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表題は私に咲く  作者: kurage.kk
第一演目
7/17

自身の決意


「マジでめんどくせぇー」

 ホームルームが終わり、透子がだらしなく声を漏らしながら机に突っ伏しているのを囲むようにして私と凛ちゃんはリュックを机に置いたまま集まっている。

 正直、私も透子と同じような気分だ。私が鏡を覗いたらそこには目が虚ろで口元が全く笑ってない女子高生が映るだろう。……あぁ、考えるだけで動く気力もなくなってくる。私は透子の机にのそっと手を置いてそこに体重を乗せるように腰を反らし、軽くため息を零した。

「明日の中間考査の事?」

 さっき透子が漏らした独り言に対し、真顔で全く悪意のない凛ちゃんがとどめを刺すように禁句を口にする。

 ……。教室内で放課後、部活とかいう言葉が飛び交う中で私たちのこの空間は暗い暗い沈黙が漂っていた。

「はぁ……二人ともそんな死にそうな顔してないでさぁ?私が教えてあげるってば」

 私たちの顔を交互に見つめて当たり前のようにそんな神様みたいな言葉をかけてくれた凛ちゃんだったけれど、今の私には「自分は余裕ですけどね」という意味にしか聞こえず、そんな自分自身に少しガッカリした。透子は勉強できるんだし……別にそこまで落ち込まなくても。比較的できる人ができない人と同じような反応するのはイラっとしなくもない。まぁ、今までも透子はテストの度に文句垂らしていたし慣れっこだけどね。

「まぁ……凛が教えてくれるなら」

 透子は顔をあげ、下から見上げるように凛ちゃんの顔を信頼を込めた笑顔で覗き込む。私も凛ちゃんに数学を重点的に教わらないとなぁ……あと一日なのに。

 ……これ、かなりマズイのでは?

「じゃあ……図書室でも行く?部活停止期間だし」

 私が腕を上げて固まった身体を伸ばしながらそう提案すると、二人は小さく頷きそれに同意して同じフロア内にあるちょっと小さめの図書室へ行くことになった。


「うわぁ……かなり人いるね」

 図書室の開放された扉の向こうに広がる室内にはいつものガランとした静寂はなくノートや教科書などを広げて机に座る人達で溢れかえっていた。

 私は思ったよりも人がいたことに対して驚き、その場で足を止める。凛ちゃんは表情ひとつ変えず「まぁそうだよね」と小さな声で呟き、持ってきたノートを反対の手に持ち変えてダルそうな目で辺りを一瞥した。

「席空いてるのか?」

 そう言いながら図書館の奥へとズカズカ進んでいくの後ろを一列になって私達も続く。……誰、こんなわかりきったことなのに図書室行こうとかいいだしたの。

 図書室内の机には全て誰かしらが座っていて、空いている机なんてなかった。それに加えて座ってるほとんどが二、三年生で一年生が極端に少ない、同級生なら同じ机に混ぜてもらえたけれど……上級生となると一気に難易度が上がる。だから、椅子が余っていても座る気力は誰も湧かなかった。

「仕方ないなぁ……お店入ってポテトとか食べながらやろっか」

「そうだね……うん、そうしよ」

 図書室で勉強するのは諦めて、凛ちゃん先頭に扉の方向へと足を進める。別に同じフロアだし移動するのもめんどくさくないけど……ちょっと釈然としない。

 そんな事を考えていたが、ふと強い視線を感じてその場に立ち止まり辺りを見回す。私が急に止まったから透子が「うぉっ」と声を上げてぶつかる寸前の位置でガクっと身体を止める。すぐにそこから少し後退して、私の様子を見ながら不思議そうな顔をした。

「……ん?どうした明音」

「いや、誰かが見て……」

 ……視線があった。

 壁沿いにある四人用の机に座る二人組の片方が参考書を手に持ち、私のことを心配そうに見つめている。その、もう見慣れた青く澄んだ瞳に肩にかかった黒髪。

「……月嶋先輩」

「「え?」」

 二人は口を揃えて驚きの声をだし、私は月嶋先輩のいる机に向けて人差し指を向ける。すると月嶋先輩は身体をビクッとさせ、参考書へと視線を戻してよそよそしい態度をとった。……ん、え?もしかして、避けられてる?いつも私に構ってくるあの先輩が……?

 私が呆気に取られて目を見開き身体を硬直させていると、そんなことお構い無しに凛ちゃんは先輩のいる机の方向へと障害物を避けながら素早く進んで行った。それに後から追いかけるように透子、私という順に凛ちゃんの通った道をゆっくりなぞっていく。透子は勉強道具を持った手を頭の後ろで組み「ラッキー」なんて言ってニコッと笑っていた。



「別に構わないけれど、席がひとつ足りないわね……」

 凛ちゃんがすでに話をつけてくれていたらしく、私たちが先輩の元に着くと陽向先輩は凛ちゃんとそんな会話をしていた。……月嶋先輩は相変わらずこっちを向かない……本当に避けられているのかな。まぁ、テスト前だし仕方ないか。学年一位をキープしなくてはいけないのに私なんかに時間を使うのはよろしくない。二位とはいつも僅差って話を聞いたこともあるし……うん、きっとそれで素っ気ないんだろう。

「……あ、アタシちょっと用事思い出したわ」

 透子が唐突にそう告げて「だからすまん」と手を合わせて謝る動作をした後、風のように図書室を出ていった。そんな様子を四人揃って目で追ったあと、我に返った凛ちゃんが「じゃあ」といって陽向先輩の隣へと座った。私は残された月嶋先輩の隣の席へとゆっくり腰掛ける。

「……隣、失礼します」

「う、うん……」

 月嶋先輩は顔は参考書に向けたまま視線だけをチラッと私の方にやる。そんな先輩のことを少し不安交じりな気持ちで見ていると耳がほんのり赤くなっている事に気がつき、私はこの二週間初めて緊張がゆるんだ。

 実は二週間前に先輩と一緒に帰った日以来から、連絡もとっていないし一緒に下校もしていない。それは私が先輩の決意を壊すと宣言してしまったから、どうしたものかと考えていたからで……私から関わるのを減らしていた。なのに今回は先輩がこんな態度をしたものだから、いよいよホントに嫌われたかと思ったんだけど……耳を赤くするってことは、まだ大丈夫そうだ。

 それにしても、部活中とか必要な会話は勿論するんだけれど……気まずいんだよなぁ。でも、先輩の事を考えるならやはり気がついてもらわないといけないんだ。

「コホン……星乃さん?勉強はやらないのかしら」

 月嶋先輩の横顔をボーッと見つめながらそんなことを考えていた私に、陽向先輩が声をかけてきた。私はハッとして持ってきた数学の教科書と余っていたノートを広げ、章末問題のページを探し始める。


「うーん……」

 みんなが黙々とシャーペンで芯と紙を擦る音を鳴らす中、私は解けない問題に当たって二分近く教科書と睨めっこ状態だった。シャーペンを手に持ってはいるものの、文章問題を式にすることができずにカチカチとやりながら虚ろ目で途方に暮れていた。まずどこの数字を使って立式するのかもわからない……ダメだ。

「そこ、大問二の式を作るんだよ」

 ハッとして頭を左に向けると、月嶋先輩が前かがみになって私の教科書に指をのばしていた。その姿を見て目を丸くし驚く私に、先輩は私が理解出来ていないと勘違いしてより丁寧に説明してくれる。

「だから、ここの数字が答えに繋がるから……ほら、ここを公式に当てはめて……」

「あっ……なるほど」

 どの道理解出来ていないからあながち間違ってないんだけど……というか、教えてもらえてよかった。どの道もう凛ちゃんに聞こうと思っていたところだし。それにしても……やっぱり先輩は、別に避けているわけじゃないのかな……?さっきも心配そうな顔で私たちのこと見ていたし。そんなことを考え、先輩に見守られながらサクサクと式を解いていく。

「……うん、正解!」

 先輩が私に明るい笑顔を浮かべて高い声でそう言ってくれたので、私も先輩に笑みを浮かべて「ありがとうございます」と感謝を伝える。すると先輩はハッと全身を揺らしたと思うと、顔を赤くして「全然大丈夫だよ」と焦ったような口調で答えた。……なんか、この光景は久しぶりな気がする。いや、一度もこんな体験していないけれど……先輩が私に笑っているのが久しぶりだ。

 ハッとした。私の心の中に、この先輩を求めている自分がいるのかもしれない。私の断固とした決意は……脆く朽ちてきている?だって今、私は少しでもこの先輩を求めてしまったんだ。


――もう……このままでも、いいかもなって。


「恵美、人に教える程の余裕があるのかしらね?今回のテストは一年の時と比にならないわよ」

「ご、ごめん……」

 私たちのことをムッとしながら見つめていた陽向先輩が我慢できなくなりそう呼びかけると、月嶋先輩は自分の勉強道具へと向き直って真剣な顔付きで再び集中し始めた。その様子を見届けた私も先輩につられるようにして教科書へと視線を戻す。

 さて、私も自分の勉強しなくちゃ。えっと……あれ、ここの問題もわからないや。ここテストに出るって先生言ってたのに。

 再び私はモンモンと頭を悩ませ、そのせいか一層真剣な顔つきになり目を細める。そんな私の様子を一方的にじっと見ていた凛ちゃんが静かに椅子を引き席を立ち上がったかと思うと、私の隣……通路側から私の教科書を覗き込んできた。

「そこは、ここを代入して……ほらね?」

「な、なるほど……」

 わざわざ一番遠い対極にいた凛ちゃんが私にそう教えに来てくれた。……月嶋先輩と同じくらい、凄くわかりやすい。凛ちゃんが人に教えるのが得意なのは少し意外だったなぁ。私がにまっとした表情を浮かべて凛ちゃんの顔をじっと見ていると、それに気がついた凛ちゃんが高圧的な笑みを浮かべながらゆっくり口を開く。

「わからないところがあったらいいなよ?私が教えてあげるから」

 そんな不気味な表情とは別に普通に優しいことを言ってくれる凛ちゃん。なんか「が」が強調されていた気がしなくもないけれど……気の所為かな。私が凛ちゃんにも感謝を伝えると、満足そうに自分の席へとポケットに手を入れて戻って行った。そんな凛ちゃんに困った表情を浮かべてチラッと覗き見る陽向先輩、凛ちゃんはそんな陽向先輩と目が合うとほぼ同時にドヤ顔を浮かべる……この二人、本当にわからない。騒がしい図書室の一角で私たちは部室とおなじポワポワとした空気の中、明日に備えて各々テスト勉強を続けるのだった。



「それじゃあ、もう行きましょうか」

 時刻は午後五時手前、先程あった図書委員の呼びかけにより今図書室に残っているのは私たち含め極小数となっていた。私たちも区切りがいい所で各自教科書などを閉じて帰る支度をしている。

「んんーっと……久しぶりに勉強したなー」

 身体を伸ばして緊張を解す凛ちゃんが大きな声で独り言のように言う。凛ちゃんはほとんど私に教えっぱなしで自分の勉強はあまりできていなかった。これで凛ちゃんの点数が下がっていたりしたら罪悪感に見舞われそうだ。でも……凛ちゃんなら何となくいける気がする、凄い子だから。……責任逃れ?

 手元の勉強道具を全て片付け終え、椅子をしまった私が凛ちゃんから唯一片付け最中の月嶋先輩に目を向ける。すると先輩は……なんだか楽しそうに微笑んでいた。勉強が楽しいとか、私には理解できない領域だ。

「さてと……待たせてごめんね、じゃあ行こっか」

 月嶋先輩を先頭に、さっきに比べて驚くほど広く感じる図書室内を入口の方向へと歩いていった。一番後ろを歩く私がふと前の三人を見るとそれぞれ歩き方の印象が違っておもしろい。自信に満ちているけれどとても近寄りやすいような優しい雰囲気な月嶋先輩に、背筋や歩き方に気品が漂っていて優雅な陽向先輩。女子高生って感じでポケットに手を入れてどこか面倒くさそうにノロノロ歩く凛ちゃん……そして普通の私。


「それじゃあまた明日」

「じゃーねー」

 上半身をこちらに向けて手を振る凛ちゃんは陽向先輩の隣に並ぶようにして私たちとは反対方向へと歩んでいく。凛ちゃんが陽向先輩に楽しそうに喋りかける姿が少し離れた所からでもわかり、なんだか塩対応されているのにしつこくちょっかい出しているように見える。私はそんな様子を見て笑みをこぼし、後ろにいる月嶋の方へと頭を回転させながら告げた。

「先輩、じゃあ帰りま……」


 ……しかし、そこに先輩はいなかった。


 一人帰り道、橙色の空に浮かぶ一つの雲を眺めながら無気力に足を前へ前へと進む。一人なことも、この下校ルートも、いつもと何一つ変わらない。でも……今日は無性に心へ染みた。

 私の決意は……間違いだったのだろうか。あの時、先輩には何も言わず同情の声を上げていればこんな思いを感じる必要はなかったのかもしれない。初めてだ……こんなに心が侘しいのは。恋愛漫画とかで見るような状況、私がそれを体験したらその漫画のキャラクターと同じような心情になってしまう。本心がない私にとって、全ての思い感情は似たような状況を経験した人の感情でしかない、自分のものじゃないのだ。この場面で人は、どのような気持ちになるのか……どんな行動をとるのか。既存のものに沿っているだけ。

 空に浮かんでいた雲が視界に映らなくなった事にも気がつかず、私は無意識に交差点を家とは別の方向へと直進した。自分がどこを歩いているかもわからない、全てがどうでもよくなる、幸せが憎たらしい、自分自身が醜い。私には……何も無い、自分の思いなんてない、言い換えれば死んでいるんだ。


――だから……この侘しさも、私のものじゃない。


「……あれ、ここは」

 ふと我に返ると、そこはどこか懐かしいような雰囲気をもつ場所だった。川を跨ぐ……大きなアスファルトの橋の上、地表から五メートルくらい高い場所。下にはよくある少し大きめのサイズの川が流れていて、その周りには田んぼが敷き詰められている。少し離れたところに都心のビル群がぼやけて見え、航空障害灯の紅く燃える星のような粒がチラチラと発光する。暖かい風が私の短い髪を揺らし、草木川の匂いを運んでくる。

 ここは……何か大切な場所な気がする。夢に何度も出てきているかのような……私の空っぽの心を創っている思い出。何があったのかは忘れてしまったけれど……何故だろう、無性に胸の中がグツグツする。

「……楽になりたい、でしょう?」

 私が胸に握り拳を当てて目を瞑っていたら、無意識に口からそんな言葉が出てきてハッとする。何だ、誰だ?直接脳内の中に語りかけているかのような声の残響。周りを見回すが人どころか生き物すら存在しない。怖い、なぜだかこの場所が怖い。既視感のある恐怖に蝕まれた私が頭を抱えてうずくまる。頭の中でこだまするその声にもがき苦しみ手に力を込めて頭を押さえ込んだ。誰の声だ、痛い、頭が割れそう、全身がギンギンしている。なんて言っているの?私に何を伝えようとしているの?痛いよ、痛い痛い痛い痛い痛い!


「ねぇ、楽になろうよ」


 ハッキリと聞こえた、少女の声だ。凄く既視感のある、何度も聞きなれたような声……私の声じゃない、もっと高い声。頭痛が収まり、辺りを膝をついたままおどおどして見回すと、懐かしい学生服を来た私より少し小さな女の子がさっきまで誰もいなかった橋の手すりの上に立っていた。……なんだか、つい最近も会ったような……誰だろう、顔には黒いモヤがかかっていて認識できない。

「何も実感できないアナタ、生きているだけで可哀想」

「え……?」

 口角を上げて笑っているように見える少女は、優しい心に訴えかけてくるような声で私を憐れむ。

「大丈夫、私がアナタの心を守ってあげるからね」

 私の視界にはもう少女しか見えない、周りの景色はただの黒色で埋め尽くされて闇でしか無かった。少女は私に片手をゆっくりと伸ばしてくれる。私はその手がまるで神様のように感じて魅入られてしまい、私も手を少しずつそれへと近づける。

「もう二度と、苦しまなくてすむために……あの人なんて忘れよ?全部棄てよう?さぁ……」

 魅力的なその言葉の一つ一つ。私の思いを全て代弁してくれて、素敵なこの人物。あの人って……誰?まぁ……別になんでもいいか、もう関係なくなる。今はこの手が、この光が……ただ愛おしい。あと少し、あと少しで……!


――ブッブーッ!


 右の太もも辺りが振動して、私はハッと我に返る。背筋が凍りついた。目の前に広がる光景……私は今、橋の手すりの上に立っていたのだ。しかも、片足を宙に浮かべてホントに寸前の所。腰が抜けて後ろの方向へと身体がグラッと傾き、腰から橋の上へと落ち強打する。

「イテテ……な、何があったの?」

 余りの恐怖にもう立ち上がることすら出来なくなってしまった。ただ膝、腕、胸……全身が恐ろしいほど震えている。何……飛び降りるところだったの?あと少し前に踏み出していたら、十メートル以上の高さから川の底へと一直線だった。目の周りがじんわりと熱くなる、私は恐怖のあまり涙を流していた。

 ブッブーッ!

 ポケットに入っていた命を救ってくれたスマホを私は咄嗟に取り出し、尻もちをついたまま二件の通知を開いく。それは、お姉ちゃんからだった。

「お母さんがご飯できたってー!今日遅いね……」

「おーい、気がつけえぇぇぇえ!」

 どうやら帰りが遅いのを心配してくれたらしい……ほんとだ、もう六時を過ぎている。

 お姉ちゃんに「もうすぐつくよ」と送信して、落ち着いた足を立ち上がらせる……この事は、誰にも言わないでおこう。面倒事になったら嫌だし……心配させるのも悪い。とりあえず、帰ったらお姉ちゃんに感謝しないといけないなぁ、命救ってもらっちゃったし。

 それと今改めて思ったこと……やっぱり先輩にはわかってもらいたい。この私の決意は、もう誰にも曲げさせない。たとえ錆びた鎖みたいになったとしても、結果が残せなくても……それでも、やることに意味があるんだ。今、私はどんな顔をしているんだろうか。

 私が来た時と明るさを除いて何一つ変わらないその橋を、私は小走りで家族のいる家へと向かっていった。



「うぅ……もっとちゃんと勉強しておけばよかった」

「もうやめようぜ?今更後悔したって遅しな」

 昇降口を出て部室に向かう道中、凛ちゃんに先に行っていてと言われたから私と透子二人で先程受けたばかりのテストについて話していた。……すごく難しかった、本当にもっと勉強しておけばよかったと思う。前日に勉強した苦手教科の数学は努力が実り、意外とスラスラ後半まで行くことができたからほとんど心配していない。でも……地理が予想外に細かい所まで出たせいでボロボロだ。

「透子はどうだったの?今回のテスト」

 私が気分を落として下から覗き込むように顔を見つめ透子にそういうと、透子は別に大したこと無かったと言わんばかりの無垢な表情をうかべたため、勝手に一人また落ち込んだ。

「結果が楽しみだな!」

「うんそうだね」

 笑顔でそう言ってくる中学の頃から変わらない透子のその言葉に、私は一拍の間もあけずに嫌味ったらしく即答した。体育館裏にできている影の中を壁沿いに進んでいき、やがて開けた所にある一軒家が目に映る。もう何度も来て見慣れたその部室についた私たちは一週間ぶりのインターホンを鳴らす。

 ガチャッ!

 十秒もしないうちに扉の鍵が開く音がしてインターホンの前から玄関の方へ向かって三段の小さな段差を上り取っ手を引っ張ると、中にはこっちを見て手を前に組む陽向先輩が立っていた。

「……昨日以来ね」

 そう微笑んで先輩は身体の向きを変え、奥へと戻って行った。先輩が入った左の部屋の前、廊下にはリュックが二つあり月嶋先輩も既に来ているということがわかった。透子より先に入った私が靴を脱ぎ、リュックを下ろしながら廊下を流れるように移動してリビングへと繋がる扉へ手をかけて勢いよく開く。するといつものテーブルの奥側に座った月嶋先輩と陽向先輩が一斉に私の方を見てきて少しドキッとした。

「……お疲れ様です」


 静寂に包まれていた。誰一人として話そうとしないから時計の音がうるさく聞こえる。いつも騒がしい凛ちゃんはまだ来てないし……月嶋先輩も、テスト明けで疲れているのかな、本を開いたまま目を閉じて定期的に頭をガクンとさせていて、半分寝ている。……透子は机の上で腕を組み、頭を伏せるようにして普通に寝ていた。つまり……私と陽向先輩の二人きりだ。どうしたものか……そうだ、今は月嶋先輩の事を聞くチャンスかも。そう思いついた私は真剣な表情をうかべ、周りの人達を目覚めさせないように小さな声で陽向先輩へと手で合図しながら話しかける。

「陽向先輩、ちょっと話があるんですけど」

「……何かしら」

 先輩は本から目線を上げると、少し面倒くさそうな顔をして私にそう言ってきた。その反応に私は身を引いたが、ここで下がる訳にはいかない。私は膝の上で拳を握り、自分自身に動くよう言い聞かせる。

「相談が、あります」

 私が自分の決心を顔に浮かべて力強くそう言い放つと、陽向先輩は驚いたような顔をして頭を小さく傾げた。


 場所を変えて二階の倉庫室、この部屋は北側にあるせいで大して光も入らなく少しジメッとしている。沢山の大道具小道具が綺麗に収納されている部屋の真ん中、私と陽向先輩は二人向かい合う形で立っていた。陽向先輩は早く読書に戻りたいと言わんばかりの表情を浮かべて一度手を口にあて小さく欠伸をし、反対に私は膝が少し震えるのを堪え緊張のあまり口元を歪ませる。

 これは……善い行動なのだろうか、月嶋先輩の為になるのだろうか。苦しませるだけかもしれない、そう考えるために決意か崩れそうになる。でも、否!もう挫折なんてしない!

「月嶋先輩の過去の話……聞きました」

 私が拳を横に握りしめ、顔を俯かせながら震える声を絞り出す。そう……まだ怖い、怖くないはずが無いよ。全くの未知の領域なんだから。

 私が全身を硬直させながら答えを待っていると、間もなく陽向先輩の淡々としていて、はっきりな声が耳に入った。

「そう、そうなのね……いつかそうなるとは思っていたわ」

 陽向先輩はため息をつき、頬に手を当てて残念そうにそう呟いた。私はその予想外の反応に顔を持ち上げる。いや、怒られると思っていたわけじゃないけれど……さっきまでの緊張が少し解けたのは確かだった。

「それで……それが何?私に何の関係があるの?」

 私は眉間を寄せて拳をギュッと音が鳴るくらい強く握りしめ、腹の奥底から告げる。

「だから……先輩が役者を目指す理由を否定したんです」

 心臓がうるさく響いていて、耳まで振動が伝わってくる。先輩はその私の言葉に目を丸くして手の力が抜けたかと思うと、口元をワナワナとさせ始めた。薄暗い部屋の中だけれど陽向先輩の頬には水滴らしきものが反射して見え、私はそれが冷や汗だと理解するのに数秒もかからなかった。

「……な、何を……言っているのよ」

 無理やり歪な笑顔を取り繕っている陽向先輩が私以上に声を震わせ、何かに怯えるかのように語りかけてくる。そんな先輩の姿をみて、私ももう話すをやめたかった……でも、頭がそうしたくても身体にしみついたあの日の決意が私の行動を促す。私は目を閉じて顔に力を入れて声に厚みを重ねる。


「先輩のあの夢、あの決意は……先輩自身の意思じゃなかった!」


 怒鳴るようにそう言い捨ててバッと目を開くと、さっきまで五メートルくらい離れていた所にいた陽向先輩が目をふせながら目の前まで素早く歩みよってきていた。その直後、私よりも五センチくらい大きくて圧を感じるその姿をした先輩から、私へ力を入れた両手が迫ってくる。

「え、ちょっ陽向先ぱッ!う……ぁ」

 足が地面から離れて宙に浮くのがわかる。陽向先輩の胸ぐらを掴んでいる手を取り外そうと私も手をかけるが、正常な人とは思えないほどの力がこもっていてビクともしない。怒りと憎しみをこめたような、どす黒い炎が渦巻くような瞳に睨まれてその恐怖のあまり顔を青くした。先輩は歯をギリギリと鳴らして更に首元の布が引き締まりかなりの息苦しさを感じる。

「あの子に……あの子になんてことを言ったのよ!」

 陽向先輩は涙させ流してはいないが、まるで泣き叫ぶような声を至近距離から私の顔へと放つ。その言葉の勢いのあまり、私の前髪が少し後ろへと揺れた気がしなくもなく私は呆気に取られて手に力も入らなくなってしまった。

「恵美が今までどれほど苦労したとっ……!」

「じゃあ!」

 陽向先輩が私のことを投げ飛ばす寸前のところで、私は先輩の言葉を区切り先輩に負けないくらいの叫び声を上げた。陽向先輩が片方の眉をあげ、さっきまでの怒りは多少落ちつき、顔には疑問を浮かべていた。一方で持ち上げられた私は先輩の事を上から睨みつけるように、でも声はとても哀しそうに弱々しく先輩へと向けて言う。

「じゃあ……他人に押し付けられた自分のものじゃないその夢に向かって努力する姿を、黙って肯定していろっていうんですか……?」

 私は先輩の情に訴えかけるように疑問形で先輩へと私の思いを告げた。正直に言うと……これは演技だ、こう言えば今の陽向先輩にその気になってもらえると思ってこんなふうな言い方をした。感情的になっていたら怒鳴ってしまっていたかもしれない……それで投げられたらたまったものじゃない、だから私は感情を飲み込んだ。

 以外に上手くいったらしく陽向先輩は目を見開き、私を掴みあげていた手の力をゆっくりと抜いていき私を地上へと解放してくれた。まだ目線が上の方を向いていて意識がハッキリしていないその先輩に向けて私は襟元を整えながら一呼吸つき、一歩後ろへ引き下がってから今日最大の力を振り絞って私の決意をさらけ出す。


「黙って肯定しているだけなんて……私には、無理です」



「そう、そうなの……もう止まらないのね」

 落ち着きを取り戻し、窓の下にあるベンチの上へと腰掛けた陽向先輩は残念そうに……でもどこか笑っているような声で私に聞こえるような声で呟いた。

「……はぁ、何から話せばいいかしら」

 部屋の中央から先輩の目の前へと移動して、私は正面を向いて立ったまま知りたかった事を聞く。

「えっと……なんで先輩は、役者を目指すんですか?」

 さっきまでほとんど喧嘩沙汰だったとは思えない距離感の私たちは、お互い真面目な雰囲気を漂わせて会話をする。

「そうねぇ……お父さんよ」

 私はドキッとした。……また出てきた、月嶋先輩のお父さん。一体、どんな人なんだろう……実の娘に失望したと告げて自分の夢を押し付ける人間?そんな人物がいていいのだろうか。ムシャクシャした気持ちになり、不安げに目線を下へ向けていた私に陽向先輩が説明を続ける。

「恵美の生徒会の話は聞いたのよね?自分を偽る話」

「はい……それは聞きました」

「じゃあ、それの派生系とでも思って聞いてちょうだい」

 そう落ち着いた声で語る陽向先輩だったが、顔はどうも悲しそうで不安げな態度だった。……今まで月嶋先輩は陽向先輩にしか話していなかったんだよね。陽向先輩はそんな自分しか知らない秘密を他人に共有しないといけない……いい気分ではないだろう。それなのにこうして教えてくれるんだから、やっぱり陽向先輩は優しい。私がそんなことを考えていると、再び陽向先輩は口を開く。

「自分を偽って誰にでも愛想良く、努力して何でも完璧にこなせる人間になった恵美はお父さんにある日声をかけられたのよ」

 陽向先輩は膝の上で組んでいた手を一度崩し、手の上下を入れ替え静かな声で続ける。

「お前は役者にでもなるといい……と。お父さんのために完璧な自分を演じていたのに……皮肉な話ね」

 そういう陽向先輩は今にも涙が頬を垂れ流れそうに、自分事のように悲観に暮れていた。この姿を見ると、陽向先輩は本当に月嶋先輩の事を大切に思っているんだということがヒシヒシと伝わってくる。私まで涙がうかんできそうになり、鼻の当たりがギュッとなった。そんな哀しさを紛らわせるため、私は無理やりにも先輩に向けて声を出した。

「きっと……お父さんには娘が自分を偽っていることなんてお見通しだったんでしょうね」

「ええ、きっと……そうね」

 ……部屋の中に沈黙が流れる。時計が置かれていないせいで、この空間で何分間経過したのかも把握出来ない。ただ、部屋に入った時には見えた床の模様が、今は完全に見えなくなっていることから日が落ちてきている事だけは明確だった。

「……さて、こんな所……かしらね」

「あ、ありがとうございました」

 スカートを気にしながらベンチをゆっくりと立ち上がる陽向先輩に軽く会釈をしながら感謝を伝えると「別にいいわよ」と目を瞑りながら優しい声で呟く。そんな先輩の返事に私は笑顔を浮かべ、先輩を背に倉庫の入口へと歩みを進める。

「星乃さん」

 ふいにそう呼ばれて後ろを振り返ると、腕を組んで背筋を伸ばしたお嬢様が笑顔を浮かべて部屋の中央に佇んでいた。暗い部屋の中、その先輩の瞳だけは綺麗に輝いている。空の星をいっぱいに溜め込んだかのような美しい瞳……その奥深くに、自信に満ちているような清々しい少女が映る。陽向先輩はどこぞの誰かさんのように、瞳の奥を陽炎のように揺らめかせていた。

「負けないで」

「……はい!」

 頬を少し赤らめながら私は感謝と誠意を目一杯込め、陽向先輩に最後の挨拶をした。


「あっ!二人とも、どこに行ってたの」

 部屋に戻ると、月嶋先輩が原稿用紙のようなものを広げてペンを手に持ったまま、私たちのいる扉の方を見つめてパッと顔を明るくした。先輩の斜め上にかけられている時計の針は四時四十五分を示す。もうすぐ活動終了時間だ。そんな時間に二人も消えたら帰ったと勘違いされてもおかしくは無い。それで不安だったのかな?……透子はまだ寝ているけど。

「あら、結局河西さんは来ていないのね」

「ん?……あぁ、うん。そうだね」

 陽向先輩の疑問に、身の回りを片付けながら月嶋先輩は答えていた。リュックを廊下から持ってきていたらしく、足元からかなり詰まったそれを持ち上げて机の上に置く。

 凛ちゃん……こなかったのか、どうしたんだろう。でも凛ちゃんならテスト後に面倒だからとかでも休むかもしれないし……理由なんていくらでも考えられそうだ。私は透子の席へと向かい、その広い肩を揺すって「おーい」と起きるよう促す。

「そういえば、明日は本格的に作業するのよね」

「うん、流石に不味いよね。じゃあさ……」

 先輩達が対面になって難しい話をしている中、揺すられていた透子が頭をゆっくりと持ち上げて辺りを見回す。私はそんな透子の様子を確認すると自分の座っていた席の正面に置いておいた西洋の物語の小説を手に取りテレビ台下へと慣れた足で向かう。

「そういえば……明音、凛来た?」

 私は本をしまってる最中に寝ぼけた声で透子にそんなことを言われ、ムスッとした顔を浮かべて透子の方には顔を向けなかった。


「それじゃあ、私たちはここで」

 正門の前、陽向先輩と透子が私たちとは逆方向へと帰っていくのを見送る。今回は前回のように失敗はしない、月嶋先輩が視界に入るように私が後ろに立って透子に手を振った。昨日は凛ちゃんだったポジションが今日は違って透子になっているだけだから、この光景にとても既視感を感じて自分でもわからない程小さく笑った。

 その時、左前にいた先輩がふと私の視界からいなくなりそうになったので私は慌てて身体の向きを変え、右手を伸ばして先輩の袖を親指と人差し指で挟んだ。

「……ほ、星乃さん……どうしたの?」

 顔を帰る方向に向けたまま、震えるような声で私によそよそしくそう告げる先輩に、私は心の中の葛藤を抑え込んで冷静を装う。先輩の顔は見えない、今どんな気持ちなのか読み取れない。怒っているのか、恐れているのか、哀しんでいるのか……でも、それがたとえどんな感情だろうと私の決意は揺るがない。絶対に逃がさない、先輩を救ってみせる。

 そして今、私の最後の逃げ場は失われた。


「明音です……今日は絶対に、逃がしません」

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