石化病
まるで予期しなかったリーゼさんとの森の散策。こんなのは、休日としては最高級品ともいえる。この一日だけで僕はかなりの運を使い果たしてしまったかもしれない。リーゼさんの一つ一つの言葉が、僕の心を躍らせる。
でも、やっぱりそういう時間はあっという間に過ぎてしまう。もうじきに目的地につきそうな丘のふもと。この辺りには魔物の影はない。
ふと、話の流れで僕の妹エミーリアの名前が出た。その時、リーゼさんの声が少し曇ったのが分かった。
「……ネイル君、妹のエミーリアちゃんの病気のほうは大丈夫なの?」
「はい。今は毎日薬を飲んでいるので、病気の進行はおさまっているみたいです」
「たしか……俗にいう“石化病”だったわよね」
「……そうです。今は右足の小指が変色して、少し動きにくくなってきています」
「そう……心配ね」
僕の妹、エミーリアの体を犯す“石化病”は正体不明の皮膚病だ。
体中の皮膚が石のように固くなり、いずれ全身を包みこんでしまう原因不明の奇病。
毎日きちんと薬を飲んでいるからエミーリアの症状はまだ軽い。今は、右足の小指が少し変色し硬くなってきている程度だ。でも病魔は確実にエミーリアの体をむしばんでいく。
命に係わる危険な症状が現れはじめるのは、この石化病が足のひざから上にさしかかる頃だそうだ。僕たちが話しながら歩いていると、少し先、木立の中から頭を出す茶けた屋根がみえた。
僕とリーゼさんはお互いの目を見合わせて、小走りに向かった。
ようやくたどり着いた目的の屋敷。その屋敷を見上げながら、リーゼさんは乾いた声を上げた。
「ははは……こりゃ扉のカギなんて必要なかったね」
「ですね……」
僕たちが見上げたその冒険者ギルドの派出所とやらは、すでに廃墟と化していた。
屋根は上から踏みつぶされたように半分崩れ去り、木の骨組みが空に突き出している。壁には苔が這いまわり、まだらに建物の壁を侵食している。窓という窓は割れて、スカスカと窓枠だけが揺れている。
その薄汚れた廃墟を見上げたまま立ち尽くすリーゼさんを追い越して、僕は屋敷に近づいた。
考えてみれば、これはこれでいいのかもしれない。あの竜はそれなりの大きさがある。半分崩れた屋根からならば、無理なく出入りができそうだ。それに屋根は崩れているといえど、四方のレンガ造りの壁は分厚く、まだ十分に形を保っている。中にひそめば目隠しとしては最適だ。ここに決めた。
僕は振り向いて、苦笑いするリーゼさんに伝えた。
「ここで十分だと思います。ありがとうございます。でも、本当に使ってもいいんですか?」
「ま、こんな廃墟でよければ使って。私もこんなに古い屋敷だとは思ってなかったわ。でも、これだけボロボロならば、誰かが来る心配もなさそうね」
僕はリーゼさんにお礼を言って別れる。
この後、僕は昨日アスターに命じられた“宿題”を片付けるつもりだ。
ワイバーンの死体を一体ギルドに持ち帰る事。
アスターが僕にそれを言いつけた時、アスターの目はこう言っていた。そんなことはお前にできっこない、と。
無理な注文をおしつけて、それができない僕に貸しを作ろうって魂胆だろうけど、もうそうはさせない。
今の僕には”あの竜”がいる。