魔法・スキル鑑定院
次の日の朝早く。
まだ眠っているエミーリアの朝食を作ってから、僕は家を出た。冒険者ギルドに行く前に確認することがあった。
あの竜だ。
僕は朝もやのけむる海沿いの通りを抜けて、まずあの黒い竜を隠した森に向かった。
町から東にはずれた森の奥、そこに小さな湖がある。
その途中にある湿地帯の茂みの中。僕は昨日の夜、あの竜にそこで待つように伝えた。本当に待っているのかどうか不安ではあったけれど、あの竜はいた。昨日僕がここで待てといったその場に。全く同じ場所で、全く同じ格好で待っていた。
そこまで言うことを聞かなくてもいいのに。僕は少し申し訳なくなった。
僕はつまらなそうに寝そべっていた竜に近づいた。竜はこちらに気が付いたようで小さく鼻を鳴らして顔を向けた。まるで生きているみたいだ。やっぱり、この竜は死体であって死体じゃない。いつもの僕の死体操作のスキルならば、この竜の体はすでに固まってしまって、身動きすらできなくなっているはずなのに。
僕は頭を寄せてきた竜の額をなでた。夜の冷気の名残のせいか、黒い鱗はひんやりと湿っていた。僕は竜に詫びた。
「こんなところで、待たせてごめんよ……」
竜は僕のおなかを押すように鼻を軽くこすりつけてきた。すこしくすぐったい。甘えるような愛くるしいしぐさ。竜の事をかわいらしいと思う日が来るだなんて。
僕は思い返す。
12歳の頃、僕はこの国の魔法・スキル鑑定院が行っている【鑑定の儀式】を受けた。
その時に判明したのは僕がスキル【死体操作】を扱えるという事。でも、実は、そのスキルがどういうものなのかまだよくわかっていない。
なにしろ、今まで、そんなスキルをこの国で扱えた人がいないのだから。使い方がよくわからないままに、僕はこの数年間ずっと過ごしていた。
魔法・スキル鑑定院の役人からは、死体操作のスキルについて何か新しいことがわかれば報告するように、というそっけない指示しか受けていない。
僕の死体操作のスキルについて分かっているのは一つだけだった。それは、生物の死後、一定の期間だけその死体を操って動かせる、という事。僕がずっと冒険者ギルドで死体運搬係をしていたのもそのせいだ。
それはそれで需要はあったし、自分たちの生活費と、妹の薬代金くらいは十分稼げていた。
でも、今回、この竜のおかげであらたにわかった事がある。
それは僕が自ら命を奪った生き物に死体操作のスキルをつかうと、その死んだ生き物を操ることができるという事。しかも、今までのように単に死体を動かすという単純なものではなく、半分自発的に行動する死んだ生き物を操ることができるのだ。それに加えて、不思議なことにこの竜には死んだ後の体の硬直や腐敗がまったく見られない。
今、僕の目の前にいる死んだはずの黒い竜は、まるで生きているかのように振舞っている。しかもどこか愛嬌すらたずさえて。
単に死体を動かすことができるという事と、生き返ったかのような死体に指示を出し操れるという事。一見、似ているように感じるけれど、この違いは、あまりにも大きい。
僕が物思いにふけっていると、ふいにガサリ、と葉のこすれるような音がした。
僕は音のしたほうにすっと目をやる。人影はない。周囲の木々の隙間までくまなく見渡して、もう一度誰もいないことを確認する。その時ふと思った。この竜を誰かに見られるとまずいのではないかと。
竜が、こんなところにいては必ず冒険者たちに狙われてしまう。この竜が身を隠せるような場所を探さなくては。
でも、僕にはまるでいい場所が思い浮かばない。このあたりの地形に詳しく、それでいて秘密を守れそうな信頼できる人。
僕の頭には一人しか浮かばなかった。今から昨日のお礼を言いに行く人。冒険者ギルドの受付のリーゼさんだ。僕は竜にもうしばらく辛抱するように伝えて、冒険者ギルドに向かった。