暗黒竜アモンドラゴン
町はずれの丘のふもと。枯れ木に囲まれた廃墟。ここは冒険者ギルドの“もと”派出所だ。
今は、ここがあの竜の隠れ家になっている。
僕が崩れかけた屋敷の扉をくぐると、斜めに差し込む光と陰の中、竜は丸まっていた。竜は僕の足音に気がついたのかググっと首をもたげて小さく唸る。
青く透き通る竜の瞳。目が合ったとたんに、僕は自然と笑みがこぼれた。この感情は何だろう。こんな田舎の片隅で、エミーリアのいる部屋以外にホッとできる秘密の場所ができるなんて。こんな事考えもしなかった。
僕が竜に近寄ると、乾いた空気に誰かの声がひびいた。
「ネイル君、待ってたわよ!」
この声はリーゼさん。僕はいま入ってきた扉のほうを振り向いた。扉の横に冒険者ギルドの制服姿のリーゼさんが立っていた。
手もとに分厚い羊皮紙の束を抱えて立っている。リーゼさんの声はどこか上ずっていて慌てているようにも聞こえた。
リーゼさんは僕にむかって小さく手招きすると、扉をくぐり外に出る。僕もそれに続いた。
外に出てからリーゼさんはすぐに僕のほうを向いたけれど、悩ましそうに何かを言いあぐねている。
やっぱりいつものリーゼさんとはどこか違う。この浮かない表情はなんだろう。確か、リーゼさんはこの竜の事を調べてくれると前に言っていたっけ。僕はまずそれについて聞いてみた。
「僕、今までいろいろな魔物の死体の運搬をしてきたんですけど、黒い竜なんて見たことがなくて。リーゼさん、確か、前にこの竜の事を調べてみてくれるって言ってましたよね。何かわかりましたか?」
「ええ。でも、正直、私の調べが正しいかどうか自信が持てないんだけど……特徴からすると、あの竜はね、飛竜種の中で最も獰猛と言われている【暗黒竜アモンドラゴン】っていう竜なの。光を吸い込む闇の鱗。口から後ろへ続く流線形の頭蓋に、二又の赤い角。なにより額にある第三の目のような深紅のひしがた模様。おおまかな特徴としては間違いなくアモンドラゴン……実は私も見るのは初めてよ」
「え? リーゼさんが見るの初めてって、どういうことです? だってリーゼさんこのあたりの魔物ならばすべて知っているはずでしょ」
「だってアモンドラゴンはこの地域にいるはずがないんだもの……」
「この地域にいないって、じゃどこにいる竜なんですか?」
「アモンドラゴンの生息地は空飛ぶ大陸……幻の天空地【ヒュルドラ】だといわれているわ」
僕は思わず、大声を上げた。
「て……て、天空地ヒュルドラ!? あれってただの伝説でしょ!?」
「だから、私も驚いているのよ。でも実際にあの竜が本当にアモンドラゴンだとしたら、ヒュルドラも実在するってことになるわね」
幻の天空地ヒュルドラ。
この世界に古くからつたわる言い伝えだ。嵐を引き起こす真っ黒い雷雲の中に潜むといわれる空飛ぶ大地。そこには珍しい魔物たちがわんさかといるらしい。でもそれはおとぎの国のお話だとおもっていた。そんな場所が本当に実在するのだろうか。
言葉を失っていた僕に、リーゼさんが続けた。
「それにね、ネイル君。あのアモンドラゴンの大きさからすると、あの子はまだ成長しきるまえの幼竜よ」
「あの大きさで……まだ幼竜?」
「ええ。アモンドラゴンの成竜はあの子の3倍ほどの大きさに成長するはず。人間の年齢でいうとあの子はそうねぇ……まだ13~16歳くらいかな。ちょうどネイル君と同じね」
あの竜が僕と同じくらいの年齢だなんて。僕はふと、朽ちた屋敷を振り返り見上げる。
その時、背中からどことなく不安げなリーゼさんの声がした。
「……ネイル君。この前、うちのギルドに持ちこんだ一匹のワイバーン。あれはキミとあのアモンドラゴンだけで討伐したのよね?」
「はい」
「実は、あのワイバーンの死体を渡す時、死体の引き取り主であるベルク竜具商人団のひとに聞かれたの。あのワイバーンを討伐した冒険者は誰だって」
僕はびくりと聞き返す。
「え? ぼ……僕、何かまずいことしました?」
僕は屋敷から視線をはずして、慌ててリーゼさんのほうに目をやった。リーゼさんは僕を見て気が抜けたように小さく笑った。
「その逆よ。ワイバーンの死体を受け取りに来た人が驚いていたわ。急所を一突きの見事な倒し方だって。とりあえず冒険者パーティ【黄金のタカ】といっておいた。相手はかってにリーダーのアスター君だと思い込んでアスター君を褒めちぎってたけれど」
「あぁ……ありがとうございます。アスターは他人に褒められるのが大好きだから、そういうことにしておきましょう」
僕の頭の中に、あのアモンドラゴンと一緒に、ワイバーンを討伐した時の光景がふいに浮かんでくる。
青い空の中、僕はアモンドラゴンの背に乗り、森の上すれすれを低空で飛んでいた。
そして一匹のワイバーンの影を見つけて距離を取りながらそいつの下に潜り込んで見上げた。僕は目を細めてワイバーンの喉元、竜の心臓の位置に意識を集中して狙いをつけた。途端、あのアモンドラゴンは僕の意志に“呼応”した。
アモンドラゴンがぐっと頭を上げたかと思った次の瞬間には、僕たちはワイバーンの真下にきていた。
そしてあのアモンドラゴンは、先端に棘のついた尻尾をざらりとふりあげて、ワイバーンの喉元を一突き。絶命したワイバーンはそのまましなだれて落ちていった。ほんの一瞬の出来事。いま思い返しても、あれは夢だったのではないかと思うほど現実味がない。
「それじゃ、私、これからギルドに戻るから、またね」
リーゼさんの声で我に返る。
リーゼさんは小さく手を振ると、足早に去っていった。僕はリーゼさんの小さくなっていく背中を見送ったあと、もう一度屋敷の中に入り込んだ。