役者の心
「私は……隠し通さなければならない、みんなの望む自分でいるために」
劇本番、私たちは部室の二階にあるかなり本格的な舞台セットのある部屋で劇を始めた。大きさは教室一つ分くらいあってかなり大きい。その部屋の半分を教室、猛半分を廊下のように見立てて背景やら机やらをセットしてあり、これらは昨日先輩達が準備してくれていたらしい。
始まりは、私が教室の机に座りながら一人思いに耽っている場面だ。自分でいうのもなんだけれど、なかなか上手く役に入れている気がする。
すると次に、月嶋先輩……「レイ」と言う自由気ままなキャラクターが私に話しかけてくる。月嶋先輩は目をつぶり、深呼吸をしたかと思うと、セリフを言った。
「あれ?おはよう!メグミ」
たった、たったその一言で、私たち一年生は揃って全員動けなくなった。陽向先輩は一人笑みを浮かべている……全身に電流が走ったように感じ、身体が硬直してしまった。そこには月嶋先輩ではなく、確かに「レイ」がいた。透き通る声色、無邪気な笑顔、溌剌とした動作、指先から髪の毛一つ一つまで演じられている。それは、上手いとかいう次元じゃない、格が違う。いつもの先輩の面影は、全くもって感じられなかった。……これが、演技。
「……ん、どうかしたの?」
そういうとレイは私の顔を覗き込んで笑顔を浮かべた。それは、いつもの先輩の笑顔とは違う無垢で幼い笑顔……おっとセリフがとんでいた、集中集中。
「……別に。レイはいつも楽しそうだね」
私はため息混じりに、興味なさそうにそう言う。
「めぐみはいつも真面目だよね!もっと自分の気持ちに正直になりなよ!……あっそうそう、今日いつもの五人で放課後遊びに行かない?」
「……はぁ、しょうがないなぁ」
私は席を立ち上がり、スキップしているレイにしぶしぶついて行く。……そんな感じで、起承転結のうちの起を終えた。
「全く、お前はいつもいつも!どうしてそうすぐ何でも口に出すんだよ!言っていい事と悪いことがあんだろ!」
「はぁ?なんでわざわざ自分の意見を飲み込む必要があるんですかぁ?」
今は廊下、四人で昇降口に向かっている場面だ。そんな中、透子と凛ちゃん……「アンナ」と「ヒカリ」は、どんどん気持ちがエスカレートしていき、お互いを睨みながら喧嘩をする。正直かなり上手いと思う……いや、透子は本当にキレているだけかもしれない。自分の意見を飲み込みがちなアンナ、なんでもすぐに口に出すヒカリが、お互いの考えが理解できずに喧嘩している場面だ。……凛ちゃんは上手だな、見ている私の方にもイライラが伝わってくる。
「もう、喧嘩はよくないよ!」
その二人の間にストップと入っていくレイ。その先輩の仕草も、やはりレイそのものだった。
「ったく、二度とツラ見せんなよ!」
「はっ。誰がアンタなんかと」
そういうと二人は不機嫌そうに別々の階段の方向へと早足で歩いていってしまう。
「あぁ、もう。……メグミ!私はアンナを追いかけるから、メグミはヒカリを追いかけて!」
そういう焦った口調で私に伝えると、あんなを走って追いかけて行ってしまう。
「……しょうがないなぁ」
私はいやいやながら、ヒカリを追いかけて行った。
「待ってよヒカリ!」
「ん?……あ、メグミ」
私の声に振り返ったヒカリは、私の方に体を向けてその場に立ち止まる。私は走ってきたという設定なので、少し呼吸を荒くし、一呼吸おいてセリフを言う。
「はぁはぁ……ヒカリは、どうして思ったことをすぐに言うの?」
私の言葉に、ヒカリはその話かと言わんばかりの目つきで間を空け、答える。
「……他人の意見に流されていろっていうの?」
「いや、そうじゃないけど……言われたら嫌なことってあるじゃん?」
「……でも、自分の意見を押し殺して生きていくのって辛くない?」
そのセリフに、私は胸をつかれたような仕草をする。このセリフは、自分自身の生き方に対しての言葉でもある……そう書かれていた。
「……そうだよ、でもね……そうするとみんなが望む自分自身になれる」
それに対してヒカリは、首を傾げて不思議そうに言う。
「……なんでみんなの望む自分になりたいの?」
「そ、それは……」
私は自分の言葉と考えを整理するように、混乱する仕草をとる。
……けど確かに、なんでこの主人公はみんなの望む姿になろうとするんだろう。辛い思いをして生きていくほどの理由……すると、ため息をついたヒカリが口を開く。
「わかったよ、ありがとう……私もちょっとアンナに強く言いすぎたかも」
それを聞き、私は役に再集中してヒカリに笑みを浮かべる。
……よし、ここで一旦私とヒカリは退場して次はレイ達の場面になる。私と凛ちゃんが舞台から降りると、余裕の笑みを浮かべた月嶋先輩と緊張していて顔が少し強ばってる透子と交代した。
「二人とも、なかなかよかったわよ」
まだ出番が先の陽向先輩が、私たちにそう言ってくれた。正直、月嶋先輩が凄すぎて自信がなかったから嬉しい。そんなことを考えていると月嶋先輩……いや、レイがセリフを言う。
「ねぇ、どうしたのアンナ!」
そういうとレイは膝に手を付き呼吸を整える。その仕草一つ一つに感動を覚えたのは言うまでもない。
「あっえ、えっと……あ!ヒカリのやつ、どうしていつもいつも平気で人の痛いところをつくんだよ」
セリフを忘れかけた透子はそう言いながら歩みを止めない。……やっぱり、さっきの透子の怒る演技は本当にキレていたみたいで、今はいかにも演じているって感じの顔や態度だった。
「で、でもさ!悪気があった訳じゃないんじゃないかな?」
そう言いながらレイは、アンナの横から回り込み進路を塞ぐ。
「……でも、だからって」
目をつぶり拳を握って震えるアンナに対して、レイは微笑を浮かべると、ゆっくりと口を開いた。
「私もね、思ったことすぐいっちゃうから、ヒカリのこと、少しわかるんだよね」
アンナは震えを止め、目を開き地面を見つめる。それ以外は微動だにしないアンナに、レイは言葉を続ける。
「私もメグミとかに強く言っちゃうことがあるんだけど……その後、いつも凄く後悔してる」
そういうとレイは、アンナの顔を覗き込んで、だからと言わんばかりの瞳で見つめる。
「……そうだな、許すよ。……ヒカリのこと」
アンナがそう言うと、二人は顔を上げて笑いあった。その笑いにはどんな気持ちが含まれてたんだっけ……自分以外のセリフにはあまり目を通していなかったから、忘れてしまった。
月嶋先輩が私と凛ちゃんにこっちへ来るよう手で促す。あっもう最後のシーンか……私たちは再び舞台へと登り、レイ達とは別の方向から昇降口へとたどり着く。
「あっ……アンナ。……さっきはごめん」
ヒカリがそうアンナに言うと、アンナはそれを笑い飛ばしてセリフをいう。
「全然いいって!私も悪かったよ」
そんな様子を二人で微笑んで見ている私とレイ。演技だというのに、見ていると私までホッとするのは、演技力以前に、台本がよくできているからかな。
「あら、四人とも遅かったわね」
そんなことを思っていたら、一つ上の学年の陽向先輩……ヒトミ先輩は、昇降口から私たちに向かって声をかけてきた。
「あっ、先輩!すみません」
レイが元気よくそういうと、みんな靴に履き替えて扉のところにいる先輩の元へと駆け寄った。
「さぁ、早く行きましょう」
そう言って方向転換するヒトミ先輩に、レイは急いで言葉をかける。
「あっ先輩!えっと、私ちょっとメグミと話したいことあるんで、三人で先に行ってて下さい」
それを聞いて一瞬キョトンとするヒトミ先輩だったが、すぐに「えぇ」と言って二人を引き連れて行った。当たり前かもしれないけれど、陽向先輩も十分上手い演技だ。陽向先輩達は舞台を降り、私たちの最後の場面を見ている。
「それで、話って……何?」
もう舞台を降りたのに、まるでそこにいるかのようにヒトミ先輩の後ろ姿をじっと見ているレイの横顔に、私は声をかける。レイはしばらく反応せず、私が再び声をかけようとすると口を開いた。
「話したいことがあるのは……メグミでしょ?」
そういうレイの顔は、未だに見えなくなった先輩の方向を見ている。
「……私は、どうしたらいいのかな」
私のセリフにレイは自分に身体を向け、真剣な顔で私の顔を見つめる。それに対して、私は昨日理解した思いを乗せて、ただセリフを言う。
――私には……本心を晒すことができないの。
その言葉は、あまりにも丁寧で、繊細で、自分の口から発せられたとは思えないものだった。舞台下の四人も驚いた顔をしている。月嶋先輩は、驚きのあまり目を丸くしていた。そこにいたのは、確かに月嶋先輩だった。
瞳の奥があの日のようにユラユラと揺れている。
「一体、私はどうしたら」
「君は君でいいんじゃないかな?」
先輩は、私がセリフを言い終わる前にそう言った。台本では、この場面の先輩は真剣な顔と書いてあったのに。
……今の先輩は、月嶋先輩は……ただ、笑顔だった。
〇
「みんな、おつかれー!」
私たちがリビングへ移動すると、月嶋先輩は私たちにそう言って、勢いよく椅子に座りこんだ。
「みんな、初めてにしては上出来だと思うわよ」
最後に部屋に入ってきた陽向先輩が私たちに笑いかけながらそういうと、月嶋先輩は首を激しく上下に振る。
「うん、本当にみんな上手だったよ」
そう言いながら椅子を勢いよく立ち上がる月嶋先輩。この人は立ったり座ったり忙しい人だ。でも、本当に楽しそうにしていて、見ていて私も自然に笑顔になった。
「いやー、つかれたなぁ」
みんなが立っている状況で、一人椅子に向かいながらそういう凛ちゃん。この子はある意味空気が読めないのかもしれない。凛ちゃんが椅子に座ると、一瞬静かな沈黙が流れた。
「……それで先輩、テストの結果はどうなんですか?」
凛ちゃんにしょうがないなぁという気持ちを抱きながらも、私は先輩方の顔を見比べながら結果について聞いた。すると、月嶋先輩が待ってましたと言わんばかりに意気揚々と机に手を着く。そのすぐ側にいた凛ちゃんは「うわっ」と声を上げて驚いていた。
「テストは……」
みんなが月嶋先輩の次の言葉を緊張しながら待つ。私は息を飲んだ。それに対して壁に寄りかかっている陽向先輩は、口元に手を当て欠伸をしている。
「みんな合格だよー!」
そういって月嶋先輩は両手を高く掲げた。
「やったな!明音」
透子は嬉しそうに言うと私の肩に腕を回してきた。……よかった、ちゃんとできたみたい。
「まぁ、私ならこれぐらい余裕です」
凛ちゃんは手を横にやれやれという仕草をしながらそう言っているが、眉毛がピクついていて少なからず緊張していたことがわかった。
「全く、恵美は変に溜めるんだから。もともとみんな入部させるつもりだったわよ」
「あぁ!それ言っちゃダメ!」
呆れ返った陽向先輩が月嶋先輩に歩いて近づきながらそういうと、月嶋先輩は焦った様子で陽向先輩に怒っている。
……けど、やっぱりみんな楽しそうだった。私も楽しい……のかな、……そうだといいけど。
「改めて、入部した一年生に演劇部の活動内容とか話しておくね」
一つの節目が終わった。期間は五日とかだったけど……異様に長かったなぁ。陽向先輩が二階のセットを片付けている間、私たちはリビングの机を囲んで座り、月嶋先輩から説明を受けている。
「よいしょっと……さて、まず私たちは基本的に、体育祭、文化祭、二月頃にある校外での劇と、三回大きな活動があります」
先輩はどこからか持ってきたホワイトボードに青いペンで色々書き込みながら説明してくれた。
「えっと、活動日っていつなんすか?」
手を挙げながら透子がそういうと、私も「確かに」と呟く。
「活動日は基本的に月曜日から金曜日だよ」
こちらを見ず、ホワイトボードに書き込みながら先輩はそう答える。その答えに対して凛ちゃんは「うぇー」と唸り文句を言った。
「演劇部ですよ?流石に多くないですかー」
そのやるせない声に流石の先輩も振り返り、ムッとしながら「ちゃんとやらないと上手くならないよ!」と言い凛に歩み寄るが、凛ちゃんは別に上手くなりたくないですというようなことを言い合っている。
「あはは、凛ってば先輩にもお構い無しっか……」
「まったくだよ……」
私と透子はそんな様子をジト目で見つめていると、それに気がついた先輩は姿勢を正し、一つコホンと咳払いをした。
そして恥ずかしそうに凛の傍から元のホワイトボード前に戻ると、改めて私たちの方に顔を向けた。
「私は、本気だよ」
そういう先輩は、とても真剣な顔をしていた。まるで、これに全てを注いでいるかのような、決意に満ちた瞳。……けれど、けれどなぜかその顔に嬉しいや楽しいといった感情は感じない……まるで、嫌でもやらなくてはいけない……そんな決意に見えた。
「……わかりましたよ、私たちがとやかく言うものでもないですしね」
私がそういうと、透子も真剣な顔で頷いた。凛ちゃんは……相変わらずだ。頷く代わりに仕方ないという深いため息を一つついていた。
「それで、先輩。私たちはこれからどんな活動をしていくんですか?」
私のその質問に先輩は目を丸くし、何を言っているんだという顔を浮かべた。
「え?だからさっき言った通りまずは体育祭で……」
「いえいえ、そうじゃなくて!体育祭があるの九月ですよね。そこまでかなり時間ありません?」
さっきの説明をもう一度される前にそういうと、先輩は「あぁ、そういうこと」と呟き私の顔をじっと見つめてきた。すると先輩はとてつもない真剣な眼差しで私たちを下から睨みつけ、口を開く。
「……覚悟は、いい?」
「はっはい!」
その先輩の発したプレッシャーに怖気付いた私はとっさにそんな返事をしてしまった。一体、次は何が待っているんだ……。そんなことを考えて身構える私と、その様子を見つめてキョトンとしている周りの二人。先輩はそれらを見回して、厳しい顔からニッコリと微笑みかけた。そして透子をビシッと指さしてはっきりと言う。
「天宮さんは、劇と私情をはっきりさせること」
「……うえぇ!」
唐突に自分の演技のダメ出しを食らった透子は、しばらくフリーズしたかと思うと、驚いておかしな声を出した。
「河西さんは感情の表現は上手だけれど、動作が演じきれていない!」
「うっ……細かいなぁ」
先輩は今度は凛ちゃんを指さしてそう言った。凛ちゃんは少し自覚があったらしく、「いわれなくても」なんてブツブツ呟いている。……流れ的に次は私だ。うぅ……何を言われるんだろう、緊張する。
「そして最後に……星乃さん」
「は、はい」
私、自分で言うのもアレだけど、かなり上手くできていたと思うし……何を指摘されるんだろう。そんな不安を抱えて先輩の言葉を待つ。……しばらくすると、先輩は突然後ろを振り向いてしまった。
「……あとで、私のところへ来て」
「……え?」
何?私何かした?……え?
混乱して先輩の背中を見つめたまま呆気に取られてる私の肩をトントンと叩き、凛ちゃんが笑いながら「ドンマイ」と耳元で囁いてくる。
「ほら、片付け終わったよ……って。……どうしたの」
二階から降りてきた陽向先輩が何事だといった口調でそう言ってきた。陽向先輩から見たらホワイトボードを見つめる月嶋先輩と、それを眺めながら励まされてる私だ。普通の状況なわけがない。陽向先輩が月嶋先輩の顔を覗き込んだと思うと、クスッと笑った。
私の角度からでは月嶋先輩の顔は見えなかったから、どんな顔だったのか検討もつかない。……でも、その先輩の背中は暖かく見えた。
〇
「それじゃ、私たちはお先に失礼しまーす」
そう声をかけ、リュックを背負った透子と凛ちゃんはこの部屋を後にした。陽向先輩も用事があると一番に帰ってしまったため、私は月嶋先輩と二人きりで椅子に取り残されていた。私の正面に座っている先輩は、空になったマグカップを見つめながらじっと動かない。時計の音がやけにうるさくて、否が応でも時間がゆっくり進んでいくのを感じる。まだ四月だというのに私は額に汗をかいていた。……気まずい。なにか、なにか話さなければ。
「……あの」
「星乃さん」
私が声を出すと同時に、先輩は私の名前を呼び顔を上げた。
「あっ……はい、なんでしょうか」
私がそう言うと、また先輩は動かずしばらく沈黙が続く。じっと私の顔を見てくるその顔は、やはり当初会った時と同じで美しくて綺麗だった。……さっきの先輩の演技は凄かった、圧倒的で私を現実に叩きつけるには十分な実力。これはただ何となくではなく、努力して得られた才能であると伝わる。仕事もできて、美人で、ひとつの事に打ち込める、かっこいい先輩。そんな人と……二人っきり。
「その……一旦、上へ行こうか。そこで話があるの」
ゆっくりと口を開いた先輩はそういうと、一つ一つの動作を丁寧に二階へと上がって行った。私もその先輩のすぐ後ろをついて行く。
セットが片付けられたさっきの部屋は、ガランとしていて、大きな窓が左の壁に三つ連なっている。そこからは夕陽が入ってきていて、白のはずの部屋の壁を橙色に染め上げ時刻がかなり遅いことを私たちに知らせる。私の前を歩いていた先輩は、入口から一番離れた窓のところで立ち止まると、ゆっくりと私の方へ身体の向きを回転させた。私はそんな先輩の様子を、先輩から三メートルくらい離れたところに立ちながら見ている。
「……それで、先輩。話ってなんですか」
私がそういうと、先輩は耳辺りに垂れている長くて綺麗な髪を耳にかけ、そっと微笑むと私にいう。
「話したいことがあるのは……星乃さんでしょう?」
そのセリフは、さっきの演技で先輩が演じたレイのセリフだ。……でもそこにいたのはレイではなく、月嶋先輩本人だった。
「あ、あの!……どうしたら、そんなに上手く演じることができるんですか?」
私がそんな思ってもないことを聞くと、先輩は何も言わなかった。まるで私が、先輩の求めている言葉を持っていて、それだけを先輩はただ待っているように。
「あの劇の主人公のメグミって……月嶋恵美先輩、ですよね」
……月嶋先輩は何も言わなかった。言葉のキャッチボールがとてもゆっくりで、一つ一つの会話の速度がやけに遅い。張り巡らされた緊張というなの鎖。私はもういてもたってもいられなくなって、この空気から逃れてしまいたいと思い、少し身を引いた。するとすぐ、表情一つ変えない先輩から返事が帰ってきた。
「そうだよ……これは、私」
……この話の主人公は、本心を隠している。決して晒すことのできない本心を抱えている。昨日の夜、私とこの主人公の像を重ねることはできなかった。
でも、気がついたんだ……これは、この本心を隠しているのは、月嶋先輩なんだって。
あの日、先輩が見せた悲しい顔……それを見せないように貼り付けた笑顔。私は、その先輩の苦しいさを代弁するつもりで、そんな気持ちでセリフを言った。
「星乃さんは、どうして私だと気がついたの?」
「……だって、近いものを感じたから」
「近いもの?」
私が手先が震えるのを感じたから、思いっきり拳を握りしめ、下がっていた視線をしっかり前へと向ける。
「……私は」
今まで言葉にしたことがない、この思い。この人にならば、伝えられる。理解されなくてもいい、違ってもいい。私は……
――本心が、わからないんです。
〇
「私は、自分で何をしても実感がわかないんです。本当に自分がしたいこともわからなくて」
私は、今まで誰にも言ったことがない、胸の奥でいつも叫んでいた言葉を、今初めて外に出した。話しているうちに、目には僅かに涙が溜まってきて、拳の力が徐々に強くなっていく。
「ずっと……ずっとただ流されているだけなんです。何かを好きになっても、それはただの周りの影響で……」
心のダムが壊れたように溜まっていたものがドバドバ溢れ出しており、それは止まることをしらない。
「私は……私は、わたしは!」
もはやただの叫びでしかないその声を力いっぱい振り絞る私を、先輩はいきなり駆け寄ってきてギュッと抱きしめた。私は驚いて言葉がつっかえ、目を見開く。
「今まで、よく頑張ったね……」
私を包み込んでくれたその腕は温かくて、自分はその温かさに身を預けた。目を閉じると同時に片目から涙が一滴、頬をつたる。その涙は夕陽に照らされ、先輩の胸の中で輝いていた。
「すみません、先輩。少し落ち着きました」
私がそういうと先輩はそっと離れて、私は先輩の腕から解放される。先輩の腕の中から離れても、まだ温かさの余韻がまだ感じられた。しかし、先輩はまだ私の両手を握って話さない。
「……先輩?」
先輩の顔を覗くと、それはあの時にみた瞳に涙を溜め込んだような、切なく儚い表情だった。魅入られそうな綺麗な瞳に見つめられ、私はじっと動けなくなる。
「……私、どうしちゃったんだろ」
やっとなにか話したかと思うと、先輩は私のことを見つめ、瞳の奥を揺らがせながらそう言う。
「……どうって」
私は先輩の言っていることの意味がわからなくて、呆気に取られて目を開いたままそう答える。表情を変えないまま先輩は私の腕を強く引っ張ってきて、その反動で私は少し屈んだ先輩の方へ体制を崩す。
「ちょっ先輩んむ」
私の言葉が柔らかい感触に塞がれると当時に、みずみずしいものが触れ合ったような、突如部屋の中に響き渡ったその音。
……それは、私の唇と先輩の唇が触れ合う音だった。
窓はしめきっているのに風を感じる。……あぁ、そうか。これは先輩の呼吸なのか。
この時、私は一体何を思っていたんだっけ……心地いい?いや、もっと複雑な何かだ。……でも、嫌じゃない……別に嬉しくもない。なんだろう、この胸のモヤモヤは。
これは……私の求めていたもの?
私の初めてはこんなに呆気なく先輩に取られてしまい、それと同時に私の幕が上がった。
明音「先輩、ネーミングセンス終わってますよね」
恵美「えっ!?」←無自覚