァリスは小刀を両手で持って謝ることしかできなかった。その刺青がニディアが体内に作った『穴』だということは、レアラードから知識を与えられた時点で気付いていた。そして、それを破壊すればどういうことになるかも。


「っっっっ!」


 悲鳴にならない悲鳴を最期に残し、ヂンッという陽炎のはじける音がした。

 

 急に軽くなった手の感覚に前のめりに倒れると、ヴァリスが両手で握りしめて小刀を突き立てたニディアの手は、肘の辺りでばっさりと切り落とされて転がっていた。


「『穴』が壊されたから……『歪み』を通り抜ける資格が無くなったんだ……」


 ニディアの手の甲からおそるおそる小刀を抜きながら、ヴァリスは言葉にできない複雑な思いを吐き出すように言葉にしていった。小刀の柄の魔石が自分の仕事を誇るようにきらりと光る。


「すみません……」


 自分の行動の重みを覚悟していたはずのヴァリスだったが、初めて人を殺したことに心臓は驚くほど速く打ち続けていた。


 三年前に自分を優しく包み込んだ手から目を逸らして、ヴァリスは立ち上がった。



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