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表題は私に咲く  作者: kurage.kk
第二演目
10/17

永遠のボサノヴァ

2巻スタート!いえーい!

pixivには表紙もあります。

「それでさぁ、その時に行ったお店がね?」

 土曜日……つまりは休日、まだ時刻は十二時を回っていないというのにも関わらず、この喫茶店はガヤガヤと高校生くらいのイケてる女子「イケ女」で埋め尽くされていた。部屋全体が肺の奥を温めるような甘い香りで満ちている……流石はテレビでも報道されたパンケーキ屋。余裕を持って少し早めに入っていてよかった。

「おーい、明音ー?」

「……あっ、すみません先輩」

「ボーッとしてたね、どうしたの?……もしかして、美味しくない?」

 いつもと同様に長く綺麗な黒髪が、吊るされた電気の光をほんのり僅かに反射している。外と大して変わらない暖かさの中、七分の羽根のように白いセーターを来た先輩が紅茶の入ったカップルを片手に私へと尋ねた。眉を密かに寄せて不安げにするその表情に、私はスっと笑みを浮かべて「まだ食べてませんよ」と先輩を見つめながらいい、手元に置かれている赤や紫のベリーと真っ白なクリームの乗った綺麗な円形のそれに目を移す。色の濃すぎない、やんわりとした焼け跡に乗せられた一口サイズの小さな果物、それを強調させるように全体へとかけられたイチゴソース。ナイフには気にもとめず、お皿の左側に置かれたフォークを左手で掴み利き手である右にそっと持ち帰ると、私はその見た目百点のパンケーキをソッと口に運んだ。すると間髪入れずに私の口の中は蜂蜜などの甘い匂いが広がる。

「……ん。美味しいですね!これ」

 口に入れて少し時間をおいた後、私は先輩の方へバッと目を輝かせて問いただした。ほんのりとパンケーキの甘さに、フワフワとした柔らかい食感。それに……ベリーの酸味?……まぁとりあえず、とても美味しい。味も百点だ。

「そう、よかった!」

 子供のように目を輝かせ先輩に視線を送った私に対し、先輩はクスッと口元を隠して笑いながらそう零す。私は不意にカッと恥ずかしさが込み上げてきて、咄嗟に目線を先輩の下へやると先輩の食べているパンケーキに焦点が合った。……へぇ、バナナチョコ……これはこれで美味しそうだな。

 そんなことを思っている最中で突然と小さめのフォークを持っている先輩の手が動き、私は肩をビクッと震わせて我に返る。すると、手を下に添えて一口サイズのパンケーキをのせたフォークが目前まで迫っていた。

「明音、あ〜ん……」

「な、なんですか急に……」

「いいからいいから、はい」

 少し上から見下げるような角度で真剣そうに私の口元が開くのを待つ先輩……私は少し躊躇ったが結局なんの抵抗もなく口を開いた。別に、誘惑に負けたとかじゃない。ただ……先輩の善意を無駄にしたくなかっただけで。

「…………あーっん、ムグ」

 私から距離を置き満面の笑みを浮かべて満足そうにしている先輩にこれ以上ないってほど私の食べている姿を見つめられ、私は不意に照れくさくなって密かに肩をすくめる。すると何を思ったか、数秒間じっと表情を固めた後に、私へと差し出したフォークで先輩も同じようにパンケーキを口へと運んだ。なんだかその時の先輩の耳元がほんのり赤らんでいたような気がしたけれど、特に私は気にもとめずに自分の手元へと視線を落とす。

「それにしてもさ、明音から一緒にスイーツ食べに行こうだなんて……予想外だったなぁ」

「こ、これは!……陽向先輩の所に私一人を向かわせた代償ですよ」

 ニマニマしながら「えぇー?」と嬉しそうに話す先輩に、照れ隠しのつもりだったのか、私はムッとしてパンケーキを口へと運んだ。

「ねぇねぇ、本当にそれだけなのー?」

「……ん。はい、そうですってば……」

「本当は私と一緒にお出かけしたかったんじゃない?」

「先輩、しつこいです」

 冷徹でジトッとした瞳を向け、少し低い声でそう答えると先輩は「あはは……」と無気力に笑って手元に視線を戻す。

「でもさ、明音ってパンケーキなんて好きだったの?」

 器用な手つきでチョコソースのかかったそれを切り分けながらそう呟く先輩に、私は少し考えて口を開いた。

「いや……別にそこまでは……ただどこ行くか悩んだ末、テレビに映っていたこのお店を選んだんですよ」

 ファミレスとかよりもいいでしょうと一人吐き捨てるように言い、目を軽く閉じて透き通るような紅茶を一口飲む。

「……ん、どうしたんですか?」

 目を開いてカップを視界から除くと、正面には目を見開いて私を見つめる先輩の姿があった。驚いているような表情……何故そんな顔をしているのか私が理解出来ないでじっと見つめている。

「……それって、私へのデメリットないんじゃないかな?」

「……た、確かに」

 先輩は私の頭上の辺りを見上げて、わざとらしく挑発するように……でも温かい声で言葉を続けた。

「私が退屈しないように考えてくれたって……事、か」

「……ん、なんて?」

 不意に告げられたその意味不明な先輩の発言に、私は顔を顰めてじっと目を見つめると、そんな私に視線を戻した先輩はニコッと顔いっぱいに笑みを浮かべて私へ囁くように告げた。

「じゃあ、私のために明音が考えてくれたデートコースってことだね!」

「……なっ!だ、か、らぁ!」


「ふぅ……入店、だいぶ落ち着いてきたね」

「……そう、ですね……あっもう一時になりますよ」

「えぇ?あはは、あっという間だなぁ」

 先輩は力なく笑うと椅子に背中を預けたため、私からは先輩の頭が一瞬勢いよく降下したように見えた。無駄話をしながら食べ終え、机の上には少し前まで中身の残っていて回収されなかったティーカップが二つだけ取り残されている。

 一時の沈黙。お店には悪いが、私の足が椅子から立ち上がるのを嫌だと拒み、両の手のひらを机の上で組み合わせて何もせずにじっと先輩の頭に視線を向け続ける。

「……そういえば、部活の話なんですけど」

「?うん」

「……なんで、オリジナルの話とかマイナーな話とか……つまり、その……有名な話をやらないんですか?」

「……んん、なるほどね?」

 一瞬先輩からクスッと息が抜けるような音がし、私は怪訝な顔で目を向けると、それに気がついた先輩が「あぁ、ごめん」と微笑み、両手をゆっくり振りながら私への疑問に答えた。

「少し前に雨宮さんにも同じ事聞かれたから、おもしろくって」

「……え、透子が?」

 驚いた……へぇ、透子もそういう事に関心を持つんだ……ん、それは失礼かな。言われた課題だけをやってそうな人だ、そんな人が細かな事に注意を向けるなんて想像しにくい。でも……私よりもテストの点数いいんだよなぁ……運動は規格外の才能を持っているし、私もあれくらい速く走れたりしないかな……百メートル十一秒。

 底に僅かな紅茶が集まったカップへ手をかけ、ボーッと正面を眺めながら何も考えずに口元へと当てて傾ける。案の定、ほんのり口に風味が広がる程度にしか感じなかった。

「そうだよ、それでね……みんなが知っている話だったら、どんな展開結末なのかわかっちゃうでしょ?もともとある既存の物語に私たちの陰影を重ねて見られるのよりも、私たちを見て欲しいっていうかさ……だから、もっと新鮮な気持ちで見て欲しいんだよね!」

 元々答えを持っていたかのように、スラスラとそう言って目を閉じながら笑顔をうかべる先輩は人差し指を一本立てて顔の横にやり、天井を指さしながら「私たちだけの唯一無二の物語みたいな?」と嬉しそうにつけ足した。そんな無邪気な先輩の顔を見た私は、ふと何かに貫かれたような気持ちになる……先輩の、その綺麗に整った顔、なんでもできちゃう、凄い……尊敬する先輩。

 ……ゾーンと呼ばれるものを私は知っている。極度に何かへ集中したりすると起こる、全てがスローになり一点に物凄い意識が寄せられる。スポーツアニメとかでよくある、点を決める寸前に主人公がゆっくりになった空間で淡々と言葉を並べている場面。私のこれも、それなのかな……ふと周りの空間が段々とゆっくりになっていく、先輩の笑顔をその場に静止させて。……私はゆっくりすぎる世界で一人変わらぬ速度のまま顔を俯け、膝の上で拳をギューッと握りしめた。

 ……楽しそうだな。劇をやるのが自分の意思じゃないだなんて、嘘に思えてしまう。

 私は心做しか、喉よりも少し下、胸よりも僅かに上……その位置の奥の方がジワァと熱を持ったように感じる。


――いいなぁ。


「ん?明音、今何か言った?」

 ふと我に返って正面に顔を上げると、うっすらと笑みを残した、聖母のような、優しさの代名詞のような顔で私の目をじっと覗き込んでいた。電気が真上にあり部屋がしっかりと明るかったからかわからないが、その瞳には私のシルエットがしっかりと映っていて、なんだか嬉しさが湧いてくる ……でも。

 私はそんな先輩に対し頬を釣り上げ、声を高くするよう意識しながら返答した。

「別に、なんでもないですよ」



「先輩、これも持ってて下さい」

「え?ちょっ!んっ……しょっと」

 場所を変えてここら辺のシンボルとなっている大きな銀の建物内の服屋、大小白黒様々な五つの紙袋を手首から下げた先輩が、私から受け取ったハンガーにかかっているままのデニム素材の洋服をバランスよく胸の前、手を土台にして積み重ねる。小さなダウンライトが猫の毛のような灰色のマットと淡く白い一面の壁をほんのりと照らし、少し大人な雰囲気を漂わせていた。

「明音、こんなに沢山の洋服買うの?もう八着くらいあるけど……」

 腕の上に重なっているその洋服たちを一瞥しながら、先輩はさも不思議そうに私へ訊ねる。

「いや、流石に全部は買わないですけど……四着ぐらいは欲しいですね……あ、これもお願いします」

 私から投げるようにパスされた夏用の白く薄地の上着を、先輩はバランスを取りながら見事にキャッチすると私の方を見ながら微笑をうかべた。一方で黒いズボンを探している私はそんな事に気づくはずもなく独り言をブツブツと呟いて念入りに服をかき分けて表のデザインを拝見している。すると先輩は、自分の手の上に重ねられた白と黒ばかりの服を中心に寄せるようにしながら私へと口を開いた。

「それにしても、明音ってファッションとか興味あったんだね」

「あ、当たり前ですよ!だって……女の子、ですし……?」

 この前駅に行った際、ダサいパーカーしかなくて私史上かなりの黒歴史を生んでしまった反省。実際、今日も着てこれるような服がなくてお姉ちゃんに小さめの服を貸してもらったんだ。白と朱色の運動靴に合うような、スポーツメーカーのロゴが胸元に印刷された白地の長袖、それに黒くて薄い上着を羽織っている。……今後こんな事が起こらないように予め外出用の服をいくつが手に入れようとおもったわけなんだけど……。

「……そろそろ、試着室行きますか」

 そう言って今手に取った洋服を胸に抱えながら、先輩を後ろに狭い通路を抜けてお店の角の方へと進む。周りよりも少し薄暗い所にあるふたつの更衣室、左側はカーテンが閉まっていて足元に黒い革靴が置かれていた。その場に一、二秒間留まった後、「あっ、はい」と零す先輩から一着服を受け取り、私は軽く会釈をして壁に手を添える。互いの靴の踵を反対の脚でグッと脱がせ、靴を左の壁沿いに並べてカーテンをシャーッと勢いよく閉めた。

「じゃあ私、ここで待ってるね」

 先輩の遠くに飛ばすような声がそう告げると、フスフスと布地を踏む足音が段々遠のいていき、やがてそれが聞こえなくなると同時に私は羽織っている服から腕を抜く。ファサッという音を立てて黒い上着がゆっくりと落ちて下の服を脱いでいる最中、ふと足に今まで蓄積されていた疲れがグッと込み上げてくる。そういえば、もうこのお店で十軒目くらいなのか……あっという間だなぁ。さっきの本屋、先輩が私と同じラブコメを読んでる事を知った時は凄く驚いた。……私が言うのもなんだけれど、月嶋先輩って恋愛とか鈍そうだったから。

 裾先を整えて私の全身を収めた鏡にチラッと目をやる。そこに映っていた白いワンピースを着た茶髪ショートの少女、私とは全く別人に見えて、驚いたような表情を浮かべた後にカァッと頬を赤く染めた。

「……普段こーゆーの着ないから、慣れないな」

 鏡の向こう側にいる星乃明音と長らくじっと目を合わせていると不意に心が高揚していることに気がつき、フフッと声を零しながら笑顔を浮かべて胸に広げた左手をそっと添える。

 ……あぁ、高校に入ってから……いや、先輩に会ってからかな、こんなことばっかりだ……ホントに。

「明音ー?着替えたら私も見たいんだけど……」

「……んっ!?」

 肩を思いっきりビクつかせて声が漏れてしまった。案の定、カーテンの向こうから先輩の「……どうしたの?」という声が聞こえてくる。

 普通に考えて……そうか、そうだよね……カーテンの前で待ってるって事はそういう事だ。それに、他の服も先輩が持ってるんだし……いやでも、恥ずかしすぎる!どうしよう、こんな格好先輩に見られるの正直……ヤバい、うんヤバい。というか、なんでこんなオシャレな服を!過去の私に呆れて言葉も出ない。

 頭を抱えて数秒間悶々と思い悩む……その末、私の結論は。

「……ど、どうですかね……先輩。うぅ」

 諦めてカーテンを端まで追いやり、先輩が私のことを呆気に取られたような顔でじっと見つめて反応を示さない、私はあまりの不甲斐なさに心の中で悔し涙を流した。

「……か、可愛い!すごくいいと思う!」

 はっとした。目を見開いて少しの間思考を停止した。そんな私に対して、手を後ろに組み笑顔でそう答えてくれた先輩が首をさらに左へと傾け、より一層と笑顔を美しく感じさせられる。それでふと我に返り、目線を左下へと避けてボソボソと答える。

「あ……ありがとう、ございます」

「あれ?でも首元が少し……あっねぇ明音、ちょっと回って後ろ見せてくれる?」

「?わかり、ました……はい」

 言われるがままに身体を半回転させ、正面にはさっき見つめあった星乃明音とまた対面する。角度的に先輩には見えないものの、私は顔に疑問を浮かべてその場に立ち尽くしていた。すると「あ、やっぱり」と先輩の独り言が聞こえて、私は顔だけを後ろの、方向へやる。

「ほら、チャックが閉まってないよ」

「……チャック」

「閉めてあげる、じっとしててね?」

 私は恥ずかしさを堪えて呟くように小さく「ありがとうございます」と告げた。

 私が鏡へと向き直ると、突然背中の中央がゾワッとくすぐったくなって、目を閉じ「んっ」と声を漏らしてしまった。顔を赤らめた私は自分でも驚いて咄嗟に口を両手で塞ぐ……と同時に、背中で感じていた先輩の手がピタッと静止したように感じる。

「……あ、明音?」

「うるさいです」

「ご、ごめん……」

 左手の人差し指を口元に当てながら、赤面した私は再び先輩がチャックを上げてくれた二秒間を倍以上に感じた。なんでだろう、なんかすごく恥ずかしい事してるような雰囲気なんだけど……なんで先輩まで赤くなってるの。チャックを閉めてもらって数秒後に、私は改めて先輩の方へと向き直る……すると、お互い恥ずかしそうにしている私達は僅かに目を合わせていた後、一斉に笑い崩れた、私は目から微かに涙が出ている。だって、おかしくって。


「結局四着ピッタリに絞ったね」

「はい、まぁ……無地ばかりですけど」

 先程先輩から受け取った服をレジのカウンターにまとめてそっと乗せる。すると、先輩は一番上に重なっていたさっきのワンピースに目をとめた。

「……へぇ、ワンピース買ったんだね!なんか、ちょっと意外かも」

「……先輩が褒めてくれたから」

 クスッと笑ってそういう楽しそうに言う先輩に、私は自分にも聞こえないくらいの声で微かにそう言葉にした。正面ではピッとバーコードを読み取る音が不規則なテンポで鳴っていて、私はそれがやけに大きく聞こえ、痛くはないんだけれど……鼓膜に強く響く。


「服って……高いですね」

「……うん、そうだね?」

 時刻はもう午後四時過ぎ、ハチ公周りの人数も段々と増えているように感じる。何故衝突しないのか疑問なくらいの人数が一斉に交差点を渡り、私と先輩はその波の一部となって駅の方へと向かい進む。これくらいの時間だと、空の端の方が微かに黄色くなっていて、空全体が青いグラデーションのようだった。

 スーツを来た人や電話しながら歩いている大人の人、身軽な高校生くらいの人、大人っぽい女の人……そんな人達よりも僅かにゆっくりとした速度で、小さな歩幅を並べて二人駅内へと入っていく。なんか、あっという間だった。一時間が普段の二十分程度にしか感じられない。……なんか、もう帰るのかって感じ。……もう少し、帰りたくないな。

「……先輩」

「ん、どうしたの?」

「ちょっと……遠回り、しません?」



――次は、台場です。ジネクスティシュンイズ、ダイバ。

「あっ先輩、次で降ります」

「……お台場か、わかった。了解」

 向かい合う先には視線を足元へと落とす静かな先輩がいて、周りには仕事帰りらしき人が数人見受けられる。ガラガラというには無理な人数だが、席が埋まっている訳でもない……全員の両サイドには人が座っておらず独りが沢山いた。先輩の後ろにある窓の外は紫陽花のような青紫色の空をしていて、反対に私の窓の向こうはオレンジ色に染っている。雲は少なく、朝からいい天気だ。車内は青系統の影によって薄暗くなっており、先輩との距離が実際よりも僅かに遠く感じる。

 ふと正面の窓奥が映す空が高くなり車体が傾いたのかと思うと、先輩の後ろの空が段々とオレンジ色に染まっていく事に気が付き、それをじっと見つめていた。何気なく視線を先輩にやると、こっちを見ていた先輩としっかり目が合ったので私は照れ隠しで目線をスっと落とす。

「明音、そっち行くね?」

「え?あっ……」

 私が答える前に、先輩は私の元へ三歩で素早くたどり着き、身体を回転させてからゆっくりと腰掛けた。私の身体が右へと傾き、重心が軽くズレる。

「どうしたんですか?先輩」

「うーん……ほら、あの距離だとお喋りできないでしょ?」

「……確かに」

 先輩は軽く握った拳の側面で口元を隠し、クスッと音を立てて笑顔を浮かべた。私もそんな先輩の笑顔に釣られるように口角があがる。

「ほら、見て明音。レインボーブリッジ」

 私の方向……先輩にとって左側に顔を向け、窓の外を覗きながら既に私も確認したその事実を伝えてくれる。私もそれに釣られるようにして先輩の方へ顔を向けて窓を覗き込む。その景色はいつもの有名で堂々とした姿ではなく、トラス構造になっている橋の下部分だった。初めて乗ったわけではない、でも何故か……私はあたかも物珍しそうな顔をわざと浮かべていて、数秒後には何故そんなことをしたのか自分でも理解できなかった。

 先輩の呼吸を肌で感じる、ゆったりとした呼吸だ。体温まで伝わってくるような感覚もする。なんだろう、この時間、この空間が……無性に心地いい。

 先輩の左手が私の目の下にあったんだ。静かに、ゆっくりと私がそこに手を重ねた時、先輩が微笑んだ事は顔を見なくてもわかるくらい、「先輩」が伝わってきた。


――ピピッ!

 改札を出て颯爽と外へかけて行く私が空気の筒抜ける通路に出た頃、先輩も改札を抜けて私の後をいつもの速度で追いかける。時刻はもう十七時過ぎ、空は夕焼けと呼ぶにはもう暗い。一時間も経っていないけれど、外の空気がとても新鮮に感じられたのは海水の近くだからだろうか。

「んんー、新鮮な空気ぃ」

「そうだねぇ」

 地面に紙袋を置いて身体を伸ばしていた私の横に着き、先輩と目配せして再び歩き出した。何も喋らずに、お互いどんな顔をしていたのかもわからない。でもなぜだか安心感をおぼえていた……あの時みたいに。

 しばらく歩いて、地面はとうに薄橙のレンガ模様へと変わっていた。辺りには人が余りおらずに静かな時が流れている。そんな中先輩がふと「ふぅ」と零して空を見上げたから、私は釣られるように先輩の目を表情なくじっと見つめる。

「……もう、かなり日が落ちてるね」

「……すみません、付き合わせちゃって」

 私は目線を自分の足元へと落とし、小さな声でそう呟く……と、先輩は「あぁ、違う違う!」と両手を私に向けて振りながら目を見開いていた。

「そうじゃなくってさ、なんか……いつもと違うね」

 なぜだか、私にはその言葉の意味がとてもよくわかった。これ以上ないと思えるほどの説明だとも思った……それに、共感もした。同じことを考えられるのって、素敵。

「……そうですね、もう……暗いですね」

 私があははと笑いながらそう言うと、先輩は尊そうな微笑を私へ向けた……かと思ったら、突然に私達の前へと駆け出して行く。先輩の持っている紙袋がガサガサと音を立て、カッカッと足音を鳴らす。私はその場に立ち止まって先輩の背中が暗闇に埋もれていくのをじっと見つめて、さっき浮かべた笑顔を何故か崩すことができなかった。私の気持ちなんて気にせず、やがて暗闇に埋もれた背中は顔を正面にして私の方へと向かってくる。そんな姿をみた私はようやく顔の緊張を解くことが出来た。

「っはぁ、はぁ……ちょっと、走りたく……なっちゃった」

「……子供、ですね」

 私が苦笑いをしながらそう告げると、先輩は顔いっぱいに笑顔をパァッと輝かせた。


「あ、砂浜」

「暗いから気をつけてね」

 向こう側にはビル群が小さな光の粒に纏われて美しい夜の街を作り出している。航空障害灯の赤いランプが点滅し、夜なのに空がどことなく明るい。サァーッと小さな波が押したり引いたりして砂を湿らせている、辺りにあまり人は見受けられない。ただ、波が頭の奥に響いていて、心がしんみりするのを感じた。

 私が早歩きで海へ向かった後、買ったものを椅子のような所に置いてきてくれた先輩も海面のすぐ側まで来て、腰を屈めて手のひらを水の中へとつけた。

「……あんまり冷たくないや。明音も、ほら」

「……」

 私は言われたままに先輩の動作を真似して水に手を浸す。すると、水は本当に冷たくなくて、そのせいで手のひらに薄い膜が張り付いているかのような、そんな違和感を感じた。

「……温かい」

「ね?そうでしょ」

 ニコニコと満足そうに笑う先輩をじっと見つめたあと、先輩がまだ手を水につけている中、私はゆっくりと海から手を引き膝を抱えるような体勢になってそっと呟いた。

「あっという間ですね、一年」

「……え?」

 先輩は眉を寄せて不思議そうな、でも微かに心配そうな顔を、夜の街並みと白い橋、黒い海をボーッと眺める私の方へと向ける。

「先輩と出会って、お芝居して、テスト受けて……そして今日が終わる……早すぎませんか?」

 私は寂しさを混じえた愛想笑いを先輩へと浮かべて、言葉を続ける。

「過去も……今思い返すと一ヶ月分もなくて、私の知っている時間は、こんなにも一瞬の一時で」

 私の顔を見ていた先輩は、目線を落としたかと思うと海へ向き直る。そして先輩も海から手を抜いた。私はそんな先輩の様子を目に捉えてはいるものの、別になんの思いも抱かずに海の奥を見つめる。

「きっと……未来だって一瞬で」

「いろんなことがあったよね」

 私の会話を遮るように先輩がふと話し始め、私は落ちてきそうな瞼のまま先輩の方へと目をやる。先輩は相変わらず海を見つめていて、その真面目な顔からはなんの感情も読み取れない、夜の闇が邪魔をする。

「私……出会ってすぐに、嘘ついてるのバレちゃって……その後、明音、私に泣きついてさ……あ、キスもしちゃったよね」

 先輩の目が見える……瞳の奥までキラキラしていて、決意で満ちている。私は、こんな先輩の姿に憧れてしまう。綺麗で優しくて頭もいい、お芝居が上手で、一つの目標に向かって一生懸命な先輩。ダメな部分も、頑固な所も含めて、私はこの先輩の事が…………いや、違うかも。これは……尊敬かな。

「私が役者目指してるって時、明音ってば、すごい必死になって私を支えようとしてくれてさ……」

 先輩が私の方へと顔を向け、それに対して私は胸がじんわりとなる。

 ……今日の先輩は、よく笑う。

「明音、私ね……本当に、感謝してるんだよ」

 言葉にしなくてもわかる、笑顔が私に感謝を伝えてくれていることくらい。でも、それでも、私は……。

「なんか……風が涼しくなってきましたね」

 無性に寂しい。もし、もし私にも皆と同じような気持ちがあれば、思いがあれば……もっと、もっと今を感じて、もっともっと今に生きれたかもしれないのに……私には、それができない。

 先輩の笑顔を余所目に、私は再び海の方を見つめる。そんな私の反応に、先輩は目を見開いた。聞き慣れすぎて、波の音はもう感知していない。私にとっては無音だ。夜の闇が私の体温を奪っていくような、中身が抜かれていくような……孤独。

「夜の闇に溶け入りそう」

 ふと、私の後ろから二本の腕が伸びてきて背中に何か柔らかいものが当たっているような感覚が私を襲う。その束の間、手は私のことを抱き寄せるかのようにギュッと縮こまり、私の身体は全面から優しいそれに包まれた。私は俯き、自分でもどんな顔をしているのか分からない……そんな状態が数十秒続き、不意に左肩で温かい声が私へと囁く。

「ダメ……だよ」

 それは、震えている声。小刻みに言葉が揺れていて、それが私の鼓膜を震わせる。

「すぐに居なくなるだなんて……言わないで」

「……先輩」

「……だって、だってまだ二ヶ月だよ?あと一年以上あるんだから……だから」

 私を抱く手が少し力んだのか、私をより一層強く包み込んで先輩の体温が私へと流れ込んでくる。背中で、先輩の鼓動を感じる、速い……私は、ゆっくり。

「まだまだ、楽しもう?」

 先輩はそれ以上、口を開かなかった。耳元で不規則な呼吸を感じ、手が私にも振動を伝える……やがて、先輩の腕が一気に軽くなり、それが後ろへと引っ込む……顔を見ていないのに、悲しさが伝わってくる。

 ……何してんだろ、私。

「先輩、勘違いしないで下さい」

 まだ後ろにいた先輩からソッと身体を抜き、待ち上がって先輩の事を上から見つめて声を張る。

「楽しい時間って……あっという間でしょう?」

 取り繕って微笑みながらそう言い先輩に手を差し出す。しゃがんでいた先輩はそんな私を見て数秒後、ニカッと笑顔を浮かべて優しく手を取った。


「明後日からまた学校だね」

「げ……ま、まぁまだ明日がありますから」

 先輩と二人並びながら別の地下鉄駅に向かう。お台場を出て別の島、海面スレスレのタイル柄の長い長い一本道。どうやら、この島の半分くらいを周る公園らしい。

海沿い、私の左側を歩く先輩は荷物を片手で持っていて私の方に空の手を放り出して歩く。私は律儀にも両手で紙袋を持ち、体の前にやって歩いていた。

「劇の練習もしなくちゃですね」

「そうだよ!また再開再開!みんなほんとに上手くなってきてるからねぇ」

 クスクスと笑いながら楽しそうにそう言う先輩と一緒にいると私も自然と笑顔になる。時刻はもう帰宅ラッシュに当たってしまっていたけれど、まぁ流石にこれ以上居てもという事で、豊洲駅の地下鉄へ。そういえば、夜ご飯食べてないな。

「先輩、夜ご飯食べません?」

「確かに……楽しくて気が付かなかった」

 あははと笑いながらそう言う先輩に、私は「んもう」とため息混じりに、けれども笑顔を残したまま告げて道を共に歩く。

 私は荷物を右手に預けてブラブラと揺れている先輩の手をパッと握り、二人並んでビル群の方へとゆったり消えていった。


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