29 ニディアとヴァリス3
ヴァリスは恐れで震えるのをひた隠しにして、余裕の声を装った。冗談ではなく、心底怖かった。
“よりしろの力”は一般的な魔法を作り出す力とは機序が違うため、上級魔道士であるヴァリスの知識や経験でもまったく歯が立たない。
どうやらロイとニディアの『穴』はそれぞれ限定した「再生」「空間歪曲」という力のみを発動させ、それには魔方陣と古代語――つまり『扉』と『鍵』――を必要としないようだが、あの陽炎に対してはヴァリスの作り出す使い魔が一方的に消滅させられるのみだということは、もしかしたら『穴』を介した魔力は、通常の魔力よりも力自体が強く増幅されたものなのかもしれない。
「なるほど、自身の『穴』を通った魔力は我々一般魔道士の使う『扉』より多くの力を引き出せるのですね。レアラードの『穴』は魔力全般に及ぶのに対して、あなたたちの『穴』には何らかの制限がかかっていて、ある特定の現象を起こす力に限られている。それが、“人工”と“本物”の違い……」
ロイやニディアが一般的な魔法を使う際にはヴァリスと同じように魔方陣を描き出すのに対し、カーツの森でロイに攻撃魔法を使った時も城門でヴァリスに回復魔法を使った時も、レアラードは魔方陣と古代語を必要としなかった。そして、その力は桁外れに強力であった。
「あれが、純粋な『よりしろ』……か」
大陸をあげて取り合いが演じられたのもわかる気がした。しかし、大戦後時間が経ってから生を受け、『よりしろ』のいない新しい世界で魔法の研究に人生を捧げ、自分というものを構築してきたヴァリスにとって、人工にしろ純粋にしろこの“よりしろの力”はとにかく違和感の塊であった。
しかも、ロイのように「自らの肉体の再生」という内側に使われるのではなく、ニディアのように外側へ影響を及ぼす「攻撃」として使われると、対処の仕方がわからないままじりじりと死に追いやられている恐怖だけが増した。
「いくら私が嫌いで逃げたって無駄よ。あなたの魔法の波長は記憶しているんだから、どこに行ったとしても間近に現れることができるわ」
「嫌いだなんて。私にとっては生涯で初めて親しく話した女性ですよ、ニディアさんは」
「でも、三年前のあの告白は嘘だったんでしょ? 後からロイに騙されたんですよって指摘されて傷ついたわ。男の人にまともに相手されたことなんて今まで無かったから、あの時は舞い上がっていたのに」
「またまたご謙遜を」
「本当よ」
微笑みながら、ニディアはゆっくりと袖口のボタンに続いて詰め襟のボタンを外してゆく。
「え?……え、何を急に……」
「見せてあげるわ、謙遜でないってことを」
ずるり、と彼女のなで肩に沿って体を包む衣服は腰のベルトまで滑り落ちる。ヴァリスは息を飲んだ。それは予想したような艶めかしい肢体ではなく――いや、むしろ人体と呼べるようなものが無かったから。
ニディアの鎖骨から下の胴体は、無数のコブの連なりでできていた。赤や緑、青、黄色と極彩色の潰れたトマトのような醜い肉塊が押しつぶし合いながら、かろうじて人型のシルエットを作り出している。
しかし、それはあくまでもシルエットとしてであり、コブはそこかしこに隙間を作って、いったいその中にニディアを生かしていくための正常な骨が存在し、内臓が機能しているのか、自信を持つことができないほど異形であった。
「この体じゃ、相手にしてくれる男なんていないでしょ?」
絶望的な音色だった。ヴァリスは否定の言葉を紡ぎたかったが、とても薄っぺらい慰めは言えずに唸るのみだった。
「ニディアさん……それは、実験で……そのように……?」
「あなたになら、見せてもいいかなって思ったのよ。その瞳……」
体を近づけると、ニディアの手がヴァリスの頬に触れた。いつもはフードで隠している紫色の左目をまっすぐに覗きこまれて、ヴァリスの体が緊張する。
「あなたも実験体だったんでしょ?」
ヴァリスの表情が強張る。
「私は……師匠を恨んでいませんから。師匠が私を引き取ってくれなければ、私は生きられなかった」
確かに治験によって左右違う色の目となったのはヴァリスの大きなコンプレックスだったが、攫われ、人体実験の道具にされたニディアたちと自分が同じだとは思えなかった。彼らはその代償に確かな保護者を手に入れたという良い思い出など持たないのだ。苦しみをわかってあげられるような素振りはおこがましくてとてもできないと、ヴァリスは考え、口にする。
喘ぐようにして後退ってニディアの手を逃れると、首の下を極彩色の肉塊で埋めた彼女はそれ以上は追いすがってこなかった。ただ、日光に晒された我が身を改めて目にして恥じ入るようにそそくさとローブを着こむ姿を視界におさめ、ヴァリスは取り返しのつかない傷を彼女に追わせてしまったような後悔を感じた。
「優しいのね。……私ね、魔道士協会の支部長なんてやっているけど、魔法のことなんてわからないのよ。今少しだけ使える魔法だって、ロイに教えてもらったものだけ。本当の私は、ただの田舎の農家の娘なのよ」
ボタンをすべてかけ終え、体を布地で隠したニディアは、再び豊満な肉体をした華やかな女性に見えた。
「多少器量が良かったから、貴族の屋敷の侍女になる話もあったし、幼馴染と結婚の話も出ていた。そんなどこの村にでもいる、幸せになってもいい女だったのよ。それが……いつものように街に織った布を運んで、いつものように帰る途中で、攫われて――信じられる? 体をさんざん弄ばれたあげくに、実験体としてもこんな……遊び半分でされたのよ」
「遊び半分……?」
「そうよ。私が攫われた頃には『人工のよりしろ』を作る実験は暗礁に乗り上げていた。何十年も研究を続けてきて成功例がロイしかいなかったんだから、当然よね。だから、無能なあいつらは無闇な人体実験をただ遊びで繰り返していた。実験に成功しようなんて殊勝な気持ちを持った研究者なんてあの場にいなかったのよ。王から与えられた資金を使って、新しいおもちゃが新しい反応をするのをただ面白がっていただけ」
「この国の魔道士協会がそんな人体実験をしている噂なんて、聞いたこと……」
「魔道士協会じゃない。この国の宮廷魔道士たちよ。つまり、馬鹿貴族の子弟たち」
「そんな……宮廷魔道士なんて」
野良魔道士よりも知識のない連中じゃないですか、という言葉を飲み込もうとして飲み込めずに結局口にする。
「成功させるつもりがなかったって言ったでしょ。あの頭のイカレた王の気まぐれと遊びと金の匂いに群がっただけの連中よ。まともな研究者なんて一人もいなかったわ」
「そんな連中が――人体実験を……」
成果を求める大義名分も無い、子供の泥遊びのような実験。それが、目の前の女性や三年の歳月を共に暮らした少年の身の上に起こった現実なのだ。
「成功させる気のない人体実験の中で、私に『よりしろ』の力が宿ったとき、あいつら慌てたわ。自分たちのしてきたことがどれだけ酷いことか、わかっていたのね」
「……殺したんですか?」
「もちろん。あいつらは自分たちの手に負えないからって、鎖につないだロイを呼んで私に対抗させようとしたけど――二人であいつらに復讐したわ。より残酷な人体実験をしながらね」
楽しい思い出を振り返るように、ニディアは口元をほころばせた。
「だって、恨むのは仕方ないでしょ、私たち罪もないのに攫われて、こんな体にされたんだもの。当然よ」
ロイと同じであった。ニコニコと笑いながら、軽口を叩きながら、ニディアの言葉の裏には滴るような悲劇が見え隠れしていた。




