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10 古い口説き文句

 四半刻ほどいかに今の言葉でこれまで長い間感じていた心の苦しみが解けたかを話し続けて、いつの間にか話がこれまでヴァリスの左目を見た一人一人の細かい反応に突入していることに辟易とした少女は、再度こくりと睡魔に身をゆだね始める。


「ああ! こんなに感動を伝えているのにまた! むむ、言葉とはなかなか気持ちを伝えられないものですね」

「……おまえの話は冗長すぎる」


「うぐ……い、嫌でも話続けてしまうのですから、仕方ないでしょう! 癒しと傷口に塩を塗る行為を同時にするお嬢さんですね。文句ないほど可愛いですけど」


「で? おまえは治験を自ら買って出て、その後に逃走したんだな」


「知らない誰かを治験者にして目覚めが悪くなるよりいいのではないかと思ったのです。それと、量産されないためには薬に使った数式と魔法の組み合わせの一部分をロイに気づかれないように改竄して、私が姿を消すのが一番かと……。まあ今考えれば化かし合いだったわけですけどね。ロイも私に内緒で同じことをしていたのですから。おかげで細工にも気づかないまま逃げ出したので、私は今、解毒薬も作れないでいるってわけです。滑稽でしょ」


「滑稽とは思っていない。変態とは思っているが」


「評価は変わらずですか。随分しゃべったので少しは忘れてくれていると思ったのに、これは手厳しい。いったいどうしたらその気持ちをこちらに向け……おおっと! こうしてはいられない。お嬢さん、短い逢瀬でしたが楽しかったですよ。名残惜しいことこの上ないのですが、さすがにもうタイムリミットです」


 見上げた空に何事か気づいてたじろぐと、ヴァリスは振り返って丁寧に少女にお辞儀をした。

 少女は怪訝な表情で焼きすぎた肉から青年に目を向ける。


「タイムリミット?」


「星を見るに、どうやら随分時間が経ってしまっているようです。すぐということはないでしょうが、ロイたちが私の居場所を探り当てるのも時間の問題でしょう」


「今までひと月もの間逃げおおせていたのに、なぜ急に見つかると思うんだ?」


「魔法を使ってしまったからですよ、と言ってもわかりませんかね。我々魔道士は魔法を使うときに空気中に波動というものが出てしまうのですが、面白いことにそれは指紋のように使う人間によって様子が違うのです。よほどの暇人でないとそんなものを見張っていたりはしませんが、ロイやニディアはきっと私の魔法波動を検知すべく目を光らせているはずですからね、こちらに向かっているでしょう」


「隠れるアテはあるのか?」


「この森の中に朽ちた猟師小屋がありましてね、逃亡後はずっとそこにいました。昔、師匠と共に薬草を取るためにたびたび使用していたものなんですけどね。そこには結界が施してあるので、魔法波動が出ないようになっているのです。まああなたの――違ったんですけど――悲鳴を聞いてノコノコと出てきてしまったんですが。ああ! そうだ……狭いですけど、良かったら、小屋に来ます? 今はもう冬を抜けていますからここで野宿をしても問題はないと思いますが、屋根と壁があった方が夜露はしのげますし、ここは野生動物が死肉の匂いを嗅ぎ付けてやって来ないとも限りませんし」


 ヴァリスの視線が転がったままの盗賊たちの死体を捉えた。


「それに死体に囲まれて寝るのは不気味でしょう? え、そうでもない? うーん、慣れって怖いですね。いったいその年でどれだけの死体を作り出してきたのやら。確かに毛布は盗賊たちのねぐらを探れば必要以上にあるでしょうけど、死んだ人の物を使うのって気味悪くありません? ない。ああ、そうですか。まあ私も師匠のローブ使ったりしますしね。あ、なら、お茶でも一杯ごちそうしますよ! せっかく知り合ったんですし……もちろん他意はありませんよ! そんな! そりゃあ麻痺薬をお茶に混ぜるとかできないことはないですが、そんなこと考えたらこうやって話してしまうわけですから、むしろこれほど安全な男はこの世にいないでしょう。本当にこのまま別れるのが名残惜しいんです。私はこんなに自分のことを話しているのに、あなたは何も話してくれないし」


「おまえは勝手に自分で話しているんだろう」


「でも出会えたのに、ここで別れるなんて口惜しすぎます。もちろんすぐに交際というわけにはいかないでしょう、まだ知り合ったばかりですから。男女交際に順序があることは知っています。ですから、文通から始められたらと。伝書鳩ならご心配なく、私が使い魔を用意しますから。爪とか髪の毛とか、何かあなたの一部があれば、それで使い魔はあなたの元に辿り着くことができます。ああ、ご心配なく、実はすでにあなたの髪の毛は拝借していますので……そんなにドン引いた顔はなさらないでください。自分の変態性はもちろん認識しておりますから。そのかわり、ええ、もう今まで神話や歴史の書物に埋もれて暮らしてきたのですから、手紙にはそれらの書物から得たあらゆる賛辞を使わせていただきますよ。これは他の男ではできない浪漫ちっくなことでしょう。例えば――おお、汝、美しき乙女、私の心を蕩けさせる瞳は天地をも翻弄する月の光、あなたの吐息からは花々が生まれ、潮騒も恍惚として鳴りやむ。私に微笑みを向けてくれるならば、世界の果てで流れ落ちる海水すらザクロ酒を飲むように平らげて見せよう。そして……」


 大人がまともに言うには抵抗があって赤面してしまうような時代錯誤で大仰な詩の朗読は誰かの制止がなければ止まる様子はなかった。言われている少女の方こそむずがゆくなって口をへの字にするが、それには気づかずに青年魔道士の口からは滔々と古代神話の女神を形容する文言の引用が流れ続けた。


「もうやめろ! 斬り殺したくなる」


「ええ!? せっかく褒めているのに」


「分別のある人間はそんな風に気持ちを伝えん」


「だって、吟遊詩人はこうやって女性を口説くのでしょ?」


「あいつらに分別はない」


「そんな! では一般にはどうやって男女は気持ちを伝えあうんですか」


「知らん。専門外だ」


「せっかく知り合えたのに名前しか知らないなんて悲しいじゃないですか。レイっていう名前だってたぶん偽名でしょうし」


 ぴたり、と少女の動きが止まる。

 振り向いた彼女の瞳は射るような光を帯びて眇められている。ヴァリスはしかし、それに怯えることなく微笑んだ。


「名乗るとき言い淀んでいたでしょ? だからわかったんです。でも嘘をついたことは別にいいんです。それよりも旅慣れているあなたが偽名を使うのを一瞬でもためらったことのほうが私は注目すべき点だと思いますね。つまり、私には一瞬本名を名乗ろうとしてくれたってことでしょう? この男なら本名を名乗ってもいいわ、もういっそ抱いてっ! なんて思ったに違いな……あ、すみません言い過ぎましたから、その、眼光に殺気を漲らせるのを止めてもらっていいですか?」


「私のことは知らなくていい」


「どうして? 私はあなたを知りたいです。それに悲鳴を聞いたときに決めたのです。この悲鳴の主と必ず男女交際する、それがダメならせめて友達になるって」


「私は悲鳴の主ではない」


「身も蓋も無いこと言うとそうなんですが、悲鳴の主は残念ながら交際対象でなかったうえにすでに友達にもなれない状況なわけだし、それにそもそもあなたの声だと私は思っていたわけですから。私はやっと自由の身になれたんです、これから私は今まで塔に引きこもっていた分も青春を謳歌したいのです」


「わざわざ私がおまえの相手をするいわれはない」


「そんなこと言わずに。世間一般では魔道士の力は衰えたと言われていますけど、なかなかどうして、魔道士の友達っていいものですよ。怪我したら薬草を煎じることもできますし、暗い夜道をそっと魔道の光で照らすこともできます。まあ、この体だと“そっと”というのは難しいですから、まずは体を元に戻すことを考えないといけないのですが……」


「おまえの体は本当に元に戻るのか?」


 ごく当たり前の少女の問いかけは、今まで飄々としていた青年魔道士の左右が違う色の瞳に影を落とさせた。


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