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表題は私に咲く  作者: kurage.kk
第二演目
11/17

努力する才能人


 先輩とお出かけしたその日から二日、月曜日の四限後。私たち一年生三人は斜め上を向いた尋常でない程の大衆をかきわけて、廊下の壁中央にドンと張り出された大きな画用紙を無気力にボーッと眺めていた。

「……へぇ、上位者十五人までの順位が張り出されてんだな」

 窓ガラス四枚分を覆い尽くすようなサイズの画用紙に、順位と生徒名が縦に書かれて右からズラーッと並んでいた。テストが終わって何日経過したか……もうずっと前の出来事のように感じる。うちの学校の先生達はかなり性格が悪いのか、仕事が遅いのか。生徒達は何日間テスト結果というプレッシャーに耐えさせられていたのだろう……まぁ私は正直全然興味はなかったからいいんだけれど。赤点さえ回避していればよくない?

 テスト前日に先輩達や凛ちゃんと少し勉強したからか、今回は苦手教科の数学も六十三点と中々上出来だ、私はそれだけで十分に満足できる。

「……私は四十二位だから関係ないや」

「アタシは二十五位だったわ」

 順位表の左端を見つめながら、僅かにやるせなさを滲ませて私よりも断然高い結果を告げる透子。こういうのってあるあるだと思うんだけど、自分よりいい点数の人の方が酷く落ち込んでいると……なんか、癪に障るよね。

 目も合わない透子に、私は嫉妬を主成分としたネガティブな感情を含ませてジトッとした視線を送った後、ふとさっきから一言も話さず……ただじっと順位表を見つめる凛ちゃんの方に目をやった。なんだか、いつものおちゃらけた様子は全くなくて本当に真剣なんだなということが凛ちゃんの瞳の奥からジリジリと伝わってくる。

 でも、凛ちゃんもそんなに勉強してなかったような気が……。頭の上にクエスチョンを浮かべてそんな事を考えていると、急に凛ちゃんが口を開くものだから私も透子も反応に少し時間がかかってしまった。

「私……二位だ」

「「…………え?」」

 いつものような、自慢する……周りを煽るような言い方ではなくて、冷めた様子で淡々とそう告げる凛ちゃんに私と透子は疑問を抱いて首を傾げていた。しばらくまた沈黙が続き遠い目をした凛ちゃんをじっと眺める私たちだったが、透子がハッと我に返り流れるように凛ちゃんの視線を辿っていく。すると透子は眉をパッと上げて「おぉ」と小さく声を漏らして私の肩をチョンチョンと突いてきた。

「……ホントだ。……明音、あそこ見てみ」

 そう言って透子が指さした所を私も追って辿ると、そこには確かに「二位、四百八十四点、河西 凛」と縦に書かれていた。

「あっそういえば、この前学年二位だって話してたもんね……あれ本当だったんだ。でも、凄いね凛ちゃん」

 凛ちゃんが高順位……それはなんとなく予測していたから、別に大して驚かない。自分の言葉の通り、学年二位だということも以前教えてもらっていたから。しかし、私が素直に褒めても凛ちゃんは表情を変えずにじっと視線を固め微動だにしない。

「……ん、ありがと」

 当の本人も誰に言っているかすらわからないであろうそんな心のない返答に、私たちは流石にいても立ってもいられなくなった。

「ねぇ……凛ちゃん、どうしたの?」

「……その、一位の一人さ」

 ようやく芯のある凛ちゃんとの会話が成立し、私はホッと息をつき胸を撫で下ろす。そして凛ちゃんが言う一位の人、隣に書かれている名前へと意識を向けた。するとそこには「四百九十八点、銀杏田 心優」という名前が書かれていたが、私にはその名前の読み方がわからない。

「……おい、これなんて読むんだ?」

銀杏田 心優(いちょうだ ここな)

 私たちは一斉に勢いよく凛ちゃんの方へと顔を向けて身体を硬直させ唖然としていた。まるでそう聞かれるのがわかりきっていたかのように驚く程、即答だったからだ。そして今の私たちの中での可能性は二つ、「凛ちゃんが漢字に詳しい」又は「この人を知っている」だ。でもあまりにもシリアスな態度なので、恐らくは後者だろう……凛ちゃんの友達?同じ中学の人とか、私と透子みたいに。学年一位の頭脳の持ち主……陽向先輩みたいなお嬢様かな、それとも月嶋先輩みたいな何でもできちゃう系?でもそんなことより……凛ちゃんの知人と聞いて、互いに出会って間もない関係も浅い私からすれば胸が高鳴る。一体どんな人なのかなぁ……でも、なんでこんなに暗いんだろう。ほら、友達ならもっと喜ぶとかありそうじゃない?喧嘩でもしてるのかな……仲悪いのかもしれない。

「あっ!ようやく見つけたわ、河西さん!」

 人混みの中だというのに、その声は鮮明に脳へと届き私たちの意識はそちらへと奪われた。透子も私も何事だと言わんばかりに顔を歪ませる最中、凛ちゃんは小さく「げっ」と呟いたのを私は聞き取った。

「あなた、なんで朝見に来ないの!?ずっと待って……ん、早く私の方が上だって自覚して欲しかったのに」

 凛ちゃんを下に見ているようなその声の持ち主はどんどんと私たちの方へ近づいてくる。そして五秒もせずに、彼女は私たちの前へと姿を露にした。

「ねぇ、聞いてるの!?河西凛!」

「……んもう、うっるさいなぁ!周りの迷惑とか考えた声量にしてよ!耳障りでしょうがないったらありゃしない」

 ……それは、今までに見たことがない凛ちゃん。

 本当に嫌そうな顔をして、すぐにでも会話を止めてこの場を去りたいと言わんばかりの言葉の羅列に私は肝を抜かれた。そして、そんな凛ちゃんに対して「んな!?」と顔を赤らめてたじろぐその子。

 銀杏田心優(いちょうだ ここな)さん、だっけ。凛ちゃんと銀杏田さんが向かい合っているからわかるけど、凛ちゃんよりも少しだけ目線が低く小柄で、シワひとつない制服を着た元気そうな子だ。髪の毛がちょっと特徴的で先端は私の毛先の彩度を凄く上げたような鮮やかさを持つ朱色っぽい、なのに全体的に見ると髪は深い青紫色の印象を受ける。前髪は切り揃えられていて目にはかかっていない……月嶋先輩と同じような髪質なのかな?髪の毛、真っ直ぐでいいなぁ……羨ましい。ん……そういえば、周りの人減ってきたな。

「……んで、銀杏田さんと凛は何なの?」

 唐突に発せられた透子の言葉に意識を遮られた私たちは三人で目配せし合い身なりを整える。そんな中、一番初めに口を開いて説明を始めたのは凛ちゃんだった。

「心優は、なんというか……同中の人」

「ちょっと!真面目に紹介してよ」

 「真面目だよ」と優しさの欠けらも無い発言を気だるそうにする凛ちゃんは、すでに視線を明後日の方向にやっている。するとすぐに凛ちゃんへの抗議を諦めたのであろう銀杏田さんが咳払いをし、私たちの方へとゆっくり向き直って指先をイジイジしながら口を開いた。

「私は河西さんと同じ小中なの。そ、それでね?その……え、えっと」

 モジモジと身体をうねらせ、急に小さく籠った声でゴニョゴニョとし始めたから、私も透子もただ不思議そうに見つめる。凛ちゃんは相変わらず変なところを見ているし、どうでもよさそうにしていた。

「……私は、河西さんの……と、友達……なんだから」

 照れたような口調でそう言い切ると、顔を伏せて耳まで真っ赤にする銀杏田さん。そんな彼女に追い打ちをかけるよう、凛ちゃんはかなりのガチトーンで「え、そうなの?」と伝えた。「なんでよ!」と怒鳴りながら凛ちゃんの事をポカスカと力なく叩く小柄な少女に、私は少し可愛いなぁなんて思い、微笑みながらその光景を見つめている。

「そういえば……河西さん、本当にこの高校入学できたのね」

 ふと頭上を見上げ、思い出したように言う銀杏田さん。私と透子はその言葉の意味を理解できず、相変わらずな除け者感を痛感していた。しかし、さっきまで面倒くさそうにしていた凛ちゃんが、血相を変えてバッと「時代よね」なんて言いながら物思いに耽っている銀杏田さんの方を鋭い目付きで睨みつける。

「だってこの高校、じょッング!?」

「ちょっと黙ろっか!?」

 何かを言いかけた銀杏田さんの口を大慌てで両手のひらを使い塞ぐ凛ちゃん。それは本当に速く、自分たちも緊張してしまうくらいに焦っている事が伝わってきた。怒りと不安と安堵を混ぜ合わせたような複雑な表情を浮かべて目を見開いている凛ちゃんを中心に、周りの空気はすっかり静まり返ってしまっている。そんな沈黙の中、ハッとした銀杏田さんがモゴモゴと凛ちゃんの手を跳ね除けた。

「な、なな……何するのよ!」

 ハリのある大きな声でそう言ってカァッと顔を赤らめ、口元を手で覆い隠している銀杏田さん。

 ……ん?なんだろう、この違和感。

 押しのけられた凛ちゃんは小さく「ごめ」と一瞬申し訳なさそうな態度をとったが、すぐに自分悪くないだろオーラを放ち始め、銀杏田さんを睨みつけた。

「……いこ。透子、明音ちゃん」

「……え?お、おい」

 目元が確認できないくらいに俯いてしまった凛ちゃんがそう呟くように吐き捨て、身体の向きをクルッと半回転させ颯爽と去っていく。そんな凛ちゃんを見かねた透子は「いいのかよ」とか言いながら凛ちゃんの隣を並んで歩いていった。

「……え、ちょっ待ちなさいよ、河西さん!」

 そう訴える銀杏田さんだったが、既に二人の背中は廊下を歩く人々の中へと埋もれていった。……銀杏田さんと二人っきり、気まずい。

「全く……相変わらずね」

 ため息をついて困った表情を浮かべる銀杏田さんに、私は「あはは……」と愛想笑いを浮かべる……が、ふとさっきのことが頭に過り、考える間もなく淡々と口を開いた。

「というか……もしかしてさ」

「……?どうしたの?」

 我に返り私の方に顔を向け疑問を浮かべている銀杏田さんに、私は「いや、少し気になったんだけど」と零しながら無表情のままさりげなく聞いてみた。

「銀杏田さんって……凛ちゃんのこと、好き?」

「……ん、え、はぁ!?」

 余りの声の大きさに、私は咄嗟に顔をしかめて肩を屈めた。薄らと目を開き直すと、そこには顔を真っ赤にしてアワアワと口元を片手の平で隠す銀杏田さんの姿が。

 やっぱり、そういう事なんだろう。見ていて思ったんだ、なんというか……凛ちゃんと銀杏田さんは、部活の先輩に憧れて好きになっている後輩みたいな雰囲気がある。凛ちゃんはあんまり交友的じゃないみたいだけど……でもさ、漫画みたいなアニメみたいな羨ましい関係だと思う。いいなぁってさ……人を好きになって、一生懸命何かに打ち込めること。もしかして、一位になるくらいに勉強を頑張ったのも凛ちゃんに意識してもらう為……とかだったり。それは流石に漫画の読みすぎ、あるある展開すぎるかな。

 それから、私たちは少し一緒に喋った。私たちと居る時の凛ちゃんのこと、銀杏田さんは生徒会役員だということ、そして……昔の凛ちゃんはクールだったという意外な話。そこに関しては言及してもそれ以上を教えてくれることはなかった。



「アンタは別に、愛されているわけでもなければ特別でも何でもない……そう、その他大勢と変わらないんだよ」

「……うるさい、うるさいうるさいうるさい!黙って、黙って、黙れ!」

「はーい、一旦切ります!」

 パンッと胸の前で手を合わせる月嶋先輩の合図で、私と凛ちゃんはふぅっと息をつき各々台本を閉じる。以前に比べて大分昼が長くなった、もう四時半だというのに空は昼間と変わらず青く澄み渡っている。二階の演劇室に演劇部五人全員が集まり、みんな台本を手にして円になるよう向かい合っていた。

「明音も河西さんも、前よりずっといいよ!段々と感情が言葉に乗るようになってきてるね」

 満面の笑みを浮かべながらそういう先輩、それに続くようにして陽向先輩は目を閉じながら「そうね」と一言呟く。私にはどちらも嬉しい、人に褒められるのは気持ちがいいよ。

「で、も!」

 急に大きな声でそうハッキリという月嶋先輩に、私は肩を微かにビクッと震わせて咄嗟に陽向先輩から視線を移動させる。

「明音は声にハリが足りてないよ。もっと声を大きく、お腹の内側から全部吐き出すように言おう」

 ……月嶋先輩って、演劇のことになると本当に真っ直ぐだ。その真面目な瞳の奥に濁りなんてなくて、目の前にあるものを鏡のように瞳に浮かべる。そこに映るのは私……だけど、先輩が見ている世界はどこか私達とは違うような気がして……でもそれが先輩の努力と強い思いの証だと言われると、そんなものでは説明できないような、もっと深いものだと実感させられる。

 私は驚いた表情を浮かべたまま静止していたが、咄嗟に我に返って……私もその期待に応えたいという願いを込め、真剣に先輩を見つめてただ一つ返事を返した。

「……はい!」

 勢いよくそう言うと、先輩は口元を緩めたかと思うと、顔いっぱいに嬉しそうな笑顔を浮かべて手を後ろに組んだ。

「うん!……それと河西さんは、その蔑むような言い方じゃなくて……こう、ネチネチと嫌味ったらしく?で伝わるかな」

「……あー、はい。なんとなく」

 興味無さげで無気力にそう言う凛ちゃんは月嶋先輩に向けられた視線を振り払うかのようにそっぽを向いて大きなため息をついた。そんな反応に対して月嶋先輩は未だに笑顔を崩さないものの、どうもやりづらいと言わんばかりに顔を歪める。そんな二人の様子を傍観する私達三人だったが、見兼ねた陽向先輩が眉を顰めて腕を胸の前で組み、凛ちゃんの方へと大きく二歩近づく。凛ちゃんを覆うように立つ陽向先輩は、かなりの至近距離だというのにも関わらずハリのある声で上から睨みながら告げた。

「ちょっと河西さん、もっと真面目にやりなさいよ」

「んだぁ……だから、わかってますって」

 ボソボソと小さな声でしょぼくれたように言う凛ちゃん。注意されてもなお目を逸らしているその顔は、なんだかとても切なそうで、悲しげな表情を浮かべていた。きっとこの顔は凛ちゃんの真横にいる私にしか見えていない、凛ちゃん本人は誰にも見せていないつもりなのかもしれない……なんか、いつものマイペースさとはまた違ったベクトルのものを感じる。いつもは余裕に満ちていて軽蔑するような、煽るようなテンション?そんな感じ。でも今は、なんだろう……報われなかった時の哀しさを隠すための無理して取り繕っているよう。

 相変わらずな対応に説教している陽向先輩とそれを「まぁまぁ」と宥めている月嶋先輩、台本をじっと眺めて難しい顔をしている透子。そんな状況の中で先程からじっと凛ちゃんの顔を眺めていると、私はふと凛ちゃんの瞳の奥を捉えた。

 ……似ていた。それは先輩の瞳に似ている揺らめきを宿している、努力を重ねて自分を追い込んできた目。あぁ、そっか、凛ちゃんも本気なんだ。だから自分のイメージしていた役と劇全体でのキャラ要素がズレている……月嶋先輩の指摘に対して不満が湧いたのだろう。だって、それは凛ちゃんの練習してきた時間を大幅に削ることになる。……でも、否定しなかったって事は、凛ちゃん自身も月嶋先輩の意見に賛同してしまっているのかもしれない。

 ……努力しても届かない隔たりがあるんだ。それに打ちのめされた、しかも好きな人に。

 凛ちゃん……そう考えると心做しか、凛ちゃんの台本は使い込まれている事を表すかの如くボロボロになっているように見える。そう、みんなそんな風だ……頑張っている、それぞれが各々の決意を各自で抱いている。

 ……でも、私の台本はまだ新しい。

 不意に、私のことを黒く、深く、暗い……身体の中に日々溜まってゆく吐き出したくてたまらない劣等感の大きな波がジリジリと襲ってくる。私はみんなの努力に追いつけていない、なんだって私にとっては自分のことの二の次。みんな頑張っているのに、どうして私だけこんな風なんだろう……全力でやるためには、理由が必要なんだ。なんとなくでは本気になることができない、それが人間……でも私には、自分の思いなんてない……そう、詰みだ。

 ……なんて、下らない机上の空論を辞書のように並べている私は酷い人間。なんとなくやらない……それが嫌で、自分がやらない理由を欲するが為に自分を低く見せてそれに甘え、縋る。いつもいつも、誤魔化してばっかり、私の悪い所だよ。

 ふと円になっているはずなのに、不意に私だけ遠くからその輪を眺めているかのような感覚に陥って全身が身震いし落ち着きを失った。下を俯きながら力なく垂れている左手首を右手で強く握りしめて、口を半開きにしている。なんだか複雑な気分だ、恐怖、劣等感、孤独、哀しみ、痛さ、そんな負の感情が胸の内で混ざり合い私の脳を困惑させて神経を蝕む。手に込めている力が増し、アワアワとした表情を誰にも知られず浮かべ、背中一面が窓から入る光にと照らされて目の前に広がる木目の床には私のシルエットがハッキリと映っていた。

 ……悲観的になるな、私の悪い癖だよ……私だって成功させたいんだから。ただ、力を入れている割合が他の人よりも少ないだけ、他人よりも物事に興味を抱きにくいんだ。大丈夫、私だって思いは変わらない。

 ……でも、もう少し私も努力しようとは思った。

――トッ

「アタシ、練習しても全然上手くなんなくてさ」

 目を閉じながら胸に片手を当てて早まった呼吸を落ち着かせていると、不意に左肩を後ろから軽くたたかれて目を開く。透子は私に柔らかく笑いかけながらそう言うと、一歩正面に踏み出し台本を広げて厳しい顔をして胸を張った。

「あぁ、旅のお方々ですか!どうか、お願いします。私の娘の容態がよろしくないのです!」

 焦った口調で、でもどこか弱々しく気の抜けているようなその声。それは私と変わらず、演じきれていないような半端な役。しかし、その大きく唐突な台詞は凛ちゃんと先輩達の間にあったギスギスの重い空気の中へと介入して一気に注目を浴び、みんなを我に返すには丁度よかった。身体の向きをなおした陽向先輩が申し訳なさそうに顔を少し伏せて頭を搔く中、透子は私の方を振り返り、まるで「な?」と言っているかのような微笑を浮かべる。

 ……私は、そんな透子にも多少なりと憧れを感じた。


「……もう、貴方のいないこの世界に用なんてない……今、私もそっちへ行きますよ。だから……ずっと一緒です」

 この劇のクライマックスにもなっている場面、私の台詞だ。私は細く震えるような声でボソボソと囁くように一人告げる。両手を胸の前で握り少し下に顔を向け、全神経を集中させて目元を意識する。

「……やっぱり難しいかな?」

 ……数秒頑張ってはみたものの、私は一滴も涙を出せなかった。

「……ん、はぁっもう……あぁ。できない」

「まぁ……慣れよ、慣れ」

「そんな簡単に言わないで下さいよ……もう」

 時刻は午後五時寸前、透子と凛ちゃんはもう部室を後にしたけれど……私は居残りで先輩達に指導されている。まぁ……理由は明白、嘘泣きができないから。ドタッと地面に崩れ落ちて項垂れている私に、私を見下ろしている先輩達は二人揃って難しい表情を浮かべていた。

「……というか、結末シーンなのに台詞が浅くないかしら?」

「だ、だって!人が亡くなる瞬間なんて、どんな事考えているのか……それに加えて独り言だよ?」

 ……私の特訓中なのに、当の本人はそっちのけですか、はいはいそうですね。

 月嶋先輩が陽向先輩に向かい合って必死に弁解する中、私は機嫌の悪いため息を大きく、わざとらしくついた。それを耳に止めて私の方に顔を向ける月嶋先輩は、顔をニコッとして語りかけてくる。

「……まぁ、明音がアドリブでそれっぽくしてもいいからね!」

 私も陽向先輩も「げっ」とした表情を浮かべて視線を遠くに逸らす。

「はぁ……何を言ってるんですか、全く……」

 よっと片膝をつき、腕に体重を乗せて立ち上がると腕を前方向にグーッと伸ばして身体の緊張を解す。相変わらずこの部屋は西日が入りやすく、今も地面には空からの暖かな光がハッキリと映し出されていた。もう六月も終盤ですっかり冷たい風もなくなり空気は湿っている最中、太陽の沈む時間が毎日のように少しずつ後退りしているように思える。そんな中、苦い表情を無造作な笑顔で誤魔化している月嶋先輩は目元をじっと睨みつけている陽向先輩の視線を振り解くように顔をそっぽに向けると時計の針と目が合ったようで、ハッとして驚きの表情を浮かべていた。

「あ、もう過ぎてる……じゃあ、今日はこれでもうお開きにしよっか」

「ホント、あっという間ね。……それと、この話終わってないから」

「あははは……」

 私は大きく息を吐き、一つ間をおいてから月嶋先輩と陽向先輩が仲良く?おしゃべりしている所を陰からスッと通り抜け、一人無言で着々と玄関へと進んでいく。すると陽向先輩がそんな私の姿を捉えて颯爽と後を追って部屋を後にした。続いて月嶋先輩も一瞬呆然とした後に、我に返って演劇室の電気をカチッと消して入口の扉を通り抜ける。

 誰も居なくなり、舞台セットも何もない……ただただ夕日が差し込むだけの演劇室は、やけにガランと寂しい空間で、私たち五人が揃っていた時の和気あいあいとしていた名残惜しさがジンッと漂っていた。


「それじゃあ、私はここで」

「お疲れ様です!」

「またね」

 校門を出てすぐの横断歩道を、陽向先輩は去り際に手を軽く振りながら別れを告げて行ってしまった。……毎日電車通学って楽そうだけれど、時間の融通とか利かなそうだな。ほら、十分前に学校につくとか……そういうのができないから極端になりそう……よくわかんないけど。

 それはおいといて、陽向先輩が渡りきった辺りで私たちも身体を左へグッと変えて道を進む。学校の校庭を沿って高く張られたネット越しに、多分陸上部かな……トラックを身軽な格好でテンポよく走る生徒がちらほらと見受けられた。それにしても……。

「平和ですねぇー」

 太陽が変に沈みかけていて黄昏色のグラデーションをうんでいる空をボーッと見つめながら、私が何気なくそう言葉をこぼすと月嶋先輩はすぐに「何それ」と小さく呟いて口元に指を当てながらクスッと笑った。

 車一台分くらいの幅の坂道、自転車で登ろうとすると早歩きしているくらいの速度まで落ちてしまう、かなり急な坂だ。下には……車庫?見慣れない電車が横にズラーッと並んで停車している、私はあんまり電車とか詳しくないからよくわからない。外の風景を見ながら淡々と登り、多少の疲労を感じながらも地面が平らになっている高さまで辿り着いた。ここからだと自分の高校、校庭に連なっている野球グラウンドが小さく見える。飛び降りたら……まぁ、そんな高さ。

「それにしても、みんな頑張っててくれて……嬉しいな」

 ふとそう呟く先輩に反応し、外にあった意識を再びこの道の上へ戻して正面を真っ直ぐに向いたままの先輩に目をやる。すると先輩はそんな私の視線を拾った後、頬を緩めて明るい笑顔をニコッと私へと向けた。その笑顔に当てられた私は、耳から頬の間がムズッとして目線をサッと逸らす。自分のこのムズムズを外へと分散させるために、私はとりあえず粗雑で合意も否定も何も含まない意見を口に走らせる。

「ま、まぁ……みんな楽しそうにやってますよね!……えと、月嶋先輩もやっぱり全力で取り組んでますよね!」

 何が言いたいのか自分でもよくわからない言葉の塊に、私は言い終えた後に額に汗を垂らす。無理やり取り繕った軽率な笑顔も今は硬直してしまって微動だにせず、ただ先輩がこの私だけが苦しい空気を解いてくれるのをじっと待つしかできなかった。しかし私のそんな顔を可笑しそうな微笑を浮かべて一瞥した後に、先輩は想定よりも早くに口を開いて場を解いてくれた。

「うん!私はお芝居……演劇にはいつも全力だよ!」

 正面に向き直った先輩の顔をそっと見つめると、そこにはやはり決意に満ちている……自分を持っている瞳が私には見えた。

「……今回、お父さんもくるし」

「え……」

 先輩のその一言で、私の頭の中は糸が解けたように、一斉に何もかもが散っていった。

 先輩は別になんともないような風に軽くそう言う、顔にはいつもと同じくうっすらと笑みを残して。私は胸がつかえるような思いに駆られ、先輩の顔を見られるほどの気力は残ってなかった。ゆっくりと先輩から目を逸らして足元に目線を落とす。それに今までは気づかなかったが、私は先輩よりも歩くペースが遅くなっていたらしく、私の視界には先輩の足は映り込んでいなかった。

「それは……頑張んなきゃですね」

 酷く憂鬱な私の掛け声は、ほとんど私の正面を歩いている先輩の背中に大きくぶつかる。しかし、私の思いに相反した声色での返事に、私は目を見開いた。

「うん!」

 ……その、あまりにも眩しい声。それが私の事を酷く貶めるんだ、先輩の苦しさが直に伝わってくるのを指先から脳天まで全身をもって痛感する。

「そうですか……」

 特になんの意味もない、ただ気になったからという理由で、私は足を動かすスピードを多少なりと早めて先輩の横に並べるよう動く。私が先輩の横に並んで速度を合わせたのちに先輩の顔を見ると、その光景に私は肝を潰した。

「……そうだねぇ」

 ……笑ってる、心から。

 あれ、笑顔?これは自分の気持ちや不安を偽っている時の顔じゃない、だって……この笑顔は不安や心配事なども含めた上での笑顔だから。取り繕う笑顔にそんなものは必要ないもの。でも私は別に心理学者とかじゃない……ただの物語好きだから、私の意見が絶対であって答えなわけじゃないけど……でも。

 先輩の、この微笑みは本物にしか見えなかった。

 ……そっか、じゃあ私が勝手に思い込んでいたのか……先輩が苦しんでいるってことを。私が感じた黒い感情、憂鬱さや胸がつかえる苦しさ……それらは先輩から流れ込んできたものじゃなくて、私の中で発生したもの。

 そっか、そうなんだね……そっか、そっかぁ。

「そっかぁ」

 私の中に湧くのはサッパリとした安堵の液体、それが今までの感情の濃度を薄めて私の心を軽くする。足が軽くなって、顔にかかっていた雲が晴れ、呼吸がゆっくりになった。よかった……そっか、先輩が抱いていたのはネガティブな物じゃなくて今までの努力の成果を見せられるという期待と、これまで頑張ってきた自分の集大成を見せつけるという強い決意。

――カァンッカァンッカァンッカァンッ……

「あ、急ご!」

 踏切を渡ろうと差し掛かった時、ふと耳を劈く音がほとんど真下にいた私の事を脅す。先輩が小走りになって歩行者用の道を通り抜ける最中、私は先輩に相反してついて行かず、その場にじっと立ち止まって目の前のバーが下がっていく様子を静かに見つめていた。息を少し荒くた先輩が私の方を振り返り、動こうとしなかった私を驚きの目で見つめている。でも、私はそんな先輩の視線がまた苦しくなって逃げるように下を俯くしかない。

 私は、この踏切を渡っては行けない……渡る資格なんてない気がしてしょうがないんだよ。

 なかなか電車が来ない、まだ鬱陶しく私を嘲笑い非難するような音が鳴り続ける。

 とてつもない自己嫌悪と衝撃が胸をジリジリと蝕む。先輩は自分の意思で、自分の努力を信じていた……なのに、それを……私は勝手な思い込みで、穢した。それが許せない、無性に不愉快だった。……え?

「……あれ、あれ?おかしいな……これ」

――ガトンッ!

 目の前を勢いよく電車が大きな音を立てながら通過し、私の重い前髪が風に吹かれてフッと靡く。そんな時、ふいに左目の視界がボンヤリと揺らめいて、だんだんと熱をもっていた。その事実に私も戸惑いを隠せない。

 涙が出る……それは、覚えている限り二回目?かな。初めは自分の秘めていた思いを他人に話した時、その勢いに押し負けて涙が溢れたんだよね。これは……何?なんの涙?邪魔だよ……むしゃくしゃする、嘲笑われているみたい。

 衝動に任せて瞳から滴った涙を右手の拳で荒々しく拭う。私の頬を伝っていた一滴の涙は小さな跡を残して消えてしまった。心の迷いを振り払って自分の視界に意識を戻すと、もう電車は通り過ぎており踏切のバーが少しずつ上がっていた。その奥には戸惑った表情を浮かべながらこちらに身体を向けてじっと待っている先輩の姿。

「……」

 ッ!……最悪の可能性が頭に浮かんだ。

 もしも……今までの先輩が苦しんでいるような姿、それが私一人の思い込みだったとしたら?私の独りよがりな妄想だったとしたら?自分の価値観を相手に植え付けて、恐怖を抱かせてしまっていたら?

 ……考えただけで吐きそうになる。

 でも、その可能性が生まれてしまった以上は、他人にも被害を被らせているリスクもあるため無視できるような内容じゃない。

 ……私、自分にだけじゃなくて他人にとっても「害」なの?そんなのは……辛い、きっと辛い。

「ねぇ!どうしたの?」

 踏切の向こうから息を荒くして走ってきた先輩、そんな姿を捉えた私は、すかさず心配をかけないように笑顔を取り繕う。後ろに手を組んでニコッと笑う私の事を、先輩は静かに見つめた後に悲しい表情を浮かべ、手のひらを上にして片手を私の腰あたりの高さでスッと差し出し、か細い声で私に問いかけた。

「……どうしたの?」

「……先輩みたいには、上手く笑えませんね」


 手を繋ぎながら川沿いの道をゆっくりと歩く。空の色は変わっていないのに、学校を出てからやけに時間が経過したように感じた。

「なんていうか……全部、私の思い込みだったんじゃないかなって思えてしまったんです」

 先輩の体温が私にも伝わってきて、身体の内側がポカポカと暖かい。

「それで……はい、そんな感じ」

 広く長いこの道の先を遠い目で見つめながらできる限りの事を言葉にして伝える。やはり心は不安に包まれていて、声に出しても切なさが入り交じってしまうけれど、先輩になら……話すことができた。

「私は」

 突発的な、空気を切り裂くようなその一言。私の言葉から先輩の言葉にチェンジされる合図。私にはもう何も言うことがないという趣旨を汲んでくれた先輩は、明るいトーンで一人宣言するかのように声を大にして言う。

「私は明音の信じるものを信じたい」

 その言葉を耳にして、私は顔を先輩へとゆっくり向ける。私が顔を向けると、既に先輩は私の事を優しく見つめていて、腰を軽く屈めており顔の距離がとても近く感じられた。それに少し驚いた私は、次第に頬から耳を赤らめるが、顔を背けはしない。そんな私の様子を見てクスッと息を漏らして笑う先輩は、とても満足気で正面に向き直った。

「明音は周りよりも、優しいんだよ。他人の辛さを自分の物のように感じてあげられる」

 身体の横で足と連動して前後に揺れていた、私と繋いでいない方の左腕が慣れた勢いで身体の後ろに向かう。しかし何かを掴むような素振りを見せたものの、先輩の背中には何も無くて空振りした。

「それは間違いなく、明音のいい所だと思うなぁ」

 少しも口調や声色が変わらない様子から、先輩のその動作は無意識の物だということが見受けられた。そんなどうでもいい事を考えてしまってはいるものの、ちゃんと私は先輩の話を聞いているつもりだ。でも私の長所とこのモヤモヤの関連性を理解できない私にとっては、どうしても少し蔑ろな気持ちになりかけてしまう。

「他人の多種多様な心情を、一人で抱えると混雑しちゃう……って、何言いたいんだっけ」

「知りませんよ……」

 本当に何の話だと言いたいが、それが失礼だということくらい自分でもわかるので、反応に困った私はとりあえず目を細めて愛想笑いを顔に貼り付ける。可笑しそうに笑う先輩とそれに合わせて愛想笑いする私……これでも、尊敬はしてるよ?……演劇とか学業とか凄いし……うん。

 すると先輩は一つ小さなため息をついた後に、私の目を見ながら改まって言葉を続けた。

「とりあえず……大丈夫、明音の人生はね?明音が信じたものが事実なんだから」

 その言葉に、私はハッとして目を見開いた。見つめあっていたから私の反応、先輩にも伝わっちゃったかもしれない……案の定、なんとなく先輩がドヤッているように見えて私は少しムッとした。

「なんて、カッコつけちゃった!」

 ニッと目を瞑って満面の笑みを浮かべる先輩。耳の方がうっすらと桃色に染まっているから、照れ隠しなのかもしれない。まぁ……なんか可愛く見える。私も無意識のうちに頬が緩んで、頬を僅かに赤らめていた。先輩の言葉が、私の心に心地の良い余韻を残している……自分の信じたものが事実……か。

「……恥ずかしいこと言いますね」

「……ん?」


 川から外れていつもの交差点、私が大通り沿いを真っ直ぐ帰る道を先輩は脇道に入って私鉄駅から電車に乗って帰る。車通りはかなり多くて信号もなかなか変わらない。歩行者用信号が青く点灯している中、少し距離のある横断歩道を渡っていた。

「それじゃあまた明日!……って、明日一年生いないんだっけ?」

「はい、長瀞に行ってきます」

「……そっか!じゃあ……来週だね。でも、電話するかも?」

 明るい声でなんでもないようにそう言うと、先輩はそっと繋いでいる手の力を抜いた。それに合わせて、私も先輩の手を離す……微かにまだ熱が残っていて、空気に触れると夏なのに風が冷たく感じられる……それが少し名残惜しい。

 残りわずかな距離を淡々と歩きながら、胸の前辺りへ左の手のひらを持ってきてジーッと見つめていた。

「……?」

 突然頬に妙な違和感を感じてフッと我に返り、僅かに思考を巡らせてバッと左に顔を向ける。すると僅か十センチもないくらいの距離に、やりきった感を醸し出す先輩の顔があった。

「じゃあね!」

 私が声をかけるよりも先に、先輩はとても無邪気な声でそう吐き捨て、小走りで細い道の奥へ奥へと行ってしまった。

 その後、呆気に取られた私がその箇所に指先を触れると、他に比べて少し潤っているような気がした。もちろん、私は理解している。

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