私達の出会い
――いつからだっけ……こんな気持ち。
恋愛なんて、私にはきっと生涯できない気がする。私には……本心なんて存在しない。ただ、流されるだけ。それでも、誰かに依存したいのは寂しいからなのかな……。
今日から新しい高校生活が始まるとテンションの高い私、星乃明音。元気に開いた目に整った顔立ち、親譲りのくせっ毛からは優しさを感じられるとよく言われる。そんな私は今までとは 違った制服である灰色のブレザーに袖を通して一年生の赤いリボンを付け、意気揚々に姿見の前へと駆け寄る。
「ふふん、やっぱりこの制服可愛いなぁ!」
私は着替え終わると、まだ少し暗いリビングへと降りてカーテンを思いっきり開ける。入学初日に相応しいほどの神々しい光が部屋いっぱいに入ってきた。それから窓を開き、外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
「これから……高校生」
高校生という青春の代名詞に、胸の内に強い期待を抱き思わず拳をに握る。
「行ってきまーす!」
朝食を食べて家を出ると、暖かい風に背中を押されて早足になった。
卒業式が終わって私は、自分の出席番号の席に姿勢よく座り、窓の外からの景色を眺めていた。私の席は左から三列目の一番後ろの席で、そこから窓の外はよくみえなくてほとんど空と雲だ。式が終わって二十分くらいたったが、先生が来る気配もなくクラス内では中学時代の友達同士で喋っている。
私の入学した女子高は今から四十年前くらいにできたらしくて、他校に比べて綺麗だ。偏差値はそこまでだけど……私の学力を考えたら十分。そんなことを一人で黙々と考えていると、突然後ろから肩を叩かれたから少しビクッとした。
「おっす明音〜!また高校でもよろしくな!」
「んもう、朝からテンション高いなぁ透子は」
この笑顔で元気よく話しかけてきた子は天宮透子。私の中学時代のイツメンの一人で運動系の子。身長が百六十ちょっとあるから、百五十四の私と並ぶと姉妹に見えるとよく言われたなぁ。同じ高校なのはもう知ってたけど、やっぱり会ってみると少し照れくさいと感じた。
「それにしてもさ、入学式……長かったよね」
私はだらけて身体を机に伸ばしながらそう透子にいう。
「ホントだよな!五十分間ずっと座らされて、見てるアタシたちの忍耐力試験を受けてるまであったな……そういや、明音は部活どうする?」
「あー、部活ねぇ……透子は?」
すると透子は自信満々な笑みを浮かべて私にキラキラとした目を向けた。これは……きっと、何か入りたいものがあるんだろう。透子は中学でバド部だったしまた入るのかなぁ。そんな事を思っていると、言葉を溜めていた透子はゆっくりと口を開いて言った。
「……決まってない」
「……なんで溜めたの」
あははと笑う透子は高校に入っても変わらないなぁ……なんて思ってみる。
「正直、運動部は中学で飽きちゃってさ。……明音は卓球みたいに、運動部また入りたい?」
「……まぁ、まだ時間はあるんだし、色々見学いってからの方がいいよね」
そうだなと言う透子とそんな会話をしていると、中学時代を思い出す、あとの二人も元気でやってるかな。
「あっそういえば、うちの学校って『演劇部』があるんだって」
ふとそんなことを思い出し口にすると、透子は目を見開いて物珍しそうにした。
「へえー……アタシは明音と同じ部活ならなんでもいい」
「何それ。じゃあ来週の月曜日、一緒に見学いってみよっか」
この頃の私は、まだ何も知らない。恋なんて……縁のない、遠いものだと、本気で思っていたんだ。
〇
「へぇー、ここが演劇部の部室かぁ……」
私は一人で体育館裏にある二階建ての一軒家のような建物に来ていた。それは白いコンクリートで造られたよくある家で、ここだけ学校じゃないみたいだ。
「まだ入学してから一週間なのに風邪で休んじゃうんだから、透子は本当に困った人だよもう」
そんなことをブツブツと言いながら、その建物の周りをグルグルと歩いている。建物を一周するのにもそれほど時間はかからない、至って普通の家の大きさって感じだ。
「しかし……ここ、入っていいのかな」
学校の敷地内にあるのは異質なその建造物を前に、明音は部室に入れずにいた。一応インターホンがついているが、なんかだろう、本能的に怖い。緊張しているのか、私。落ち着け、落ち着くんだ私!
「君、そんなところでどうしたの?」
そんな声が後ろから聞こえ肩をビクッとさせてとっさに振り返ると、そこには背が高く、スレンダーで綺麗な人が立っていた。首のリボンが黄色だから二年生だと思う。……しかし、本当に綺麗な人だ。その顔は整っていて、おそらく誰が見ても美人だと口を揃えていうだろう。黒く綺麗にのばされた髪の毛に、飲み込まれそうになる瞳。
「……きれい」
「え?」
魅入られていた私がはっと正気を取り戻すと、とっさに自分は怪しくないと主張しようとする。
「え、えっと……私!あ、その……」
しかし口から出た言葉はなんとも情けないものだった。別に人見知りとかではないけれど、とっさに言い訳を述べようとするとパニックになってしまう。そのままオロオロとしていると、幸いにも先輩が何かに気がついてくれたようだ。
「……あっもしかして、見学の子かな?」
「あ、はい!そうです!」
よかった、意思疎通できた……なんて安心しながら胸を撫で下ろすと、その先輩は私の横を通過し鍵で部室のドアを開けようとする。いい匂い……先輩が横を通過したとき、ふとそう思った。シャンプー?いや柔軟剤の匂いかな……。
すると開いたと呟き、先輩はこちらを振り向き改めて笑みを浮かべた。
「さてと……ようこそ、演劇部へ。私は月嶋恵美」
「月嶋先輩……」
その直後に強く風が吹いたかと思うと、その瞬間まるで時間が静止しているように見えた。ゆっくり、ゆっくりと先輩の髪が春風になびいていて、それは、綺麗だけじゃ表せないほどの美しさを持っている。その時に吹いた風は、朝に比べてやけに暖かくて心地よかった。
「それで、演劇部には入ることにしたの?」
「うーん……それが、迷ってるんだよねー。なんか演劇部の先輩いわく、入部前に軽く劇をやって、実力というかなんというか……まぁテストみたいなのをするんだって」
部活動見学二日目。あれから二日後、私は透子もつれて演劇部の部室へと向かって歩いていた。
「でも、面白そうなのは確かなんだよね……先輩もかっこいいし」
「ん、最後なんか言った?」
とっさに出てしまったその言葉に自分自信も驚き、なんでもないよと手をふり誤魔化す。
気がつくともう部室についていた。鍵は……空いている。軽くノックを三回して、透子と共に部室へ入っていくと、月嶋先輩ともう一人の先輩が椅子に腰掛けていた。その部屋はリビングと和室を繋げたみたいな部屋で、大きな長方形のダイニングテーブルに椅子が八個並んでいる。先輩の手元の机の上にはマグカップが二つ、湯気を立てて置かれていた。
「あ、この前の……いらっしゃい。それと……もう一人の子は誰かしら?」
この上品な言葉遣いの先輩は陽向雫先輩。穏やかで優しそうな先輩だ。ふわふわした髪におっとりとした目、聞いたところによると月嶋先輩と幼なじみらしいく、よく学校で一緒にいる話を聞く。絵になる先輩だ。この前私が来た時も月嶋先輩と一緒に色々教えてくれた。
「こんにちわっす、天宮透子です。よろしくお願いしまーす」
それに相反した透子の挨拶、もうちょっと礼儀正しく振る舞えないのかなぁ……。透子はだらしなく頭をペコペコとやりながら、ニッと純粋な笑みを陽向先輩に浮かべた。
「あっそうそう、星乃さん!今日も来てくれたってことはこの前の演劇の話、了承してくれたってことだよね!」
突然手を叩いてそう言ったかと思うと、目をキラキラさせて身を乗り出す月嶋先輩に、私は少し身を引いた。うぅ……こんなに綺麗でかっこいい先輩に頼まれてしまっては、簡単にNOとは言えない。それに、この部室へ来てしまった私も、正直そんなに嫌ではないのだろう。私は少し「う〜ん」と唸った末、顔を上げて答えた。
「わかりました、やってみたいと思います。……私元々演劇を見るのは好きですし」
すると月嶋先輩は顔をぱあっと輝かせ、ニコッと笑いかけた。
「明音がやるならアタシも頑張りまーす!」
透子は大袈裟に手を挙げてそういうと、先輩方はクスッと笑った。
「ふふ、元気がある一年生ね。それじゃあ早速、台本を持ってきましょうか」
そういって陽向先輩は奥の部屋へと入っていった。私達はそれを目で見送ると、ふと気になった疑問を聞いた。
「それにしても、月嶋先輩。劇ってどんなのやるんですか?」
私が聞くと、先輩は「えっへん」と言いながら目を閉じて、誇らしげに腕を組んだ。その反応を私と透子は不思議そうに見つめ、首を傾げる。……ん?なんだろうこの反応は。
「その台本、私が書いたの」
あぁ、なるほど……それで。……それにしても、先輩は台本まで作れるなんて。
「凄いじゃないですか先輩、物語も書けるなんて」
正直物語が書けるなんて本当にすごいと思う。ここまできたら、月嶋先輩は欠点なんてないんじゃないかって思う。そう思っていると、部屋の奥から陽向先輩が印刷されたであろう紙の束を持って部屋に戻ってきた。そしてその紙を私たちの前へと一束ずつ置いていく。
「はい、これが台本よ。短めの話だからそんなに覚えることはないでしょうけれど、一つ問題があるわね……」
「問題……ですか?」
私がそう問いかけると、月嶋先輩がギクッと身体を硬直させ、今度はモジモジし始めたと思うと、ゆっくり口を開いた。
「この話……役者が五人必要なの」
「……なるほど、確かにそれは大問題ですね」
ええと呟く陽向先輩が月嶋先輩に視線を送ると、月嶋先輩は申し訳なさそうに肩を竦めた。以前二年生は二人だけだと陽向先輩に言われたから、ここにいる四人が演劇部の全人員なのだ。……月嶋先輩は、もっと一年生が入部すると思っていたのかな……すこし可哀想だと思った。
私たちがどうしようかと唸っていると、透子が「ん?」と頭を上げ、先輩方を交互に見つめて口を開いた。
「……先輩、三年生はいないんすか?」
透子のその言葉に、自分自身も確かにと思った。そう言えば三年生の先輩がいない、まだ四月だというのに。
「あぁ、うちの部活には三年生はいないのよ」
まだ伝えてなかったわねと言わんばかりの淡々といた口調で三年生がいないことを陽向先輩に告げられる。
「なんでですか?」
「えっとね……今年の二月、三年生は三人ともみんな退部しちゃったの……」
「……それまたなんでですか?」
その私の質問への返答はなかった。
先輩方は二人共黙りこんで俯いてしまい、部屋中に重い空気が流れる。……何があったんだろう。そう気になったけれど、なにか深い事情があるんだと思い、これ以上は踏み込まないことにした。
「……へ?何この空気」
……そして一人空気を読めない透子。
「それにしても、本当にどうしましょうね」
この空気は陽向先輩の一言で浄化され、それた話が元の軌道に戻った。
「う〜ん……一人二役だと、この私の話は上手く進まないんだよね……」
ピーンポーン!
みんなで頭を抱えていると、突然部屋の中いっぱいにインターホンが鳴り響いた。お互いの顔を見回して、皆が一斉に席を立ち上がり、玄関へと駆け出した。扉へ着いた月嶋先輩が思いっきり扉を開くと、そこには私と同じくらいの身長の女の子が立っていた。短い髪の毛に小さめの目、その子は私よりも幼く見えた。勢いよく開かれた扉に女の子は驚いて目を見開く。
「うわ、びっくりした……あっ、どうも。ここって演劇部であってます?」
その言葉を聞いた月嶋先輩はワナワナと身体を震わせた後、女の子の両手をバッと掴み目を光らせた。
「君、お芝居向いてると思う!」
いる人全員に出迎えられた女の子は呆気にとられた様子で私たちを見回したあと、冷めた目付きで一言放った。
「……はぁ。ありがとうごいます」
「どうも、一年生の河西凛です」
「あれ、凛じゃん!アタシだよ、席後ろの」
半ば強引につれてこられた彼女は、どうやら同じクラスメイトだったらしい。彼女は透子に気が付き二人仲良く喋っている。透子はもう友達ができたのか、流石だなぁと思った。
「さて、人数も揃ったし、次の最後の部活動見学にこの劇を私達だけでやるから、それまでにしっかりと読み込んでおいてね」
そう月嶋先輩に言われて今日は解散となった。凛ちゃんはいきなり劇をやるとか言われて文句が絶えなかったけれど……もう透子と一緒に帰っていった。私と透子は高校生からは家の方向が逆だから、中学以来一緒に帰らない。
「さてと、私も帰ろっと」
玄関前の廊下に置かれていた二つのリュックのうち私の方を背負い、自分も帰ろうとリビングに残っている月嶋先輩に挨拶をしようとすると、月嶋先輩は椅子に座って何かを考えているようだった。
「あれ、月嶋先輩何してるんだろう」
……その姿はやっぱり美しくて、ここだけ別の世界のように思える。
しかし、その先輩に私は目を疑った。斜め後ろからでもわかる……先輩の顔は、落ち込んでいるように見えた。酷く、辛くて悲しい顔……私はしばらく立ち尽くしてしまった。先輩も、瞬き以外に動作を見せない。……いやいや、いつまでもここにたってる訳にはいかない。
「月嶋先輩」
私の呼びかけに気がついた先輩は、ゆっくりと私の方を見る。振り返ったその顔には、さっきまでの悲しい顔はなく、いつもの美しい笑顔が張り付いていた。
「あぁ、まだいたの……うん、おつかれさま!」
優しい声、美しい顔、非の打ち所がない性格。私はそんな先輩をみて、じっとしていられなくなった。
「……先輩、なんで嘘つくんですか」
……私にはわかる。これは、自分の本心を隠している人間のとる行動だ、私が一番よく知っている素振り。
その私の言葉を聞いた先輩は、驚いて目を見開いた。瞳の奥が揺れている、まるで瞳の奥に涙をいっぱいに溜めているかのように見えた。
私達はしばらくずっとお互いのことを見つめあっていた。その時、相手が何を思っていたのかなんて、今の私にはわからない。
けど、なぜか目が離せない。その時は、十秒が一分に感じられるほどゆっくりと時間が経過していたんだ。
〇
「はぁ……月嶋先輩って……」
結局あの時はチャイムが鳴って、そのまま会話を交わさずに帰ることになった。今、私は自分のベッドの上に寝っ転がっていて、頭元にある時計の針はもう十一時を指している。もう遅いけど、月嶋先輩のことが気になって眠れない。……なにか気のまぎれるもの。
「あっ台本」
私はベッドから勢いをつけてグッと起き上がり、リュックの中に丁寧に入っていた台本を取り出して、机の上に広げて地面に正座する。その台本は原稿五枚で構成されていて、セリフの部分もほとんどなく、かなり簡単に覚えられそうだった。私はさっそく床に転がりながら台本を読み始めた。
読み始めて五分。流石先輩……と言うべきだろうか、内容はとても面白かった。まるで本物の役者が作ったみたいな完成度だと思う。
「えーっと、本心を他人に見せないよう隠し続けてきた主人公。そんな彼女のもとに突然現れたのは自由気ままで自分の思いに忠実に生きる少女。その二人が周りの人達との時間の中でお互いの考えを理解していき、やがて本心を隠さなくなくてもいいと思えるようになる話……か」
それは、まるで実在した人物を参考にしたかのような丁寧なキャラクターの作り込みだった、話に引き込まれそうになるほど。
「……えっと私は確か、本心を隠す主人公の役だったっけ」
――本心、か……隠せるものなんて、何もないよ。
私は……思いを実感することができない。まるで、テレビとか、映画とかを見ているような、そんな気持ちになる。だから、今まで本心に従ったことがない。従えないんだ、わからないから。中学時代の頃から、私はどうも自分の思いというものがはっきりしない。いつも周りの影響を受けてばかり。本当にやりたいこと、好きな物、自分の考え、それらはすぐにコロコロと変わっていく。ずっと執着できるようなことなんて、出会ったことがない。
「……もしかして、先輩も」
あの時の先輩は、私と近いように感じた。自分の思いを隠して、他人にいいように見せる。先輩は……いや、や
めよう。こういうことを考え始めると、なかなか眠れなくなる。
台本を机の上に置いたまま、私は再びベッドへと向かい勢いよく顔から倒れ込んだ。
「あかねー入るよー」
すると間もなく、ガチャといきなりドアノブが回ると共に姉が入ってきた。星乃碧、私の姉だ。私と同じでくせっ毛だけど、私と違って伸ばしている。画家になりたいらしく、去年美大へと入学した。
「ちょっお姉ちゃん!ノックしてよ」
私はとっさに身体を起こして、姉に向かって注意する。私がお姉ちゃんの部屋に入るととんでもなく怒ってくる癖に。
「ごめんってー」
ちっとも反省してない姉は鼻歌を歌いながら私の部屋の一角にあるクローゼットを開いてガサゴソやっていると、中からハンガーをひとつ持ち出していった。
「借りてくねー」
まったく……困った人だ。私は少し口元が緩んで、クスッと笑った。あぁ、もう寝よう。明後日は劇の本番だし、備えないと。姉のおかげで胸のモヤモヤは落ち着いてそのまま意識を閉じた。
私たち演劇部一年生は、昼休み教室の窓側で昼食をとっていた。
「へー、そんなことがあったんだ。どーりで私が歓迎されたわけだね」
凛ちゃんと私は、もう普通に仲良くなった。時々言葉遣いが乱暴になることがあるけど……いい子だと思う。ちゃんと周りを見ている子だ。今はもう透子と私と凛ちゃんの三人でいつも一緒にいる、新しいイツメン。
「それで、明日の劇だけどさぁ……」
透子がそんな話題をめんどくさそうに持ち出してきた。
「あー、劇ね……私は透子と喧嘩して主人公組の意見をぶった斬る役だった」
何ともないような顔で物騒な言葉を使う凛ちゃん。
「あはは、ぶった斬るって……」
やはり凛ちゃんはちょっと口が悪いかもしれない。私はそんなことを思いながらおにぎりを食べている。
「それにしても一年生で主人公役だなーんて、よかったね明音ちゃん。先輩達に迷惑かけちゃダメだよ?」
「うぅ、プレッシャーが……」
「まぁ明音ならいけるだろ!がんば」
そんな事をいいながら透子は私の肩をドンドン叩いてくる。流石に少し痛かったし、食事中だったから透子にやめるよういうと、わりぃと謝ってくる。透子は姉と違ってちゃんと反省できる子だ、姉も見習って欲しい。それにしても、劇かぁ……。
「劇はたまに感情が入りすぎちゃうから苦手……」
そう呟いて紙パックのストローを加える凛ちゃんに、透子は笑いながら答える。
「えぇ?それっていい事じゃん」
すると、キーンコーンとチャイムが鳴り響いた。それは私たちの会話を断ち切ると同時に透子を脅した。
「やば、アタシ全然食べ終わってないんだけど!」
その日の放課後、いつもどうり二人とは別で帰ろうと昇降口で靴を履き替えていると月嶋先輩と陽向先輩が二人で並んで歩いてくるのが見えた。
「あっ……先輩方」
その様子からは優秀な人達オーラが凄い滲み出ていて、この前の月嶋先輩の顔は嘘だったんじゃないかと思えた。すると、月嶋先輩が私に気が付き、声をかけてくる。
「あっ星乃さん!おつかれ。……劇の台本どうだった?」
……うん、いつも通りの素敵な先輩だ。
「はい、とてもよかったです。読んでて面白かったですし、登場人物のその時の感情まで書かれていて読み込みやすかったですね」
それを聞いた月嶋先輩は笑顔で陽向先輩と顔をあわせた後、私に笑いかけた。
「よかった!それじゃあ、明日はよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
そういうと月嶋先輩は手を振りながら行ってしまい、私は陽向先輩と会釈を交わして別れた。
……やっぱりあの日は何かの間違いだったんだろう。私はそう自己解決した後、家へと向かう道を一人歩いて帰った。
〇
私、月嶋恵美は親友の陽向雫といっしょに昇降口へと向かっていた。今日もいつもと変わらず天気がいい。透き通るような空に浮かぶ少しの雲。なんとなくボーッとできてしまう。
「聞いてるの?恵美」
少し怒るような顔をして私の顔を覗き込んできた雫に、私は咄嗟に手を合わせる。
「ごめん雫、聞いてなかった……」
「まったく、明日の劇の話よ」
雫はため息をつき視線を正面に直して私にそう言った。あぁ、もう明日か……早いなぁ。
「あぁ、劇!楽しみだよね、一年生の演技力を見るの」
一年生のみんなは今まで演劇なんてみんなやった事がないって言ってたし、そこまで期待はしていない。でも、そういう子達が頑張ってる姿は可愛いものだ。
「とんでもなく下手かもしれないわね」
そういって雫は私に悪い笑顔を浮かべる。
「そしたら……私が頑張って教えてあげるから大丈夫!」
私は上の方を向いて「んー」と考えた末、雫に向き直ってそんなことを宣言した。すると、雫が口元に手を当てフフと笑い上の方を見つめながらいった。
「恵美ったら……最初っからみんな入部させる気じゃない」
「うぅ……ま、まぁ部員確保の為とか、人数はいた方がいいし……初めから完璧な子なんていないよ」
「あら、それはどうかしらね?」
雫は貴方はどうなのと言わんばかりの視線を私に送ってきた。
「んもう、からかうのもいい加減にしてよ」
そんな会話をしていたら、ふいにおかしくって二人で笑いあった。
雫は、三年生の時に私の中学に転校してきて、それからいつも一緒に過ごしてきた。雫は、いつも私を支えてくれる。この私を、必要としてくれてるから、いつも頼ってしまいがち。家は近くないから一緒に帰れないけれど……大体の時間を雫と過ごしてきた。よく言うところの……バディ?かな、親友。
「あっそういえば雫、星乃さんってどう思う?」
私のそんな質問に対し、雫は急にどうしてと言った顔を浮かべ、しばらく私の顔を見つめたと思うと前を向いて口を開いた。
「別に、普通じゃないかしら?」
その口調は少し強く嫌味ったらしかったが、私はそれに気がつかなかった。
「そう……そうだね」
星乃さんは後輩の女の子、それ以外のなんでもない……はず。それなのに、少し胸にひっかかるのはなぜだろう。私は右の手のひらをじっと眺め、この違和感について考える。すると、雫はそんな私を見て話を別の方向へと持っていった。
「そんなことより恵美、台本……あれを使ってよかったの?」
いつか言われると予想していたその言葉に私は目を丸くして一瞬動揺するが、その言葉を理解すると同時に答える。
「あぁー、やっぱりそうなるよね」
私がそういうと雫は私の前へと出てきて強く言う。
「だってあの劇は」
「うん、いいの。……使わないよりも、新しい世代に繋ぐ方がいいでしょ?」
ね?というように私が微笑みかけると、長らくじっと佇んでいた雫はようやく口を開いた。
「……まぁ恵美がそう言うのなら」
雫はどこか納得がいかないようだったが、道を開けてくれた。
「それにきっとみんなも面白いって言ってくれるよ」
そんな雫に、心配しないでというように私は付け足した。
「はぁ……そうだといいわね」
雫が息をこぼしてそう呟くと同時に、私は昇降口で星乃さんを見つけた。
「あっ星乃さん!おつかれ。……劇の台本どうだった?」
〇
「いただきまーす」
今日の夕食はカレー、私の好物だ。家族四人揃って食卓を囲み、サラダやら味噌汁やらを食べている。
「ね!あかね。あかねの部屋にあった原稿ってなに?」
ふとお姉ちゃんがサラダを持ちながら、こちらを向きそんなことを聞いてきた。
「勝手に部屋に入らないで」
私は受け流すように注意しながら味噌汁を啜る。
「はいはい……それで、何?」
全くこの人は何度言っても反省しないんだから……仕方ないから私はお姉ちゃんの質問に答えることにした。
「演劇部のやつ。明日やるんだよ」
「へぇー、あかねが劇ねぇ……」
姉から聞いてきたのに全然興味がなさそうにしていて、少し腹がたった。この芸術バカめ……あっ。
「ねぇ、お姉ちゃんって絵を描く時、どんな思いでやってる?」
劇だってある種の芸術だ、もしかしたら精通するものがあるかもしれない。私はそんな期待を胸にアドバイスを聞こうと思った。
「ん?うーん……そうだなぁ?」
お姉ちゃんは顎に手を当て上を見上げながらニヤニヤしている。……聞く相手間違えたかも。
「私は、絵に魂を込めてる!……よ」
そういうお姉ちゃんは照れくさそうに天井を見つめ、耳を少し赤らめていた。どうやらお姉ちゃん的にちゃんとしたアドバイスらしい。……でも抽象的すぎてよく分からず、私は首を傾げて恥ずかしがってるお姉ちゃんに追い打ちをかける。
「魂を込める……って具体的にどんな?」
「えぇ?そうだなぁ……自分事にするっていうかなんていうか……どうしても自分自身を描いてるように思えるんだよ」
「自分自身……」
なんとなく言いたい事はわかったけれど……それは難しい気がする。例えば仲のいいカップルが失恋ソングを作ったら自分事として捉えられるのかな……そもそも恋愛なんて。私は上の空を見ながらそんなことを考える。またいらない事を考えちゃったなぁ……最近多いかも。
「早く食べちゃいなさいな」
母親にそう言われて私は我に返り、冷めたカレーを頬張った。
自分の部屋へ戻ってくると、本棚にあるお気に入りの漫画の一巻を流れるような動作で手に取り、そのまま椅子に腰を下ろした。そしてパラパラと漫画をめくり、三分くらいかけてあとがきの前まで読み終えるとそれを開いたまま手を止める。
「……やっぱりいいなぁ」
この漫画は何十回と見返している。けれどまだ面白い……この漫画はよくあるラブコメだけど、彼氏キャラは嫌いだ、いらない気がする。
――恋って、素敵だ。私も欲しい。
そんなこと、何十回と考えてきた。けれど私は、はっきり言って男が嫌い。理由なんて、ない。嫌いなものは嫌いなんだよ。矛盾しているのはわかっている……男が嫌いなのに恋なんて無理だって自分にも言い聞かせて、とっくにそれは私には届かないものだってわかってはいるけれど、頭が諦めても心が諦めてくれない。……実際に自分が恋するのは少女漫画とは違う。私には……到底叶わない夢。
それに、本心もわからない自分に恋なんて出来るはずがない……本心がわからない?
「それって……この主人公と、似てる」
あぁ、お姉ちゃんが言ってたのってこういうことか……流石は頼れるお姉ちゃん。
「……少し、劇の練習しよう」
部屋の中で大声を出してお母さんに怒られたのは、五分後の話です。
ピピピピッ!ピピ……。朝、頭元で響くうるさい目覚まし時計。それを私は唸りながら勢いよく叩くと音を止めて、再び部屋は静寂に包まれる。
「んん……あと五分だけ」
……じゃない!私は目をカッと開くと、勢いよくベッドから起き上がり勢いよくカーテンを開ける。朝一番にしては眩しい陽の光を身体で感じて部屋を出た。今日はいつもみたいにのんびり支度するわけにはいかない!私はこのやる気が失せないうちに、すぐ階段を駆け下り洗面台で顔を洗う。今は春だから水道から出てくる水も適温で冷たくない。
「ん……ふぅ、目が覚めた」
もうリビングからは朝食の匂いがする。今日は目玉焼きかな……?そんなことを考えながら歯を磨き終え、部屋へともどり制服へと着替える。支度が終わり朝食の匂いのするリビングへと入り、お母さんに挨拶をする。
「おはよー」
「あら、おはよ。今日は早いわね。ほら、もうご飯できてるわよ」
そう言われてお母さんの手元に置かれている二人分の朝食に目を移す。……今日はスクランブルエッグだった。
全て準備を終えた自分は、いつもより二十分も余裕を持っていた。私はリュックに入った台本を手に取り、また軽くキャラクターのイメージを掴んで劇の練習をする。昨日の夜に得たこの感覚を忘れたくは無い。朝だからか、お母さんも注意しにこないし。だから私は、いつもより役に没頭できた。
出発の時間になって、靴を履いた私は階段から降りてくるお姉ちゃんとすれ違った。
「あっお姉ちゃん、昨日はありがと」
私がそう感謝を伝えると、お姉ちゃんはこちらに気がつく。
「ん?……どういたしやして〜」
……まだ寝ぼけているのだろう。気力のない返事にボサボサになった髪、手すりを持ちながらも意識がはっきりしていないのか、フラフラしている。今日の大学は午後かららしい。まったく、こんな時にもお姉ちゃんはしまらないなぁ……。おっと、そんなこと考えてる場合じゃない。
「行ってきまーす!」
その日は入学式と同じくらいテンションが高かったと思う。
だって私は……少しでも早く、月嶋先輩に劇を見せたかったから。