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表題は私に咲く  作者: kurage.kk
第二演目
13/17

破綻


「それでさ、その時に雫ってば足をひっかけて転んで!それに加え、雫っていつも手を組んでる癖があるでしょ?だから顔からいって砂まみれだよ!」

「……はぁ、そうですか」

 一人部屋の中で力なく机の上に突っ伏し、首にかけられたヘッドホンから淡々と流れ出てくるその絶え間ない音声に耳を傾ける。家全体はもう既に静寂を纏っていて、仕事で帰りが遅いお父さんがもう少しで帰ってくるであろう時刻は二十三時を回っていた。

「……あれ、明音?おきてるー?」

「はいはい……聞いてますよ」

 その声は確かに私の耳が捉えている……はずなのにどうしてだろう。なぜか内容が全く頭に入って来ないので今どんな会話をしているのか、いくら頭を回せどわからない。先輩の言葉が理解できない……でも、どうも私は過度に焦る気持ちにもなれなくてボーッと目の前の白い壁を何の思いも抱かずに見つめていた。

「それと、実は演劇のセットの話なんだけど……だけどね?」

「……ん、聞いてます」

 足をプラプラと机の下に垂らし、先輩の声が不安そうな口調になったら返答をする。するとまた先輩は私の様子も知らず、満足気に話を再開する。

 ……なんだか今日は、先輩と話していても心が高揚してくれないな。校外学習帰りだし、自覚がないだけで身体はもうかなり疲れているのかもしれない。

「……眠いので、もうきりますね」

「え?あ、うん。それじゃあ……またあ」

 ディロンッと音を立てて、先輩が何か言いかけていたのにも関わらずにヘッドホンの電源ボタンを軽く一度押し、ただただ時間を無駄に浪費しているようにしか感じられない鬱陶しい通話を切断した。

「……ホント、うるさいなぁ」

 椅子がガタッと痛みに悶えるかのような荒々しい音を必要以上に立て、私は怒りにも似たその激しい気持ちをフツフツと湧かせながらベッドに向かってスマホを放り投げる。酩酊しているかのような千鳥足でフラフラと壁つたいに歩き、布団を剥いでいるコタツ机の前に置かれたクッション材の床椅子へと腰を落とした。背もたれに身体を預け、死人のような眼で天井を見つめながらただ意味もなく深い呼吸を静かについている。

 あぁ……無性に胸の中が熱い、不愉快になる。先輩に今日電話をかけられてからというもの、胸のこの辺りがぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるーっとグチャグチャにかき混ぜられて、渦を描いている。

「……ダメだ、もう寝よ」

 自分ではもうどうしようもできないと痛感してノロッと立ち上がり、気だるさに染まっている足を無理やり動かしてベッドに背中から倒れ込む。バスッと音を立てた布団に大の字で放心状態になりながら半目開きでシーリングライトに焦点を合わせる。

 ……どうしてこうなったんだろう。少し前までは、もっと静かな心で眠りにつけた。なのに今は……中学の時みたい、涙が出ない哀しさを孕んでいるかのようなモヤモヤ。

 ……ふと脳裏によぎるさっきの凛ちゃんの言葉。

「弱い心につけ込む、酷い人……ストレスの捌け口」

 どんな風に言い換えても悪感情を消すことはできない、強烈なインパクトを醸し出すその語群。自分の目的の為ならば他人さえも踏み台にするような人柄。

 別に……それは、いい。人には必ず裏表がある、先輩が私に見せてくれた演技の裏……先輩の本心。皮肉にも、私はそれが先輩の裏だと思っていたんだ。でも実際は、それすらも先輩の演じる表だとでもいうのかな。

「結局……私も、先輩にとってはその他大勢……か」

 胸が締め付けられるように痛い、ズキズキする。どうしてこんな感覚になるのかな……とても苦しい、誰かにこの苦しさを共感してほしい ……この窓から、飛び降りてしまいたい。なんでこんな気持ちになるんだろう、どうして私の心は悲鳴を上げ続けているんだろう。

「……もしかして、私って……先輩のこと」

 ……いや、考えたってどうにもならない。なんだか全身の感覚全てが気持ち悪くて……いてもたってもいられなくなる。私は目にうかぶ悔し涙を隠すように勢いよく軽い布団を被り、じわっと湧き上がる哀しさを留めきれず、口を手で無理やり押さえつけて息を殺そうとしながら咽び泣いていた。

 ……それから、またしばらくして。もう既に泣く気も失せ視界もぼんやりとしたころ、頭の中に黄色い菜の花が咲き広がる高原ような場所で先輩が私に向かって優しく微笑みながら手を差し伸べてくれる情景がチラつく。空想の中で呆気に取られながら青空の下で立ち尽くす私は、その温かそうな手を取りたくて仕方がないと言わんばかりの表情を浮かべた後、泣きだしそうになるのを堪えて無理やりニコッと笑いながら惹かれるように手を伸ばしていた。全てを忘れ世界から逃げるかのように夢の底へと。そうだ……私は。


 ――私には、憧れている先輩がいた。


 風に吹かれて暖かい匂いを纏いながら靡く、細くて長くサラサラの羨ましいくらい綺麗な黒髪。優しく包み込んでくれるような心地よい声に、まるで頭を撫でてもらっているかのように感じる話し方。高身長で、美人の素敵な先輩。

 二年生の中で一番学力が高く、いつも定期考査では学年一位。スポーツだって苦手なものはなくて、先輩後輩同級生みんなから慕われて、教師にも頼りにされている先輩。

 演劇が得意で、あの人が役を演じると……まるで、本人がそこにいるかのように錯覚してしまう。声や表情、指先までの力加減に身体の些細な動きまでも完璧に演じ分けるその姿に、同じ演劇部の誰もが目標にする先輩。

 たくさんの人に愛され、大切にされて、求められている……それでも自分の本来の目的を叶えるため一生懸命に真っ直ぐ前を向き、決してその意志を曲げることは無い信念のある先輩。

 好きな人の前だと、ちょっと色々抜けていて……そんな姿に可愛げがある。いつも自分一人で抱え込み、想像を絶する程の大きな壁に挑む先輩が見せる意外な一面。その他大勢には絶対に見せることの無い心の弱さと魅力。

 私は、好かれているんだと思ってた。好意を寄せられているんだと思ってた。でも実際、そんなことは無い。

 ……あぁ、なんで胸が痛むのかわかったかもしれない。そう、きっと私は……自分が先輩の特別じゃなかった事が悲しいんだ。みんなが憧れる、その高嶺の花。そんな先輩が、数多の人達の中から私一人を選んで真っ直ぐ見つめてくれる……それが私にとって、とても嬉しい。でも、人気者の特別がいいって訳じゃない……映画スターの旦那や俳優の奥さん、そういうポジションが憧れるってことじゃ。あの人……月嶋先輩じゃなきゃダメなんだ。つまり、そうだよね。

「私……月嶋先輩の、特別になりたかった……ん…だ」

 私の意識は暗い暗い深淵の底へと誘われていき、何を考えていたのかは覚えていない。まるで、夢だったみたいに。



 ……空が綺麗だ、キャンバスに塗り広げたかのような青い絵の具の中に大きく反り立つ一つの入道雲。

「あー、あっちぃなぁ」

 機材運びの最中、額から汗を垂らしながら夏の天気に不満を漏らす透子に、私は一拍置いてから上の空で小さく答える。

「……ね、まだ六月終わりだっていうのに」

「朝に天気予報で言ってたんだよ、今日三十度超えてんだと」

「はぇー……道理で」

 梅雨の数少ない空気がサラッとした快晴、まるで去年の八月のように思える。

「にしてもさ……音響機材ってかなり重いのな」

「まぁ……」

 部室から少し空の下を移動して体育館の横、外付けの階段を登ろうと差し掛かっていた。うちの学校の体育館は中学校と違い、二階にホールがあって一階は柔道場や剣道場がある……これが一般的なのかな、わかんないけど。黄色いかごの中に束ねられたケーブルが沢山入っているものを私は運んでいて、これはかなり軽い。フィジカルの強い透子は私の腰辺りまであるサイズの大きなスピーカーを率先して選び、苦しみながらもここまで運んできた。

「あと何往復かしたら、次はセット用意した体育館でリハだとさ」

「そうだね、楽しみ」

 段差を一つ登るたびにカンッと音をならす塗装の剥げた階段。うっかり足を踏み外さないように視線を下げて注意しながら進む。

「……セットの組み立て、全部先輩達にやらせちゃって申し訳ないよな」

「ね、今日でもよかったのに」

「そこまでしてアタシらに練習させてくれるんだから……いい人達だよ、ホント」

 ……いい人、か。

 階段を登り終え、足元が石造りに変わった。私の後ろから厳しい顔をうかべて透子が登りきると「ふぃー」とだらしない声を上げて一度スピーカーを地面に置く。ここら辺は屋根があるから直射日光が当たらない。夏の太陽は高く昇っているし、もうすぐお昼時な今はここから空を見ても眩しくない。空に描かれたインパクトのある大きな一つの入道雲、輪郭がはっきりとして一つの雲の中で明暗が別れているのが無性に心を引く、日本人としての風情……かな。

「ご苦労さま、もうちょっとこっちに運んでもらえるかしら」

 体育館から上半身をヒョコッと覗かせた陽向先輩の指示に従い、私たちはステージ裏の入口前に積まれた機材の山に持ってきたものをそれぞれ足す。

「河西さーん!そっちのスピーカーまでケーブル通したかしら?」

「んはぁーい、今やってまぁす!」

 陽向先輩が手を拡声器のようにして奥へ声をかけると、陽向先輩よりもより大きな声が体育館全体に反響して私たちの耳まで伝わる。舞台の奥をチラッと見ると凛ちゃんがステージの上手側で地面に這いつくばりながらせっせと作業していた。かなり大きな声を出さないと向こうまで声が届かないためか、凛ちゃんは私たちが来たことなんて恐らく気がついていない。陽向先輩もなんだか凛ちゃんに頼りきっているような態度だし、しっかり仕事しているんだということが私には見受けられた。

「はぁ……よしっ、次行くか!」

「……こんな重そうなの持ってきたのに元気だね」

 目を凝らしていた私の横で一呼吸ついた後にシャキッと背筋を正し、腰に手を当てながらそう言う透子に私は少し疲れた様子で言葉をかける。

「だって、早く練習したいし!」

 ニカッと満面の笑みを浮かべる透子に、私はドキッとさせられる。そんな楽しそうな顔を向けられては、私もじっとなんてしていられない。

「……うん、そうだね。行こ」

 テキパキと動きあっという間に体育館を出て階段を降りる透子に、私は少し遅れてささっとついていく。その際、後ろから陽向先輩に優しい声をかけられた。

「それじゃあ、またよろしく頼むわね」

「はーい」

 登ってきたよりも一層大きな音を立てながら、階段を駆けるように下り、既に地面へとたどり着いている透子に追いついく。

「よし、それじゃあ行くか」

 私を待っていてくれた透子と横に並んで進み出し、体育館を反るように敷かれている石のタイルの上を上履きで部室の方へと向かう。

 手を空中で前後に力なく振り、すまし顔で特になんの言葉も交えずに体育館によって作られた大きな日陰に入る。日向よりは多少涼しい気がしなくも無いけれど、ここの方が若干湿度が高い気がする。

「そういや、昨日凛になにか言われた?」

「……え。特に、何も……かな」

 突然開かれたその口に、私は一瞬顔をキョトンとさせた。頭の後ろで手を組み、空を見上げながらなんでも無さそうに透子が問い、我に返った後私は多少戸惑いを交えながら返答した。

「……そっか、ならいいんだけど」

「うん……どうしたの?急に」

「いやぁ、なんというかさ……んん、なんでもない!」

 透子はそう言うと、アハハと声を出して普段と変わらない様子で笑う。

「何なの……」

 目を細めながら呆れ返ってそう小さく口から零す。だけれど……透子の笑顔を見ていると、なんだか自分まで愉快な気持ちになってくるような気がするんだよね。なんでも許せちゃうような、笑って済ませられるような。

「はーい、二人とも。次はここにあるケーブル持っていってね」

「りょーかいでーっす」

 解放しっぱなしの玄関から顔を出す月嶋先輩が私たちにそう指示すると、またすぐに奥へと戻っていってしまった。私と透子はまたそこに積まれている黄色いカゴをそれぞれ持ち、今来た道を引き返そうと身体を回転させる。私の目の前をスタスタと小走りになり、次第に距離が遠のいていく透子の背中を見つめながら一つ呼吸をついた後に、私はその場に足を揃えて立ち止まって顔を斜め上の空へと向ける。ここは日光が当たる、目を半目開きにしてその広がる空と白く輝く太陽を視界に捉えながら息を吐くように言葉を発した。

「それにしても、今日は本当にいい天気だなぁ」



「全く、私が戻ってくるで見張りをしてと頼んでいたのに……たったの一時間も起きてられなかったんだ。もう……ほら、起きて!油断していると荷物とか全部持っていかれてしまうかもしれないでしょう?」

「……あぁ、ごめんなさい。少し疲れていて……もう大丈夫よ、ごめんなさい。えっと……大丈夫よ、テントに近づいた人物は見ていないわ」

「そう、ならいいんだけど……」

 スポットライトを月光のように使い、夜の森林をコンセプトにしたステージの上手側に光を当てる。少しおどろおどろしいかのような、青紫色っぽい雰囲気が動物達も寝静まった頃の時間をなんとなく醸し出している。本格的なキャンプ用とはいかないけれど、まぁ四人くらい簡単に入れそうな程のサイズのテントを設置し、その隣で焚き火を演出するための積まれた丸太に向かって座り込んでいる陽向先輩。眠たそうに目を擦る演技がとても役に入っていて、やはり先輩方の実力には感心させられる。

「……どう?そっちから見て光の明るさ、いい感じ?」

 ……切り替えがすごい。月嶋先輩はさっきまで演じていた役を完全に除け者にし、いつもと変わらぬ口調で舞台下の私たちに言った台詞が体育館にこだまする。

「……だって、凛ちゃんどう?」

 自分の左に立って同じようにステージを見上げている凛ちゃんに私が目配せしながらそう言うと、ゆっくり私に顔を向けてジトーっとした視線を数秒間送った後、正面に向き直り声をはりあげてステージに返答する。

「はぁーい、雰囲気いい感じだと思います!」

 直前のリハーサルも終えて照明や音量などの最終調整、時刻は既に午後三時を回っていて声を出そうとすると少し突っかかりを感じるくらいには練習した。今までの練習が積み重なって、一番いいクオリティで通しきる事が出来たから本番への備えは万端だ。今は制服のまま練習していたけれど実際は専用の衣装があり、部室に置いてある。その衣装についてこの後買い出しに行くんだとか。

「それじゃあ、一旦荷物取りに部室戻ろっか」

「えぇ、そうね」

 陽向先輩がステージの断崖に座り、足を地面へ伸ばしていくような形で足音一つたてずに静かに降りてくる。月嶋先輩は多少手間だが舞台裏へと回っていき、階段を使って最後に私たちの元へ合流した。

「私は体育館の鍵を閉めてから行くから、みんなは先に部室戻ってて」

 月嶋先輩がそう言うと透子や陽向先輩はペコッと会釈をしながら体育館を後にする。それに続くようにして、白い光が入り込んでいる体育館の入口に私と凛ちゃんも向かおうとすると、後ろから声をかけられた。

「あ、星乃さんは少し手伝ってほしいことがあるから」

「「えっ」」

 振り返った先でそんなことを言われ、私は呆気にとられている。

 ……正直、嫌だ。今は先輩と関わりたくない、この私の中にあるモヤモヤを全部先輩に向かって剥き出しにしてしまう気がするから。でも先輩は手伝ってほしいって言っているわけだし……どうしよう、断る理由がない。

「そういう事なら、私は先に行ってまーすぅ」

「え……凛ちゃん?」

「うん?……じゃねー」

 凛ちゃんはそう言い捨てながら私の横をスッと通り過ぎる際に私の肩をポンッと叩いた。私にはその時の凛ちゃんがニヤッと悪く笑っているかのように見えたけれど……横顔が見えたのは一瞬すぎたから確証は全くない。

 凛ちゃんは私が先輩に絡まれるのを阻止してくれるのかと勝手に思い込んでいたから驚いた。それにしても、先輩の元に私一人だけ置き去りにして行くのはかなり酷くはないかな。

 私が頭の中でそんな愚痴を思い描いていると、先輩が私を横切って体育館の入口に向かいながら、歩みを止めずに笑顔で振り返って「行こ!」なんて声をかけてくる。

 不覚にも、私はその先輩の笑顔に胸がドキッとつかれてしまった。いや、ダメだよ……変に気持ちが介入して先輩との関係を深めようとすると、きっと私は嫌われてしまう。それに、私が先輩を嫌いになってしまう。でも先輩といると私の心拍数はどうしても上がってしまい、胸の奥が暖かくなるんだ。

 遠のいていく背中にしがみつくよう、距離を開けまいと駆け足で先輩の横に追いつく。体育館を出るとさっき機材搬入していた時とは打って代わり、木々を突き刺すような太陽はさっきよりも低く、それでいて空にあった大きな雲も位置を大きく移動していた。

「んんーっと……一段落ついたねぇ」

「そうですね……」

 体育館二階のステージ側入口と校舎を繋ぐ渡り廊下、校舎の影に入っていて肩を横切る吹き抜ける風が心地いい。

「ねぇ、あかねー」

「……なんですか」

「甘えさせてー、疲れたぁ」

 先輩がわざとらしく疲れた顔を作って私の方を下から見上げるように懇願する。

「まぁ……別に、学校だって事だけ理解しているなら……」


――月嶋先輩はさ?何も感じられないその弱い心に甘えてるんだよ。


「あ……いや、もうほとんど終わったんだから弱音吐かないでください」

「えぇー?辛辣だなぁ」

 力なく項垂れつつも、楽しそうに頬を緩ませて笑いかけてくる先輩。私はそんな様子に小さな苛立ちを覚え、口調を強くして言った。

「だいたい、そんな弱気なところ見せていいんですか?」

「うん、明音にならね!」

 以前までは嬉しかったその言葉。私は先輩にとっての特別だと感じさせてくれた言葉。だからこそ、全てが嘘だとわかる今は怨みに似た腹立たしさを否が応でも感じざるを得ない。

 私しか知らない、私にしか見せないこの無邪気なこの笑顔。先輩の本当の思いに、エリート生徒が実は結構甘えん坊な事。それに……ちゃんと、涙を流すことが出来ること。

 そんな私に見せてくれた一つ一つの特別な先輩が、今の私にとって、これ以上ない猛毒なんだ。

 記憶の奥底から吐き出したくて堪らない、解毒剤なんて存在しない重み。頭がズキッとする、なんだか視界も点滅しているような気がするし……イライラ、する。

「ねぇ、明音……?どうしたの、体調悪い?」

 顔を顰めている私を覗き込みながら、心配そうにそう言う月嶋先輩。その瞳に映りこんだ自分の姿を見て、私は目を見開いた。

「……るさい」

「えっ、ちょ……明音?……星乃さん?」

「るさいうるさいうるさい……」

 目的の職員室まであと五秒もない距離。頭が思いっきり締め付けられているかのように痛い、耳の鼓膜が破けそうだ。先輩の言葉が頭にガンガンと響く。余りの辛さに頭を手で抱え込むよう力いっぱい圧力をかけるけれど、現状は何も変わらない。

「明音!あか」

――パァンッ!

 私の肩に置かれた先輩の手に私は身体をビクつかせ、身体の正面を先輩に向けるよう思いっきり捻りながら、力いっぱいその手を叩いた。

「触らないで下さいッ!」

 私が身構えて睨みつけながら怒鳴った時、先輩は今まで見たことがないくらいに目を丸くして驚き、その場に硬直していた。叩かれた先輩の手が空中に静止しながら徐々に赤く赤く変わっていく。

「あ……私、鍵……返してくる」

 何が起きたか理解できないまま、驚きの表情を崩さずに真っ直ぐ職員室へと向かう先輩。その際、ようやく私は忌まわしい頭痛から解放されて身体全体にこもっていた力がすり抜けるように軽くなって、力なくその場に項垂れる。

 この経緯を持って理解した。頭痛が今なりやんだことによって立証された事実。今までに起こりえなかった結論。

「……先輩と関わりたくない」

 自分でも無意識に発言していたその言葉に、私は肝を抜かれる。そんな、だって私は……先輩の特別になりたかったのに?

「失礼しました。……お待たせー、それじゃあ戻ろっか」

 さっきまでの事を全て無かったことにするかのような、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべた先輩に私はドッと強い衝撃を胸に受けた。私は心の奥底でこの現状に酷く哀しみ、それと同時にもう駄目なんだと悟る。

「もう……馴れ馴れしくしないで下さい」

「……え、なっなんで?私何かしちゃったのかな……だったら謝るからさ?」

 違う、違う……違うんです、そうじゃないんですよ。

「いつもいつも人目を気にして嘘ついてばかり……」

 なぜか細かく震える声を振り絞り、先輩を下から睨みつけながら大きく吐き捨てる。

「何が本心なのかもわからない嘘つきなんて、大っ嫌いだから」

 私はそう言い切ると、私は先輩から逃げるように背を向けて部室の方へ風のように駆けてゆく。ただ一人目を丸くしたまま取り残されて立ちすくむ先輩を残して。


「明音……?なんで……どうして?」

 理解が追いつかない。いつもの同じように接しただけ、一線を越えようとしている訳でもなかった。考えてみれば、明音の態度は今日一日ずっと……って訳でもない、普段通りだったな。

「私……何?……わからない、どうして」

 さっきまでは驚くべき現状に呆然としているしかなかったけれど、頭が回り出すと同時にだんだんと哀しさや虚しさが心の奥底から溢れ出してくる。目の前で私達を中心に繰り広げられた惨劇、現実を飲み込めない。

「……あ、追いかけなきゃ」

 混沌とした今の私の頭では真っ直ぐ走ることすら困難で、ふらふらと足を身体のバランスを崩しながら無理やり早足になって明音の後を追う。

 ……ダメだ、高熱で突然飛び起きた時のように視界が定まらない。

「ダメ、私には……明音がいないと……ダメな、のッ」

 普通に歩いた方が早いかもしれない、全然前に移動してないんだ。近くにあった壁に手を付き体重を預け、ゆっくりと深呼吸した。……そうだ、悪い夢かもしれない。明音はきっと……こういう、悩みのようなものは隠さずに話してくれる気がするし。……そう、気がするだけ。

「はぁ、はぁ……明音、ちゃんとッ話してくれないと……わからない……わからないよ」

 誰に向けての声だろう、囁くような小声でそう告げると同時に私の瞳からは涙がこぼれ始め、声も微かに震えていた。

「……あれぇ?月嶋先輩、なんで泣いてるんですかぁ?」

「あれっ……河西さん。……ど、どうしたの?」

 ふいに後ろからかけられたその声、私は身体をビクッと反応させた後に光の速さで目を拭い普段通りの笑顔に戻した。でもやっぱりフラフラとした感覚が身体から抜けない為、壁に付いている手は決して離さない。

「いやー、さっきぃ?すれ違った明音ちゃんが、怒ったような顔してたからぁ……何かあったのかなーって思って来てみたんですよ。そしたらこれです……喧嘩、ですか?」

「うーん……まぁ、うん……ちょっと揉めちゃって」

 私は明音と河西さんがすれ違ったという言葉に対して何だか妙な違和感を感じたものの、今はそれといって重大ではないと判断して頭の隅に置いておく。

「へぇー、先輩みたいな完璧人でも後輩と揉めたりするんですねぇ……私情、ですか?」

 えっ?バレて……るハズないよね。

「……いや、ちょっと役作りで意見が割れてさ」

「私、隠し事嫌いなんですよ」

 空気が変わった、何か知ってそうな口ぶりと一切乱さない呼吸。淡々とした言葉に目を閉じて視線を合わせないようにする態度、指先までピンッと張り全身に力が伝わっていて、いつもよりも僅かに背筋がいい。目の前にいるのが一人の女の子には思えない……圧倒的な場の主導権を握っている。それだけはわかった。隠し事……私のこと、やっぱりバレているのかな。すれ違った明音に聞いたのかもしれない……それか、事前に何か相談していたとかも考えられる。どの道、私は息を飲んで河西さんの言葉を待つだけだった。

「明音ちゃん……よく、先輩の話をするんですよ」

「……え?」

「先輩といると……胸が苦しくなるって」

 身体をくるっと半回転させ、唖然としている私に背を向けて申し訳なさそうな声で続けた。

「毎日他人の苦しみばかり押し付けられて辛い、なんで私ばかりこんなめに……あっ、そうそう。初めてのキスを奪われたぁーって泣いていた事もありましたね」

 ハッとすると同時に、身体の先端が冷たくなり背筋がゾッとするよう感じた。私はもう顔が真っ青になっていて、呼吸も荒い。

「部活動に行くと先輩に何されるかわからない、いつも一方的に押し付けられて怖いって……もう、部活動行きたくないよ。それと、あぁ……もう、先輩と……」

 ……関わりたく、ないってさ。


「……ごめんなさい、ごめッ……ごめんな、さい……」

 胸が張り裂けそうだった。一体どれくらいの水分を消費したのだろう、もうすっかり涙も枯れてしまうくらい泣き続けた。振替休日の学校は外にいる運動部、用務係、教師……みんな屋外にいたから、廊下でむせる程に哀哭していた私の声がフロア内に響いても、誰も声をかけてくれる者は現れなかった。心のうち密かに願っていた事……明音が、何気ない顔をして「大丈夫ですか」とか「うるさいですよ」とか私の元へ戻ってきてくれる展開。

 本当に……ごめんなさい、明音。私……貴方の気持ちを、蔑ろにしていた……気が付きもしなかった。いざ明音に言われるまで苦しみを知らなかった……それどころか、河西さんに教えてもらうまでその理由すら思い浮かばなかった……ただ、私が……自分の都合の良いような解釈をし続けて……明音を苦しめた。本当に……ごめんなさい、こうやって私が一人で泣くのもずるいよね……明音は私の隣にいる時、泣くことすら許されなかったんだから。私という負担からずっと耐えて、言えなくて……どれだけ辛かっただろう。

 ……私は、最低な人間だ。



「……うん、なんか変じゃね?」

「……ん、そうね……梅雨なのに天気がいいわ」

「いやいやいやいや」

 私たち以外に三人しか乗っておらずガランとしているニューシャトルの中、新都心に向かっている私たちの様子は明らかにいつもとは異なるものだった。

 ……絶望の底に叩きつけられたかのような表情をしながら俯いている月嶋先輩に、ヘッドホンをして一人離れた席に座っている私、そして異様なほどまでに笑顔な凛ちゃん。それを向かいの席で白い目をしながら見つめる透子と陽向先輩。

「いやぁ、買い物楽しみだなぁ!」

 穏やかに揺れる車内、満面の笑みを浮かべた凛ちゃんがそう言う。

「えぇっと……月嶋先輩?アタシら、今こうして新都心に向かってるわけですけど……結局、明日の劇には何が必要なんすか?」

「…………はぁ…」

 何気なく薄目を開いてふと透子の方に目をやると、オロオロとした様子で月嶋先輩と凛ちゃんを交互に見合わせながら口を開いている。音楽が垂れ流され続けているためなんの話をしているのかはわからないけれど……まぁ、私に関係ない事だろう。特に興味もわかないし、再び目を閉じてこの旋律に耳を傾ける。

 それに、今はいつにも増して……なんか、色々どうでもいいような。そんなことを頭に過ぎらせて西側にある外の太陽が照りつける青い空を傍観している私の瞳には、光というものが一切喪われていた。

「私は、もうダメだ……」

 そう大きく呟き顔を両手で覆い隠す先輩に、耳を澄ますと鼻歌のようにも聞こえるご機嫌な凛ちゃん、周りのことなんて目もくれず黙り込む私。三人が各々独特な雰囲気を放つ姿を前にして、透子は「何があったんだ」と気が休まらない様子で身体を揺さぶっていた。

 ……そのまま、何分か経過した。誰かに声をかけたくてしょうがないと落ち着きのない透子と……あえてなのか、腕を胸の前で組みながら目を瞑って微動だにしない陽向先輩。そんな険悪な雰囲気の中で何を思ったのか、透子はハッと目を見開くと同時に膝の上で指を組み、訝しそうに地面を睨みながら小さく口を開く。

「……陽向先輩。今日は、何を買うんですか?」

 ガラッと印象が変わったその透子の声に、陽向先輩は不思議そうな表情を浮かべてチラッと目をやると、深く息をつきながら答えた。

「そうね……役に個性を出すためのワンポイントアクセサリー。あとは、色のついたスカーフを一人一枚……それが最低でも必要な物ね。……まぁ衣装系統の物ばかりよ」

「そうですか……じゃ、多分結構時間かかりますよね」

 形相一つ変えずに淡々とした口調で続ける透子。

「え、えぇ……そうね。何か用事?」

「いや……なんでも」

 自分の背にある窓では無数に連なっていた一軒家が大きな建物へと移り変わり、澄み渡った青く美しい空がどこまでも続いている。そんな世界を眉をひそめて横目に見つめながら哀しそうに一つ、誰にも聞こえないような声で零した。

「ただ……もう、この空は見えないんだなって」

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