初心の舞台
「っしゃ!そのままいけぇぇぇえ明音!」
はぁっ、はぁ……んっはぁ。
「明音ちゃーん、あとは任せてー」
「凛ちゃっ……お願い!」
手のひらを上にして後ろに伸びる凛ちゃんの手に、私は叩きつけるようバトンを押し出す。私よりも凛ちゃんの方が足も加速も速い。けど私に合わせて速度を調整してくれたおかげでバトンパスが上手く繋がった。凛ちゃんはそれを受け取ったらすぐに体勢を戻して加速していき、七位中五位だったその順位を一気に上げていく。体勢を下げて足を回転させる凛ちゃん、遠目でも満面の笑みだということが見受けられた……というか、完全にキマッた目だ。
「おつ、明音!体力テストの時よりも足速くなったかもな」
「それ三人に抜かれた人間に対しての励ましになってないよ」
私は息を切らしながら走り終わった人の列に向かい、そこに座っている透子の所へヨタヨタと歩き、そんな会話をしながら地面に座り込む。
「にしても、凛ちゃんも速いなぁ……もう走り終わってる。それにあの涼しそうな顔……透子と同じ系統?」
「いや、アタシの方が速いな!」
自信満々にそう言って手を組む透子に、私は「少しくらい謙遜しなよ」と口を零しながら青く晴れた空を眺める。
「あっ……リハって何時からだったか」
「リハって……劇の内容三十分なのに最終確認は十分くらいしかないよ?えっと、一時からだから……あと二時間ないくらい」
足元の砂に指で丸を描きながら、首を傾げる透子にそう伝える。
暑いなぁ、百メートル走ったせいで……いや元々か。とにかく暑い、汗がシャツに染みて背中にまとわりついている。
でも、ここ女子高だし別にいっか。
私は体操着の胸元を掴み、中に空気を送り込むようパタパタさせる。
月嶋先輩がみたら、だらしない!とか……言うのかなぁ。
私は小さくクスッと笑い、それを見ていた透子は不思議そうな表情を浮かべていた。
「いやー、私の快進撃みたぁ?一位だよ一位」
そう突然声をかけてくる凛ちゃん。トラックの反対側で待機しているはずの凛ちゃんは当然のように、一人目立ちながら私たちのもとへ歩み寄ってきていた。
「おぉ、やりぃー」
透子が座りながら手を上げ、凛ちゃんは一拍おいてからそれに向かって上から手を振りかざす。パチィンッという高い音が小さく響き渡り、二人はニッと笑顔になる。そんな姿に私も自然と口角をあげた。
それにしても、この体育祭が終わったら劇かぁ。
「……あっそういえばさ、劇の話なんだけど」
「ん、どーかしたの?」
凛ちゃんが顔に笑顔を残したままそう返事をする。
「……いや、やっぱりなんでもない」
喉元まで出かかったその言葉を、私は再び奥へと戻した。
……なんか、今は体育祭中なんだし演劇の相談は良くないなって思ったから。この空気を壊してまでの事じゃないかなって。
演劇も大事だけれど……体育祭だって立派な学校行事だもんね。
透子と凛ちゃんは三組が何着だったのかとか、今のクラス点数がいくつなのかとか……体育祭のことについて長々と話している。二人とも頑張っているし、やっぱり競うからには勝ちたいんだろう。一方で私は、先輩方がなんの種目に出るのかを聞き忘れたから、先輩たちのクラス……ただ五組の点数表をじーっとみつめていた。
月嶋先輩……運動できるのかなぁ。
そんなことはいいとして、私が劇に頭を抱えている理由……それは、結末が気に入らないからだ。
劇の内容を簡単に言ってしまえば、愛し合っていた二人の片方は心から愛していたわけではなく、それを知ったもう片方が負の感情に流されるまま殺害してしまう……そんな感じだ。私はこの殺害する役を演じていて、いつも大きな違和感を二つ覚える。
――本当に、彼女は愛されていなかったのか。
――大好きだった人を、本当に一思いに殺せるのか。
この謎が、私を劇に没入させてくれない障害となっていたんだ。陽向先輩に聞いてみたら「まぁ、星乃さんにもきっとわかるわよ」と意味深な事を言ってくるし、月嶋先輩は「やりにくかったら、全然変えてもいいよ!」と助言すらくれない。
まぁ、今は腑に落ちないまま台本通りやっている……そんな現状だ。
「あっ、あの二年生靴脱げたぁあ!」
凛ちゃんはトラックの反対側を走る点みたいな人影を指さして透子と大爆笑した。なんて性格の悪い。
○
体育祭の総合結果発表が校庭で行われている中、私たちはこの後に行う劇の準備などの為に部室へ移動していた。皆もうそれぞれの衣装に着替え、演劇室で輪になって並んでいる。
「よし、みんな着替えたし……はい!このアクセサリーつけてね!」
そういって広げた月嶋先輩の両手の中には私たちが昨日選んだアクセサリーが散らばっていて、その中からそれぞれ自分の物をそっと掬う。
「いやぁー、いよいよって感じだな!」
「……うん、緊張してきた」
普段アクセサリーなんて付けないから、少し手こずって光を強く反射するそれを身につける。
「大丈夫よ、みんなあんなに練習したんだもの。きっと成功するわ」
「そうだよ!私たちなら……きっと、大丈夫!」
「あれぇ ……透子、これ真っ直ぐになってる?」
それぞれが思いを宿す中、共通な目標は「成功させたい」という単純なもの。
私は……成功させて、楽しんで。そして何より、月嶋先輩のお父さん問題。
私は一つ深呼吸をして肩の力を抜く。
劇はみんなが一団となるから成立する……だからこそ。
「……最後まで、全力で」
月嶋先輩の格好は、天使のように真っ白なローブと月の形をした銀色の小さなネックレス。
陽向先輩の格好は鮮やかな青いキトーンに茶色の布を羽織り、太陽の模様のついた銀の指輪。
凛ちゃんは立派な杯が刺繍された深緑のキトーンに朱色の布を斜めに巻き付け、銀河のような模様が彫られた銀のブレスレット。
透子は劇中のさまざまなサブキャラを演じ分けなくてはならないため、沢山の衣装を舞台裏に配置して体操着のまま、星の散らばる夜空を宿したかのような石のついた髪飾りをつけている。
私はアネモネの花が刺繍された黄色いローブを身につけ、鋭い星の形をした黒いイヤリングを敢えて左耳につけていた。
この後もう少しだけ合わせることができるという事実で緊張と不安を誤魔化し、みんなと共に部室を後にすると眩しい日光がさしていて沢山の生徒の声が遠くから聞こえてきた。みんな空の下に出た瞬間に輝いて見え……なんとなく胸の中に自信がつく。そんな私の心を見透かしてか、月嶋先輩が私の腰辺りをポンッと叩き、そっと優しく微笑んだ。
そんな簡単すぎるコミュニケーション、別に意味は無いのかもしれない。けれど、私には先輩が「大丈夫だよ」と伝えてくれているように思えて嬉しかった。
体育館へと向かって果敢に足を動かし、太陽に照りつけられた私の顔には大きな自信と少しの笑顔があった。
○
「私は、見たのです。見てしまったのです……どうして、私だけの事を愛してくれていると思っていたのに!」
「…………ごめんなさい」
青紫の証明に照らされる崖の上を模したセットで、私は苦悶の表情を浮かべる月嶋先輩を睨みつけながら大声で感傷的に怒鳴る。今にも目からは涙が溢れ出してしまいそうな顔をして拳の先まで力を込め、肩をフルフルと震えさせている。
「アナタは、私を愛してはくれないのですか?……今までのことは全て嘘だったというのですか……?」
私が小刻みに震える小さな声でそう零しても、月嶋先輩は俯いて微動だにしない。
「ねぇ……応えてくださいよ」
引き攣った笑顔を無理やり浮かべた私は目から涙を一つスーッと伝らせ、それを境にしてボロボロと泣き頬を濡らす……それでも笑顔は決して崩さない、まるで自分の中にある壊れかけの弱い心を覆い隠すかのように。
「ごめんなさい……裏切ってしまって」
俯いたままの月嶋先輩は、淡々と……なんの邪念も混ざっていないかのようにはっきりそう言う。その様子に私は心をつかれ、はっと目を見開くと同時に涙を止める。そんな私に真っ直ぐな眼差しで向き直る月嶋先輩は、数秒言葉を選んだ後にゆっくり口を開いた。
「……私は何も言えない。明音、あなたの好きなようにしなさい」
その一言で私の瞳は完璧に光を失い深淵を覗き込んでいるかのような深い深い黒へと変わっていった。
手を横に垂らして風に靡く先輩を数秒眺めた私はすっかり乾燥した目で二マッと悪く笑った後に、さも親しげに月嶋先輩の首後ろに手を回してソッと抱きしめる。
「……私の愛しい人、さようなら」
迷いなくそう言い放った私は月嶋先輩に口付け……をほんとにみんなの前でするのはアレだから、照明を後ろからのものだけにして私たちをシルエットにし、先輩と私の顔の奥行きを利用してキスしているように見せる。
……そして、躊躇いなく先輩を崖から突き落とした。
宙に放たれた先輩、それは瞬く間の出来事だったけれど……涙を零しながら満足そうな笑顔を浮かべていた。先輩が岩肌の影に消えて五秒程度、水に大きなものが落ちたような飛沫の音が鳴り響く。私は上から見下すようにその始終を見届け、暗く深い森へと姿を晦ました。
崖の下、波に打たれている海に浮かんだ小さな岩の上では凛ちゃんが私たちのいた所を睨みつけるかのように見上げ、荒れ狂う夜の海の中へと足を進める。
その背を追うかのように、黒いローブにフードを被った透子がナイフを手に海へと進む。
波の音が虚しく響き渡る中、全員の姿が消えたと同時にステージの証明は徐々に弱くなりフェードアウトしていった。
「あの宣教師は死んだ!彼女に付き従っていたものは皆焼き殺してしまえ!」
日が登る前、森の奥にたてていたテントで一人眠っていた陽向先輩は不信心者達の怒り狂った声に目を覚まし、自分の命に迫る危機を感じて颯爽と街から遠くへと離れていく。
大変なことになったと焦る先輩はただただ森を抜けて隣町に走り続ける……がしかし、月嶋先輩が死んだことはもう既に他の街にも伝達されていたようで、もう徒歩で動ける範囲に安全な場所などないと後に陽向先輩は気付かされた。
自分の顔を覆い隠し、街の隅を目立たぬように移動する陽向先輩にいつかの助けてあげた女性がパアッと顔を明るくして声をかける。
「あぁ、あなたはあの時に救って下さった人のお弟子様ではありませんか……!」
「人違いよ、変なこと言わないでちょうだい!」
陽向先輩は一度も足をとめずに大きな声で冷たく対応し、呆気に取られている女性を横切る。
それからまたしばらく歩いて太陽の光が街にさしこみ始めた頃、再び声をかけられた。
「あれ、この人……この前見かけた時に、あの宣教師と一緒だった」
「宣教師?誰のことを言っているのかしら……私ではないわよ」
焦った口調でそう言い、またも自分が弟子であることを否定し突き進もうとする。
しかし、その話を聞いていた二人組の集団が陽向先輩を見つけると素早く寄ってきて、口々に言い始めた。
「いや、たしかにお前はあの宣教師と共にいた」
「あぁ、その通りだよ。隠そうとしたって、その指輪が何よりの証拠じゃないか」
そう詰め寄ってくる二人に「うっ」と声をもらし、顔いっぱいに焦りを浮かべた陽向先輩。それでも認めず、先輩はたじたじになって答えた。
「本当に知らないわよ!もし私が嘘をついたならば、磔にされようと、逆さまに吊られようと構わないわ」
――その時、鶏が鳴いた。
陽向先輩はその甲高い鳴き声を聞くと、目を見開いて指先を震わせる。未だ疑いの声を浴びせ続ける三人を無視して、ゆっくりと三歩だけ前に足を運ぶ。
「あっわた……わたし、私は……あぁ、なんてことを」
そういって夜が明けた空を光なき眼で見つめながら、小さく涙を流す。
「私は……裏切り者だわ」
そういって膝から崩れ落ち、見ている方の心を突かれるくらい迫真の演技で激しく泣き続けた。
「私は……なんて事をしたのだろう。とんでもない罪を犯してしまった。あの人の命を手にかけて……私は一体なにを獲たのだろう。たったの銀貨三十で、殺めてしまった私には……何が残されているのだろう」
怒涛と歓声で溢れかえる街中、私は不信心者達の集まる役所へと急いで足を運び、汗を垂らしながら中にいる黒いローブの町長に声をかけた。
「私が間違っていました……どうか、今からでもあのお方をお探しになってはくれないでしょうか……この銀貨は返します」
私がそう訴えかけると、私のことを嘲笑うようにいやらしい表情をして口を開く。
「今更なにを言うか、我々の知ったことでは無い」
私は居た堪れなくなり、顔を俯けて銀貨の入った袋をそっと下ろす。
「それに、殺した理由は貴様の私怨だろう?それっぽっちの銀貨を受け取って捜索する理由なんてないのだ」
私はそうあしらわれ、以降は相手にされなかった。
その建物を出た私は、自分たちとは違う宗教の教会に向かって「こんなもの……!」と銀貨を全て力いっぱいぶちまけた。本当に何もかもを失った私は千鳥足で街の真ん中を歩む。気力も目的もないような私の姿に、街の人々は気にもとめない。
証明が消え、街の舞台セットをさっきのセットへ滑車に乗せられた背景を移動させて数秒で変化させる。再び証明がついた時、私は先輩が最後に足をつけていた場所で佇み、陽の光を受けながら髪と服をファサッと靡かせていた。
「もう……私には、もう……ごめんなさい。やっぱり私は……あなたの事を愛していたのです」
そう一人呟きながら、吸い込まれるようにして少しずつ足を進めた。
「どうか……私も、あなたの元へ連れていってください。きっと、また……会ってください……先生」
そう最後に言い残し、私は全身の力を抜き前に倒れ込むようにして海へと落ちていった。
何十キロも走り続けて息を荒くした陽向先輩は、勢いよく自分たちの本拠地である教会の扉を開き、目を疑った。
「だって……そんな、まさか……先生」
教会の中、神父が祈りを捧げる位置に凛として立っている月嶋先輩。その奇跡に、陽向先輩は同動揺を隠せない。
「おはよう」
当たり前かのようにそう言う月嶋先輩、それを見た陽向先輩は目からボロボロと涙を流して月嶋先輩のもとへ駆けていき、その胸の中へと飛び込んだ。
「生きて……いや、蘇ったのですか……どちらにせよ、本当によかった、よかったです」
そんな感動の再開に、舞台袖で見守っている私たちも自然と笑みが浮かぶ。
しかし十秒もないうちに、月嶋先輩は涙している陽向先輩の事を押し退けてしまった。驚いた表情のまま硬直し、その態度に疑問をもった陽向先輩がじーっと見つめていると、月嶋先輩は旅の道具をまとめ始めた。陽向先輩は顔を向けないままの月嶋先輩に問いかける。
「先生、どこへ行かれるのですか」
「……お二人を、私の愛しい二人の弟子を探しに」
陽向先輩はそれを聞くと小さく頷き、自分もついて行きますと支度をする。
月嶋先輩は、誰にも……自分自身にも聞こえない程の小さな声で、マイクが拾う一番小さな声でそっと囁いた。
――そして、私のたった一人の恋人に再開するために。
○
「いやぁー、これならもう本番バッチリっすね!」
「えぇ、とてもよく出来ていたと思うわ。台詞も動作も心配なさそうね」
透子がニッと笑顔を浮かべて陽向先輩とそんなやり取りを交わす中、凛ちゃんが態とらしく大きな欠伸をする。
月嶋先輩はどこかそわそわしたような雰囲気で体育館のステージ側にかけられた時計を見て口を開く。
「開場までは、あと五分ないくらいだね!」
「そうね……それと、照明が少し眩しかったのよ。だからもう少し光量減らしてもいいかしら?」
陽向先輩がそう私たちに問いかけ、皆が許諾したから若干暗くする事になった。私たちは体育館脇に設置された沢山の音響機材を操作する場所へと足を運ぶ……が、私はここである事に気がつき首を傾げる。
「あれ……照明とか音響って、今誰がやってたんですか?」
「え、何言ってるの?明音……」
私の声を唯一聞いていた月嶋先輩は不思議そうな顔をして私を見つめる。
「顧問の先生がやってるんだよ?」
「「「……顧問?」」」
私たち一年生三人は、みんな揃い揃ってキョトンと目を丸くした。
……え、顧問の先生いたの?今まで一度も見たことないんだけど。
「あれ……言ってなかったっけ?」
「初耳っすね」
月嶋先輩は「あれぇ」と腑抜けた声で明後日の方向を見つめる。そんな姿に私と凛ちゃんは大きくため息をついた。
「まぁ……たしかに。うちの学校は生徒任せなところ多いから……ほら、生徒会とか?校則の制定とかも生徒さえ賛成すれば普通に通っちゃうからさ」
「え、うちそんなイカれた学校だったんすか?」
月嶋先輩は苦笑いをしながら透子に「言い方言い方……」と優しく声をかける。
「それで、うちの顧問の先生は生徒会との兼任なのよ。だからあまり顔を出せないの」
月嶋先輩の説明に付け足す陽向先輩は、何故か呆れ返ったかのような表情を浮かべて腕を前で組んでいた。凛ちゃんが「ん?」と疑問を浮かべて陽向先輩に質問する。
「ん、あれ?……でも生徒会の方も生徒任せなんですよね?じゃー忙しくないんだから、来ない理由になってなくないですか?」
その言葉に月嶋先輩と陽向先輩はギクッと不自然な表情を固めた後に、やれやれと言わんばかりに肩の力を一気に抜いて陽向先輩がそっと呟いた。
「まぁ……サボり癖もあるのよ」
あぁ……なるほど。
「おぉーい、それ全部聞こえてんぞ」
大きな機械が並べられた机の向こう側から聞こえる、女性にしては低めの声。はっきりとしたその声を辿るように足を運ぶと、左髪だけやたらと長く目つきの悪いヤンキーみたいな先生が椅子にダラァッと腰掛けていた。
「えっと……この人が演劇部顧問の、中野 柊先生だよ」
「よっす一年、よろしくな」
「「「宜しくお願いします」」」
なんか……見た目は怖そうなのに全く外見に似つかない性格をしている先生。
たしかにこの人がまともに仕事しているとは失礼だけれど考えにくいなぁ。
「それで中野先生、全体の証明の明るさなのだけれど……」
「おぉ……んな感じ?」
「えぇ……ありがとうございます。それと返しをもう少し……」
陽向先輩が中野先生に照明やらの修正点を申し出ている最中、その隣で見守るように月嶋先輩も加わっていて三人は難しい話をしている。
凛ちゃんはため息をついたかと思うとポケットに手を入れて一人で小道具の避けてある上手のステージ脇へと進んでいき、それを追いかけるように透子も頭の後ろで手を組んで離れていった。
舞台裏へ入っていく姿を見届けた私は月嶋先輩の横にさりげなく立ち、そんな私を目にとめた先輩は声をかけてくる。
「明音、ステージ上に向かって音を出してるスピーカーの音を少しあげてもらったから、効果音とかにのまれる事もなくなって、やりやすくなったと思うよ」
「へぇ……そんな事もできるんですね」
中野先生がよくわからないゴチャゴチャした機械をいじっているのを見つめながら力なくそんな会話を交わしていると、不意に私服姿の背の高い女性や小さな子供、体操着や制服の本校生徒や親らしき人達がぞろぞろと体育館へ入ってきた。
「あれ……もう観客が入って来る時間ですか」
「おっと、そうだね……もうこんな時間!じゃあ私最終調整してくるね」
そう言って月嶋先輩は笑顔で手を振りながら舞台裏へと入っていった。私はそんな月嶋先輩に真顔のまま小さく手を振り返し、陽向先輩に目をやる。私の視線に気がついた陽向先輩は何か少し考え込むように目線をそらし、すぐに口を開く。
「そうね……戻りましょう。それでは……」
「おぉ、がんばれよー」
中野先生の腑抜けた声に見送られ、私と陽向先輩は二人並んでみんなの元へ向かう。
「中野先生……いい人ですね」
「えぇ、仕事もできるし手際がいいわ……でも、それ故にほとんど寝ているのだけれど」
陽向先輩の呆れ返ったその声に、私は下を向きながら苦笑いをする。そんな中、私はある人の声を耳にした。
「……あっ!おーい、あかねー!」
「ん……え、お姉ちゃん?」
壇上前に並べられたパイプ椅子の方から私の名を呼び駆け寄ってくるお姉ちゃんと相対する。
「あら、星乃さんのお姉さん?」
「あっはい……私のお姉ちゃんです」
私がそう言って先輩とお姉ちゃんを交互に見つめると、二人は軽くペコっとお辞儀をし、お姉ちゃんは「ども」と小さく呟いた。
「お姉ちゃん、今日大学じゃなかったの?」
「今日はないよ?一昨日言ったじゃん。お母さんは奥に座ってる、お父さん仕事」
お姉ちゃんは私から少し距離を置く陽向先輩をチラッと見たあと、私の頭にポンっと手を置いて軽く撫でてくれた。
「まぁ……がんばってね、それじゃ!」
「うん、じゃあね」
パッと手を振ったお姉ちゃんの後ろ姿に、私は大きく手を振り返して先輩と共に身体の向きを戻す。
「……仲良いのね」
「はい……いつも、よくしてもらってます」
私たちが下手側のステージ裏に入ると、そこには顔を膨れさせ私のことをじーっと見つめる月嶋先輩が待ち構えていた。陽向先輩が指でおでこを抑えながら気だるそうに奥へと入っていく中、私は月嶋先輩の態度に疑問を持ち、眉を寄せて先輩と向かい合う。
「ねぇ……明音」
「なんですか?」
ようやく口を開いたかと思ったら、震えるような声を出しながら下を俯き、表情がよめない状態で私ににじりよってくる。
私の目の前まで迫ってきた先輩は、いきなり顔をばっと上げたかと思うと瞳にほんのり涙を浮かべて私に怒鳴った。
「あの馴れ馴れしい人、誰!」
「姉です」
「やっぱり不倫……え、姉!?」
肝を潰した先輩を「アホだなぁ」と心の中で思いながら、私は無表情に眺めていた。
「んんーっと……よし、気合い入れなきゃな!」
「そんなの、当たり前でしょ?透子、台詞飛ばないよーに気をつけなよ」
「凛、お前怖いこと言うなよ……」
透子と私は二人で衣装を整えてヒョコッとステージの上から頭を出しては、どんな人が来ているのかと客席を一望した。照明が薄暗く手前の方しか顔は認知できなかったが、その数がとても多いことだけは確認できた。
すっご……集会並に人がいる。隅から隅まで、人、人、人。
「やば、緊張してきた。こんなに人が来るなんて思ってなかったら……凛は?」
「え?……んー全然」
なーんて、口では言ったけどさぁ……私だって全く緊張していない訳じゃないし。胸の奥がソワソワして、居ても立っても居られない気持ち?……まぁ、余裕でしょ。
緊張を解すために自分へ肯定的な言葉をかけていると、透子が耳元で「あっ!」と大きな声を出すものだから、私は肩をビクッと震わせて怪訝な顔を浮かべ透子に目をやる。
「凛……あれ、明音のお姉さん」
「……え、明音ちゃんってお姉ちゃんいたの?」
透子の指さす方向に目をやると、そこには……お母さん?らしき人と笑顔で会話をする一人の女性がいた。
「確かに……なんとなーく、明音ちゃんっぽい……かも」
「……正直、あんま似てないよな」
髪の色とか、癖とか瞳とか。そういった部分は遺伝どうこうの問題で確かに似ている。
それなのに私が言葉を渋ったのは、雰囲気が圧倒的に違ったから。その人には「おしゃれ」って感じがする、長い髪もナチュラルパーマのようで服装もお淑やか。
……きっと性格も違うんだろうなぁ。
ぼーっと見つめながらそんな事を一人考えていると、不意にその隣にいた人物に目がいき……静かに息を飲んだ。
「ねぇ……透子、その隣にいるさ……あの男の人」
「……いっや雰囲気、暗っ!」
その人物を見つけた透子も、私と同じような感想を抱いてそれを口に出す。
その人物は……なんというか、目にハイライトが入っていなく、ピシッとしたサラリーマンのような格好なのに……どこか、ドロドロ……不気味さを醸し出している。
一人で来ているのか、さっきから誰とも会話せずに……私の事を見てる?
さっきまでは気が付かなかったが、どうやらその人物は私の視線を感じとっていたらしい。睨むように、じーっと私の事を眺めていた。
「……ロボットみたい」
ポツリとそう呟いて、私は透子の肩を軽く一度叩きながらステージ裏へと戻った。
○
「いよいよ、本番だよー!」
緊張なんて文字が全く似合わないような態度で意気揚々と手を挙げてそう言う先輩。そんな先輩を見ていると口元がたまにピクついているのを私は捉え、無理をして強がっているんだということが伺えた。
強がっているのは、後輩の前だから……とか、きっとそんな理由だろう。
月嶋先輩の目……青く透き通っている、その瞳の奥。お父さんに自分の姿を正面から見てほしくて頑張る先輩の姿。
そんな先輩の姿は、私には輝いて見える。
きっと、この劇が上手くいって、お父さんと先輩の仲も良くなって欲しい。そんな思いでいっぱいだ。
「あと開始まで三分くらい……もうすぐね」
袖を捲って腕時計を見つめながら時間を報告する陽向先輩。
「今思うと、ここまで長かったよな!」
「……いや、あっという間だった。だってまだ入学して三ヶ月程度だよ?」
「確かに、そう考えると一瞬だったな」
私と透子のやり取りに対して、やれやれと言わんばかりに鼻で笑う凛ちゃん。そんな私たちを先輩方は微笑ましそうに見ていて、月嶋先輩が腕をぐーっと上に持ち上げて身体を伸ばし、ニコッと私たちに笑いかけながら声高らかに言った。
「よーっし、じゃあスタンバイしよ!」
その声にみんな大きく頷いて、各自それぞれ配置場所に向かって足を進める。
「あっ、明音……!」
私も所定の位置に行こうと体の向きを変えた時、月嶋先輩に声をかけられて振り返る。
そんな私もとに駆け寄ってきた先輩は、そのまま流れるように私のことをそっと抱きしめた。
目を丸くしている私に月嶋先輩はそっと耳打ちする。
「が、頑張ろうね」
「……そうですね、頑張りましょう」
その時に先輩の声が震えていたのは、緊張のせいなのだろうか。
○
――ビイィィィィィイッ!
全ての会話を遮断させる程のブザーが鳴り響き、体育館にほんのり照らされていた暖色の灯りが消えて客席、ステージはどちらも静かな闇に包まれる。
そんな中で降りているカーテンの前、ステージの中央に立つ私は、遠くを見つめながらゆっくりと口を開き、その言葉を告げた。
――申し上げます。
今、幕は上がった。




